巫女さん

「お姉ちゃん、この道久しぶりに歩いた気がするなー」


 しばらく歩いてから藍里が言った。


「あー、確かに近くでも通らない道って全然通らないからねー」


 生活道路でなければそんなもんだろう。


「この先は天狐神社かぁ~……昔はよく遊びに来たのにねぇー? でも次第に恭くんはお姉ちゃんを置いて色葉ちゃんと遊びに行くようになっちゃって、お姉ちゃん、寂しかったんだよー?」


「そ、そんなことは……あるかもだけど……じゃ、じゃあ、昔を思い出すためにも天狐神社に行こうか?」


「えっ? う~ん……」


 途端、藍里は渋い表情になって、


「それはいいかなー、お姉ちゃん、階段上りたくない」


「えっ? ちょ……大した段数じゃないじゃん。行こうよ神社。たまには神様に手を合わそうよ?」


 何とか誘導しようとする恭介。

 その恭介の焦りを感じ取ってか藍里に憑いた幽霊女が身を乗り出して訊いてくる。


『も、もしや……この上に痴女が……?』


 恭介は、藍里に怪しまれぬように「そうそう」と視線に合わせてコクンと頷き肯定して見せる。


『なるほど。神社と言えば巫女! 巫女さんと言えば大抵痴女ですもんね!』


 どういう定義か知らないが、勝手に納得しているのでそれでよしとする。


「ね……ねぇね知ってる? 天海神社で手を合わすとどんな願いも叶えてくれるんだって?」


「たまにそんな噂聞くねー? 迷信でしょー?」


「いや、でも物の試しにさ……ねっ?」


「うーん……もしかして恭くんが行きたいの?」


「えっ? ああ……まあそんな感じ……です」


「そっかー、じゃあ素直にそう言いなさい。お姉ちゃん、恭くんがしたいことなら何でも付き合うし、してあげるよ?」


「う、うん……ありがと。じゃあ……行こうか?」


「うん。いいよー」


 藍里はにこやかに答え、天狐神社境内に続くちょっとだけ長い石段に足を踏み入れた。


『あ、巫女さん! 巫女さんだ!』


 幽霊女が境内にて巫女装束を纏った神田清音の姿を見つけて、


『……あれがそうなの? でもまったく痴女力を感じ取れないけど……他にいるの?』


 お正月でもないのに巫女さんが他にいるかは恭介も知らない。そもそも平日から清音が巫女装束を纏っているとは思わなかった。


「こ、こんちわーっす」


 恭介が声を掛けると清音はこちらを見やり、


「こんにちは、瀬奈君……え~っと、」


 更に幽霊女をチラッと一瞥してから、


「どういう状況かよくわかんないけど……除霊の相談かな?」


 それに驚く幽霊女。


『えっ? ちょっと……あの巫女さんもわたしが視えてる? っていうか、ち、違いますよね? 痴女がいるんですよね? 巫女の痴女がいるんですよね?』


 素知らぬ顔で恭介は幽霊女から顔を背ける。


 実は言うと清音の言う通りで、この神社に訪れたのは痴女探しではなく、幽霊女を成仏させるためであったのである。

 恭介は、検索サイトで悪霊の退治の仕方を検索しようとした際、天狐神社のサイトが候補としてこの神社の名前が出てきたため、もしかしたらお天狐様に頼めばどうにかしてくれるのではないかと思ったのである。


 よって、なるべく幽霊女を刺激せずお天狐様と接触できれば良いと考えていたが、清音にネタ晴らしされてしまったので仕方ない。そのまま彼女に頼むことにする。


「んーとまあ……そんな感じでこの悪霊退治してもらえたりするのか? するんだよな?」


『ちょっとー! 話が違うじゃないですかー! そもそもわたし悪霊じゃないですしー!』


「いや、人の身体乗っ取ろうとしてる時点で……なあ?」


『だ、だから身体はしっかり返して成仏するって言ってるじゃないですかー!』


「し、信じられっかよ……」


 やはりこうなった。幽霊女を刺激した以上、後戻りはできぬ。清音にはしっかりと責任を取ってもらわねば困るのだけど。


「瀬奈君、彼女……悪霊と言う感じではないかも。邪気は感じられないし」


 清根曰く、現時点でこの幽霊女は悪霊ではないらしい。ただし幽霊女が現世に留まるには人間の生気を吸い続ける必要があり、負の塊のような人間の気を吸い取り続ければ即座に悪霊と化すケースもあるのだという。


『ほらね? ほらね? わたし悪霊じゃなかったでしょ?』


「そう言う定義の問題じゃねーから……」


 こんなはた迷惑な霊を姉に憑りついたままにしておくわけにいかなかった。

 その姉が不思議そうに恭介に訊いてくる。


「ねえ、恭くん? さっきから何のお話をしてるの? お姉ちゃん、ちんぷんかんぷんなんだけど?」


「あ、ああ……」


 姉の藍里に本当のことを言うべきなのか? 幽霊が憑りついているなんて教えたら卒倒してしまうだろうか?

 だとしたら少なくとも完全にお祓いが済んだ後に報告すべきかもしれない。

 いや、そもそも恭介に幽霊が視えているなんてこと話しても信じてもらえず、逆に心配される可能性だってあったのである。


 恭介が迷っていると、その辺を察してか、清音が言う。


「演劇部の脚本の話です」


「……演劇部?」


「演劇部の子に頼まれて、設定とか瀬奈君と監修しているんです。ねえ、瀬奈君?」


「えっ? ああ……うん」


「ふ~ん……演劇部の脚本……なのねー?」


 あまり納得しているように見えないが、そう言って頷く藍里。


「そういうわけで瀬奈君。お祓いするにはそこそこのお値段になる設定になるけどいいよね?」


 これは恭介に交渉を持ちかけているものと思われた。しかしそこそこのお値段とはいかほどで、学生が払える額なのだろうか?


「ど、どうかな? この際、脚本的には無償奉仕の設定の方が……かっこよくない?」


「あはは。ないよー。慈善事業じゃないんだからさ。した仕事分の報酬はきっちりいただく設定じゃないとね? じゃあね、瀬奈君。わたし、用があるからこの辺で失礼するね?」


「あっ! ちょい待てって!」


 恭介は本当にそのまま立ち去ろうとした清音を慌てて呼び止めて、


「神田の考える設定額は、学生でも払える設定だよな!」


「もちろん。どうする?」


「……た、頼む!」


 小遣い程度でどうにかなるならそれは仕方のないことだった。

 その瞬間、幽霊女が悪霊然とした険しい顔つきへと豹変した。


『ひどい……こ、こうなればそこの巫女を催淫状態にして辱しめてやる!』


 幽霊女が、猛然と神田清音に襲い掛かったのだった……


「神田!」


 叫ぶ恭介。


 しかし次の瞬間――


「はい。終了」


 清根はにっこりとした笑みで幽霊女を地に押さえつけていた。


『そ、そんな……こ、こんなはずでは……』


 清音は慌てふためく幽霊女を無視して、


「それじゃあ瀬奈君、除霊の金額設定とかは後で知らせるから」


「えっ? も、もしかして……もう終了?」


 あまりの呆気なさに恭介はさすがに驚く。


「そりゃね……」


 本来、一分やそこらで除霊できる低級霊であっても、儀式ことを数十分かけてやることもあるそうだった。

 それは除霊された側が納得しないからだ。あまりに簡単に済ませて金を取るとそんなに簡単ならと報酬を少額にされてしまったり、または詐欺を疑われてしまうことがあるからだ。


 よって必要以上に物々しく儀式を執り行うのだが、恭介には視えているからそんな演技をする必要性がなく、それであるから演技分の値段は安く済ませてくれるようであった。


「それじゃあね、瀬奈君。請求書……の見本は明日学校で渡すから」


 清根はそう言い残すと、幽霊女の首根っこをつかみ、ぐったりとした彼女を引き摺るように、その場を後にしたのだった。


「……ねえ、恭くん? 本当に演劇のお話なのー?」


 やはり清音とのやりとりを不審に思ってか、藍里が訝し気に訊いてきた。


「いや、まあ……そんなことよりねぇねは何をお願いするの?」


「お願い? お願いって何のことー?」


「天狐神社で手を合わすと何でも願いが叶うって……ここにはお参りに来たんだよ?」


「あ、そっかー。そうだねー? 神様、願いを叶えてくれるといいねー?」


 藍里は気を取り直したように、恭介の腕を引いて言ったのだった。

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