姉ドッキリ

「お姉ちゃん、あの時嬉しかったんだよ? 恭くんの想いが子供の頃から変わってなくて……」


 確かに恭介は姉と結婚したいと言った。

 しかしそれは、姉を元気づけるために出た方便である。


「お姉ちゃんも恭くんへの想いを断ち切るために彼氏とか一途に好きになるようにして恋愛ごっこしてみたけどやっぱりダメだったし」


「恋愛ごっこって」


 姉曰く、今までの彼氏は恭介への想いを吹っ切るためのものらしい。


「恭くん、そんなわけで今度はいいお知らせね?」


「な、何さ?」


「うん、例え法律上では結婚できなくとも、お姉ちゃんはずっと恭くんが大好きです」


「えっ? あっ……うん。ありが……えっ?」


 藍里がどういう意味合いでそんなことを言っているのか真意を読み取れなかった。姉弟として好きと言っているのか、それとも……


「でも……できれはお父さんやお母さん……友達にも祝福されたい。恭くんもそう思うよね?」


 藍里に言われ、表情を引き攣らせる恭介。


「え、え~っと……」


 これはやっぱり本気のやつなのだろうか?


「だからお姉ちゃんは考えたんです。その結果がこれです」


 そう言って藍里が恭介に差し出してきたのは、少女漫画風の表紙をした、一冊の雑誌であった。


「こ……これは?」


「うん。法律を変えることは不可能としても、世間の目は変えることはできるかもしれない。そこでお姉ちゃんは考えました。姉と弟の恋愛をテーマに漫画を描いてヒットさせて理解を深めれば、姉と弟が普通に恋愛できる世界になる。そう信じて投稿をして見事連載を勝ち取ったのです」


 と、藍里はほっこりとした笑顔で言った。


「えっ? そのために漫画を……? ま、マジなの、それ…?」


 そういえば藍里は、ここ最近、部屋にこもっていた。まさか漫画を描いていようとは思っていなかったが。


 しかし姉と弟の恋愛ものとは……まあ、おそらく照れ隠しだろう。


 藍里は子供の頃から絵がすごい上手くてコンクールでは常に賞をかっさらっていた。

 どうやらその画力で漫画家になることが藍里の夢であったらしい。

 彼氏に振られたのでこちらの夢に没頭することにしたのだろう。


 藍里のほんわかした性格からして、描いているものは日常系のほのぼのした内容の漫画に違いない。

 その中にラブラブ設定な姉と弟がいるのかもしれない。実際の弟がいるのにそんな設定のキャラを描いてしまえばそういう願望があると思われる可能性がある。


 隠していても漫画を描いていることはいずれ恭介の知るところとなり、その際に変な勘違いをされては困るから、先手を打ってちょっとしたドッキリを仕掛けているのだろう。


 つまりは藍里なりの照れ隠しであったのだ。きっとそうだ。そうに違いない。


「恭くん? せっかくだからお姉ちゃんが恭くんのために描いた漫画……読んでくれるかな?」


 ほらきた。


「うん、いいよー」


 そして読み終わった後、藍里はこう言うのである。


「あ、その漫画に姉弟で恋してる設定あるけど変な勘違いしちゃダメだからね? さっきのもぜ~んぶ冗談だから」


 そうして恭介がそれに引っ掛かったような振りをして、この姉ドッキリは締め括られるのである。


「恭くん。そこの付箋張ってあるところからお姉ちゃんの漫画だから開いてみて」


「わ、わかった……」


 恭介は手にしていた少女向けの変な英タイトルの漫画雑誌を開いてみることにした。


「うまっ」


 思わず感嘆の声が漏れる。


 ゆるゆるな四コマ風なタッチかと思ったら、普通の少女漫画なタッチで描かれていて、高校生くらいの男女が表紙を飾っていた。新人とは思えない、他のプロと何ら遜色ないであろう画力の高さであることがその表紙絵だけで窺い知れた。


 タイトルは【純愛姉弟物語】となっており、少しだけ嫌な予感がし、恭介は眉根を寄せる。

 ペンネームは藍里セナ――単純に本名の瀬奈藍里を引っ繰り返しただけで、読みだけセナ・アイリからアイザト・セナに変えたようであった。


 そして肝心の中身である。


 恭介は表紙をぺらっと一枚めくり上げて――




「ふむ、なるほど……」


 恭介は藍里の漫画を一通り読み終えると、ぱらぱらっと確認のために他の漫画も流し見てから、パタンと雑誌を閉じる。


 そしてゆっくりと顔を上げると、


「どうだった? お姉ちゃんが描いた漫画にドキドキしてくれた?」


 と、藍里は少し興奮したように頬を上気させ、前のめり気味に、訊いてきた。


「んーと、こ、これってさ……」


 恭介は、平静を装い無表情を保っていたが、実際は物凄く心臓がバクついていた。


 それもそのはずで、藍里が描いた漫画は、


「え、エロ漫画ですやん!」


 そう、どっからどう見ても、この漫画はエロ一〇〇%の純然たるエロ漫画だったのである。


「そうだよ。それで恭くんはお姉ちゃんの描いたエロ漫画で興奮してくれたのかな?」


「こ、興奮つーか、びっくりし過ぎて訳が分かんなくなってるよ! 何でねぇねがこんなの描いてんのさ?」


「うん。だからさっきも言ったけど、姉と弟の恋愛をテーマに漫画を描いて、姉と弟が恋愛をしていても白い目で見られないような優しい世界に少しでも近づけばいいかなって」


「だ、だったら普通の漫画に……なぜにエロ漫画? 本当にねぇねが描いたんだよね? それが一番びっくりなんだけど!」


「でも……こっちの方が芸術性も高いし……人間の本能に直接語りかけてくる力を持っているでしょ?」


「んっ?」


「お姉ちゃんね……昔は絵ばかりを描いていて……お父さんやお母さんにも褒められてとても嬉しくて……それで更に描き続けていたんだけど……中学に入った頃かな? 突然、絵を描くのが愉しく感じられなくなってしまったの」


 一時期藍里には沈んだ頃があって、スランプに陥っていると母には聞かされ、あまり絵の話題には触れぬように言い含められていた。


「お姉ちゃんの絵には人を感動させるだけの力はあるのか……心を震わせるだけの力があるか……全然わからなくなって、何も描けなくなっちゃってね……そんな時かな……お姉ちゃんね、学校から帰る道で寄った公園でとても衝撃的を出会いがあったの」


「……出会い?」


「うん。今思えば、それがターニングポイントだったのかな? 今でもあの時お姉ちゃんの中に走り抜けた感覚は忘れられないでいるの……あの時に草むらで見たエロ漫画の衝撃をね」


「んんっ?」


「あの漫画はお姉ちゃんの絵に対する価値観を根本から覆すような作品だったの」


「な、何を言って……」


「お姉ちゃんはそのエロ漫画を家に持ち帰って何度も何度も読み返したの。絵を見て心が震えたのはあれが初めてだった……こう、腹の底が刺激されるような……今までに味わったことのない感覚……電撃が頭の先から足のつま先まで走り抜けたような……そんな感覚だったと思う。そして思ったの。お姉ちゃんが目指す芸術は、ここだったんだ、って……」


「い、いやいや……エロ漫画は芸術とかと違うかと?」


 恭介の頭には「芸術」というより、「性の目覚め」という単語が浮かんでいた。


「んっ? 恭くんはエロ漫画を否定するの? 心が震える作品……それが芸術なんだよ? 恭くんはエロ漫画で心が震えないの?」


「こ、心が震えるとかそういう問題じゃなくて芸術かどうかの話だよね?」


 芸術の定義は人それぞれ違うだろう。数億円の価値が絵よりも数百円程度で買えるエロ漫画の方に価値を見出す人もいようが、それはそれ。エロ漫画は芸術になりようがない。


「つまりお姉ちゃんの絵じゃ恭くんは心が震えないってこと? そっかぁ~、お姉ちゃん、意気消沈」


 藍里はがっくりと項垂れて、


「恭くんにはお姉ちゃんの絵は心に響かなかったんだね?」


「いや、だからそういうこっちゃなく……」


「わかった。お姉ちゃん、恭くんが射精できる立派なエロ漫画家になるね!」


 何か目的が変わってる。


「な、何言ってんの? いや、マジで……」


「できれば恭くんのおちんちんを姉として、射精に導きたいのは山々だけど恭くんはそれに抵抗あるでしょ?」


「あ、当たり前……つーか、ねーから、絶対ねーから」


「うん、恭くんが恥ずかしがって抵抗するのはわかってたからね、お姉ちゃんの漫画でして欲しいなって……ほらっ? お姉ちゃんが描いた漫画で射精してくれれば、間接的にはお姉ちゃんの手でしてくれたのと同じでしょ?」


「な、何? その謎理論?」


 漫画家が手を使って描いた漫画で射精すれば、間接的に漫画家の手で射精したのと同じであると藍里は言っているらしかった。


 しかしその理屈でいくと、おっさかんが描いたエロ漫画を使用した場合、おっさんの手で射精していることになってしまうではないか。


「とにかくお姉ちゃん、漫画描かなきゃだから部屋に戻るね」


「えっ? あっ……これ忘れて……」


「うん。よかったら使って。できればお姉ちゃんの漫画でね」


 藍里はその言葉とエロ漫画雑誌を残し、部屋を後にした。


「し、使用しろと言われてもな……」


 恭介はパラパラと再びエロ漫画に目を通す。

 そして気付く。


「そーいえば、漫画でしたことなかったな……」


 恭介はゴクリと息を呑み込む。藍里の襲来で中途半端に終わったが、一人シュッポッポの最中であったのである。




 ストーリーの中にエロがある。たまには二次元もありかもしれないと、恭介はそう思ったのであった。

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