第3話

 四月。

 新たな環境への期待に胸を踊らせる学生たち。桜並木を行く彼らの中にその少女はいた。

 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花などという言葉がある。彼女はその言葉を体現していると言っても過言ではないだろう。

 

 ——少女の背中にまで届く桃色がかった銀髪がなびく。

 ——少女の黒い瞳が僅かに揺れる。

 ——少女の小さな口が僅かに微笑みを浮かべる。

 ——少女の色白な細腕がカバンを持ち直す。

 ——少女のスラっと伸びる美脚がリズミカルに靴音を立てる。

 

 彼女の一挙手一投足に周囲の通勤・通学中の人々——男性はもちろん女性までもが目を奪われる。ただしその視線は著名な美術品や絶景を眺める人のそれだった。

 完成され過ぎているが故に人間味がない。欠陥がないが故に近寄り難い。

 端的に言うなら作り物じみている。

 「気味が悪い」や「恐怖を感じる」とまではいかないが、決して仲良くなろうとまでは踏み切れない。

 そんな人物。

 

 ここで再度「ただし」と補足する。

 

 周囲からの印象は少女の隣を歩くもう一人の少女が話しかけた時に一変する。

 隣の少女も美少女と呼ばれる——その中でも上位に位置するであろう人物であった。しかし、銀髪の少女とは異なりどこか人懐こい雰囲気が滲み出ている。それが良くも悪くも彼女の特別性を薄めていた。

 この場の誰しもが知る由も無いが、この隣の少女こそ黒森 津々莉つづりその人であった。


「いやー、良く似合ってるねえ」

「⋯⋯はぁ、そんなことを言われても悲しくなるだけです」


 憂いを帯びた銀髪の少女の表情。 

 それは今までの彼女とは一線を画すほど人間味の溢れた表情であった。

 手に届く範囲に(それでも相当な高嶺の花だが)彼女が変化したことで、周囲の反応も変化した。

 ——「目を引く」から「目を反らせない」へと。


「うっわ、あちらこちらで見惚れが原因の小規模な交通事故が⋯⋯こんなの漫画以外でもあるんだね」

「⋯⋯ふふふ、何のことやら」

「いや、流石に現実から目を背けるのは止めようよ、ミコ」


 ——それとも深児って呼べば現実を直視できるかな?

 と、内心津々莉は付け足す。


 そう。彼女は——否、彼は歩近 深児であった。


 悪魔であるが故、アーシュはこの世の常とは異なる力を使用することができる。

 悪魔が押し付けるこの世と異なる法則。

 魔の法則。

 魔法。

 

 深児の現在の姿は、アーシュの魔法によるものである。 

 万全の状態のアーシュならば深児の身体自体を自由に変化させることが可能だった。しかし、力を封印されている今、視覚を騙すための幻影を纏わせるので精一杯。姿も自由に選んだものではなく、深児の根源に記録された因子から選択したもの——要するに「もし深児が女性として生まれたとしたらなっていた姿」を利用して纏わせているのだ。なお、髪色だけはアーシュ自身の影響が漏れ出したものである(当然、万全の状態ならばこんなことも起こり得ない)。

 さらに、ここまで制約を付けても深児の合意なしにはこの魔法をかけることができない。自身との契約者である津々莉ならともかく、他人である深児へ悪魔の法−−魔法を押し付けることは困難になるように封印が施されているのである。


 ちなみに「ミコ」とは深児を無理やり女性らしい読み方に直したものである。

  

「しっかし、美人は制服も似合うね。流石にちょっと嫉妬を覚えるよ、女の子として」

「そろそろ怒りますよ——それに身長的に納得がいきません」


 並び歩く黒と銀の少女。その背は黒の少女の方が頭半分ほど高かった。これは決してミコが小さいわけではない。平均的な身長であるミコでは、モデル体型とすら言える津々莉相手だと分が悪いのだ。

 

「おっ、見えてきたよ!」

「聞いてないですし⋯⋯」


 津々莉が指差す先にはレンガ調の巨大な壁。

 この壁こそが白百合ヶ丘学院の内外を隔てる、通称「花壇の壁」である。

 世界で活躍する新世代のお嬢様(理事長の白百合ヶ丘しらゆりがおか 珠紀たまき曰く「大和撫子」)を育成することを目的とした世界トップクラスの女子校、それが白百合ヶ丘学院である。

 幼稚部から大学部まで一貫教育のでありながら、白百合ヶ丘の卒業生に世間知らずの箱入り娘などほとんどいない。なぜなら白百合ヶ丘では、卒業後すぐに国際舞台で戦える人材を育成するために日本最高峰の教育——通常の教科から政治経済、芸術、先端技術など多岐に渡る教育を学生に施すからである。

 勿論「お嬢様」という部分も蔑ろにはしていない。礼儀作法についての授業も充実しており、校則も他の学校には比べ物にならないくらい厳しいものとなっている。

 制服、建物から小物まで、ありとあらゆるデザインはその道のトップランナーに依頼したもので、

 食堂には高級レストランも顔負けのメニューが並び、

 娘を通わせたい学校ランキング二十三年間首位。


 そんな何重もの意味でハードルの高い乙女の園に、これから深児は通うのだ。

 黒森津々莉のとして。


「はあ⋯⋯どうしてこんなことに」


 なんとも絵になる仕草で髪を掻き上げ、彼は——いや、彼女は一ヶ月前のことを思い出していた。







「まさかここまで物になるとは思いませんでしたね」

「ここまで仕込んだのはアーシュさんですよ」

「いやいや、それにしても完璧すぎでしょ!」


 笑い転げる津々莉を凄みを効かせて睨む。

 そもそも、こんなことをしているのは彼女のためなのだ。

 

 黒森津々莉。

 純粋かつ直情的——端的に言えば脳筋気味なことを除けば、彼女の仮王としての能力はずば抜けている。

 

 悪魔との契約などというと相当な対価を要求されるようなイメージがある。しかし、ソロモンの悪魔に関しては少々事情が異なる。

 ソロモンの悪魔たちは自分が認めた相手としか仮王の契約をしない。

 そして実は、黒森津々莉はアーシュさんときちんとした契約をしていない。言わば、仮の仮王といった状態なのだ。

 アーシュさん曰く、


「本来私は意思の強さと高潔さで仮王を決めます。そういう意味では津々莉様は完璧です——ですが、恋愛もしてない小娘では、私の仮王としては認めかねます」


 ということらしい。

 そんな理由かよ感はともかく、悪魔は欲望でないと本来の力が発揮できないのは確かみたいだ。だからアーシュさんが少しでも引っかかる点がある時点で仮王として契約ができない。

 しかし、仮の仮王となる契約——要は仮契約でも仮王としての能力の二割程は発揮できるのだ。

 二割程。

 たったそれだけの出力で、津々莉は今まで偶然遭遇してしまった仮王を3人も退けたのだ。

 驚嘆すべき成果。まさにチート少女である。

 

 そんな彼女は一ヶ月程前、謎の仮王の襲撃を受けた。

 この仮王は強力で、我らがチート少女津々莉でも痛み分けに持ち込むので精一杯だったらしい。流石の津々莉でももう一度襲撃を受けたらどうなるか分からない。故に彼女は正式な仮王となるため、恋愛を経験しなければならないのだ。

 

 正式な仮王とは、これ如何に。


 そんな禅問答めいた感想はともかく、黒森津々莉が恋愛をするためには重大な問題が一つある。

 ——彼女は女の子が好きなのだ。

 そこに語るべき理由はない。重い過去があるとか、心に刻み込まれたトラウマがあるとか、悪魔関連の深い理由があるとか、そういうのは一切ないらしい。

 アーシュさんと津々莉の両者が断言していたのだから間違いないだろう。

 津々莉曰く、


「だってむさ苦しい男より、可愛い女の子の方が絶対いいに決まってるじゃん。物心付いた時からその考え方が変わらないんだからもう仕方ないって」


 だ、そうだ。

 なお、この意見には激しく同意する。禿同だ。女の子同士というのは大変素晴らしい。最高だ。


 そんなわけで、俺と津々莉たちが公園で出会った日、彼女たちは告白の練習をしていたらしい。いきなり告白の練習かよ、とは思ったが、津々莉のあの自分を見失うほどの上がりっぷりを思い出すと長期計画で練習しておくべきだということも納得出来る。

 そしてアーシュさんは津々莉の手助けをする人材として俺に目を付けた。

 この人材は幾つかの条件を満たしている必要がある。


 一つ目は女性同士の恋愛への理解。偏見がないことはもちろん、津々莉の助けをするには女性同士の恋愛への知識が必要になってくる。

 

 二つ目はアーシュさんが見えること。津々莉は仮王としての戦いに実家である黒森財閥を巻き込まないため、基本的にはアーシュさんと二人で行動している。従って、この条件は当然のものだろう。

  

 三つ目は津々莉との相性。そもそも彼女と相性が悪くては始まらないだろう。


 俺の場合は一つ目、二つ目は満たしているし、相性も決して悪くないことがここ一ヶ月ぐらいで分かった。

 しかし⋯⋯しかしである。

 他の方法ならともかく、津々莉と共に女子校に通って協力するならば前提条件として女性であるべきだろう!

 

「というか、女性を協力者にして付き合ってもらえば良かったのでは⋯⋯」

「そういう訳にはいきません。そこまでお膳立てしたのでは恋愛とは呼べません。さらに言うならば、女性を協力者にすることも避けるべきでしょう。あの襲撃者は女性でした。彼女の正体が分からない以上、協力者は男性であるべきです」

 

 俺の独り言が聞こえたのか、アーシュさんが答える。

 というか、さらりと心の声にも答えるのは止めてほしい。


 女性云々は俺自身と同じく魔法で誤魔化している可能性もあると思ったが、アーシュさんによればそれもないらしい。

 アーシュさんには何やら隠されている気もするのだけれど、無理やり聞き出すこともできないので放置するしかないか。


「ほらほらお兄ちゃん、今度は後ろ向いて!」

「はいはい⋯⋯」


 パシャパシャとシャッター音が響く。

 俺の部屋に設置したカメラで、佐奈が俺の写真を撮っているのだ。


 そもそもいくら人の命が懸かっているとはいえ、簡単に津々莉とアーシュに協力するほど俺は人間が出来ていない。

 ——いや、正確に言うと出会いから一ヶ月経った今ならともかく、初対面の彼女たちに協力するほどは出来ていない。負い目があるとはいえ、である。

 というか、話を聞く限り自分も命懸けになる可能性の高い話だ。初対面の人のためにそこへ飛び込んでいけるような奴はきっと何かが破綻している。逆にちょっと信じられない。

 

 だけど、現に俺は協力している。それは何故か。

 簡単だ。

 我が妹こと佐奈の鶴の一声——いや、魔王の一声があったからである。

 歩近家において、佐奈の意見は絶対。彼女が協力すると言ったら、例え前に「面白そうだから」という言葉が付いていても逆らうことはできないのだ。

 魔王からは逃げられない。


 魔王が提案した協力方法は、いわゆる悪友キャラになって津々莉に協力するというものだった。

 そこでアーシュさんによるお嬢様への成りきり講座と佐奈による悪友キャラ講座が突貫で行われた。

 こんな世にも奇妙な知識を1ヶ月叩き込まれ続けた奴なんて、世界広しといえ俺しかいないだろう。


「勉学、運動に始まり女性としての所作、礼儀作法、偽装した経歴の暗記まで、正直一ヶ月でここまで完璧になるとは思っていませんでした。入学試験も無事パスしたことですし、後は最後の試練を残すのみです」


 言えない。百合作品で出てくるお嬢様キャラに成りきって練習したら動作や作法はすぐに身についてしまったなんて言えない。

 百合の園に君臨するお姉様になる自己暗示でできてしまったなんて、絶対言えない。 


「おおー、最後の試験!」


 葛藤する俺の隣で何やら津々莉が感動の声を上げているが、あれは何も分かっていない顔である。

 ちなみに最後の試練とやらに関しては俺も初耳だ。


「これが最後の試練となります」


 そう言って、アーシュさんは背後に隠していた姿見を俺の前へと出した。

 映し出されるのは俺——アーシュさんによって作られた幻影を纏った「ミコ」の姿である。

 

 男子が女装をして女子校へ通う。現実にはともかくマンガやアニメ、ゲーム等では使い古された題材といえよう。

 そういう分野に精通した佐奈曰く、本当に実行に移すためにはクリアしなければならないポイントが二つあるらしい。

 

 一つは体格。男性と女性では筋肉のつき方や骨格が違う。そのため、どんなに中性的な顔や華奢な身体をしていても、不自然な部分は残ってしまうのだ。


 二つ目は仕草。一つ目の筋肉や骨格に起因する動作の差異や、ふとした拍子に見せる行動も男女差が色濃く現れるのだ。


 俺は一つ目を魔術というチートな方法でクリアしたわけだけど、二つ目に関しては至極真面目、単純に修練を重ねたことでクリアした。だから突然鏡を見せられたところでそこに映るのは完璧な少女の姿−−


「ぐっ⋯⋯これは一体⋯⋯?」


 鏡の中の少女——俺が顔を歪める。

 

 目眩が酷い。

 吐き気が込み上げてくる。

 何だこれ?

 まるで身体の芯を掴まれて強引に引きずり出されているみたいだ。


「やはりまだ出来ていませんでしたか」

「あら、これは試験失格?」

「最初から申しておりましたように、これは試練であって試験ではありません。むしろこの痛みを身をもって体験して頂くことこそが目的でした」

「ちょっとちょっと、お兄ちゃん本気で苦しがってるんだけど早くなんとかならないんですかッ!?」

「いいですか、ミコさん。何度もお教えしたように、この姿をしている時の貴女は身も心も女性——『歩近ミコ』なのです。その幻影は貴女の可能性の一つを抽出して身体へと上書きしています。もしミコさんが心の中ではまだ深児さんのままである場合、このように自分の姿を客観的に認識した際に体と心が擦れて激痛に苛まれると思われます。今のように」


 そうだった。この注意は散々アーシュさんからされていたけど、すっかり忘れてた。

 

 俺は——私は歩近ミコ。

 佐奈の姉で、津々莉さんの悪友。

 完璧なお嬢様にして、頼れるお姉様。

 

 意識を切り替えると、身体の不調が嘘のように消えていきました。

 そんな私をアーシュさんが満足そうに見ています。


「歩近ミコ、完成ですね」


 私はアーシュさんの作品か何かですか。

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