第53話 幼馴染2

 舞夜に責められた総太の説明によると、以下のとおりであった。


 舞夜の両親が、朝早くから仲良くショッピングに出かけていった後。総太と舞夜の二人は、総太が準備した食事――といっても、ただのトーストとスクランブルエッグ――で、遅い朝食を済ませた。

 しかし歯磨きを終えた後になっても、あまり寝起きのよくない舞夜は一人眠たそうにしていた。ソファに転がり、いつでも眠れる体勢をとっている。

 総太はテレビを見つつ、舞夜が皿を洗う前に寝てしまわないか見張っていた。しばらくすると、ソファ脇のカーペットに放置されていた彼女のスマホが振動した。舞夜は寝ぼけ眼でスマホに手を伸ばし、のそのそと操作し始めた。そして、珍しがるような声を上げた。


「しおんくんやー」

「しお? 誰?」

「えっとなー、なんか…………、内緒なんや」

「何が?」

「関係……」

「(内緒の関係……!?)」


 うとうとする幼馴染からぽろっと零された秘密。動揺する総太をよそに、舞夜はのん気にそのまま目を閉じてしまった。

 完全に寝ていた。

 まあそれはそれとして、とりあえず舞夜を皿洗いの為に叩き起こし。彼女が洗い出すのを確認してから、改めてテレビを観始めたのだが。

 玄関チャイムが鳴り、よりにもよって帝釈紫苑を名乗る人物が登場し、今に至る。


『なんかイケメンきた』


 つい彼女の兄にメッセージを送ってしまっても仕方がないと思う。




 聞き終えた舞夜は、目を閉じたまま大きく首をひねっていた。睡眠の向こうに消えた記憶を探ろうとしているのだった。

 ちなみに全てを横で聞いていた紫苑は、この総太という男がこの家に泊まったのかもしれない、という自分の推測の方が気になっていた。


「『寝ぼけてメール放置罪』、『寝ぼけて意味深罪』、『寝ぼけて忘却罪』。罪の三点セットや。明らかにアウト。自首してくれ。貴女の罪はあまりにも重い」

「全然覚えてないけど、百パー柊さん無罪やろ。冤罪ですわ。それにそっちの『勢いで勝手に連絡罪』のほうがアウト。やめていただきたい」

「スマホ見てみろや。メールが開封済みか分かるやろ」

「はー。証拠もないのに疑って、疑った人間に証拠を出せと言うんですか? まったく!」

「スマホ隠すなって」

「そもそも私に非があったとしても、そちらも悪いことをしたことに変わりはないのでは? そういうのよくないですよ」

「なあスマホ隠すなって」


 結局二人の間に結論は出ず、「どちらも悪かった」という曖昧かつ平和な結論で終わった。

 紫苑も紫苑で、あの推測の他にも思うところがあった。この総太という男は、紫苑の名を、今日初めて知ったらしい。だとしたら自分が聞き出したかった、『柊舞夜がなぜ帝釈紫苑を避け始めたのか』という理由についても、知らない可能性が高い。

――試しに聞いてみてもいいが、変に気取られないたくもないし、また妙なあだ名を付けられたくもない。

 普段の紫苑の振る舞いから、舞夜は自達が友人関係にあることを他人に話していない。……そのことは紫苑も知っていたが、これほど親しげな幼馴染であっても、その例外ではなかったらしい。

 この調子だと、本当に誰にも話していないのではないだろうか。彼女の律儀さが、こんなときに裏目に出るとは思いもよらなかった。

 二人の白熱した議論の横、そんなことを考え静かにしていた紫苑に首を傾げたのは総太であった。


「お前いつまでペン返さんとおんの? 帰らんで大丈夫か?」

「……そっちこそ。昨日ここに泊まって、今日もずっと滞在してく気?」

「いや俺はもう帰るけど」


 紫苑の発言を否定も肯定もせず、さらっとそのようなことを告げた総太に、「はあ!?」と真っ先に反応したのは、質問した紫苑ではなく舞夜であった。


「なんで!? 私聞いてないんやけど! いや聞いたか」

「言った。お前の父さんが証人」

「もうちょっとおったら?」

「いや用事あるから」

「舞夜ちゃんの方が大事じゃない? そうでもない?」

「そうでもない。じゃあなー。お前ら仲良くせぇよー」

「ばいばーい」


 総太は答えるように手を振って、まるで我が家から出かけるみたいにあっさりと出て行った。舞夜はしばらく、彼の背中が見えなくなっても、その方向を見送っていた。

 紫苑はそんな彼女の横顔を、頬杖をつきながら眺めていた。


「総ちゃん、行ってったねえ」

「……幼馴染なんていたんだね」

「うん。隠すわけでもないけど、ちょっと内緒」

「なんで」

「色々あるやろ……。私が女子で、総太が男子で……それだけやのに、なんか煩く言われたりとか、そういうの……あるやろ……」


 舞夜の遠くなった目が、脳裏をよぎっただろういくつかの過去のせいで、苦い影を帯びた。

 曰く、中学から二人の通う学校が別々になったのを好機として、幼馴染という関係を無闇に言い触らさなくなったとのこと。……まあとにかく、色々とあったらしい。舞夜が紫苑のことについて慎重に黙っているのも、こんな経験があるからだろう。紫苑はなんとなくそんなことを分析した。


「ふーん。嫌なことがあってもまだ仲良いんだ?」

「そうやなー。幼馴染やし……仲良しで……親友で……家族みたいな感じやし……。あ、総ちゃんは凄いんやよ! 優しくてなー、面倒見がよくてなー、家事もできるしなー、ウチのお父さんより背も高くてなー、……あとはなんやろ。思い付かんなー」

「……ずいぶん、懐いてるんだね」

「違うんやなー、シオンくん」


 ふふ、と舞夜は笑みを零した。


「総ちゃんが、私のこと大好きなんや。そんで私も総ちゃんが大好き。これはどっちも同時で同じな! つまり……なんやろ、そういうこと」


 彼女の言っていることが、紫苑には理解できなかった。

 馴染みのない感覚を理屈で説明されても、真に実感も理解もできない。舞夜だって以前、紫苑が――偶然にもこの家で――彼自身に見えている世界を説明したとき、分かったような、分からないような、と曖昧なことを言っていたが、それと同じだ。

 経験どころか想像したことすらないため、分からない。双方向に同量の、好意的な感情が流れていることも。そしてそのことに自信を持ち、気軽に口にする彼女自身も。


「よく分かんないや」


 呟く紫苑に、舞夜は「そっかー……」と呟きながら、テレビのリモコンに手を伸ばし、そのまま電源を入れた。いくつかチャンネルを変え、やがて緩い雰囲気の旅番組が流れたところで手を止める。


「これでいい?」

「別になんでもいいよ」

「よかったよかった」


 彼女は無理強いをしない。物分かりよく、間違わず、概ね優しさと正しさに基づいた選択をする。いわゆる、正しい人間だ。紫苑はそのことを彼女自身の性格だと、終ぞ気にしたこともなかったが――。

 無言で考え込む様子の紫苑に、舞夜は勝手に勘違いをして慌てた。


「あ、さっき言ったことは大したことじゃなくてさ、そのー、家族ぐるみの付き合いやし、総ちゃんは仲良しってだけの話で……」

「アイツの前では、他人に見せられない格好で寝転がっても平気なくらいだもんねぇ?」

「家族枠みたいなところがあるから……」

「僕みたいなただの友達の前では駄目なんだ?」

「あ、当たり前やろ! シオンくんは……やっぱりその、男の子やし。はずかしい……」


 小さくなっていく声とともに、舞夜は俯いて両手で顔を隠した。


「なるほどねー……君にもそういう感情あるんだ!?」

「いちおうー」


 そっけない声だが照れ隠しだろう。何も隠せていないが。


「……そ、そういえばシオンくん、何の用やったん? ペンなんて貸してないやろ?」


 これもまた誤魔化しの話題転換だろうが、紫苑は十分に満足したため、それに乗ってやることにした。


「あれは適当な出任せ。……君からの返事がなかったから、家にいれてもらうのに『貸した金を返してもらいに』、とか適当に言おうと思ってたんだけど。あっさり入れてもらえて拍子抜けだね」

「総ちゃんで良かったねえ。…………いや、同級生からお金の取り立て受けるみたいになるから、そういうのヤメテ! 出たのがお父さんやったら、ビックリし過ぎて倒れてくかもしれん……」

「冗談だよ」

「シオンくんが言うと、冗談か本気か分かりにくいんやけど……。というか、なんで家に来たかったの? その……昨日の、アレ? 何か思い出したとか……」


 アレとは昨日の、記憶を失う前の舞夜が、紫苑に何かしでかしたのでは、という疑惑についてである。結構気にしているらしく、舞夜はそわそわしていた。

 紫苑は彼女が尋ねてきたときの、恐る恐るといった様子を思い出す。

『なんかシオンくんに悪いことしたっけ……?』

 それを聞きたいのは、事情を知りたいのは、紫苑の方だというのに。


「……心当たりはないね。ここに来た一番の理由は……くだらないんだけど、この近くを通ったら面倒な奴を見かけてね。少し匿ってもらおうと思って」

「大丈夫? 警察呼ぶ?」

「大丈夫だよ。そういうのじゃなくて、ただ本当に顔合わせたくも話したくもない相手ってだけだから。まー急だとは思ったけどさ。ほら、なんでもするって言ってたじゃん。君」

「うん、よかった! 私今日ずっと暇やし、まだまだ匿えるよ!」

「暇人だね」


 紫苑が薄く笑うと、舞夜は芝居がかった動作で悲しげな溜息をついた。


「総ちゃんが出てってしまうとは……。暇なのは、私だけやったみたい」

「残念だったね!」


 と、微塵も思ってなさそうな笑顔で紫苑は続ける。


「……君の大事な幼馴染じゃなくて心から申し訳ないけど、僕でよければ暇だよ」

「ほんま? 用事とか大丈夫?」

「子どもじゃないんだから、必要があれば帰るさ。……ああでも、君のお兄さんが帰ってくるまでには出ようかな。騒がれると面倒だし」


 舞夜は一瞬変な顔をした。前は頼んでも帰ってしまったのに、と疑問に思ったのだった。しかし、彼女にとってありがたい心変わりに文句があるはずもない。

 特に追求することもなく、あっさり紫苑の提案を受け入れた舞夜に、彼は浮かべていた笑みを消した。


「何する? ゲームくらいしかないけど。あ、シオンくんは……、どうかした?」

「いや、」


 と言いかけて、紫苑はふと思いついたように顔を上げると、まるで惹き込むように舞夜の目を見据え、わざとらしく綺麗な微笑みを作った。


「……僕も、君と仲良くなれる方法を考えていたんだよ」

「? もう友達やろ?」


 訝しげに言ってすぐ、「えっ、違うの、」と慌てる舞夜に、違うと言えたらどれほど楽かと、紫苑は小さく溜息をついた。

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