姉、つかれる。

 部屋で寛いでいたら着信音がなった。


 スマートフォンを取って見やれば、姉の藍里からであった。


「――もしもし、ねぇね?」


『……きょ、恭……くん? 今……家……かな?』


 明らかに様子がおかしい姉の声音に恭介は眉を顰める。


「……ね、ねぇね? どうかした? すごい調子悪そうだけど?」


『う、うん……お姉ちゃん、昨日お仕事で徹夜したせいか、どっと疲れがね……迎えに来てもらっていいかな?』


 どうやら夜遅くまで漫画を描いていたせいで、疲労が溜まっているらしい。


「いいけど……大丈夫? っていうか今どこ? 病院寄るなら保険証用意した方がいい?」


『ううん……寝れば大丈夫だと思うし、もう家の前まで来てるから……』


「えっ? 家の前?」


『うん、気力で何とかここまで辿り着いたんだけど、家が見えたら何か急に気が抜けちゃって……』


「わ、わかった。とにかくそっち行くから! 待ってて!」


 恭介は部屋を出ると階段を駆け下りる。

 そして玄関でつっかけサンダルを引っかけて、勢いよく外に飛び出した。


「あっ! ね、ねぇね!」


 藍里はすぐに見つかった。家の壁に手を突き、もう片方の手で携帯電話を耳に当てたまま、その場で蹲っていたのだ。


 その背後には透き通った肌を持つ女性が佇んでいて、藍里を心配そうに見下ろしていた。


 年齢的には藍里よりお姉さんであり、元よりの知り合いか、それとも街で見掛けて藍里をここまで付き添ってくれたのか、はたまた今ちょうど蹲っている藍里を見掛けて声を掛けようとしてたのか、その辺の事情はよく分からないが、恭介は親切な彼女に礼を言うことにした。


「すんません、うちの姉なんで、後はこっちで引き受けます。ありがとうございました」


 しかし存在感の薄い、半分透けて向こう側が見えるようなその女性は無反応。

 恭介は小首を傾げつつも、まあいいやとしゃがみ込んで藍里に問い掛ける。


「ねぇね……大丈夫?」


「う、うん……ありがと。それより誰にお礼言ってるの?」


「えっ……誰って……付き添いで……ねぇねのこと心配してくれたお姉さんに……」


 恭介が存在感薄弱お姉さんの顔を見上げると、つられて藍里が振り返る。


「……何? さっきまで、誰かいたの?」


 と、眼前の女性をスルーして藍里は言った。


「えっ? 今もそこに……あ、あれっ?」


 もしかして、見えてらっしゃらない?


 そういえばこの女性、何か透けているような気はしていて、あれっ? 妙だなー、シースルーだなー、とは思っていたが、どうやらそれは気のせいではなかったらしい。

 恭介は視える質であるらしいことが最近判明したのだが、視えてもそれが本物かどうか判別できないでいたのだ。


「ね、ねぇね? いつから……具悪くなったの?」


「う~ん? お姉ちゃん、昨晩は締め切りのせいで寝てなかったから、太陽にやられたのかなー? 駅降りて、ちょっと用事で遠回りして……ああ、そういえばこの間事故あったとこあったよねー? その辺りで急に肩がずっしりと重くなって……」


 なるほど、おそらくはその時だろう。


「この間の事故ってさー、幽霊騒ぎあった場所だよね?」


「うん。そー、そー。その辺通りかかったら、急にね~、それでもここまでは何とかなったんだけど、家の前まできたらなんか気が抜けちゃってね~、こうして恭くんを呼んだの」


「へ、へぇ~……」


 恭介は存在が薄弱したその女性とちらちらと窺いつつ、


「え、え~っとさ、ねぇね……やっぱつかれちゃってるよね?」


「う~ん……そうみたい。疲労が蓄積してたのかな~……かなり心身ともに疲れちゃってたみたいだね~……」


「いや、疲れてるじゃなくて……」


 恭介は大きく息を吸い込んで、


「つ……憑かれちゃってるよね!」


 と、女の幽霊を見やり、語気を少々荒げながら言った。




『あのー、わたしのこと視えてますよね?』


 幽霊女に自身が視えていると認識させてしまったのは失敗であった。

 恭介は幽霊女を敢えて無視しつつ、


「ねぇね、大丈夫?」


 と、藍里に訊いた。


「う……ん? ダメかも……」


「えっ?」


『あのー、わたしのこと視える人、初なんで……ちょっとお話を聞いて――』


 恭介は幽霊女の言葉を手で遮るように制止して、


「ダメって……救急車呼んだ方がいいレベルで?」


「ううん。キス……恭くんがキスしてくれれば元気が出るかも……」


 恭介は途端に胡乱な目つきとなって。


「ああ……大丈夫だね? じゃ」


 と、部屋を後にしようと立ち上がる。


「あ、待って、恭くん!」


 藍里は上体を起こして恭介を呼び止めて、


「お姉ちゃんに恭くん成分を……恭くん成分を補充させて?」


「……俺の成分って何?」


「こっちきて」


「何?」


 藍里に手招きされて恭介が腰を屈めると、その瞬間、ぎゅっと抱き締められた。


「えへへ~、恭くん成分補充~……」


 恭介は「まあ、いいか……」と苦笑混じり呟き、終わるのを待ったのだが……


「…………」


「…………」


「あの、ねぇね? いつまでそうしてるの……」


「あと……十分?」


「……長いわ!」


「ああ~ん」


 恭介は無言のまま藍里を引き剥がし、再び寝かしつけたのであった。

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