第13話 桜
当初、舞夜にとって紫苑とは、時おり喋るだけの知人に過ぎなかった。友かと聞かれれば頷いただろうが、実際にはその程度の認識しかなかった。
知り合った経緯は不可解な点もあるとはいえ、それでも彼は特段おかしなこともなかったから、舞夜は別にそれでもいいかなと思っていた。
舞夜はしばしば、地元の市立図書館を訪れる。図書委員だけあって読書は好きだった。おまけにこの図書館は映画も観れるし漫画も読める、なかなか居心地の良い場所だった。
といっても、ひっきりなしに通い詰めているわけではない。多くて週に二度とか、その程度である。
市外にある高校に通っているということもあって、同級生に遭遇するのなんて、かなりの低確率であるはずなのだが。
「……こんなところで、よく会うね」
民俗学の本――妖怪などの伝承や習俗に関する書籍が多い――が収められた書棚の前に立つのは、学生服を着た紫苑だった。近頃彼をこの書棚の前や、あまり人のいない地元の郷土史のコーナーでよく見かけるようになっていた。
最初見かけた時は咄嗟に目を逸らして知らんぷりしたのだが、二度三度と見るうちにとりあえず挨拶や会釈くらいなら交わすようになっていた。
紫苑はなんとも形容しがたい表情をしている。訝しんでいるような顔で、恐らく舞夜も同じようになっていることだろう。
何でいるの?といった顔だ。
「紫苑くんて、ここよく来んの?」
「前まではそうでもなかったけど、最近は多いかな。……少し、探し物があってね」
ふうん。とりあえず舞夜はそれについて訊いてみたが、うやむやに誤魔化された。
「じゃあね」
館内でそれ以上無駄話をするのも、マナー上よろしくない。舞夜もさっさとその場から離れて、何か適当に本を探すことにした。
今日の目的は、世界史関係の本を勉強がてらに一冊と、それから、何かしらほのぼのするような小説が読みたい気分だった。
テーマに沿って作品が並べられている棚に足を向ける。見ると、春にちなんだ作品が纏めて並べられていたので、そこから選ぶことにした。こうしてうろうろ、無意味に悩んでいる時間も結構楽しい。
とりあえず無難に、知っている作者の文庫本が置いてあったのでそれにした。桜をキーにした群像劇らしい。
タイトルはずばり『花見』。直球なのがいい。
貸し出し手続きを済ませ、一応紫苑にバイバイと挨拶しに行くと、何故か目が合った瞬間に溜息を吐かれた。倦んで疲弊した人特有の、腹底から出される溜息だった。
なに、と問う前に彼は自分も帰ると言い出し、いつの間にか借りたらしい数冊の本を手に、舞夜について図書館から出てきた。
どうやら、お目当ての情報が見つからないので苛立っているようだった。普段から決して穏やかとは言えない目付きが更に険しくなっている。
山のような資料を漁っても漁ってもキリがなく、果てしない作業にふと我に返るようにイラッとする気持ち。と説明され、まあ分からなくもないが、八つ当たりはされたくない。舞夜はとりあえず話題を変えることにした。
「紫苑くんて、妖怪とか好きなん? あ、怪談とかも」
今回含め、いつもそういったジャンルの本を借りているようなのでそう思ったのだが、「は?」と思いきり顔を顰められた。
紫苑と知り合った当初は彼のぶっきらぼうな態度や物言いにたじろぐこともあったが、今ではそこそこ慣れたものだ。たまにぎょっとするが。
「――ああ、そうか。ま、一応ね。君は苦手なんだっけ?」
「あんま好きっちゃうなぁ。聞いとる時はいいんやけど、後で怖くなるんがちょっと……」
「へー」と何を考えているかよく分からない笑顔から目を逸らし、舞夜は彼が借りてきた本を見た。いつもと同じようなものが多いが、今回は何故か一冊だけ、和紙の歴史についての本が混じっていた。いきなりの変化球に舞夜はちょっとだけ笑ってしまった。
「ちょっと迷走しててね。あ、そっちも何借りたのか教えろよ。僕ばっかりじゃズルいだろ」
「普通やよ。世界史のと、小説と、そんだけ」
「ふーん。『花見』ねぇ……」
含みのある考え込むような呟きのあと、紫苑はわざとらしくにやっとした。舞夜は不安に思いながらそっと、開いてみせた鞄の口を閉じた。
知り合いになってから分かったことだが、彼はあまり性格が良くない。極悪非道とまで言うわけではないが、まるで余裕ぶった猫のように、他人をいたぶるのを楽しむ悪癖があった。しかもそういう時に限って、だいたいが笑顔なのである。
「なぁ舞夜、桜の木の下には死体が埋まってるって話、知ってる?」
「うん。綺麗過ぎて不安やけど、死体が埋まっとったら釣りあい取れて安心ってやつやろ?」
その本の話だったら聞きたい、と舞夜が生き返ったような心地で目を輝かせると、紫苑の笑顔がまるで壁のように立ちふさがった。
「おっ、ド直球だね。つまんねーの。ま、今回はそっちじゃないんだよねー」
じゃあなに? と舞夜が取り繕いようもないほど小声で尋ねると、彼は揚々と喋り始めた。
「桜という樹木についてだよ。イベントに文学にモチーフに、皆に愛される、その魔性について考えたことはある? 爛漫になって光るように咲き誇る満開の桜――と考えると、普通のやつと違って、どこかぞっとするものがないかい? まあ無かろうがあるとしておこう。実際、桜の樹で首を括ろうと考える自殺者も少なくはないし、まるで何かに惹かれたようにそういった者がふらふら寄ってくる場所もある。不思議なことだけどねぇ。ま、電車に飛び込まれたせいで足を止められるよりはずっとマシかな」
「……それで?」
思ったより怖くない、と舞夜が意外に思いきょとんとしたところで、紫苑はにっこりする。
「この市内にもそういった場所があって、其処は今素知らぬフリでオススメの花見のスポットとして売り出されているっていう、そんだけの話」
「えっ、どこ!?」
一気に怖くなった。文学だの教養だのの話かと思い、なんとなく流し聞いていたというのに酷い落差である。
「さあ。親に聞いてみたら知ってたりするかもよ? 誰であれ君よりは情報通そうだし」
いやいやいや、と詰め寄る舞夜をスルーしながら、紫苑は続ける。
「でもここだけじゃなくて、案外多いんじゃないかな、こういうのってさ。そもそもニュースになんてならない方が多いわけだ……平然とシートを広げて弁当をつつく、そのすぐ傍の木で誰かが亡くなってたり。もしくはそれこそ足元に死体が埋まってたり?」
「そんなん言われたらどっこも遊びに行けへんやん……」
たっぷり語り尽くしたせいかどこか満足げな紫苑の傍で、舞夜は青ざめた顔のまま意気消沈と呟く。元来アクティブとは程遠い性格であったのが幸いしてか、この辺りで花見なんてしたことはないからいいものの。
何が怖いって、妙にリアルなところが怖いのだ。あるかもしれない、と思ってしまう。確かにこの地元で人死にが出たなんてニュースはほとんど耳にしないが、実際舞夜が産まれてから今まで不審死がゼロという筈もない。なら花見のスポットにある桜の木で誰かが自殺をしていても全くおかしくはないし、それが大きく知られないまま置いておかれることになっても別段変ではない。
うわぁ、と顔を曇らせる舞夜をよそに、紫苑は機嫌よく続ける。
「一応付け足しておくと、別に人が死ぬから心霊スポットってわけでもないぜ。実際墓で死んだヤツなんてほとんどいないけど、死人がいるからって理由で安易にそうされたりするし」
「ん? あーそっか。なるほどなぁ」
「死んだ場所か、思い出深い場所か、自分が眠る場所か、祀られている場所か。そもそも何処かなんて関係ないこともあるし、そう考えてみると面白いよな」
異様に気軽にそう語る紫苑に、いや面白くはない、ということを真顔で言い返すと「そう?」と首を傾げられた。価値観が違うのかもしれない、と思いかけて舞夜ははたと、自分が彼のことを一方的に拒絶しているのではないかと考えてみた。ちょっと歩み寄ってみたら、確かに面白いものが見えるのかもしない。
「死んだ後かぁ。私やったらお墓とかじゃなくてさ、自分の好きなとこに出るかな。映画館とか行ったら映画観放題やん。あ、でも幽霊と一緒に映画観るなんて可哀想やし、やっぱいかんな」
「いい子ぶってんじゃねーぞ」
「うわー理解し合えない」
いきなりの却下に舞夜はげんなりした。こんな大したことのない発言でいい子なんて単語が使われるとは思わなかったのだ。
まあなんであれ、彼とこうやって話していると楽しいから別にいいのだけれど。つまり価値観が違おうが受け容れがたい発言をされようが、舞夜にとっては大した問題ではないのだ。
「……紫苑くんて、やっぱりそういうの好きなん? オカルトっぽやつ」
「シツコイ。勉強、じゃないけど、こういうの読んでて自然と知っただけだっての」
「ふーん。いっぱい読んどるんやね。えらいね」
舞夜は感心して思わず頷く。
具体的なことは知らないが、紫苑が特段好きでもないそれを、何か彼なりの目的のために頑張っていることは分かってきた。こうもぺらぺら雑談がてら話せるわけだから、付け焼刃の知識でなく身に付いたものであることくらいは舞夜にも理解できる。
いつの間にか笑顔も消えている紫苑は、しばらく黙っていたが、またすぐに口を開いた。
「……別に、好きとかじゃないよ。ただ義務というか趣味というか。色々あるんだよ。めんどくさいことにね」
「へー。えっと、なんか宗教?」
「違う」
と睨まれたので、舞夜は慌てて謝った。へらへらする彼女に、紫苑は溜め息を吐いた。嫌そうな顔のままだが、それでも怒ってはいないようなので安心する。
「ま、本当に怖いのは人間かもね。桜に死ぬほどの魔を見出すのも人間、死を覆ってその場所を売り出すのも人間、まともじゃない宗教をまともだって言い張るのも人間だからね。――ってことで、綺麗にまとまった感じがしない?」
「するー」
なんとなく嬉しくなって頷くと、紫苑も「だよな」と満足げに頷いた。
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