4

唾液交換

 あれから二週間が過ぎた。


 恭介は、自身が取った行動を後悔していた。

 色葉も恭介への罪の意識からなのだろうかどこか恭介に遠慮がちとなり、お互い距離感がつかめず、ぎくしゃくした関係に戻ってしまったのである。

 せっかくあの受験日の前日からの悪夢から関係を修復できたというのに。


「はてさて、どうしたものやら……」


 これからのことが思いやられ、深く嘆息する恭介だった。


「せ、瀬奈君……?」


「…………」


「瀬奈君?」


「えっ? 何?」


 結愛はにこっと笑って、


「や、やっと気づいた……」


「んっ? あっ……」


 どうやら恭介は、結愛の度重なる問い掛けをスルーしていたらしかった。


「ど、どうかした……の? 最近、元気がないみたい……だけど?」


 そんな感じで彼女は気を遣い、今日は遊びに誘ってくれたのである。恭介も気晴らしにいいかなと思って、オッケーした。

 しっかし、デート中に他の女性のことを考えているとは最低かもしれないな。


「うん。まあ……いろいろあってな……ははっ」


 苦い笑いで答える恭介。


「せ、瀬奈君……わ、わたし……元気ないなら……その……元気になるおまじない……し、知ってるよ?」


 なぜか照れたような仕草で言ってくる結愛。


「おまじないって? どんな?」


 特におまじないの内容に興味があったわけではないが、話の流れでとりあえず訊いてみた。


「う、うん……き、きて!」


 結愛は、恭介の手を引いて早足で掛け出した。


「を、をいっ、九条? どうした急に? どこに行く気だよ?」


 結愛が恭介を連れ込んだのは、公園の木々が生い茂る遊歩道から一歩入り込んだ草むらの中だった。

 結愛は辺りを見回して、


「こ、ここなら……いい……かな? 人もいないし」


 と、恭介に向き直る。


「えっ? く、九条……?」


 結愛は瞳を閉じて少しだけ顔を上げると、唇を突き上げてきたのだ。完全にキス待ちの体勢であることは容易に感じ取ることができた。


 どうやら元気の出るおまじない=キスのことであったらしかった。


「せ、瀬奈君……早くしてもらって……わ、わたしもこんなの初めで……恥ずかしい……んだよ?」


「あ、ああ……」


 恭介は結愛の柔らかそうな唇に、ゴクリッと息を呑みこみ、街灯の光に吸い込まれる蛾のように、す~っと結愛の唇に引き寄せられて――


「…………」


 そこで思いとどまり、はたと動きを止める。

 彼女の唇と自身の唇は既に目と鼻の先。


 正直、彼女にキスをしたかった。


 だが、本当に彼女にキスをしてしまっていいのだろうか?


 結愛のことは嫌いではないし、好きと言われたのは嬉しかった。

 一緒に同じ時間を共有することに、次第に愉しくなってきたのも事実であった。

 結愛とは現在恋人同士で、別段キスをしても構わないとは思うけれど……


 しかしそれでは、色葉に対して不誠実すぎるような、そんな気がしたのである。

 いや、でもまあ、バレなければ……


「……せ、瀬奈君……?」


 結愛がぱちっと目を開ける。


 そして次の瞬間――


 ちゅっ。


 結愛の方から躊躇していた恭介の唇に自身の唇を重ねてきたのであった。


「えっ……あっ……」


 動揺を隠せなくなる恭介。


「え、え~っと、瀬奈君……? 少しは元気……出た?」


 上目遣いに恥じらいつつ訊いてくる結愛。


「あ、うん。まあ……」


 何にせよ、恭介を元気づけようとしてくれた結愛を否定する理由はない。


「ありがとう。うん。元気……出たよ?」


 恭介は笑顔でそう答えていた。


「そ、そう? よ、よかった……け、けど……その……わたしはまだ……出てないから」


「えっ? 九条もなんか……落ち込んでたりしたの……け?」


 自分のことばかり考えていて、結愛の変化には一切気づけていなかったのである。


「う、うん……だから……わたしにも、元気が出るおまじない……を、いいよね?」


「えっ? うをっ!」


 飛びついてきた結愛のせいで、バランスを崩して彼女を抱き寄せたまま尻餅をつき、そのまま押し倒されるような形になる恭介。


「く、九条……な、何して……?」


 しかし結愛は恭介の問い掛けには答えずに――


「んぐっ!」


 再び結愛はその柔らかな唇を、恭介の唇の上に覆いかぶせてきたのであった。

 しかも今度のキスは先ほどの唇が軽く触れる程度のものではなく、結愛の舌が恭介の口の中に強引に割り込んできたからさあ大変。


 恭介の頭は何がなんだかわからなくなり、結愛のされるがまま、口の中を蹂躙されていた。


 べちゃべちょっと音を立てて絡み合う舌と舌。


 そして恭介の上に覆いかぶさっていた結愛の両足は、恭介の右足に、抱き枕で足を挟ませるように、がっちりと絡ませてきていた。


「ふぐっ……」


 結愛の口から小さく吐息が漏れ、恭介に力いっぱいにしがみついてくる。


 そして結愛は恭介の舌に吸い付いたまま身体をビクンっと震わした――かと思ったら一気に脱力したようになる。


 結愛は唾液まみれの口を半開きに恭介の唇から退く。


 そこで唾液交換タイムは終わる。


 結愛は恍惚とした表情で恭介を見下ろし、


「あ、ありがとう、瀬奈君……瀬奈君のおかけで……その……いっぱい……出たよ?」


 と、照れたように微笑んだ。


「い、いっぱい出たって……」


 元気が出たのか、それとも……


 いや、それを聞くのは無粋というものだろう。


 結愛は、とってもすっきりとした表情になっていた。

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