女体デッサン

「全部削除したか?」


「ええ……」


「他にバックアップとかはないだろうな?」


「ないわ。これでわたしたちの接点はもう完全に消えたわ。満足でしょ? もう帰ってよ」


 繭子はパソコンの前で項垂れ、力なく言った。


 どうやら恭介に自身の趣味が知られてしまい、かなり恥ずかしい思いをしている様子であった。しかしまだ生ぬるい。自分が受けた恥辱を返し終えていないのである。


「ほんじゃまあ妹ちゃん? 画力向上のため、人物デッサンでもしましょうか?」


 繭子は「えっ?」と驚いた顔で恭介の顔を見上げる。


「まだ……付き合ってくれるの?」


「まさか……逆だよ、逆。俺がお前をモデルにして描く」


「は、はぁ~? な、何でよ……? 何でそんなことになるのよ?」


「俺の画力を向上させるためだが? さあ、とっとと始めんぞ?」


 言うと恭介は用意していたスケッチブックを取り出し、本気であることを繭子に示して見せた。


「だ、だから何で……? まさか約束破って脅すつもり? 交換条件だったはずよ?」


「ああお前の趣味については誰にも言うつもりはないよ?」


「だったら!」


「よくよく考えてみたんだが……お前、俺を脅迫して全裸にしたよな?」


「えっ?」


「お前のしたことは立派な犯罪なんだよ? だからお前が俺の前で脱ぐことでそれをチャラにしてやるって言ってるんだが?」


「ふんっ、し、知らないわよ、そんなの……! お願いしたら瀬奈君が勝手に脱いだだけじゃない? わたしが瀬奈君を脅したなんて証拠、一つもないじゃない?」


「そうでもないよ?」


 恭介は携帯電話を掲げて見せて、


「前回、俺も脱がせる様子を録音しといたんだけど……聞く?」


「な、何でそんなことして……」 


「警察に通報してやることもできる。だが、とっとと脱げば許してやるってな……どうよ? 悪くない取引だろ?」


 と、恭介はゲス顔で言った。


「くっ……ひ、卑怯者!」


 繭子は悔しそうに顔を真っ赤に染めると、


「わ、わかったわよ! 脱げば……脱げばいいんでしょ!」


 そう言い放つとすくっと立ち上がり、制服スカートのホックに手を掛け、恭介の目の前で、穿いていたスカートをすとんと床に落とした。


「えっ? ちょ……」


 それに面を食らったのは恭介だった。


 実を言うと恭介は、繭子を裸に剥こうなんて考えは微塵もなかったりした。

 ただちょっとばかし懲らしめてやるつもりで、泣いて謝ってきたら許してやろうかくらいに考えていたのである。

 しかし実際には繭子は自棄になったように脱ぎ始め、恭介があたふたとしている間にブラとショーツ姿になってしまったのである。


 更に繭子はブラまで外そうとして、


「すと~っぷ!」


 恭介は制止を掛けると繭子は身体をビクッと震わし、両手で外れかけたブラを覆うようにして恭介を睨み据える。


「な、何よ? 脱いで欲しいんじゃなかったの?」


「い、いや……その……うん。今の感じが色っぽいつーか、とりあえずその姿で描いてもいいかなって」


「ふんっ、す、好きにすれば?」


 繭子は肩を震わせつつ、真っ赤な顔でつんっとしながら言った。


 繭子の汗ばんだ肢体に恭介は息を呑み込む。

 下着姿の彼女はこちらに背を向け、後ろ手にブラジャーのホックを今まさに外したと見えるような瞬間のポーズをとっている。

 横顔にて視線はこちらを見据えておらず、彼女の玉のような肌を上から下まで舐めまわすように観察してもよいわけだが……恭介の目的はそんなことではなかったわけで。


 そう、本当にちょっとばかし懲らしめてやろうと思っただけで……

 しかしこのままでは繭子は全部脱いでしまうかもしれなかった。


 どうしたものか、他人に裸を晒すなんて同性でも恥ずかしい行為なのに異性なら尚更であろう。しかも好きでもない男に無理やりとなれば一生立ち直れないほどの傷を負ってしまうかもしれない。さすがにこちらもそれは本意ではなかった。


 とはいえこちらも中途半端なところで引き下がれないというか……


「あっ!」


 恭介の小さく出た呻き声に繭子は全身を小さく震わして、


「えっ? い、今の……何?」


「ああ、すまん。気にすんな。何でもねーから」


 この場を切り抜けるための打開策というわけではないが、ちょっとした妙案を思いつき、思わず声が漏れ出てしまったのである。


「ほ、本当……でしょうね! わたしを写生したいとかいって……本当はわたしで射精してるとかじゃないでしょうね!」


「お、おいっ! す、するわけないだろ? 何言ってんだおめーは?」


 さすがにエロ漫画を描くだけあってその辺の卑猥な妄想は他の人より働くらしかった。

 兎にも角にも今はスケッチブックに鉛筆を走らせるだけで――


「で、でけた!」


 恭介は一気にそれを――スケッチブックに『ドッキリ! 大成功!』の文字を描き上げた。これを見せればすべては冗談に持っていけるという寸法である。


「よ、よし、妹ちゃん、こっち向いてくれ」


「そ、そっちをって……」


 繭子は外れ掛かったブラが落ちぬように押さえながら、恭介をキッと睨み付けてきて、 


「……つ、次はヌードよね? 脱げば……脱げば瀬奈君は満足なのよね!」


「い、いや、待て……落ち着け。とりあえず俺が描いた絵を見て批評してくれないか?」


「瀬奈君の絵を? い、いいわよ……とっと見せてみなさいよ!」


「お、おう。じゃあ見せっからな」


 そう言って恭介がスケッチブックを繭子に見せようとしたその時である。

 ガラガラッと玄関の引き戸が開く音。


 そして――


「ただいま~」


 遠くから聞こえてきたその声に恭介はハッとし、顔を上げた。


「ど、どうして種ちゃん先生が……! だっていつもはもっと遅く……!」


 恭介がモデルをやっている時は、いつも繭子と二人っきりで、この時間帯に誰か帰ってくるなんてことはなかったのである。


「あっ!」


 今日の櫻子は体調を崩していた。きっとそれで、今日はいつもより仕事を早く切り上げて帰ってきたに違いなかった。


「ま、マズいぞ、これは……」


 そもそも恭介は、櫻子に三股男と認識され、女の敵という目で見られていた。

 だというのに種田家に上がり込み、繭子と二人っきりの時間を過ごしていたことを知られれば何を言われるものか分かったもんじゃない。


 しかも繭子の今の格好は……


「くっ!」


 とりあえずこの部屋に身を潜め、隙を見て――何なら二階から上手く飛び降りて逃げるべきだろうか? 

 いや、ダメだ。靴は玄関だった。普通、見慣れぬ靴があれば目につくし、櫻子も来客の存在には気付いているかもしれなかった。だとすると玄関を通って帰らなくては不自然過ぎた。


 そうなると、櫻子と鉢合わせしないよう繭子に上手く取り計らってもらう必要があった。


「い、妹ちゃん? 俺、種ちゃん先生と顔合わせるわけにはいかないからよ、上手く逃がしてくれ?」


 繭子は神妙な顔付きとなって、


「そ、そっかぁー、た、確かに姉さんにこんな状況見られたらマズい……よね?」


「べ……別に友達来てるからって、種ちゃん先生、わざわざ覗きにきやしない……よな?」


 例え玄関の靴が男物で気になったとしても、わざわざ確認しにくるような真似は、母親としての立場ならともかく、姉妹間ではしない……と思う。


「うん。後で探りを入れられるかもだけど櫻子姉さんはこないと思う。わたしのことを信じてくれてるから」


「そ、そっか~……よ、よかった。じゃあしばらく身を潜めてタイミング見て帰ればいいわけだな?」


「そうね……でも、このまま何事もなく帰れると思う?」


 無表情に言う繭子に眉を顰める恭介。


「……んっ? ど、どういう意味?」


 すると繭子は両の胸を右腕だけで隠すように覆い直し、フリーになった左手を使い、ブラジャーを引き抜いた。


「瀬奈君、これ……」


「をっ!」


 唐突に投げつけられたブラを恭介はキャッチして、


「な、何をしてんだよ、お前は……!」


「わたしが受けた屈辱……何倍にしても返してあげるわ!」


「はっ? 何をするつ――」


 繭子はす~っと大きく息を吸い込んでから、


「きゃぁぁ~ぁぁっっっっっ!」


 恭介が思わず仰け反ってしまうほどの大きな声で悲鳴を上げた。


「おまっ……何のつもり……で?」


 ハッとして振り返る恭介。


「繭子!」


 ドタドタッとこちらに駆けてくる足音。

 櫻子がすごい勢いでこちらに向かってきているらしかった。


「ど、どうすりゃいいんだよ……」


 パニくる恭介。これは凄まじくマズい状況であった。

 女の敵である恭介がいる時点で櫻子の逆鱗に触れそうであるというのに、可愛い妹である繭子は今、ショーツ一枚な姿なわけで……


 しかも先程の悲鳴である。

 繭子とは友達ということにしたとしても、言い逃れできる状況ではなかった。


 とりあえず服だけでも着てもらわねば……


「は、はよ、服を……!」


 両手でブラを広げて迫る恭介。


「……こ、こないでよ!」


「いや、そんなこと言ってる場合じゃ――」


 そしてその瞬間である。ドアが勢いよく開けられた。

 

 

「繭子! どう……し……た……の?」


 目が点になる櫻子。


 すべて終わった。


 ブラジャーを握りながら、恭介はそう思った。

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