対話

『あの……もういいですよね?』


 藍里の部屋のドアをパタンと閉めると同時に幽霊女が訊いてきた。

 律儀に待っていたところを見るに、まったく話が通じない幽霊ではなさそうだ。


「と、とりあえず部屋で」


 と、恭介は諦めたように幽霊女に言った。


 視えるのがばれてしまっているのにこれ以上無視し続けて祟られても構わぬ。恭介は仕方なく自室で対話を試みることにした。


 もしかしたらすんなり出て行ってくれるかもしれぬと淡い期待を抱きつつ、


「……で、話とは?」


 恭介は椅子に腰掛けながら、幽霊女に問い掛けた。


『はい……実はわたし……こう見えて……』


「うん」


『……死んでまして』


「……う、うん、見れればわかる。溜めて言う必要はまったくない」


 幽霊女は少し間を開けてから、


『……交通事故でした。気付いた時には死体も片付けられ、この姿になってましたから……即死だったのでしょう。そしてそれ以来、波長の合う人間に憑りつかなければまともに移動すらできない状況に陥りまして……』


「……波長の合う人間? つまり、うちの姉ちゃんに憑りついたのはそのため……と?」


『はい。どうしても探し出さなくてはならない人物がいるのですが簡単にはいきませんで、できれば協力してはいただけないでしょうか?』


 恭介はそれを聞いて苦い顔になる。


「探したい人物って……車を運転してたやつとかか?」


 もしかしたら自身を轢いた人物を探し出し、祟ろうとしているのではないかと思ったのであるが……


『いえ、違います』


 幽霊女は恭介の考えを即座に否定して、


『わたしと波長の合う女性を見つけ出して欲しいのです』


 と、言った。


「へっ? それならさっき、うちの姉ちゃんと波長が合うとか……違うのか?」


『はい、もっと痴女力の高い女性でないと完全に同調できないようでして』


「同調? 何じゃ、そりゃ……?」


『はい、生身の身体でどうしてもやりたいことがありまして……それには完全に波長の合う女性でないと同調できないようなのです』


「同調? 同調ってつまり、身体を乗っ取るってことか?」


『いえ、一時的に借りるだけです。用が済んだらお返しします』


「そ、そうか……」


 それは素直に信じてもよいのだろうかと恭介は少し難しい顔になって、


「つーか、一時的に生身の身体に戻って何をしたいんだよ?」


『はい、痴女です』


「はっ?」


『コート一枚でうら若き男性の前で露出する行為です』


「…………」


 言葉を失う恭介。


『あの日、わたしは念願の痴女デビューを果たす予定でした。しかしそれが叶わず突っ込んできた車に撥ねられてしまって……このままでは死んでも死にきれません! 一度でもいいので痴女行為をさせてください。そうすれば成仏できそうな気がするんです』


「お、おう……波長の合う女性……ね」


 恭介は少し頭痛のする頭を抱えつつ、


「えと……波長の合う女性を探せばいいってことだけど……俺、霊っぽいのは視えるようになったけど、そんな……あんたの波長が合う女性なんて見てもわからんのだけど?」


『痴女力の高い女性です』


「ち、痴女力……? だから……それ何よ?」


『はい、わたしと同じ趣向を持っている人を探してください。その方の前に立てば身体を拝借できるかどうかわかります』


「いや、俺、痴女に知り合いなんて……」


 恭介はそこでちょっとばかし黙考してから


「もしかすっと、ネットの掲示板とかで近所にいるか探せば出てくるかもしれん」


『なるほど、まずはその方法でお願いします』


「おうよ」


 恭介は快く言って、幽霊女が後ろから覗き込めぬよう、学習机を背にスマートフォンを掲げつつ、文字をぱっぱと入力して――


『どうです? ご近所の痴女は出てきましたか?』


 背後より画面を覗き込んできた幽霊女に恭介はぎょっとした。障害物があろうと、幽霊女には関係なかったのである。


「いや、まっ……」


 慌てて隠すもバッチリと画面を見られてしまっていたらしく、幽霊女は恭介に抗議してくる。


『ちょっとー、今の何です? 悪霊、退治の仕方って! わたしのこと退治しようとしてたんですか! は、話が違うじゃないですか!』


 恭介は検索サイトで悪霊の退治の仕方でも出てこないかと検索していたのである。


『ひどいです! そもそもわたしは悪霊ですらないんですけど!』


「い、いや……人の身体を乗っ取ろうとしている時点で……」


『乗っ取るつもりはありません。一時的に拝借するだけです』


「お、同じだろ……」


 その間に痴女行為を働きたいというのだから仮に後で返すとしても悪霊に変わりないだろう。


『失礼な! もういいです。協力してくれないならあなたのお姉さんに……』


 幽霊女は言うと、ふらふらっと舞い上がり、壁に吸い込まれるように消えた。


「そっちは……ねぇねの部屋! ねぇねに何を……!」


 恭介は慌てて部屋を飛び出し、姉の部屋のドアを姉の許可を得ずまま勢いよく開けた。


「……ね、ねぇね!」


 姉が眠るベッドの上に幽霊女が浮遊していた。


「う、う~ん……恭くん?」


 どうやら眠っていたらしい。


「ああ、ごめん……起こしちゃって」


 藍里が目を擦りながら上体を起こして、


「いいよー。それよりどうしたのー?」


「う、ううん……何でも……」


 ちらちらと目が藍里の背後の幽霊女に行く。


「んー、お姉ちゃんの後ろに何かいるのー?」


 恭介の視線に気付いて振り返る藍里。

 無論、藍里には視えていないわけで……


「な~んだ、やっぱり何も――」


 藍里が向き直ろうとしたその瞬間だった。


 幽霊女が藍里の体内にすぅ~と入り込んだ。


「!」


 がくんと項垂れる藍里、と思ったら幽霊女がするりと抜け出た。


「ね、ねぇね……?」


 駆け寄り虚ろな目をした藍里の肩を揺らす恭介。


「あー、恭くん……恭くん成分注入させてぇむ~」


 姉がむぎゅーっと恭介を力強く抱き締めてきた。


「ちょ……ねぇね……? つ、強い……強いって!」


 そしてそのまま恭介は床に押し倒される。


「んーっ」


 藍里が恭介にキス顔で迫ってきた。


「えっ? マジで……! ね、ねぇね……! どう……なってんのさ、これは……!」


 恭介は宙から見下ろしていた幽霊女に言った。

 いつもの藍里とは違う。これは明らかに幽霊女が何かをしたからであった。


『たいしたことはしてませんよ、ただあなたのお姉さんの根底にある欲求を解放してあげただけです』


「……はっ?」


『簡単に言うと淫らにして上げたんです』


「淫らって……な、なんだよ、それは……!」


 藍里の唇から顔を背けつつ非難の声を上げる恭介。


『あなたがわたしを悪霊として除霊しようとしたからです。わたしに協力してくれたら元に戻しますけど……どうしますか?』


「どうしますって……」


 このままでは姉とキスしてしまうことになるし、どうやらここは首を縦に振るしかないようだった。

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