フレイヤ

「あっ、瀬奈君!」


 校内で清音に遭遇すると、彼女は人懐っこい笑顔で子犬のようにこちらに駆け寄ってきた。


「今帰りなの?」


「そー」


「へ、部活してないんだ? よかったら弓道部入ろうよ?」


「いやいや俺帰宅部だから。全力で家に帰らないといけない部活だから」


「何それ? 変なのー」


 清音はあははっと笑って、


「まあいいやー、暇ならまたうちの神社に顔だしてよ。天ちゃんも瀬奈君に会いたがってたしさー」


「お天狐様が? 俺に?」


「うん。口では言わないけどそんな気がするんだ。天ちゃんが力を遣わず存在を認識させる人間ってそういないからさー、瀬奈君が来てくれたら喜ぶと思うんだ」


 どちらかというとウザがられそうな気がするのだが。


「まあ……そのうちに顔出すよ」


 今後情報を得たいことがあれば立ち寄るかもしれないので恭介はそう言った。


「うん。絶対だよー。じゃあね」


 そう言うと部活に向かうためか、清音はにこやかに手を振り、あわただしく駆けて行った。


 何か幼さが抜け切らぬ中学生というか……小動物のような可愛らしさが残る娘であった。


「そーいや、魔法少女の件は知ってんのかね」


 櫻子には基本的に魔法少女の話はするなと言われている。しかし清音は天狐神社の娘。既にその辺の事情は恭介たちより把握いたかもしれなかった。

 とはいえ恭介が魔法少女候補生になっているとは知らないかもしれないし、それなら恥ずかしいので今後話題に触れないで置くことにした方が無難だろう。


「とにかくゲーセンでも寄るか……」


 今日も魔法少女候補生狩りに付き合わされるが、櫻子の仕事が落ち着くのを待たなくてはならず、近くのゲーセンで時間を潰すことにしたのだ。






「ちょっとそこのキミ?」


 恭介が自転車で駐輪場を出ようとした瞬間である。二十代前半といったところか、サングラスをかけたスタイルのいいお姉さんに声を掛けられた。


「は……い?」


 知り合いだろうか? 誰か思い出せないが、その女性とは一度どこかで会ったことがあるような気がした。


「あなた、ここの生徒さんよね?」


「はぁ……まあ……見てのとおりに」


 と、恭介は女性の顔をまじまじと眺めながら答える。やはり恭介はその女性を知っていた。しかし思い出せない。誰だろう。もし相手も恭介のことを知っていたりしたら思い出さないと失礼になってしまう。


「ああ、心配しないで。わたしは怪しい者じゃないわよ?」


 恭介が彼女のことを思い出そうと訝しい表情になっていたのを勘違いしてか、正体を明かすように彼女はサングラスを取って見せた。


「あっ!」


 恭介はようやくその人物が誰なのか分かった。とはいえ知り合いというわけでもなかった。一方的に恭介が知っていたのだ。


 彼女の名はフレイヤ鈴木。世界女子王座のベルトを持つ女子プロレスラーであった。


「こういう時は顔が知れていると便利ね……手間が省ける」


 彼女はくすっと笑うと周囲に顔が見られぬようにか、再びサングラスをかけ直して、


「それで訊きたいのだけれどここの教師で種田櫻子さんっているわよね?」


「ああ、種ちゃん先生の関係で……」


 と、納得して頷く恭介。櫻子は女子プロレスラーの早川琥珀と知り合いのようだし、その関係なのだろう。


「彼女に用があるの。悪いけどキミ職員室まで案内してもらえないかしら? 今日いるわよね?」


 フレイヤはどうやらアポなしで訪れた様子であった。それに櫻子を電話で呼び出そうとしないところを見ると電話番号を知らないと間柄ということなのだろうか? それとも電話番号を誤って消したか携帯電話自体を忘れただけか……


「とりあえず連絡とってみます」


 不審者を校内に入れるわけではないから別に構わないと思うが、櫻子にとって学校は職場だ。知人がいきなり訪ねてきたら他の先生方がいい顔をしないかもしれないので、その前に電話で確認を取ることにしたのだ。


『もしもし瀬奈くん? どうかしたの?』


 櫻子はすぐに出た。


「はい。今、種ちゃん先生にお客さん見えてまして。そっちに……職員室の方に連れて行っていいっすか?」


『? わたしにお客さんて……どなたかしら?』


「フレイヤ鈴木さんです」


『えっ? フレイヤさんてあのプロレスラーの? 何でわたしに?』


 恭介は背後のフレイヤを気にして声を顰めつつ、


「……知り合いじゃないんですか?」


『面識はあるけど……一度病室で合ったことがあるだけよ?』


 病室――早川琥珀関係で顔見知りではあるがそれ以上でもそれ以下でもない関係であるらしい。


『とりあえずそっちに行くわ、瀬奈くん。今どこにいるの?』


「はい。駐輪場の前です」


『駐輪場ね? いいわ。すぐいくからそこで待っていてと伝えて』


「わかりました」


 恭介は通話を終えるとその旨をフレイヤに伝え、自分はフレイヤを残して立ち去るか迷ったが、櫻子がくるまで待つことにした。


「えと……種ちゃん……種田先生に用なんですよね?」


 時間までの世間話というわけではないが、何となく恭介はそう訊いてみた。


「こっちに興行できていてね……彼女に頼み事があって直接お願いしようかと思ってきただけよ」


 願い事……やはり早川琥珀関連だろうか?


「え~っと……」


 恭介は他に何か話題を振った方がいいのかとどぎまぎしていると、ほんのり額に汗を浮かべた櫻子が恭介たちの前に現れた。


「お待たせまして」


 フレイヤの姿を確認すると軽く会釈する櫻子。


「いえ、全然」


 その通りだった。櫻子は電話をして数分で職員室から駐輪場まで駆けつけたのである。おそらく待たせるのは悪いと急いで駆けてきたに違いない。


「じゃあ俺は……」


 恭介は櫻子に一声かけて姿を消そうかと思ったが、櫻子がフレイヤに顔を向け言う。


「それでフレイヤさん? わたしに用件というのは? 早川琥珀のことでしょうか?」


 櫻子も恭介と同じ思考に至ったらしい。

 とりあえず話が一段落してから消えることにする。


「ええ、ちょっとこの間彼女のインタビュー記事を見掛けて気になってね。彼女まだ、リング復帰を目指しているのですって?」


 櫻子は眉を顰める。


「……はい……? それが何か……?」


 どうやら琥珀は、プロレス雑誌の何かのインタビューで、怪我から復帰して再びリングの上に立ちたい、死ぬならリングの上で発言していたらしかった。

 更にそこでフレイヤ戦が叶わなかったことについても言及し、再戦を希望しているという旨も語っていたのだという。


「あなた的にどう思っている? そろそろ諦めさせてあげる頃合いだと思わない?」


「早川琥珀はまだ諦めていません。世界を獲ったあなたとの約束を守りたいと……それだけが糧なんです」


「そうなの? でもこっちは名前を出されたりすると迷惑なの」


「なっ!」


 フレイヤは唇の隅を歪めて笑って、


「あなたから言ってくれないかしら? 希望は捨てろと。奇跡なんて起こりはしないってね」


「それは……確かに今の医療技術では再起は不可能かもしれません。でも、あの時……有紀を焚き付け希望を与えてくれたのはあなたじゃないですか? あの時の熱意は嘘だったというんですか?」


「ふっ、あの時はまだ、琥珀先輩はわたしの憧れだったし目標だったのよね? でも今更……再起不能になった彼女にはもう用はないから」


 櫻子はフレイヤの発言に信じられないというようにカッと目を見開かせた、


「ほ、本気で……本気で言ってるんですか?」


「ええ、そうよ。早川琥珀が現役だったらフレイヤは世界を獲れていなかった……いまだにプロレスをわかっていない連中にそう言われてね……正直目障りなの」


「くっ……」


 不快そうに歯噛みする櫻子。しかしそんなのは関係なしにフレイヤは話を進める。


「どう? 頼まれてくれるかしら? わたしやプロレス関係者からだと角が立つでしょう? だから友人のあなたが引導を渡してくれないかしら」


 櫻子はフレイヤをキッと睨み付ける。


 そして次の瞬間――


 ぱし~ぃん!


「あっ……」


 恭介の目の前で、櫻子の平手がフレイヤの頬に叩きつけられ、かけていたサングラスが大きく吹っ飛んでいた。


「ふっ……」


 フレイヤは特別動じた様子もなく、コンクリの地面に落ちたサングラスを拾い上げて掛け直して、


「手首の効いたいいスナップね? 早川琥珀よりよっぽど見どころがあるわ。どう? うちの団体に入らない?」


「冗談はよしてください」


 きっぱりと言う櫻子。


「あら、残念……」


 と、特に残念な風もなく肩をすくめて言うフレイヤ。


「もう用は済んだでしょう? お帰り下さい」


「ええ、そうね……そうするわ」


「ちょっと待ちなさい」


 櫻子は早々と立ち去ろうとしたフレイヤを呼び止める。


「何かしら? 帰れと言ったのはあなたでしょう?」


「一つだけ覚えておきなさい。あなたは早川琥珀に勝てないわ」


「そりゃそうよね? 彼女は二度とリングに上がることはないのだもの」


「そうじゃないわ……彼女は必ず立ち上がる。リングに戻ってあなたを倒す。覚えておきなさい!」


「面白いことを言うのね?」


 フレイヤはフフッと笑って、


「いいわ覚えておいてあげる。琥珀の友達がとんでもない間抜けだってことをね」


「なっ……」


「じゃあ、さようなら、楽しみに待っているわ。彼女が早々に諦めることをね」


 魔法少女の件を知らなければ櫻子の言葉は戯言にしか聞こえなかったのだろう、フレイヤは嘲笑するようにそう言い残し、その場を後にしたのだった、


「瀬奈くん……行くわよ?」


 まだ憤っている様子の櫻子が言った。


「えっ? 行くってどこにです?」


「決まっているでしょう? 竜の苗刈りによ」


 まだ仕事が残っているのではないかと思ったが、フレイヤの件で気持ちが荒ぶっているのだろう。


 恭介は余計なことは言わずに櫻子に付き従うことにした。

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