3

おしっ娘

 恭介は手にしていた携帯電話の時計をチラッと見やる。


「一〇分前か……」


 約束の時間より少し早いが、それでいい。恭介は人を待たせるのがあまり好きではなく、相手を待っていた方が性に合っていた。


「しっかし……でけーな……」


 待ち合わせ場所の目印に指定した奈々さん人形は、高さが七・三メートル程あるマネキン人形だ。七・三メートルだから奈々さんと名付けられたらしいが、よくも意味もなくこんな大きなマネキンを制作したものだと感心せざるを得ない。


「お、おはよ、瀬奈君……」


 マネキンを見上げていると声を掛けられた。


「おはよ……って、あれ? な~んだ。もう、きてたのか? 俺も結構早く来たのに……」


 声を掛けてきたのはデートの相手である結愛だった。


「もしかして、結構待った?」


「ううん、それにまだ約束の時間より前……だし……」


「そっか……そりゃそうだよな?」


 今日は約束の映画デートの日であった。


「んじゃ、行くか?」


「う、うん……」


 結愛はぎこちない笑みを浮かべ、恭介の隣に並び、彼の右手の指に自身の指を絡めてきた。


「えっ?」


 少し驚く恭介。


「あっ……えっと……手、繋いで……いこ? だ、ダメ……かな?」


「あ、いや……ダメってわけじゃねーけど、ちょっと周りの目が……恥ずかしいかなって……」


「う、うん……わたしも……で、でも……ダメじゃないなら……いいよね?」


 結愛は恭介の手の指をこじ開けるように絡めて握りしめる。いわゆる恋人つなぎと言われる繋ぎ方だ。


 彼女も恥ずかしいのか、かなり手が汗ばんでいるのがわかった。


 結愛の顔を覗き込もうとすると、彼女は恥かしそうに唇をきゅっと結び、顔を赤くして俯いた。


 恭介は彼女のそんな様子に眉をひそめる。


「九条?」


「ああ……う、ううん……な、何……かな?」


「いや、何か顔も赤いし、涙目になってるぞ? もしかして……熱でもあるんか?」


 デートのため、無理してここまできたのだろうか?


「ち、違うよ、瀬奈君? さ、さあ……いこっ……か?」


 結愛は笑顔で言うと、恭介の手を引いて言った。


 どうやら単に照れているだけのようであった。




 既に見る映画は決まっていた。


 カップルが多そうな超大作の恋愛映画もやっていたのだけれど、恭介たちが見ることにしたのは「今ならこっち見とけや」と相談した朝倉が薦めてくれたサスペンスものであった。

 しかしデートなら恋愛映画の方がよろしいかと思って事前に訊いたら、「ホラー系があればそっとの方がいいかな……ないんだったら……」と、結愛も恋愛映画よりはそちらがいいといった。


 なので映画館の前で迷うことはせず、すんなりとこちらの劇場に入った。




 興味を引く謎と展開。


 恭介はデートであるということをすっかりと忘れ、映画の世界に引き込まれていた。


 闇。スクリーンが急に真っ暗になって、しばらく無音状態が続いた。

 そして破壊力のある効果音とともに、スクリーンいっぱいに殺人ピエロのどアップ。


「うをっ……」


 心臓に悪い演出に、心底驚かせる。結愛もかなり驚いた様子で、「きゃっ!」と小さく悲鳴を上げて隣の恭介の腕にしがみついてきたのである。


「はてっ?」


 既に心臓に悪いシーンは過ぎ去ったというのに、彼女は恭介にしっかりとしがみついたまま、ぷるぷると身体を小刻みに震わせていた。


 どうやら結愛は、かなりの怖がりさんであったようで、その様子に自然と笑みがこぼれ、彼女をそのままに、恭介は再びスクリーンに向き直ることにした。




「瀬奈君、映画……よかった……よね?」


 映画の後、ファミレスでランチをしていた恭介と結愛。

 互いに映画の感想を述べ合っていてた。


「ああ、こっち選んで正解だったな?」


 朝倉に薦めはあったものの、内容などの前知識がまったくなく、特に期待していなかった分、振り幅が大きく、余計に面白く感じたのである。


「最後のどんでん返し……失禁もんの衝撃だったわ」


「えっ? 失禁……?」


 急に表情を青ざめさせる結愛。


「んっ? どうかしたんか? ラスト……よくなかった? っていうか、読めた? あのオチ?」


「ああ、う、ううん……全然、だよ?」


 と、どこかぎこちない笑顔で答える結愛。


「だよ……な?」


 ああ、そうか……と、恭介は納得して頷く。


 おそらく結愛は恐怖で映画を直視できず、内容の方はあまり把握できなかったのではなかろうか。

 それでは恭介に悪いと思って無理やり話を合わそうとしているのかもしれない。

 こういうところも色葉と違うのだな、と恭介は思う。


 今までは色葉が女の子の代表で、すべてだったこともあり、色葉とは異なる結愛と一緒に時を過ごしているとそんな差も感じ、愉しくなってきている自分がいるのがわかった。

 最近、色葉のことがよく分からなくなってきたし、少々、この関係が壊れるはもったいないと思い始めていたのも事実。


 とはいえ、そもそも彼女を騙しているのであるから、真実を告げなくてはならない。


 今まで棚上げしていた問題に、決着をつけなくてはならない時がきたようだった。


「んーと、そろそろ……出ようか?」


「う、うん……」


 ファミレスでもいいかなと思っていたけど、周りに人がいては少しばかり落ち着かない。


 恭介は会計を済ませて店を出ると、少し歩いて人通りが少なくなったところで、


「話……いいかな?」


 改まった口調で結愛の足を止めるようにし、言った。


「うん、何?」


「九条、俺のこと好きって言ってくれたよな?」


「う、うん……好きだよ?」


 と、上目遣いで可愛らしくにこっと笑って言ってくる結愛。

 やっぱり自分にだけ向けられているこの笑顔を失うのは惜しい。


 しかし真実を告げると既に決めていたのだ。


「え~っとさ、九条……それ、勘違いなんだわ」


「えっ? 勘違い……じゃないよ? ど、どうして……? わたしはあの日からずっと……好き……だよ? もしかして、わたしのこと、嫌いに……?」


 不安そうな表情で問いかけてくる結愛。


「ああ、違う、違う。そうじゃなくてな。実はあの日、九条がお漏らししていたなんて気付いちゃいなかったんだ」


「えっ?」


 恭介は、普通に転んで誤って水をかけてしまったことを告げて、


「だからごめん、お前のことを気遣ってのことじゃなかったんだ」


「そ、そっかー、そうだったんだ」


「だから……その……告白は忘れてもらっていいから」


「えっ? わ、わたしのこと……その……やっぱり嫌いになった……のかな?」


「そ、そうじゃねーけど……ほらっ? 俺はお前を騙してた訳だし……」


「瀬奈君はわたしに罪悪感を抱いちゃってる……って、こと……かな?」


「うん、まあ……だからその……いったん白紙に戻した方がいいかと思ってよ?」


 結愛は少しだけ考えるような仕草を取ってから、


「うん、必要ない……かな?」


「えっ? 必要ないって? でも俺は……」


「勘違いからだとしても、わたし、もう……瀬奈君のこと好きになっちゃったし……い、今だって瀬奈君の前にいると――」


 結愛はそこまで言うと頬を赤らめ、恭介の目をジッと見詰めたままフリーズした。


「……く、九条……?」


 恭介の心臓は大きく拍動する。

 彼女の潤んだ瞳に見詰められ、平常心を保っていろという方が土台無理な話。


 しかし時折起こる彼女のこのフリーズは何なのだろうか?


 この局面である。もしかしてだが、キスを待っているのだろうか?

 もしそうなのであらば……


 恭介は、結愛の形のいい柔らかそうな唇に視線を落とし、ごくりと息を呑み込んだ。


 キス……してみたい。


 現状、結愛は恭介の彼女だ。

 真実を告げても恭介のことを好きだと言ってくれた。


 だったらちょっとだけキスをしてみてもいいんじゃなかろうかという考えが頭をもたげた。

 恭介は真剣な眼差しで結愛に向き直り、彼女の両肩にポンと自身の手を置いた。


 その瞬間である。


 彼女はハッとしたようになり、


「えっ? う、嘘……!」


 と、一歩、二歩と後退っていった。


「あれっ?」


 拒否られた?


「く、九条? どうかしたのか……?」


 再び手を伸ばそうとすると、


「い、いやっ! こ、こないで……!」


 更に怯えるように後退った。


「あっ、ごめ……そんなつもりじゃ……って、んっ? あれっ?」


 その時、恭介はその異変に気付く。


 彼女のスカートの下から覗く白い太ももからツーと液体が伝っていたのである。


 恭介は結愛の顔と地面に広がる染みを交互に見やりつつ、


「……も、もしかして……?」


 すると結愛は顔を真っ赤に染めて、コクリと今にも泣きだしそうな表情で頷いた。




「え~っと、その……何だ? 身体の方……大丈夫か?」


 公衆トイレから出てきた結愛に声をかける恭介。


「うん……みっともないとこ見せて……ごめんね、瀬奈君……軽蔑したよね?」


「いや……そんなことは……俺の方こそ……気付いてやれなくて」


 デート中ということで、急に催しても言い出しづらかったのだろう。


「ち、違うの!」


 結愛はそれを否定するように、首を横に振って、


「わ、わたしね、あの日以来、恥ずかしいんだけど……その……瀬奈君の前に立つと、尿意を催すようになっちゃったの」


「……へっ? 何それ? 病気ってこと?」


「病気……なのかな? 本屋にいくとトイレに行きたくなるとか……そういう類の精神的なもの……だと思う」


「ふ、ふ~ん……じゃあ、中学時代、俺の前にくると顔を真っ赤にして逃げていったのって……そのせいだったのか?」


「う、うん、本当はもっといろいろなお話もしたかったんだけど……我慢できなくって……」


「そ、そっか……もしかして、俺といる間、ずっと我慢してたのかよ? 朝、一緒に登校している間とかも?」


「ううん、我慢……してないよ」


「……つまり、高校に入って少しは慣れたってことか?」


「そ、それも違う……よ」


 結愛は深呼吸し、少し間を開けてから、


「して……たんだよ?」


 今に消え入りそうな弱々しい声音で俯き加減に言った。


「んっ? してたって……何を?」


「う、うん……その……お、オムツをして……」


「?」


「瀬奈君とお話ししながらするのが……その……わたしのひそかな愉しみになってて……」


 恭介は表情を引き攣らせる。


「えっ? してたってつまり……」


 そういえば、いつも変な間でフリーズするとは思っていたけれど……


「う、うん……」


 結愛は恥かしそうに真っ赤な顔で頷いて、


「けど今日ははき替えずに数回しちゃったから……その……容量をオーバーしちゃったみたいで……」


「そ、そうなのけ……?」


「うん。ひいちゃうよね? そんな女の子……けど信じて。わたし、誰の前でも尿意を催すふしだらな娘じゃないんだよ? 尿意を催すのは瀬奈君の前でだけ……だから」


「……お、おう……」


 そんな告白されてもどう対処していいのかわからない。


「瀬奈君……わたしのこと……嫌いにならないでくれる?」


「嫌いになるわけ……」


「じゃ、じゃあその……瀬奈君の前で……もしまたおしっこしちゃっても……許してくれる?」


「えっ?」


 少し考えた恭介だったが、今にも泣きそうな彼女の表情を見て、断ることができなくそれを肯定してやった。

 結愛はホッと胸を撫で下ろしたようになって、


「そ、それならその……今度……直接、しているとことか……見てもらっても……いい……かな?」


「えっ? いや……直って……えっ? さすがに……それは……? 我慢できなくて漏れちゃった場合は仕方ないとは思うけど……えっ?」


 結愛は顔をカーッと赤くして、


「あっ! そ、そうだよね? ごめんね、瀬奈君……今のは忘れて? 冗談だから!」


「あ、ああ……そうだよな? ははっ……」


 もはや乾いた笑みしか浮かばない。


「ごめん……じゃあ、今日はその……ごめんなさい! 本当にごめんなさい!」


「あっ! 九条!」


 結愛はあっという間に恭介の前から走り去ってしまったのだった。 

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