シャワー

「恭ちゃん、どこいくの?」


 外で遊ぶとは言ったものの、公演で子供たちと混ざって遊ぶというわけにはいかないし、人でごった返すような場所で知人にばったり出くわすのもマズい。


 そもそも子供らしい遊びって、何だろうか?


 子供の頃は思い付きであっちいったりこっちいったりしていた記憶はあるが、改めて子供らしい遊びというものを考えてみると何をすればいいのかまったくわからなかった。

 とりあえず人と遭遇する確率が低い場所というのは絶対の条件であるが……


「色葉ちゃん、山に虫採りにいこうか?」


 山なら誰とも出くわさないのでちょうどいいと考えたのである。

 いや待て、人がいないということはパンツを下される確率が増えるではないか。


「山? う~ん……」


 ちょっぴり難色を示すも色葉に恭介は乗っかって、


「あ、やっぱやめ。川にザリガニ釣りにいこ。ザリガニ」


「川? うん、それならいいよ~」


 今度はあっさりと頷く色葉。


 山は遠いから距離の問題か。




 小学生以来か、訪れたのは田んぼの用水路。


 用水路にはザリガニのほかに、メダカやフナ、ドジョウ、タニシなんかもいて小さい頃は時間を忘れて捕獲していたりした。

 今捕まえたとしてもその後どうしたものかわからないが、せっかくきたし乱獲してしまおうか。


 そんなことを恭介が思っていると、田んぼの様子を伺っていた色葉が、こっちこっちと手招きしてきた。


「何? どうったの、色葉ちゃん?」


「恭ちゃん、このおさかなさん、何ていうの?」


「さかな?」


 恭介は色葉に視線を合わせ、前のめりに田んぼを覗き込む。


「……どれ?」


「うん、そこ……」


 色葉が指さす先を目線で追って、


「見えないよ? どこ?」


「うん、だからね……そこ」


 そうして前のめりになったその瞬間である。

 背中がポンと強く押されて、


「えっ……わっ!」


 恭介は田んぼに突っ込んでいた。

 泥だらけになって田んぼから這い出る恭介。


「色葉……ちゃん、ひどいじゃんかよ……」


「ごめ~ん、わざとじゃないんだよ?」


 色葉は手を合わせて謝ってきて、


「とにかく一度戻ろうよ? お風呂に入った方がいいよ?」


 子供の頃ならどっかで顔を洗って帰らず続けたかもしれないが、さすがに今はそうはいかず、一旦戻ることに決めた。




「恭ちゃん、お風呂どうするの? お湯張るのめんどーだったらうちくる? うち、二十四時間風呂だよ?」


「うん、シャワーだけでいいから大丈夫」


「そうなんだ? じゃあわたし、待ってるね」


 もしかしたら一緒に入るとか言って来るかと思ったが、そんなことはなかった。


 恭介は着替えを用意し風呂場で汚れた衣服を脱ぎ、脱衣かごにそれらを放り込む。

 色葉とは家の前で別れたが、さっさとシャワーを浴びて服を着ないと、この状況で全裸というのは何とも心もとない状況であった。


 カチャリ。


 シャワーを浴びていると浴室の外側で物音。


「い、色葉……」


 やはり襲撃に来たのか、すりガラス越しに、色葉と思しき人影が。

 色葉は引き戸をガチャガチャやって、


「あれっ? 恭ちゃん、何で鍵かけてるの? 開けて。一人じゃきれいに洗えないでしょ? 色葉がおちんちん洗うの手伝ってあげるよー」


 肌色率の高いシルエット。既に全裸になったのが窺えた。


「い、いいー、一人で洗えるからー」


「……そう……じゃあ汚れた服は色葉が洗濯しといてあげるね?」


 もっとしつこく来るかと思ったが、意外とあっさり引き下がる色葉。


 まあ、さすがに人の家の風呂場のカギをこじ開けてまで侵入する非常識さはなかったようだ。

 しかし安心はできない。風呂のカギを開けた瞬間、脱衣スペースに飛び込んできて、押さえつけられ、おちんちんを弄ばれるかもしれぬ。


 恭介はシャワーを出しっ放しにしたまま静かにカギを開け、静かに戸をスライドさせてバスタオルに手を伸ばそうとして……


「ない!」


 なぜか用意しといたバスタオルと着替えが消えていた。


 置き場所を間違えたとか、端から用意してなかったとかではなく、完全に消失していた。

 洗濯すると言っていたが、着替えの方を回収していったのだろうか。


「し、仕方ねー」


 一度脱いだものだが、パンツは濡れていなかったし、脱衣かごに入れたものを手にしようとするが……


「何でだよ……」


 脱衣かごに入っていたのはパンツが一枚。


 しかしそのパンツは恭介が脱いだものではなく、どう見ても女物。

 若干温もりが残っている。ほぼ間違いなく色葉のぱんちぃーだ。


 どうするよ?


 手で隠すだけではやはり心もとない。

  色葉に襲われたらなすすべもないだろうし……


「も、もういいや!」


 迷っている暇はない。仕方ないので恭介はそれをはいた。


 そろそろ母親が仕事から帰ってきてもおかしくない時間帯。ここで籠城しているわけにはいかないし、今は五歳児なんだし問題ない……はず。

 何となく股間に熱が集まっていく気がするがきっと気のせいだ。


「早急に着替えねば」


 脱衣所の戸をそっと開け、外を見やる。

 とりあえず色葉の姿はない。恭介は自室に急いだ。


「………っ!」


 恭介は自室の前でその物音に、足を止めた。


「くっ、色葉か……」


 これでは着替えを調達できない。


「恭ちゃん……」


 色葉の声音に、ビクッと身体を震わせた。

 ドアの前にいるのがバレたかと思ったが、そうではなかった。


「恭ちゃん……恭ちゃん……」


 それは部屋の外にいた恭介への呼び掛けではないようだった。


「びっくりさせんなよ、急に人の名前呼んで……っていうか、まさか……」


 恭介はドアを僅かに開けて、部屋の中をそっと覗き込むと、色葉はがっつりと一人で勤しんでいた。


「!」 


 外で車の音。


 どうやら仕事から母が帰ってきたようだ。

 まずい。恭介は今パンツ一枚。しかも女物。


「こ、こんな時に……」

 

 こうなれば仕方ない!


「い、色葉ちゃ~ん、いる~?」


 わざと中の色葉にわかるように声を出し、ワンテンポ遅らせてドアを開ける。

 催眠状態になっている振りをしている際、何度か目撃しているが、色葉は一度すっきりすると思考が正常な状態に戻る様子であった。


「恭ちゃん!」


 色葉はベッドの上で慌てて正座になって、


「な、何で恭ちゃんがわたしのパンツをはいてるの?」


 と、恭介の股間を凝視しながら言ってきた。


 案の定、思考が安定している模様である。

 しかし改めて言われると恥ずい。


「う、うん、色葉ちゃんに全部持ってかれちゃって……」


 そして恭介は色葉のはいているパンツを指差して、


「僕の……パンツ……?」


「えっ……あっ! ごめんね、恭ちゃん! 間違えて色葉がはいちゃったんだった!」


 顔を真っ赤にして無理のある言い訳をする色葉。


 そして階下では玄関のドアが開かれる音。


「あっ……ママが帰ってきたみたい。この前ママのブラジャーで遊んでたら怒られちゃったし、こんな格好だと怒られちゃうから、早く着替えないと」


「う、うん……そうだね、恭ちゃん?」




「ねえ、恭ちゃん?」


「なに、色葉ちゃん?」


 恭介が振り返った瞬間、色葉は携帯電話でパシャリ。


「消去――」


 色葉は今日の出来事を田んぼに落ちて着替えた記憶だけを残して消去した。

 そして更に続けて、


「……記憶が消えていると不審に思った記憶、それを雪菜先生に相談し、明日呼ばれていた事を忘れる――」


 色葉はそんな要求をしてきたのである。


「…………」


 内心、してやられたと恭介は思った。

 その辺の記憶まで奪うとは……


「ねえ、恭ちゃん?」


 催眠状態を解いてから、色葉がこう訊いてきた。


「結愛さんのこと……どう思ってるの? 好き?」


「えっ? ま、まあ……一緒にいて楽しいのは事実だけど……」


「そう……」


 色葉は俯き加減に言うとすっと携帯電話を恭介に向けてきて、


「わたしと一緒にいるよりも楽しい?」


 真剣な口調で訊いてきた。


「そ、そんなことは……どっちにしろ、九条とは別れると思うし……」


「えっ? どうして?」


「どうもこうも……九条が好きって言ってくれたのはただの勘違いだから……明日、そのことを言うつもりなんだ」


「そう……だったら……いいや」


 色葉は向けていた携帯電話を下して、


「また明日ね、恭ちゃん?」


 そう言って、色葉は窓から帰って行った。

 とりあえずホッと胸を撫で下ろす恭介。


「はてさて、どうしたものか……」


 恭介は階下に降り、田んぼに落ちて汚れたシャツとぐっしょりと濡れたトランクスを脱衣かごに放り込み直したのだった。

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