コート

「ねぇね……おはよ?」


 姉の藍里よりも幾分か遅い目覚めの恭介。

 藍里は既に制服に着替え、家を出るところで、にこやかな笑顔を恭介に向ける。


「おはよー、恭くん」


 昨日の今日で憑りつかれた影響が出たりしないかと心配していたが、血色もよく、いつもの姉に戻っているようだった。


「その様子だと、もう大丈夫みたいだね?」


 それに藍里はにこやかに笑って、


「もうちょっと恭くんに甘えた方がよかったかなー? お姉ちゃん、大失敗?」


「仮病で甘えられても無視するけど?」


「えー、ひどいなー」


「そんなことより遅刻するよ?」


「あー、そうだねー? じゃあー」


 ばっと両手を広げる藍里に恭介は小首を傾げて、


「何してんの?」


「恭くん成分補給させて―」


「ははっ……」


 恭介は藍里に背中を向けて、


「ねぇねがまた体調崩したらね……んじゃ。いってらっしゃーい」


 と、ぶーたれる姉を振り返りもせずに送り出したのだった。




「お、おはよう。瀬奈くん」


 朝っぱらから恭介を待ち伏せしていたかのように副担任の種田櫻子が接触してきた。


「おはよう……ございます? どうか……しましたか?」


 櫻子は周囲を気にしつつ、


「え、ええ……その……今日の夜なのだけど……暇?」


 と、声を潜めて訊いてきた。


「……夜? 夜は……寝てますね?」


「あっ! よ、夜と言っても……暗くなる午後六時とかそのくらいで……時間作れたりしないかしら?」


 はてさて、何かあるのだろうか?


「理由を聞かせてもらっていいですか?」


「り、理由は……その……今は聞かないで欲しいのだけど、瀬奈くんにしか頼めないことなの。た、頼まれてくれるかしら?」


 櫻子は両手を合わせて言ってきた。

 恭介には頼めないということは、おそらく魔法少女がらみか?


「それなら、まあ……いいっすけども……具体的にどうすればいいんです?」


「指示はまた後で出すから……とにかく時間だけ空けといて。いい?」


「はい。まあ……」


 よく分からなかったけれども、櫻子のどこか切迫した様子に、恭介はその曖昧な依頼を受けることにしたのだった。




「……この道だよな?」


 薄暗い道をひたすら歩く恭介。


 民家もない虫の鳴き声だけが響く田んぼ沿いの細い農道であり、辺りには人っ子一人見当たらない寂しい状況であった。


「何でこんなとこに……おおん?」


 前方に佇む女性の人影。

 暗くて顔はよく見えないが、おそらく恭介を呼び出した張本人――櫻子に違いない。


 しかしどうして彼女は、わざわざこんな寂しい場所に恭介を呼び出したのだろうか……?


 疑問に思いながらも、その人影に近づく。

 ブーツにトレンチコートでコーディネイトした無表情の女性はやはり櫻子であった。


 しかし恭介は声を掛けない。

 櫻子の姿を見つけても恭介の方から声を掛けてはいけない変な約束を取り付けられていたためである。

 とりあえず恭介は無言のまま櫻子の方に接近していく。


 そしてその時は訪れた。


 櫻子がトレンチコートに手を掛け、ガバッと広げて恭介にコートの中身を見せつけてきたのである。


 その光景に、目が点となる恭介。

 櫻子は唖然となっている恭介を見ると満足そうに笑ってコートを閉める。


「……え、え~と……」


 頬を赤らめどぎまぎとなる恭介。


「見て……くれた?」


 櫻子は柔和な表情のまま訊いてきた。


「い、いや……そりゃ……」


 恭介は櫻子の顔はまともに見れそうになく、心臓の鼓動を速くし、石ころの頃がる地面を血走った目で見詰めつつ、


「つーか、な、何を……しちゃってんすか?」


「……瀬奈くん? 顔を上げて」


「えっ? は、はい……?」


 恐る恐る顔を上げた瞬間、再びコートを広げる櫻子に、顔を真っ赤にして背ける恭介。


「ちょ……本当に何してんすか、種ちゃん先生……?」


 魔力を高めるためか、それにしても今回のはちょっとやり過ぎな気がした。


「ありがとう。これでもう思い残すことはないわ」


「はっ? な、何を言ってんすか? 種ちゃん先生?」


「違うわよ、瀬奈恭介くん?」


「……は、はい? 何が……です?」


「わたしはね、種田櫻子じゃないの。この身体を借りているだけ」


「えっ?」


 不思議な発言に思わず櫻子に顔を向け直すと、まだコートの中身を全開にしていて、


「ぶはっ! ちょ……前……閉めてくださいよ!」


 と、再び顔を背けて言った。


「ええ……そうね……」


「いいっすか? ふ、振り向きますよ?」


「いいわよ」


 櫻子に言われて振り向くも、やはりコートの中身を全開に櫻子はスタンバっていた。


「ちょ……」


 再び顔を背けて、


「このやりとり何度繰り返すつもりっすか? いい加減、隠してください!」


「そうね……そこそこ満足したし、終わりにするわ」


 と、今度は本当にコートの前を閉めつつ櫻子は言った。

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