安達さん

 トイレに入っていると、玄関の扉が開く音が聞こえた。


「ねぇね……かな?」


 時間帯的に姉の藍里が帰宅したのだろう。


「さあ、入って」


 くぐもって聞こえてくる姉の小さな声、そして物音で誰かを招き入れている様子なのはわかった。お客さん? 高校の友達でも連れてきたのだろうか?


 用を足し終えた恭介は小のボタンをぽちっとな。


 ジャー。


 まだ外でガタガタやっているのが聞こえる。

 恭介は手を洗いながら考える。


 はてさて、このままトイレのドアを開けたら姉の友達と鉢合わせとなるだろうか?


「まあ、別にいいか……」


 適当に挨拶をして、自室に戻ればそれでいい。

 恭介は掛けタオルでおててを拭き拭きしてから、ドアを開けて――


「あっ、恭くん。ただいまね~」


「うん、おか……えっ? ええっ?」


 思わず二度見した。姉の藍里が連れてきたお客さん――東雲高校の制服を着たその女性は、恭介の知った人物であったのである。

 恭介はちょっと驚いたような顔をした女性――種田繭子の顔に指を向け、訊く。


「ど、どうしてお前が……?」


 実を言うと今日も絵のモデルをする約束になっていた。しかし何やらバイトの面接があるとかでドタキャン。今に至るというわけ。

 もしかしてだが、バイトの面接が終わったので、わざわざ家まで訪ねてきて、恭介に絵のモデルをさせようとしているのであろうか?


 藍里は恭介と繭子の様子を交互に見比べて、


「あらっ? もしかしてお知り合い? そうよね? 同じ学校だし」


「ち、ちがいましゅ、セナしゃん!」


 なぜかその瞬間、繭子は顎をしゃくらせていて、


「は、はじめましゅて、セナしゃんの弟しゃん。あ、安達でしゅ」


「えっ? 安達って……えっ? だってお前――」


 彼女は恭介の言葉を遮るようにして、


「は、はじめましゅてです、弟しゃん!」


 と、もう一度言ってきた。


「は、はぁ~……はじめ……まして?」


 恭介が眉を顰めつつもそう答えてやると、彼女は満足気に頷いて、


「い、いきましょう。セナさん!」


「えっ、ええ……でも安達って……?」


「せ、セナさんのお部屋ってどこなんでしゅ? 案内してくだしゃい」


「う、うん。こっち……だけど?」


「じゃあいきましょー」


 彼女は怪訝な顔つきの藍里の背を押し、そう促したのだった。


 恭介はポカンと口を開け、それを見送った。




「な、何だったんだ? ありゃ……?」


 恭介は、後ろ手に部屋の扉をパタンと閉める。

 自室に戻っても、首を傾げざるを得なかった。


 間違えなく彼女は種田繭子だった……と思う。しかし途中から変顔を作り、自身を安達と名乗ったのである。

 しかも恭介に用があったのではなく、藍里のお客として訪ねてきている様子であった。


 そもそもあの二人の間柄はどういったものだろう?


 繭子はバイトの面接に行くと言っていたが、藍里は漫画家以外のバイトはしていないはずだから、バイト先の先輩後輩という間柄ではなさそうだし、仮にそうだとしても、恭介に名を偽る理由がわからなかった。


「恭くん? 入るよ?」


 ドアの向こうから藍里の声。


「う、うん。いいよー」


 ドアを開けて、ちょっと深刻そうな表情で、大きめの封筒を手にした藍里が入室してきた。


「あれっ? 安達さん……とやらは?」


 どういうわけか繭子はそう名乗った。藍里の前では偽名でも使っているのかと思ってそう訊いた。


「彼女なら……もう帰ったわよ?」


「えっ? もう……?」


 気付かなかった。というか、何をしに来たのだろう?


「恭くん? あの女……恭くんの何なの?」


 と、藍里はいつもの朗らかさが消失し、暗めの表情で言ってきた。


「はっ? ねぇね、何言ってん……?」


 訊くと藍里は静かに手にしていた封筒から原稿を取りだして、


「これ……あの女が描いた漫画……見て」


 あの女――どうやら繭子は漫画を描いていたらしいが、どういう経緯で……


「…………」


 とりあえず恭介はその漫画原稿を受け取り、表紙を見やる。


「んっ? どこかで見たような……?」


 同人誌というやつだろうか? その表紙のキャラは、アニメにもなったとあるサッカー漫画のキャラを完全に模して描かれていた。


 そして一枚めくって、


「ぶはっ!」


 思わず噴き出していた。さらにめくって完全に一八禁のホモ漫画であることが分かった。まさかこんなホモホモしい漫画を繭子が描いているとは思わなかった。


「ねぇね……そ、そういえばアシスタントを取るって言ってたよね?」


「ええ……あの女がそうよ?」


「そ、そうか……」


 バイトの面接とは藍里のアシスタントであったのだ。おそらく画力を知りたいとかで漫画原稿を持参させたのだろう。


 そして藍里のアシスタントということはそういった漫画も含まれるということで、繭子は咄嗟に他人の振りをしたのだと思われた。


「ね……ねぇね? どうして俺にこんなホモホモしい漫画見せたの?」


「この絵のおちんちんのモデル……恭くんのおちんちんだよね?」


「えっ?」


「どうも様子がおかしいと思ったけど……あの女とはどういう関係なの? 何で恭くんのおちんちんの絵を描けるの? 恭くんのおちんちんを見たってことだよね? どうして見せたの? そういう関係なの? 恭くんの童貞はお姉ちゃんのものって約束だったよね? お姉ちゃんを裏切ったの?」


 矢継ぎ早に訊いて来る藍里に焦る恭介。


「い、いや……色々とおかしいから! こんな絵、どれも一緒でしょ?」


「違うよ! 恭くんのおちんちんはわかるもん。だってお姉ちゃんだから!」


「な、何だよ、その理屈は……」


 確かに繭子は自分のモノをモデルにしているかもしれなかった。しかし藍里がそれに気づく理由がまったくもって分からなかった。

 確かに昔は一緒にお風呂に入ったりもしていたが、あれから大分成長したわけで……


「ねえ、恭くん? 恭くんはお姉ちゃんを裏切ったのかな? あの女はお姉ちゃんの敵……なのかな?」


「て、敵って何だよ? ち、違うから……」


「じゃあ、何であの女が恭くんのおちんちんを知ってるの?」


「いや、だからさ……」


 恭介は頭を抱える。藍里は恭介に関してすこぶる勘がよく、騙し切る自信がなかった。


「わ、わかった……本当のこと言うよ」


 恭介は諦めたように嘆息して、藍里に繭子のモデルしていることを告げた。


「そっかぁ~……道理でおかしいと思った」


 と、藍里をホッと胸を撫で下ろしつつ言った。


「おかしい?」


「うんっ? ほらっ……彼女が描いたおちんちん、通常時は恭くんのだけど、怒った時の絵はモデルが違くなってたから、もしそういう関係だとしたら、何で怒ったおちんちんを見せてないのか不思議に思ってたんだ」


 怒ったおちんちんというのはつまりそういうことなのだろう。


「っていうかさ……何で区別がつくのさ? 俺、見せてないよね? それ……冗談で言ってんだよね?」


「冗談じゃないよ? だってお姉ちゃんだもの。恭くんのことは何でも知ってるよ?」


 そう言ってにっこりと微笑みかけてきた藍里に、若干、背筋をぞくっと寒くさせる恭介だった。

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