やさぐれ養護教諭
「すんませ~ん……」
恭介はガラガラッと静かに保健室の引き戸をスライドさせ、中を覗き込んだ。
「恭介か? 何してやがる? 覗いてないで、入るなら早く入ってきやがれ」
養護教諭の鳥居雪菜が、いつものようにぶっきらぼうに言ってきた。
恭介は部屋を見回しながら、
「ほかに生徒さんがいるとアレかと思って……ベッドにも……いませんよね?」
既に昼休みは終了しているから廊下ではほかの生徒に出くわさなかったが、保健室内にはいるかもしれないと考えたのである。
しかし中には雪菜しかいないようで、恭介は、ドアを完全に開け放ち、
「色葉……こっち」
きゃっきゃっと幼女のごとくはしゃぐ色葉の手を引き、保健室に入室した。
「あ~んっ? んだ、てめぇ~ら……手なんぞ繋ぎやがって。わたしへのあてつけのつもりか、こらっ?」
不機嫌オーラ全開で凄んでくる雪菜に色葉はビクッと身体を震わし、怯えるように恭介の背中に隠れた。
「恭ちゃん? なんか、あのおばさん……こわいよ~」
「おば……」
雪菜は表情を強張らせ、ダッと床を蹴り上げ、一気に恭介たちの前に詰め寄って、
「だ~れが、おばさんじゃいっ!」
ペシ~ンッ!
彼女の平手が、色葉の頭を容赦なく襲っていた。
色葉の自業自得ではあるものの、精神年齢が五歳である今の色葉がこんなことされたら……
「い、色葉……ちゃん? 痛くないよ? 痛くないからね?」
一瞬の出来事に、驚きに目を見開き、呆けたような表情の色葉。
次第に自身に起こった出来事が呑み込めていったように、目が潤みだし、歯を食いしばらせ、徐々に表情を歪めていって……
ヤバイ、恭介がそう思った瞬間である。
「ふぎゃ~ん!」
ダムが決壊したかのごとく、色葉は目から一気に涙を溢れ出させた。
「んっ? どうした? 泣くほど痛くは殴っていないはずだが……」
そこで雪菜はハッとして、震える右手を見つめ、
「もしや、わたしの右手に新たなる力が……! 二十と三歳で、ついに真なる力が……!」
「違います。力も目覚めてませんし、二十三歳でもありません。どさくさに紛れてサバを読まないでください、雪菜おばさん」
雪菜は恭介の叔母であった。
「二十代のわたしにおばさんはやめろ。せめて雪菜お姉さまとよべ」
「いやです。おばさんがダメなら雪菜先生で」
とにかく色葉を落ち着かせないとならない。
恭介は泣きじゃくる色葉をあやし始めた。
「幼児退行?」
「はい。何か……ショックを受けたみたいで」
保健室のベッドで気持ちよさげに寝息を立てる色葉の顔を見やりつつ、恭介は答える。
色葉は恭介にあやされ泣き止んだ後、泣きつかれたのかそのまま寝入ってしまったのである。
「ショック? 頭を強く打ち付けたということか?」
「いえ、精神的なもののようで、今のこいつは多分、五歳くらいになっているみたいです」
「五歳……なるほど五歳から見れば二十三歳のわたしがオバサンに見えても仕方はないか、納得だ。しかし貴様のことはしっかりと認識していたようだな?」
「ああ……言われてみれば」
五歳に戻ったけれど、今の恭介を恭介としっかり認識していた。雪菜のことは忘れていたようなので、もしかすると記憶が混在しているような状況なのかもしれない。
「とにかく雪菜おばさん、どうすれば? 病院とかに連れていった方がいいんですかね?」
「頭を打ってないのなら……とりあえず家族に話を聞いてからだな。何か知っているかもしれん」
「いえ、家族は何も知らないかと思いますよ? 色葉のことはよく知っていますが、幼児退行の話は一度も出たことはありませんから」
「ああんっ?」
雪菜はぬっと恭介の前に不機嫌そうな顔を近づけて、
「彼女のことは誰よりも俺が知っていますってか? けっ、この腐れチンポ野郎が、やはり付き合ってやがったか?」
すると恭介の股間をがしっと鷲掴んできた。
「ちょ、な、何を……」
腰を引かせる恭介。
「いい青春送りやがって。誰よりも大切な彼女の前で、無理やりお前の童貞奪ってやろうか? ああっ?」
そのままキスでもしてきそうな勢いで迫ってくる雪菜。
「ちょ……な、何、やってんすか?」
恭介はどぎまぎとしながら、
「い、家が隣同士だからよく知っているだけですよ! それより色葉を先にどうにかしないと!」
「けっ、そうかよ……」
雪菜は恭介の股間から手を離して、
「幼児退行を治すなら、医者よりそっち側のプロフェッショナルにでも頼ってみるか?」
「幼児退行のプロフェッショナルってなんすか? そんなの聞いたことないっすよ?」
「この間、テレビでみたぞ。催眠術で人を幼い頃に戻したり、なんだりするのをな」
「えっ? 俺もそれ見ましたけど、催眠術師……ですか? 催眠術師? 催眠術で治せるんすか、そういうのって?」
「できるだろ? 催眠術でマイケル・ジャクソンにでもなれるんだ。幼女から元のjkに戻すなんて、造作もないことだろう?」
雪菜はそう言うと、携帯電話を取り出し、どこかにかける。
「あー、もしもし滿雄か? ちょっとこっちにこい。公演? 知らねーよ。わたしがこいと言ったらメロンパン買って三分以内にこいってんだろ? じゃあな――」
雪菜は一方的に電話の相手に告げ、通話を終了させる。
直後、着信音がしたが、雪菜はそのまま携帯電話の電源すら落として着信を拒否し、
「んじゃ、彼女の件は担任と家族に伝えておく。ああ……幼女形態の彼女は貴様しか認識していない可能性もあるし、目覚めて貴様がいないとパニックになるかもしれんから勝手に帰らないように。いいな?」
「は、はあ……」
「んじゃ、とりあえず授業に戻れ。何かあったら呼ぶ」
「わ、わかりました」
本当に色葉を雪菜に任せても大丈夫なのだろうか、不安に思いながら保健室を後にする恭介だった。
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