お呼ばれ

「おはよう、九条?」


 朝の登校時間。待ち合わせ場所にて、結愛に挨拶してきた恭介。


「…………」


 しかし結愛は彼とは目を合わさず、まるで恭介が見えてないようにガン無視を決め込んだ。結愛は決めたのである。今日こそはしっかりと名前で呼んでもらうと。


「実はさ、九条? お前に頼みたいことが――」


 恭介はそこで結愛の素振りに気付いたようで、


「……あ、あれっ? 九条? 九条さん?」


「…………」


 それでも敢えて無視を続ける結愛に恭介は困ったような顔になり、


「え~っと……何か俺、怒らすようなことしたっけ? だったら……ごめん」


 と、頭を下げる。


「…………」


 それでも無視。


「とりあえず今日は俺、先に行くから」


「!」


 結愛は後ろから慌てて恭介の制服シャツの裾をつかんで、


「……ま、待って?」


「えっ? あれっ? 何で? 機嫌……悪いんじゃ?」


 結愛はぷるぷると頭を横に振って、


「な、名前で……呼んでくれるって約束……忘れちゃった?」


「……えっ? あっ! そっか……それで……か? で、でも……今更……何か照れ臭いな? 今まで通りでいいか?」


「…………」


 むっとした表情で無言の抗議する結愛に、恭介は苦笑して、


「九条じゃ……ダメ……なのか?」


「できれば名前が……色葉ちゃんは名前で呼ばれてるし……」


「……んじゃー……その……? ゆ…あ……?」


 と、恭介は頬をぽりぽりと掻きつつ、照れ臭そうに言った。


「う、うん……な、何……かな? 瀬奈……君?」


「えっ? な、何って……名前呼んで欲しいつーから呼んだだけで……」


「あれっ? さっきわたしに頼み事があるって……違ったの?」


「ああ。そうだった。今日の学校終わった後って……暇?」


「う、うん……時間あるよ?」


 デートの誘いだろうか? 恭介から誘ってくるなんて珍しいが。


「悪いんだけど、今日、うちに寄ってもらってもいいかな……?」


「えっ? 瀬奈君のおうちに……?」


「うん、ねぇね……うちの姉ちゃんに俺の彼女として会ってもらいたいんだけど……どう?」


「ええっ!」


 恭介が、結愛を恋人として家族に紹介しようとしている。

 つまりこれは、恭介の本命として選ばれ、結婚を前提に家族に紹介してお付き合いしていきましょう、とそういうことなのであろうか?


「迷惑なら断ってくれていいんだが……頼めたりする?」


「ううん、迷惑だなんて……いずれわたしの姉になるかもしれない人だし……いいよ?」


「んっ? 姉って……そう大袈裟に捉えないでいいよ。ちょっと姉ちゃんに俺には彼女がいるってことをそれとなく伝えておきたかったんだ。詳しくは後で説明するけど、そうしといた方がよさげなもんで」


「? でも色葉ちゃんじゃなくてわたしを選んでくれたんだ……よね?」


 それが嬉しかったのである。一歩リードしたかのように思えて。


「ああ……別に色葉でもよかったんだけど……姉ちゃんも色葉のことは知ってるからややこしくなったら後で面倒というか」


 がくっと気が抜ける結愛。


「ふ、ふ~ん……どっちでもよかったんだ……」


 ぬか喜びしてちょっとだけ損した気分である。


「ま、まあ、そうなんだけど……ど、どうかな? 頼まれてくれたりする?」


「う、うん……」


 結愛は気を取り直して、


「いいよ。その役目、引き受ける」


「本当か?」


「うん。だってわたし、瀬奈君の彼女だもん」


 と、結愛はにっこりと笑って言った。



          ◆



「失礼しま~す」


 恭介は職員室に入室すると、自身のクラスの副担任、種田櫻子の姿を探す。


「え~っと確か……あー、いたいた」


 いつも清楚な印象を与えるファッションでまとめている櫻子の後ろ姿を見つけると歩み寄って、


「種ちゃん先生、昨日提出できなかった宿題の作文、ここ置いときま~す」


 と、机の上に休み時間を利用して書いた『私の友人』というタイトルの作文、原稿用紙一枚分を置いた。


 すると櫻子はハッとし振り返って、


「瀬奈くん? あなた……どういうつもり?」


 少し顔を強張らせて訊いてきた。


「えっ? 宿題の作文ができたので……」


 櫻子はバンッと机を叩いて、


「そういうことを言っているんじゃないの? 先生に対してちゃん付けとは何事ですか?」


「えっ? いや……前からですし、みんなそんな風に呼んで……ますよね?」


 櫻子のことは皆、種ちゃん、種ちゃん先生、櫻子ちゃんとか親しみを込めてそう呼んでいた。色葉辺りはしっかりと種田先生と呼んでいたりするが、何故このタイミングでぶち切れられたのか理解不能であった。


「他の生徒が何て呼ぼうが構わないけどあなたはダメよ! そういった礼儀や生活態度を改める必要があるのだから!」


「へっ? 俺だけ? な、何でですか?」


 と、櫻子の理不尽な物言いに首を傾げる恭介。


「瀬奈くん? あなたはもうお昼は食べたの?」


「はい。さっき」


 櫻子はそれに頷くと、椅子からすくっと立ち上がり、


「ここではなんです。ついて来なさい。話があります」


 と、どこかつんけんとした様子で言った。


 よく分からないが、櫻子が怒っていることだけは分かった。いつの間にやら恭介は、櫻子の逆鱗に触れるような真似をしてしまったのだろうか?

 仕方ないので言われるがまま、ぷりぷりとした足取りで歩く櫻子の後についていくことにした。




「ここよ。入りなさい」


 櫻子が案内したのは進路指導室で、


「適当に掛けて」


 そう促されたので、恭介は櫻子が座った真向いの席の椅子を引き、腰掛ける。


「さて瀬奈くん? どうしてここに呼ばれたか……心当たりは? 最近、人として道を踏み外したという自覚はあるのかしら?」


「な、ないっすよ。ってか、道を踏み外してないですし」


 宿題の作文を忘れたり、先生をちゃん付けで呼んだりしてここまで怒られる筋合いはない。やはり他のことで怒っている様子だが、恭介にはまったく持って見当がつかなかった。


「どこまで性根が腐っているのかしら? あなたみたいな女の敵、そうはいないわよ?」


「お、女の敵って? 俺が女性に何をしたっていうんです?」


「わたし知ってるのよ? あなたが女の子を取っ替え引っ替えしているってことを。それで当事者の志田さんに聞いたら三股をかけているってことじゃない?」


「えっ? い、色葉がんなこと話したんすか?」


 恭介は色葉が櫻子に相談したのかと思ってそう訊いたが、


「いえ、別に志田さんがわたしに泣きついてきたとかじゃないから勘違いをしないでね?」


 と否定して答えた。


 どうやら櫻子が街中で偶然、色葉や結愛たちと恭介が一緒のところを見かけ、色葉を問い詰めて聞き出したらしかった。


「それでそんな鬼畜行為、許されるとでも思っているの? 瀬奈くん? あなたは女の子を三股かけてどういうつもりなの?」


「い、いや……でもそれにはいろいろ理由がありまして」


「理由? そんなの聞きたくないわ。どうせ遊ぶだけ遊んで、飽きたら紙屑のように捨てるつもりなのでしょう?」


「す、捨てるとかそういう……」


 どうやら櫻子は、かなり潔癖な性格らしく、そういうだらしない男を許せない質であるらしかった。


「そうやって言い訳する気?」


「言い訳とかじゃ……」


「聞きたくないわ。聞きたくない」


 恭介は苦笑する。


「ど、どうしろと……?」


「あなたのしていることは女のわたしから見て不快極まれない行為だわ。でも志田さんたちは納得しているようだし、二、三、忠告だけさせてもらうわ」


「……な、何すか……?」


「一つ目は清く正しい交際を突き貫くこと」


「そりゃ……まあ……」


「その……言いづらいけれど、えっちなんて言語道断よ? 結婚まで考えてるとかならまだしも、そこまでして捨てられたら女の子のショックは計り知れないわ」


「お、は……はい」


 まさかそこまで具体的な例を出してくると思わず戸惑う恭介。


「二つ目はこれ以上、騙す女の子を増やさないこと」


「ふ、増やすって……別に今の三人も騙してるわけじゃ……」


「聞いてないわ」


「…………」


「とにかくそういうわけで、瀬奈くん? これからは良識と節度ある行動を心掛けて生活なさい。いいわね?」


「わ、分かりました……」


 櫻子は険しい顔付きながらも、満足げに頷いて、


「話は以上よ。戻っていいわ」


「は、はい……」


 恭介は立ちあがって、


「し、失礼しました」


 と、進路指導室を後にすることにした。


「しっかしバレてるとは……」


 確かに外でデートすれば知人と出くわすこともあろう。これからはその辺に少し注意を払っていく必要がありそうだった。

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