色葉、逃亡する。
「ひどいよ、恭ちゃんもお姉ちゃんも……」
まさか二人がキスしている何て思いも寄らなかった。
色葉はその事実を知らされ、勢いで家を飛び出してしまった。
とはいえ行く当てがある訳でない。何となしに後ろを振り返って見る。
姉の里緒奈はともかく、恭介が追い掛けてくる気配が全くない。
一応色葉も恭介の彼女のうちの一人である。
こういう場合、追い掛けてくれたりはしないのだろうか?
色葉だって鬼ではない。二人に対して怒りを感じ得ないわけでないが、仮に今すぐに恭介が追い掛けて来て、謝罪し、おちんちんにキスさせてくれるなら今回の件は水に流さないわけでもなかった。
色葉は、もう一度後ろを振り返って見るも……
「……きて……ない……」
これでは戻れない。飛び出てきてしまった手前、即効で戻る訳にもいかなかったのだ。
最低でも夜までは粘らなければならい。
そして恭介たちが探してくれることを考慮し、あまり遠出をするわけにもいかなかった。
「とりあえず、公園で時間を潰そうかな……」
とぼとぼと歩いて近所の公園へと辿り着く。
誰もいない公園。ブランコが開いていたので久し振りに腰かけて、揺られる。
「ど、どうしよう……」
無計画ではあったものの、お財布と携帯電話が入ったバッグだけはしっかりと持参してきていた。
もはや恭介たちが探し出してくれるか、携帯電話ででもいいから安否を気遣ってくれるような素振りを向こう側が見せてくれない限り、戻るに戻れそうになかった。
色葉はブランコに僅かに揺られながら、がっくりと項垂れたのだった。
昨晩は夜遅くまでオナニーを勤しんでいたせいか、ブランコに揺られていたら、こんな状況だというのに睡魔に襲われつつあった。
「このまま眠っちゃいそう……」
しかし携帯電話に連絡があり、万が一それを逃してしまったら、帰るタイミングを本当に逃して……
「ね、眠い……」
徐々に瞼が重くなってきていた。
そして色葉は、うつらうつらとして――
ああ、このまま夢の中に誘われてしまうのだな、と色葉がそう思った瞬間であった。
肩をとんとんと叩かれた。
「……きょ、恭ちゃん!」
色葉は一気に覚醒し、顔を上げ、振り返る。
ぷすっ!
古典的な悪戯行為に引っ掛かった。
肩を叩いてそのまま人差し指を頬に刺す悪戯であった。
しかしこの頬に突き刺さる指から発せられる圧が、恭介の人差し指の圧とは異なるように感じられた。
恭介の指が頬に刺さっているのではない?
ということはもしかすると……
「……お、おちんちん?」
今、自身の頬に突き刺さっているのが恭介の指でないとすると、恭介のおちんちんが頬に押し当てられている可能性があるのではなかと色葉は思った。
所謂おちんちんサプライズである。
日常生活で手にするものの中におちんちんを紛れさせて反応を窺う遊び――クラッチレバーかなと思ったらおちんちん、停電中に渡されて、懐中電灯かなと思ったらおちんちん、クラス対抗リレー、バトンかなっと思ったらおちんちん……一歩間違えばプリズン行きの悪戯、それがおちんちんサプライズだった。
恭介は、謝罪の意を込め、指の代わりにおちんちんで色葉の頬を押し当てるサプライズを敢行しているかもしれなかったのだ。
色葉は、頬に突き立てられていたそれが外されると、わくわくしながら再度振り返る。
そして落胆する。
目の前におちんちんはなかった。
ではなぜ恭介の指の感触でなかったかといえば、そこにいた人物が恭介ではなかったからだ。では姉の里緒奈かといえばそれも違って、そこに佇んでいたのは、何となく見覚えはあるものの、見知らぬ誰か……名前すら思い出せない誰か、であった。
「こんにちは、志田さん?」
どうやら向こうは名前込みで色葉のことを知っている様子。
「は、はい……こんにちは」
名前を忘れていては失礼になる相手かもしれないので、適当に会話を繋げて、彼女が誰かを思い出す必要があった。
「……当たってた?」
「は、はい? 当たる……何が、ですか?」
唐突にそう訊かれても何のことか分からず、色葉はそう訊き返した。
「こないだのロト6……当たっていたでしょ?」
「あっ……」
色葉はそこでこのお姉さんが誰であるかを思い出した。
彼女の名前は八神栞。
先日、駅前で遭遇し、何かの慰謝料だと称して一口分……つまりは二〇〇円分だけ購入したロト6の抽選券を色葉に手渡して来た、未来人を自称する、ちょっとアレかもしれない人であった。
そして今の今までそのことを忘れていた。
ロト6の抽選券は確か財布にしまい込んだままであったはずだ。
「ああ、ありました」
色葉は財布から抽選券を抜き出し、彼女に差し出して、
「これ……お返ししますか?」
「まさか。あなたに迷惑かけたお詫びだもの。しっかり受け取っておいて。それじゃあ?」
彼女はにこやかにそう言うと、そのまま去って行った……
「……な、何だったんだろう?」
新手の詐欺なのだろうか?
まだ当選番号は確認していないが、もしかしたら本当に当選しているのかもしれない。
しかし彼女が未来人だから当てられたのではなく、そこら中に抽選券を配りまくって、たまたま色葉は手渡されたくじが当たっていただけというオチ。
つまり外れた券をつかまされた相手は「やっぱり嘘じゃん」という風になるが、一万円くらいでも当たりをつかまされた方は「本当に未来人かも……」となりそうやって信じ込ませた後、もっと大きな儲け話があるからと話を持ち掛け、大金をせしめる手口かと思ったのである。
とはいえその場合、お金がありそうなお年寄り等を標的にするはずで、自分のような大金を動かせるような身分ではない、一学生に狙いを定める理由が分からなかった。
「とりあえず確認してみようかな……」
色葉はロト6の当選番号が確認できるサイトに飛んだ。
「えっ?」
色葉は自身の目を疑った。
「う、嘘……」
抽選券を持つ手が自然と震える。
当たっていた。末等や一万円とかの騒ぎでなく、一等、二億円が、である。
色葉はブランコ椅子を跳ねるように飛び降り、公園を掛け出して辺りを見回して、彼女の背中を見つけると猛ダッシュした。
「まっ、待って……待って下さい!」
色葉は彼女に追いつき、呼び止める。
「あら、そんな息を切らしてどうしたの?」
「あ、あの……こ、このクジ……一等が……に、二億円当たってるんですが……?」
「ええ、そうよ。少なかった?」
「そ、そんな……逆です! 理由なく、こんな大金は受け取れません! お返しします!」
「それは困るわ。これはあなたへのお詫びだもの」
「あ、あなた……本当に未来人なんですか……?」
「ええ、だからそう言っているじゃない……?」
色葉は当初、新手の詐欺で、未来人と信じ込ませて儲け話を持ち掛け大金を投資させるという手口の可能性があると考えていた。
そして偶然一等の二億円が当たってしまったのだ、と。
しかしもし本当にお金目当てであれば、偶然当たった一等の当選券を受け取っていたはずであり、受け取りを拒否したということは本物ではないかと色葉は思い始めていたのである。
「あ、あの……もしあなたが未来や過去を行き来できるというんなら一つお願いがあるんですが聞いてくれませんか?」
「お願い? いいわよ? 何?」
「わたしを過去に飛ばしてください」
「えっ? あなたを過去に?」
色葉は、恭介が既にファーストキスを済ませてしまった過去を修正してやりたかったのである。
「はい……飛ばしてくれますか?」
と、色葉は真剣な面持ちで訊いた。
「そうねぇ~、どうしようかしら……できないことはないけど、お金がかかるわよ?」
「……お、おいくらですか?」
「え~っと、過去に跳んで一億、戻るのに一億ってところかしら?」
「一往復で二億……」
色葉はロト6の当選券をジッと見やってから、
「これで一回分……ってことですよね?」
「あらっ? 本気なの?」
彼女の言葉がすべて真実であれば、色葉は本当に過去に跳びたいと考えていた。
「二億を棒に振ってまで……お金がかかるっていうのは冗談だったけど……まあ、そこまで本気だと言うなら二億を代償に飛ばしてあげるわ」
「あ、ありがとうございます。じゃあ、これを……」
色葉はロト6の当選券を彼女に差し出した。
「ああ、それは飛んだ瞬間に回収するからいいわ。それより飛びたい場所と時間は決まっている?」
「え、え~っと……い、一応は……」
過去に跳躍できるのは一回のみ。
仮に彼女が本物の未来人であり本当に飛ばしてくれるというなら恭介が姉の里緒奈とファーストキスを済ませる前だ。
結愛とキスする前に戻って結愛とのキスを阻止しても恭介が里緒奈とキスしている事実は変わらない。
しかし里緒奈とキスする前に戻れば、里緒奈とのファーストキスはもちろん、手紙等の伝達手段を駆使すれば、結愛とのキスをも阻止することが可能かもしれなかったからである。
「そう? 飛びたい日時と場所は決まっているのね? それなら目を閉じて……」
「は、はい……」
彼女の言葉に従い、色葉は目を閉じる。
「そのまま戻りたい時を頭の中に思い浮かべて……」
色葉は恭介が里緒奈とキスする前と強く念じた。
その瞬間だ。
額をちょんと彼女に小突かれた。
「………?」
変化は訪れない。
そして彼女は何も言ってこなかった。
色葉は暫し待ってから、
「え~っと……まだですか?」
しかし反応は返ってこない。
「あ、あの……」
色葉は恐る恐る目を開けてみて……
「……あ、あれ……?」
彼女は目の前から姿を消していた。
更に、手にしていたはずのロト6の当選券もいつの間にやら掻き消えていた。
もしかして持ち逃げされた? まさかの一等が当たっていたので、一度身を引いた振りをして、隙をついて盗んだのだろうか?
まあ、当選券は譲渡されたとはいえ彼女が購入したものだし構わない。
しかし騙されたのは少しだけ気分が悪かった。
「ちょっとでも信じて乗っかったわたしが馬鹿なだけか……」
自分の馬鹿さ加減にため息を吐いて、色葉は公園に戻ることにした。
「……あ……れ……?」
色葉は公園に戻るとその違和感に足を止めた。
何かがおかしかった。
しかし先ほどまでと何が変わったか分からなかった。
小さな公園にある遊具は、色葉が先ほどまで座っていたブランコに滑り台、そして鉄棒とジャングルジム……
「あっ……そうか……ジャングルジム……」
公園の真ん中にジャングルジムが建っていた。
子供の頃に恭介と一緒に遊んだジャングルジム。
しかし今このジャングルジムはここにあるはずはなかった。
ジャングルジムは、世間の流れで危険という風潮となり、この公園で特に事故が起こったわけでもなかったのに数年前に撤去されていたのである。
あまりに堂々と公園の真ん中に建っていて、一瞬その違和感の正体に気付けなかったが、そんなわけでこの公園にジャングルジムはあってはならなかったのである。
つまり色葉は、本当に過去へと飛ばされたのである。
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