のーぱんつ

 櫻子の頭の中はで生まれて初めて見た男性の裸体がぐるぐると回っていた。


「はぁ~、疲れた~」


 玄関から母の独り言。

 そして櫻子が寛いでいた居間に顔を見せる。


「お、お帰りなさい、母さん」


 どことなく上の空に挨拶をする櫻子。


「あらっ? あんた、今日は早かったのね……?」


「あ、うん……ちょっといろいろあってね」


 若干、挙動不審気味に答える櫻子。


「そう? それよりごめんなさいね、今日は」


「え、何が?」


「ほら、お弁当作れなくて」


 いつも母は繭子のお弁当と一緒に自分のもついでに用意してくれるが、今日は珍しく寝坊し、お弁当を作ってもらえなかったのである。


「う、ううん、いいよ。いつもありがとう。それに今日に関してはそれでよかったから」


「……あら、そうなの?」


「うん、いろいろあって……ね?」


 母の手作り弁当。いつまで食べることができるか知れないが、櫻子は母の行為に心から感謝していた。

 しかし今日に関しては母が寝坊し、作ってくれなくて本当によかったと思っていた。

 それがなければ繭子がひどい目にあっていた可能性があったからである。


 櫻子は今日の朝の出来事を思い出していた。




 今日の昼食はどうすべきか、学校で出前を取るか少しだけ迷い、やはりコンビニでお弁当を購入して持参することにした。


「確かここに新しくできた……見えてきた……」


 普段は利用しないコンビニエンスストア。新しくポイントカードが利用できるようになり、ちょっと様子見でしばらく使ってみようかと考えていたのである。

 櫻子はウィンカーを点滅させると、左右をしっかりと確認し、コンビニの駐車場に愛車である若草色の軽自動車を乗り入れさせた。


「!」


 エンジンを切ると、ちょうどそのタイミングで、どこからか若い女性の悲鳴が聞こえてきた……ような気がした。


「気のせい……じゃない?」


 誰かが助けを求めている。櫻子は直感的にそう感じた。




「い、いや……こ、こないで!」


 聖泉女子の制服少女が顔を歪ませ後退る。


「こらこら騒がない」


 少女が夏服なのに対して、ニット帽にサングラス、マスクと顔を覆ったコート姿と、もはや男か女かすらも判別不可能ないでたちで、彼女にナイフを突きつけている。


「大人しく、パンツを脱いでちょ」


「む、無理です……」


 怯えつつ答える少女。


「無理じゃないでしょう? いいからパンツちょーだいな?」


「そ、そうじゃなくて……その……パンツ……穿いてないんです?」


「んなわけないよね? じゃあ見せてごらん。そのスカート捲って見せて」


「えっ? そ、そんなの……」


 困惑する少女の目の前にナイフを差し出して、


「その可愛い顔に傷はつけたくないでしょう?」


「あ、ああ……」


「ささっさと……する?」


「は、はい……」


 涙目になった少女は身体を震わせつつ、スカートに震える手をやって――


「そこっ! 何をしているの!」


 ハッとなった少女の手が止まる。路地裏で少女が襲われる現場に颯爽と駆けつけ、現れたのは先ほど彼女の悲鳴を聞きつけた櫻子であった。


「あらっ? あなたは……」


 その聖泉女子の制服を着た可愛らしい少女に見覚えがあった。恭介に三股をかけられているうちの一人であったのである。


 しかし今はそんなことどうでもいい。

 櫻子は彼女にナイフを向けるその男をキッと睨み付ける。


「そこの犯罪者! 彼女から離れなさい!」


「悪いけど、パンツをもらうまでは引けないね?」


「パンツ? あ、あなた……最近この付近で頻繁に現れるおパンツ強盗ね!」


 風のように現れ、パンツだけを奪って去っていく。被害者には一切傷をつけない変態紳士のおパンツ強盗である。


 いつも現れると言われている深夜帯だけではなく、こんな朝っぱらからとは……

 櫻子は少女に突き付けられたおパンツ強盗のナイフを見やる。

 おパンツ強盗は、被害女性を今まで一度も傷つけたことはなかった。


 しかし今回もという保証はなかった。


「そこの女生徒を解放なさい」


「ああ? そのつもりだよ。ただし、パンツさえもらえればだけどな」


 今まで犯行の手口から、犯人の要求に従わなければするりと脱がして疾風の如く逃げ去ると思われた。


 やはり教職者として、未成年の彼女を置いて逃げることはできなかった。

 とはいえ相手はあのおパンツ強盗である。

 おパンツ強盗は、何か武術でも嗜んでいるのか、通りかかった男三人に囲まれても、取り押さえることができず、逆に投げ飛ばしてしまったとのことで、力で捻じ伏せるなんて危険な真似はできやしなかった。


 そこで櫻子は考え、決断し、犯人に告げる。


「わ、わかったわ……わたしのパンツをあげる。だから彼女を解放なさい」


 それで解放してくれるというなら、自身のパンツなんて安いものであった。


「お前のパンツ? お前のパンツなど……」


 と、犯人は櫻子を品定めするように、全身をくまなく舐めまわすように見てきて、


「いいだろう。お前のパンツを寄越せばこの娘は解放してやる」


「……だ、だったら早く解放なさい」


「ふん、その手には乗るか。そちらが先だ。パンツをおくれ」


 どうやら隙を見てそのまま走って逃げるという手は塞がれたらしい。


「くっ……」


 櫻子は、こちらを縋るような目で見てくる少女に歯噛みして、


「わ、わかったわ……よ」


 櫻子はロングスカートの中に手を突っ込んで――




「大丈夫だった? 怪我は……ない?」


 櫻子は聖泉女子の生徒である彼女――九条結愛に訊いた。


「は、はい……」


「そう、よかったわ」


「え、えっと……その……あ、ありがとうござい……ました。わ、わたしのために……その……」


 九条結愛は櫻子のスース―する下半身にちらっと目をやりつつ申し訳なさそうに言ってきた。

 一対一なら何とかなる相手であったかもしれない。しかしおパンツ強盗はナイフを持っており、彼女の身を危険に晒すわけにいかず、櫻子はおパンツ強盗の要求に素直に従いおパンツを差し出したのである。


「いいのよ。気にしないで」


 おパンツを見知らぬ男性に差し出したのは屈辱的であるが、そんな思いを未成年な彼女にさせるわけにいかなかったのである。


 とりあえずこの後、櫻子は警察に被害届を出すことにした。

 九条結愛の方は先に学校に行かせて自分一人でいいかと思ったが、彼女も同行するとのことだったので近くの交番まで一緒に向かうことになった。


「遅刻しそうだし、学校の方に連絡しときなさい」


「は、はい……」


 九条結愛は学校……そしてどうやら恭介とも連絡を取っている模様だった。

 彼女は恭介に三股を掛けられている。

 その辺について納得しているだろうか?


 しかし彼女からしたら余計なお世話にしか映らないであろうから、忠告するのは止めた。

 恋は盲目。早く目が覚めてくれることを願うばかりである。

 そんなことをずっ~と考えていたせいだろうか?


 被害届を出し、彼女を聖泉女子に送り届けた後、自身が教鞭を振るう東雲高にそのまま車で乗り付けてしまったのである。


 そして、そのミスに気付いたのは校長におパンツ強盗事件について説明している時だった。


「ですから校長。今日、わたしがおパンツ強盗に遭遇したことは他の先生や生徒には内密にお願いします」


 生徒たちにおパンツ強盗が出没したことを説明し、注意喚起をして次の犠牲者を生み出さないことは必要であるが、櫻子自身がおパンツ強盗に遭遇したと知れば、奇異な目で見てくる生徒もいるだろうし、それを避けたかったのである。


 何しろ、櫻子はおパンツを奪われて……


「はっ!」


「……どうかしましたか、種田先生?」


「い、いえ……何でも……ありません」


 と、額に冷や汗を浮かべつつ櫻子は答えた。


 ここで気付いたのだ。自身がパンツを穿き忘れていることに。

 しかし今更パンツを穿き忘れているなんて口が裂けても言えやしなかった。


「で、でも……ロングスカートだし……」


 風で捲れて見えてしまうなんてハプニングはあり得ないので何とかなるといえば何とかなるだろう。

 仕方がないので櫻子は、今日一日、ノーパンで教壇に立つことにした。

 生徒たちは誰も櫻子がノーパンで教鞭を取っているなんて思っていなかったろうが、見られているだけで凄まじく緊張した。


 すべての授業を終えるとどっと疲労感が押し寄せ、いつもより早く帰宅することにした。


 しかしこの時、ノーパンでなかったらと思うとぞっとする。

 もしノーパンでなければいつも通りの時間に帰宅することとなり、繭子の危機を救えなかったかもしれなかったからである。

 そしてもし母が寝坊せずお弁当を作っていたらコンビニに寄ろうとはしなかったし、そうなるとおパンツ強盗にも遭遇していなかった。


 だから母が寝坊したことには感謝せざるを得なかったのである。

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