第5話
ミコがゆかなと談笑しながら教室に入ると(ゆかなと自分が同じクラスであることをミコは予め収集した情報により知っていたが、自然に驚いておいた)既に教室には多数の生徒の姿があり、その視線が一斉に二人へと向いた。
好奇の視線。
羨望の視線。
憧憬の視線。
ただただ理不尽な不機嫌さだけが込められた、「あぁん?何でそいつと一緒にいんのよ?」という視線(これはもちろん津々莉だけである)。
「あらあら、だいぶ目立っちゃったわね、ミコ」
これ見よがしにミコを呼び捨てにするゆかな。教室までの道中でだいぶ打ち解けたと言っても、彼女は今までミコのことを呼び捨てにすることはなかった。しかし、津々莉の反応を見た瞬間これである。
(ああ、やっぱりですか。彼女、外面は優等生ですが中身はだいぶ真っ黒ですね−−私のように)
思わずミコの口角がわずかに釣り上がる。
ミコの——ではなく深児の名誉のために言うと、決して深児はそういうタイプではない。
確かに深児はわりと屈折している。当然だ。妹が天賦の才を持ち、周囲の人物は両親を含めて彼女を持て囃す。そんな環境でまともに育てという方が難しい。
情報を集め。
対策を立て。
失敗から学ぶ。
当然のことのように聞こえるが、これを幼少の折からライフワークのように熟してきたのだから異常である。
そして学び続けた彼は一つの結論に至る。
ただひたすらに出ない釘となる。
毒にも薬にもならなず、決して誰かと比較されることはない存在となる。
そのためには能力がいる。何事も平均的に熟すためには、何事も人並み以上には熟す必要がある。故にやることは変わらない。
情報を集め。
対策を立て。
失敗から学ぶ。
中学生になった頃には、失敗も違和感もなくなった。適度にクラスメイトと距離感を保ち、溢れもしないが率先して中心にも立たない。彼と仲が良いかを二択で聞かれれば全員が良いと答えるが、親友と呼べる存在はいない。そんな立ち位置。
両親も過度な期待は抱いていないが、妹と比較して失望もしていない。強いて言うならば、要領の良い子——そういった評価に落ち着いた。例外は妹くらいだろう。
とは言えこれは、他者評価。
こんな
心が痛む。
自分のことなんて大嫌いだ。
結局自分など陳腐な詐欺師に過ぎない。
そんな思考が常に頭の隅に居座る。
歪みきれず、まともにもなれず、なまじ小器用なためにぎりぎりでバランスを取って騙し騙しやってきた。他者と適度な距離感を保つために形成した明るく人当たりの良い人格が、最早演技か本性か自分でも分からなくなってしまった——それが歩近 深児という少年である。
一方、歩近ミコ。
彼女はある意味理想である。
ただし理想の自分ではなく、理想の
深児の基準では、ミコは何事も要領良く熟すべきだ。ミコは人心を読み、人の裏をかき、艶やかな笑みを浮かべる——要するに腹黒上等なのだ。
意志と能力とおまけに欲望。全てが合致しているのがミコなのだ。当初こそモチベーションに難があったものの、もはや深児よりも芯のある人間とすら言えるかもしれない。
閑話休題。
そんなこんなで、彼女は自分を腹黒(なキャラクター)であると正しく直視し、歓迎していた。
が、流石に初日からはしゃぎ過ぎるわけにもいかず、ゆかなを
「そのくらいにしてあげてください、ゆかなさん。津々莉さんが噴火寸前なので」
「それもそうね。じゃあ、また後で」
津々莉の「誰が噴火寸前だー」という声をスルーして、ゆかなは軽く手を振ると自分の席(席順は名前順で決まっている)に向かっていった。
「おい、悪友。私は怒ってるぞ」
「はい、悪友。まずは落ち着いてお話ししましょう」
「ミコぉ、確かに椅子に座る姿まで様になっているのは分かるが、それは謝る奴の態度じゃないぞ?」
ミコは今、津々莉の前の座席に腰を下ろし、そのスラリと伸びた脚を組んでいた。さらに右腕は津々莉の机に着き、口元のニヤニヤ笑いはまだ収められていない。
十人が見れば、十人が反省していないと断じるような姿である。
「津々莉さんが私の取っておいたアイスを食べた時はもっと酷い態度だったと記憶していますが?」
「ぐぬぬっ……あれはその前の夕食の時、私が狙っていた一番大きなエビをミコが食べたから……」
「そんなの知りません。というか、数は津々莉さんが一番食べてたじゃないですか」
「ぐぬぬっ……」
ここ一ヶ月、二人は悪友としての距離感を手に入れるため、極力一緒に過ごしてきた(勿論アーシュも一緒で、さらに言うならばカメラとマイク越しには佐奈もである)。当然こういう会話も出てくるのだ。
ところでこの会話、津々莉は本気でミコを責めているつもりかもしれないが、ミコは津々莉との荒っぽいコミュニケーションぐらいの感覚である。そんな理由からか、周囲から見れば彼女たちはじゃれあっているようにしか見えない。
「すごい。あの転校生さん、黒森さんととても親しそうだわ」
「ええ、少なくとも今日会ったという雰囲気ではないわ」
「それにしてもあの二人、とても絵になるわね」
超がつくほどのお嬢様学校——そこに幻想を抱いてはいけない。そもそも白百合ヶ丘が育成しているのは世界で活躍する新世代のお嬢様。ただの箱入り娘を量産しても意味がないのだ。そのため、
(お嬢様校の中でも飛び抜けて有名な実家と、ストレートで細かいことを気にしない性格、加えて優れた容姿。確かにこうした環境では津々莉が周囲から距離を置かれるのも仕方のないことかもしれませんね……距離を置かれるというより、高嶺の花と言った方が正しいかもしれませんが)
津々莉と話しながら周囲の環境を観察するミコ。彼女はあまりに簡単に津々莉との仲をアピールできたことで拍子抜けすら覚えていた。
(それはそうと黒板のところで会話している二人、いい雰囲気ですね。あと一押し……いえ、あと二押しほどでゴールインさせることができます。そう、私ならばっ!)
実に悪い笑み——もとい、いい笑みを浮かべるミコ。
「ちょっと聞いてる、ミコ!」
「はいはい聞いています……ほら、先生が来ましたよ」
ちょうど入ってきた先生の姿を尻目に、ミコは自分の座席へと向かった。
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