2

ミスター・エム

 釣り道具一式を揃えた色葉は海に来ていた。

 天気もよく、今日はおちんちんを狙うのに絶好の日和だった。


 色葉は、釣り人の中に見知った顔を見つけた。


「依子さん? 依子さんもきておられたんですか? どうです? おちんちんは釣れていますか?」


「う~ん……釣れないよ~……場所変えた方がいいのかな~」


「かもしれませんね? 私が狙う恭ちゃんのおちんちんは沖に出ないといけないのでいきますね?」


「うん、またね~」


 船に乗るとまた一人、知る顔があった。


「おはようございます、結愛さん」


「あ、も、もしかして色葉ちゃんも……その……瀬奈君のおちんちん狙い……なのかな?」


 恥じらいつつ訊いてくる結愛にハッとなる色葉。


「ゆ、結愛さんもですか!」


「う、うん、そだよ。えっと……お互い釣れるといいね?」


 結愛はそう言うと、ちょっと離れたところで釣り糸を垂らし始めた。


「くっ……恭ちゃんのおちんちんは誰にも渡さない!」


 色葉は強い決意とともに釣りの準備を始める。


 エサは恭ちゃんの赤ちゃんの頃のおちんちん、恭ちゃんの小さなおちんちんで大人になった恭ちゃんのおちんちんを釣る手法――いわゆる〝友だちんちん釣り〟ですね。


「爆おちんちん!」


 恭ちゃんのおちんちんがびっくりするくらい釣れ、にへらと笑う超ご機嫌な色葉。


「えへへ、恭ちゃんのおちんちんがいっぱいだ~」


 水を張ったバケツの中は、活きのいい恭ちゃんのおちんちんでいっぱいになっていた。


「ををっ! 凄い引き!」


 この引きはまさか、この大海原の主、怒張した恭ちゃんのおちんちんであろうか?


「あっ? 恭ちゃん?」


 釣れたのは、怒張した恭ちゃんのおちんちんではなかった。

 釣り上げた恭ちゃんのおちんちんに、恭ちゃん本体が付属していたのだ。

 せっかく釣り上げた本体であるが、マナーとして本体は海に返してやらなければならない。恭ちゃん本体を乱獲すると海から恭ちゃんのおちんちんが消えてしまうのである。


「じゃあね、恭ちゃん」


 名残惜しいが、恭ちゃん本体とはもうお別れ。


「すまんな、色葉? しかしその前に一つだけ訊いていいか?」


「何? 恭ちゃん?」


「お前……オナニーしてたよな?」




 色葉は夢の中の恭介の言葉にハッとし、目を覚ました。


「……バレた?」


 そうだ。


「色葉……恥ずかしいな? 高校生にもなってお漏らしとか……」


 恭介にそう言われ、恥ずかしくて泣いてしまった。

 その後に恭介は「自分もオナニーを見られたのだから、これでお互いさま」というような趣旨のことを告げられ卒倒してしまったのである。


 オナニーしていたのがバレていた。

 恥ずかしい。女の子がオナニーしているなんて、恭介が知ったらどう思うか、ちょっと変な子と思われてしまったかもしれない。


 恥ずかしさで熱を帯びた顔を両手で覆う。

 こんな姿、誰にも見られたくない。


 幸い、周囲には人はいない。というかここはどこだ?


 色葉はそっと首を巡らし、辺りを見回す。

 ベッドの上。家ではない。どうやら保健室ようだ。あの後、気を失って恭介に運ばれたのだろうか。


「そういえば、ヘンテコな夢を……」


 夢の中で色葉は幼女になっていた。


 そしてあろうことかスカートをめくりあげ、「気持ち悪いから」という理由で恭介にパンツを脱がさせ、更に駄々をこねて濡れた部分をティッシュできれいに拭き取らせたのである。


「ゆ、夢……よね?」


 そのはずである。その後そのまま愉しいおちんちん釣りの夢に移行したのだから、夢に違いない。

 夢じゃなかったら、自殺ものだ。オナニーをしているのがバレ、お漏らしをし、更にその処理までさせたことになるのだから。


「そ、そうよ。パンツだってこうして……」


 色葉はスカートの中を確認してハッとする。


「は、はいていない!」


 心臓が激しく拍動するのを感じる。


「ゆ、夢じゃ……ない!」


 いや違う。濡れていたから養護教諭の雪菜が脱がせたに違いない。


「そうよ。そうに違いないわ」


 色葉は自分に言い聞かせるように口の中で繰り返しつぶやいた。


「おっせーよ! 三分以内にこいっつーたろーがよ? 何時間かかってんだよ?」


「!」


 ベッドと仕切られていたカーテンの向こう側から雪菜の怒声が響いた。

 色葉はベッドから起き上がり、カーテンをちらりとめくり、仕切られた向こう側を覗き込んだ。


「む、無茶言わないでくださいよ、先輩?」


 不機嫌そうな雪菜の前にいるのはホストみたいな派手目のスーツを着た男性。こちらに背を向けているため顔は確認できないが、そのやりとりだけで大体の関係性は把握できた。


 男は雪菜の後輩であり、明らかに下の位置。


「はい、これ……先輩に言われたメロンパンっす」


「ああん、メロンパン? サンライズって書いてあるじゃねーか?」


「えっ? 同じでしょ?」


「ちげーよ!」


 雪菜はその男に、げしっと蹴りを入れた。


「ちょっと、先輩!」


 さすがに怒ったのか、男は声を荒げた様子で、


「蹴るのならしっかり入れてくださいよ!」


 言って雪菜にケツを向けて突き出した。


 何をしているだろうか、この男は……?


 雪菜にケツを向けたせいで、男の顔を確認できた。

 なかなか端正な顔立ちをした男前。


 そう、まるで最近活躍している――


「えっ! ミスター・エム!」


 色葉は思わず声に出していた。

 その男は、どう見ても催眠術師のミスター・エムであったのである。


「志田……起きたのか?」


「あ、す……すみません。お世話になったみたいで」


「いや、いいんだが……もう、大丈夫なのか?」


「はい、おかげさまで」


「そうか、そりゃ、よかった……」


 雪菜はミスター・エムを見やり、


「滿雄……もう、帰っていいぞ」


「ええっ! 何すか、それ! 本当にメロンパンだけのために呼んだんすか!」


「違う。しかしその必要がなくなった。志田は元に戻ったみたいだしな」


「えっ? わたし……ですか? 元に戻ったって、何のことですか?」


「ふむ、覚えていなかったか? 貴様は何か精神的なショックを受けたとかで、幼児退行していたのだぞ? わたしをおばさんって……ふざけやがって!」


 と、苦々しい口調で言う雪菜。


「う、うそ……」


 夢じゃなかった? つまりお漏らしした後、拭いてもらったのもすべて本当にあったことで……


「先輩? 幼児退行って……まさか俺呼んだのって、それを治すためとかじゃないでしょうね?」


「そうだが? お前の得意分野だろ? 催眠術で子供にしたりなんだりと」


「退行催眠のことですか? 確かにそういうのはありますけど、幼児退行とは別物ですから多分役に立てませんよ?」


「そうなのか? お前、何の役にも立たないな? 死んだ方がいいんじゃないか?」


「ひ、ひどいっすよ、先輩……」


 そんな二人のやりとりを呆然と眺めていると、コンコンッとノック音。


「失礼しま~す」


 その声にハッとなる。声は恭介のものであったのである。


「あれ、色葉? お前、戻って……」


 引き戸を開けると色葉を見て言ってくる。

 色葉は顔を真っ赤にして、


「い、いやぁぁ~っっ!」


 入室しかけた恭介の腹に蹴りを入れる。


「げふっ!」


 恭介はよろけて廊下側に尻餅をついた。

 途端、色葉は引き戸をぴしゃりと勢いよく閉め、恭介を保健室から締め出した。


「い、色葉……? 戻ったんだよな? 何すんだよ、いきなり……?」


 色葉は顔を真っ赤にしながら、


「ごめん、恭ちゃん……わたし……今、恭ちゃんと顔を合わせられないから!」


「そ、そうか……まあ……あれだ? また明日な?」


 恭介は察してくれたのか、そのまま帰ってくれたようで、引き戸の向こう側から気配が消えた。


「先輩? さっきの彼女の蹴り、容赦のないいい蹴りでしたね? 先輩もあれくらいしてくださいよ? もしくは今度、ボクの顔を踏んでくださいよ?」


「ざけんな」


 雪菜はミスター・エムに言ってから、ゆっくりと引き戸を背に項垂れている色葉に歩み寄り、


「志田? 精神的ショックで幼児退行したとのことだが……恭介に何かひどいことでもされたのか?」


 色葉は静かに首を横に振り、


「……けど、恭ちゃんの前であんなはしたない真似……絶対に、変な子と思われた。もう、わたし……」


 恭介の中に、あんな記憶があってはせっかく仲直りできたと思ったのに、また嫌われてしまうかもしれない。

 記憶を消せる消しゴムみたいのがあれば、即、恭介の脳みそをゴシゴシするのだけれど。


「……記憶を消す消しゴム……?」


 色葉はハッとし、雪菜に滿雄と呼ばれていた男を見やる。


「何だい? 僕の顔に何かついているかい?」


「いえ、お聞きしたいんですが、ミスター・エムさん……ですよね?」


「うん。そだよ? サインでも書いてあげようか?」


「いえ……そんなものはいりません」


 きっぱり言う色葉にしょげるミスター・エム。


「ひ、ひどいな、きみ……」


 いらないものはいらないので仕方ない。 

 色葉が今欲しいものは――


「お願いします、ミスター・エムさん! 恭ちゃんの……恭ちゃんの記憶を改竄してください!」


 色葉は頭を深く下げて、言った。


 ミスター・エムは催眠術の番組で、芸能人たちを催眠状態にし、自身の名前を言えなくしたり、とある数字を頭から完全に消し去り、数を数えられなくしたりしていた。

 ミスター・エムは記憶の操作ができる。


 彼に頼めば恭介の中から恥ずかしい記憶を消し去ってくれるに違いないと、色葉はそう思ったのである。

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