花瓶の水
「おはよう、瀬奈君」
「あれっ? どうして……」
恭介が家を出ると、玄関前に聖泉女子の制服を着た結愛の姿があった。
「うん、駅まで一緒に行こうと思って……もしかして、迷惑……かな?」
上目遣いに可愛らしく訊いてくる結愛にドキッとする恭介。
「いや……迷惑とかじゃ……ただ、俺、チャリ通なんだけど?」
「うん……駅まで一緒に……だめ…かな? そうでもしないと一緒の時間が取れないから」
「まあ、構わないけど……ていうか、俺の家、よく知ってたな?」
「うん、色葉ちゃんの家には遊びにきたことあったから」
「ふ~ん、意外だな」
色葉と結愛が仲良くしている印象が、恭介にはまったくなかったのである。
しかしまさか一緒に登校するとは思ってもみなかった。
恭介は、昨日の朝の出来事を思い出していた。
「瀬奈、ちょっといい?」
下駄箱で靴をはき替えようとしていると、中学の同級生であった隣のクラスの相田喜久子が声をかけてきた。
「何だ?」
「ちょっと校舎裏にいって。待っている娘かいるから」
「えっ? 何それ! 誰が!」
「すげー可愛い娘だから、いって」
喜久子に背中を押される恭介。
「すげー可愛い娘って……」
恭介の頭に、昨日色葉の口から出た結愛の顔が浮かぶ。
しかし時間帯的に結愛のはずはないだろう。
マイナスがあればプラスもある。人生初のモテ期がきたのであろうか。
校舎裏に訪れる恭介。
そこで待っていたのはうちの制服をまとった……
「えっ? 九条? お前、何で……それにその制服……?」
「う、うん。喜久子ちゃんに……借りちゃった」
校舎裏で待っていたのは九条結愛で、スカートの裾を軽くつまんで持ち上げて、
「ど、どう……かな? 似合う……かな?」
「えっ? ああ……聖泉女子の方が制服は可愛いけど」
「あ……そうなんだ。せ、瀬奈君は………そっちの方が好み……なんだね?」
少しばかり残念そうに結愛が言った。
「好みというか……てか……ここには何しに?」
色葉が言っていたが、本当に告白というやつか、と思ったのだが、彼女の口からまず発せられた言葉は、
「え、え~っと……せ、瀬奈君って……その……ホモなの?」
という思いも寄らぬ言葉であった。
「はっ? 何それ?」
「ち、違うの……かな? 色葉ちゃんに聞いたんだけど」
「ち、ちげーよ。俺は至ってノーマルだよ」
嫌われているのはわかっていたが、色葉がそんないわれのない中傷を流しているとは思っていなかった。
「そっかー、よかった。じゃあ……その……瀬奈君って、今、好きな子とかいる……のかな?」
「好きな子は……」
恭介の脳裏に色葉の顔が浮かぶ。しかし色葉との仲は、完全に終了していた。
だから恭介はこう答えた。
「……い、いや……いないよ?」
「じゃあ、瀬奈君? わたしとその……付き合ってもらっても……いいかな?」
色葉に前もって知らされていたが、人生初の告白イベントにどうしていいかわからず固まる恭介。
「……瀬奈……君?」
と、不安そうに訊いてくる結愛。
「あっ……え……っと、な、何で? 俺、お前に嫌われてて……違ったっけ?」
ずっとそう思っていた。
花瓶で水をかけてからずっと避けられていた。
恭介の前にくると顔を赤くし、結愛はいつも逃げていってしまうのである。
「ち、違うの。それは……瀬奈君の前に立つと恥ずかしくって……あの時助けてくれて……本当にうれしかったんだよ?」
「あの時って? えっ? 助けた?」
ちんぷんかんぷんな答えに、恭介は訊き返した。
「うん。わたし……その……こんな性格だから……イジメられてて……」
「えっ?」
知らなかった。物静かで、クラスの中心にいるような存在ではなかったが、可愛くて頭もよくて、嫌われる要素は一つもないように思っていたが。
「わたし……ね、成瀬君に告白されたことがあったの」
成瀬君はバスケ部のキャプテンであり、女子にも人気があったイケメン君。
彼は学園祭で結愛に告白し、撃沈したのである。それは恭介も知っていた。その様子を動画に撮っていたせいもあり、その出来事はアッという間にクラス中に拡がっていたのである。
それをよく思わなかったのが成瀬君を好きだったクラスの中心人物の女子とその一味。
それから物静かで声を荒げることができなかった彼女はその一味に陰湿なイジメを受けていたとのことだった。
「その日は朝からおトイレにいかせてもらえなくて……恥ずかしいけど……」
結愛はぽっと頬を朱色に染めて、
「その……漏らしちゃったの」
「えっ?」
「このまま消え去りたいと思うほど、死ぬほど恥ずかしくって……そしたらそれに気づいてくれた瀬奈君が機転を利かせて花瓶の水をわたしにかけてくれて……本当に嬉しかったんだよ?」
「俺が……?」
どうやら恭介が花瓶の水をかけ、結愛の絶体絶命の危機を回避したとのことだった。
何かどこかで聞いたことがある話である。しかし決定的に違う点が一つ。
恭介はそんなことは知らなかった。普通に転んで水をぶっかけただけであったのだ。
これは素直に言った方がいいのだろうか?
「え~っと、九条……?」
「瀬奈君、わたしとお付き合いしてくれますか?」
「んへっ?」
どうしたものか、結愛が恭介を好きになったのは、完全に勘違いだった。
正直に話した方がいいのはわかっているが。
そもそも恭介が好きなのは色葉だった。しかしその関係は完全に終わった。
だったらそれを吹っ切るためにも……
「じゃあ……付き合って……みる?」
すごく卑怯なことかもしれないけれど。
「うん。ありがとう……」
言うと結愛はポロポロと泣き始めた。
「ちょ……何で泣いてんの?」
「だって嬉しくって」
「く、九条……」
恭介は心が痛んだ。結愛が恭介に惚れてくれているのは完全に勘違いであったから。
「あ、あのさ、九条……」
「本当はね、瀬奈君には色葉ちゃんがいるからって諦めてたんだよ?」
どうやら結愛は、色葉に遠慮して中学時代は告白しなかったらしい。
しかし高校に入って二人の様子が疎遠になったのを喜久子に聞き、告白することを決意したらしかった。
「じゃあこれからよろしくね、瀬奈君」
と、右手を差し出してきた。
「うん」
恭介はその手を取り、
「まあ……よろしく」
と、返したのだった。
しかし付き合うといってもどうすればいいかわからず、自然消滅すると思っていたが、朝までこうやって時間を合わせて、登校することになるとは……
物静かな彼女だが、意外と積極的で一途な性格なのかもしれない。
そんな結愛とは現状、騙して付き合っている状態のような気がして、罪悪感だけが残る。
「ねえ、瀬奈君? 今度一緒に……映画でもどうかな」
「映画?」
「いや? それとも他にいきたいとこでもある……かな?」
「ううん、ないけど……」
「それなら映画で決まりでいい……よね?」
なかなか押しが強い。あれよあれよと遊びにいく予定が決まる。
「じゃあわたしはこっちだから。また明日の朝ね……瀬奈君?」
「あ、ああ……」
どうやら毎朝一緒に登校することも決まったらしかった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます