第11話 ネムレス

 舞夜は帰路につきながら、ネムレスの最期について考えていた。


 彼はどこに行ってしまったのだろう。いや、それよりも、彼は最期、幸せだったのだろうか。

 顔を変え名を変え中身まで変えて、羨んだものに取り代わって、それだけで生きてきた。紫苑の言う通り、誰かのいい面だけ見て上辺の甘い汁を啜って生きてきたのだろう。

 自分がどれほど残酷に屍の山を築いてきたか分からない。その山の上に立ってめそめそ俯いて泣いているのに、その足元を見ようとすらしない。


 しかたない、化け物だから、と紫苑は肩を竦める。


 舞夜は確かにネムレスを知っている。彼女の手を取り、あの暗闇の中で導いてくれた人だ。情緒不安定の気は見られるが、それでも舞夜によって、彼は確かに親切な友人、人間だった。彼は彼女にその面しか見せず、彼女も彼のそれ以外知らない。

 ネムレスはまるで舞夜を崇めるように縋ったが、いずれきっと、それにさえ物足りなくなっていたことだろう。舞夜は彼を、顔剥ぎという化け物としては見られなかったから。

 ネムレスはいずれそれ以上を求めたに違いない。人間であり顔剥ぎである、己の全てを受け容れてくれと、帝釈紫苑の皮さえ脱ぎ捨て舞夜に縋ったに違いない。


 可哀想に、ネムレスは永遠に満たされることはない。そしてそれを自覚してしまった。だから死を受け入れた、ちょきんと全てを断ち切ってしまった。

 最期のネムレスの表情は、どこか悠とした余裕があるように感じられた。自分で選んで全てを断ち切った、彼は幸せになれたのだろうか。舞夜には分からない。ネムレス自身にもそれが分からなかっただろうに、誰がそれに答えられるというのか。


 ネムレス。


「――マイ。舞夜。……聞けよ!」

「わ、わ、なに、紫苑くん。どしたん?」

「真面目な話、お前どこまで記憶戻ってんの?」

「うーん。なんとなく、昔の方からちょっとずつ戻ってきた気がする。お家のこととか、学校のこととか、ぼやーっと」

「微妙だな……」


 ふと考え込む素振りを見せた紫苑は、舞夜と目が合うと、わざとらしくにっこりした。


「本当は、僕が偽物だったらどうする?」

「えー。……それは無いと思うなぁ」


 えー、なんて舞夜の真似をして紫苑はつまらなさ気にしている。ネムレスの常時柔和なそれと違い、彼はその性根のせいか、それともただ目が悪いのか、あまり目付きがよろしくない。なんとなくネムレスの穏やかな表情に、奇妙な感覚を覚えたのはそれが原因だろう。

 それに、と舞夜はスカートのポケットにしまいっぱなしだった、小さく折り畳んだ紙きれを取り出した。


「そういや紫苑くん、見てこれ。『名無し男』って劇なんやけど、興味ある?」

「無い。なんで高い金払って面倒くさい移動して、一円にもならないことするわけ? もっと近いなら考えたけどさすがに遠過ぎ。無理」

「やんな。そうやよなぁ」


 手帳にも、そのような予定は書かれていなかった。

 それに、もしネムレスが言っていた通り、この劇を観に行きたいね、なんて二人で話していたとして。

 そのチラシをこんな風に、まるでおもちゃにするみたいに、雑に小さく畳んだりするだろうか。


「なんか朝も訊かれたな、それ。こういうのに興味あったっけ?」

「うーん、あんま無いかな。遠いし。でも友だちがこういうの好きやから、見せたろーって思って駅で貰ってきたん、やと思う。多分それで、なんとなく紫苑くんにも訊いた、ような気がする……」


 確かそれで同じクラスの友人に見せたら、もう持ってるから、と笑いながら返されたのではなかったか。


「曖昧だけど、今朝のとこまで戻ってきたんだ。まあ、大丈夫そうかな。このままだらだら喋って、時間でも潰す?」


 しかたないから付き合ってあげる。

 言って、紫苑は駅のベンチに座りこんだ。どうせ電車を待たないといけないのに、という言葉を飲み込んで、舞夜も彼の隣に座る。鞄二つ分の距離がちょうどよい。

 疲れているのか、よりかかってだらしない姿勢の紫苑だが、ふとした瞬間には育ちの良さを示すようにしゃんと背筋が伸びる。舞夜はそれを知らないはずなのに、見た瞬間違和感もなくそうだったな、と思うのが、自分のことながら不思議だった。

 しかし、言葉は出ないのだ。

 彼と何を話せばいいのかが分からない。気軽に接しなければならない初対面の相手への、ちょうどよい話題が浮かばないのと同じように。


 考えあぐねて様子を窺うと、彼は暮れの闇を眺めたまま何か言うでもなく黙っている。


「あのさ、紫苑くん」


 なに。目だけで端的に尋ねられ、舞夜は出来る限り友好的であるように見せようと相好を崩した。


「えーっと。狐の紫苑くんに会ったあと、頭痛くなったんやけど、あれってやっぱり記憶がなかったせいかなぁ」

「……そうだね。きっとそうだよ。あっ、あれだ、友情パワー。……いや、もしかしたら何かの病気かもな。死ぬ可能性もある。ははっ」


 明日にでも病院行けば、と言われ、舞夜はとりあえず素直に頷いておいた。あまり紫苑の態度に文句をつけてもしょうがない。

 彼は今日一日ストレスを溜めこんだのだろうし、ちょっとくらい好き勝手言わせてやってもいい気がした。


「それより、僕にもっと聞きたいこととかない? あ、特別に文句でもいいぜ! 今だけ紫苑くんが聞いてあげよう」

「怒らん?」

「それは保証しない」


 言い切られて、多分普通に怒るんだろうな、となんとなく予測はついた。

 尋ねたいことなら山ほどあった。例えば紫苑の操るよく分からない超能力、例えばそこらにあった机を浮かして飛ばしたり、舞夜の足を抑えつけた、あの床らから伸びる女の手首だったり。他にも、舞夜の記憶を吹っ飛ばしてしまったらしいあの危険な水の詳細についてだとか。


「正直死ぬほど疲れてるから手短に頼むよ」


 舞夜は釘を刺された気分になったが、彼が疲弊しているのは目に見えて明らかなので素直に頷いておいた。もしかしたら忘れているだけで知っていたものもあるだろうし、そうでなくても別の日に聞けばよい。

 とりあえず、文句を言ってもいいと彼自身が口にしたのだから、どうせなので気になったのを一つ、言ってしまうことにした。


「……あの家庭科室にあった手帳って、紫苑くんが置いたん?」

「ああ、うん。一階から飛ばした。蛍光ペンしかなかったから、それで落書きしてからね。もしあいつが僕を殺しに来るなら、包丁なんかがある家庭科室には絶対行くだろうと思ったし。ついでに一階の階段に、君たち二人が分断されるように罠も作ってさ。いやーもう死にそうだったね。もっと褒め称えられてもいいレベル」

「お疲れ様です……」


 彼は本当に、筆箱一つ持たず学校に来ていたらしい。手持ちは、偶然あった緑の蛍光ペンだけ。不真面目とかいうレベルではない。

 それがどうした、という問いに、舞夜はちょっとだけ間を置いてから、


「……ぶっちゃけ五月三十日のやつ、めっちゃ分かり辛かったで」

「は? じゃーあいつも見るだろう手帳に、『狐面の僕がほんとの友人で、隣にいるネムレスくんは顔剥ぎです』とでも書けばよかったのかよ。そうしたら信じたのか? 僕だったら信じないぜ! 絶対に!」


 でも、と口を挟もうとする舞夜を置いて、今まで募った苛立ちをぶつけるように紫苑は続ける。


「もし舞夜がそれであいつから距離を取ったとして、無事でいられたと思ってんの? お前にはずいぶん優しかったみたいだけど、本質なんてただのイカレた化け物だぜ、馬鹿。僕だって身を護るようにしていなかったら、気絶してた時に確実に殺されてたね。お前と自然に仲良くなりたかったからああも後手後手で必死だったってだけで、それが確実に無理ってなったら……」

「ぼこぼこ?」


 消火器や箒のイメージが頭をよぎって眉尻を下げる舞夜に、紫苑は薄く笑んだ。


「……ぼこぼこのぎったんぎったんのぼろぼろだね。ていうか死んでてもおかしくない」

「うわー。でもネムレスはそんなことしやんと思うけどなぁ」


 「お人好し」とねめつけられて、舞夜は慌てて弁解する。


「違うって。だってそんなことしたら、ネムレスはもうシオンくんのフリできんくなるやろ。一緒に出掛けた同級生が負傷か死亡って、そんなん確実に犯人やん。逮捕ばいばい」

「そうしたらまた顔変えて逃げるんだろ。人生ほいほい」


 ああそうか、と舞夜は項垂れる。舞夜の知るネムレスと、それ以外の語る彼の像があまりにもかけ離れていて、どこか実感が持てないままでいた。

 舞夜は紫苑におずおずとそういうことを訪ねてみた。


「こういうのって、ネムレスのせいで死んだ人に失礼やと思う?」

「死人に脳があるわけないだろ、バッカだなぁ。生きてる奴が不快かどうかってだけだろう? 僕はどうとも思わないから、君がどう考えるかだよ」

「そうかぁ……」噛みしめるようにぼやく舞夜から、紫苑は溜め息を吐きながら目を逸らした。

「――あいつがああいう性質だったのは、そういうモノだからだ。悪い酷いとかじゃなく、草食動物が草を食うみたいなもん。多分生みだしたのだって、元を辿れば人間だしね。……だからあれも、普通であれば自分自身に頭を悩ませたりしないんだろうけど。なまじ人に身を窶してきたからね、そういう、人らしさってやつ? 情感とか、思考とかに影響されたんだろうね」

「……ネムレスって、なんで生まれたん?」


 思わず舞夜が問えば、紫苑は口元に手を宛てる。思考を巡らせる時の、彼のささやかな癖だった。


「人間の性だね。まあこれは僕の意見なんだけどさ」


――自分が持ってない素晴らしい物を醸し出してくるやつが大嫌い。


 特に、何一つ苦労したわけでもないのに手に入れちゃったものとかな。生まれ持ってナントカのってやつ。美貌とか、財産とか、才能とか。ほら、顔剥ぎが羨んで取りに行きそうなものばかりだろう?

 あれはあれで化け物だから、冷静に考えると、人間のそれらを羨む必要なんて無いんだよ。

 なのに都市伝説では、そういった羨ましい人間の顔を剥ぎ、殺し、成り代わる。おまけに、自慢はよくないというおまけ付き。これは明らかに、人間側の意思から生まれたタイプだよね。

 それに加えて、例えば人の皮を剥ぐ猟奇殺人事件があったとか。そのイメージも合わさって、あんな化け物になった、のかもしれない。


――なんて、知らないどね。


 と最後に付け足して、紫苑はようやっと息を吐いた。舞夜はそんな彼の横顔をじっと見つめる。


「シオンくんて、」

「今、僕の名前漢字で呼んでる? それともカタカナ?」

「え、あ、分からん。……あ、たぶんカタカナ」


 自信無さ気であったが、紫苑は満足そうに微笑んだ。酷薄とした印象を受ける唇や、常に相手を測るような冴えた目付きのせいで分からなかったが、顔貌だけ見れば寧ろ童顔なのかもしれない、と舞夜は思った。

 新たな発見、というよりもしかしたら失くした記憶の再現かもしれないが、彼に親しみを感じたところでネムレスの言葉が警告のように脳裏でひらめく。


『あいつに気をつけろ』


「……なーなーシオンくん」

「何。なんだよ、まだなんかあんの?」


 本当は、ネムレスの言葉の真意を尋ねたかったのだが、当の紫苑はというと、話に付き合ってやる、なんて言った舌の根も乾かぬうちにこの投げ遣りな態度である。舞夜は若干呆れてしまい、逆に毒気を抜かれた心地になった。


「えーっと。私たち、友だちやよね?」

「そーそー僕たち仲良し。そもそも僕の場合、君以外にまともな友人がいない」


 間髪いれない返答にもどこか安堵しきれないまま、しかし問い詰める勇気もないため、舞夜はうやむやに誤魔化す笑みを浮かべる。


「記憶なくても、それはなんか分かる」

「おらっ」


 言って頬を抓る、というよりつままれて思い切り引っ張られる。舞夜は痛い痛いと顔を顰めてもがき、ついでに目尻に涙を浮かべたのだった。

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