第51話 終わり
「シオンくんありがとー!」
舞夜は満面の笑みで紫苑を迎え入れた。といっても自室でもなんでもなく、相変わらずの集合場所、市立図書館裏の閑散とした休憩スペースである。
「……なに、急に」
「友達から聞いた! 凪ちゃんが元気になって、友達とも仲直りしたって。シオンくんすごいねぇ。……やっぱりすごいねぇ」
彼女なりに抑えているのだが、傍目にも分かりやすくはしゃいでいる。自分に全く関係のない事だというのに、すごいすごいと嬉しそうだ。
「なにがそんなに嬉しいわけ……意味分かんない」
「だっていいことやし、嬉しいやろ? 私は嬉しいん、です、けど……」
紫苑の真面目な顔に、舞夜の語尾が徐々に弱まっていく。彼は顔貌が整っているせいか、それとも身に纏う雰囲気のせいか、黙っているだけでも変に迫力がある。
「君のお人好しの悪いところは――自分と無関係のことでも、自分から何かをしようとするところだ。誰かの手を借りてでも」
「わ、悪いこと、ですかね……」
「考え自体は悪くない、と思うけど。悪いのは君が、自分の感情を安売りするところだ。手を借りた相手に感謝して、馬鹿みたいにありがたがって、恩を感じるところだよ。今回で言えば僕。どう考えたって恩なんて感じたらダメな奴じゃん。分かるだろ?」
「自分で言う? なんでシオンくんてたまにネガティブなん? 調子悪い?」
「真面目に聞けよ」
「うーん、はい……」
別にふざけているわけでもない、と内心思いながらも、舞夜はとりあえず黙った。
「そうやって感情だか恩義だかを撒き散らすってことは、物だけじゃ片付かない関係を作るってことだ。いつ、誰に、そこをつけ込まれてもおかしくない。ただの損だ。おまけにその相手が僕みたいな奴だったら手に負えない」
「でも助けてもらったし、感謝くらい、」
「助けられてないだろ。今回事態が好転したのは天花寺達だけだ。君は、誰も知らないところで勝手に他人を心配して、僕なんかの手を借りて、変なものを背負いこんだ。それだけだ」
だろ、と言う紫苑に、今まで言われっぱなしの舞夜はというと、
「シオンくんへの感謝の気持ちは変じゃないし、シオンくんはつけ込んできません! ――とは言い切れやんけど。でも、シオンくんやったらいいよ?」
「は?」
「シオンくんなら、つけ込んでもいいよ。私が嫌じゃないことやったら、なんでもするよ」
軽い態度で、さらりとそう言ってのけた。
しばらく呆気に取られていた紫苑だが、やがて我に返って顔を顰めた。
「そうじゃなくて。いや、そういうところだろ。何も得にならないことに手を貸して、自分だけ馬鹿なこと背負い込んで、」
「……じゃあなんでシオンくんは、私のお願いを聞いて、助けてくれたん?」
紫苑は口籠った。
舞夜は彼からの回答を待ったが、結局それは力なく吐き出された溜息に消えてしまった。
「……なぁ、マイ」
「ん?」
「なんで君は僕なんかと友達なんだよ」
「えぇ……」
「初対面からいきなり絡まれて、何度も変なもんに巻き込まれてるだろ。価値観だってこんなに違う。なんだってこんなクズの言うことなんて聞くんだよ」
「なんか恥ずかしいんやけど……」
つまり、なぜ友達か、という質問である。そんなこと聞かないでほしいと、舞夜は紫苑から逃げるように視線を泳がせた。が、それでも問われたことに対しては、彼女なりに答えを探してみるのだった。
「よく分からんけど、いいことあるから友達とか、悪いことあるから友達やめるとか、そういうことと違うと思うんやけど……」
親しい友人にも短所なんていくらでもあるだろう、しかしだからと言って、嫌いになるかと言われたら困る。許容できる範囲か否か? もしくは、友達同士になるには、両者に何かしらの利点があるはずだ。意識的にせよ、無意識的にせよ。いや、本当にそうなのか?
「うーん。悪いことよりいいことの方が多い、から……? ……違うよなぁ」
舞夜は、紫苑に答えるため、というより、最早自分が納得したいがために頭を悩ませていた。これに答えられる人間なんているのかとすら思った。
それからも幾度か首を傾げたが、終ぞ結論は出なかったようで。
「シオンくんは口と態度は悪いかもしれんけど、行動はわりと真っ当……です。命の恩人やし、いつも助けてくれたし、今も心配してくれてるし……」
やがて淡々とそれだけのことを口にした。しかしその小声といい、最後で少し目を逸らしたことといい、結局は照れの裏返しなのだろう。舞夜は少しそういうのを隠そうとするところがある。紫苑もなんとなく、そんなことくらいなら分かるようになっていた。
「――曖昧だね」
「じゃあさ、シオンくんはなんで私と友達なん? 理由ある?」
「あるよ」
きっぱり言い切られて、舞夜は驚きのあまり動きを止めた。
――彼女は自分に、他人から見出されるような価値があるとは思えなかったのだ。しかも相手が相手である。出会いから唐突だったうえに、今まで彼に何かできた覚えもない(まあ忘れているのかもしれないが)。
「え、それって……」
「教えると思った?」
自分だって聞いたくせに。拗ねてみせると、まともな答えも返さなかったくせに、と混ぜっ返される。
「でもさ、私ちゃんと考えたし」
「僕は考えるまでもない」
さらりと言ってのけて紫苑は立ち上がる。これでこの話はおしまい、これ以上は相手にはしないという合図だ。
それでもと、舞夜は名残惜しげに、紫苑を見上げる。そんな、ひしひしと教えてくれと訴えかけてくる彼女の目を見て。
「秘密」
と紫苑はくすくす笑った。
――行動は真っ当だって?
人のことを偽悪者みたいに思っているのか?
なんで僕がクズみたいなことをしないかって、舞夜が付き合いきれないほどクズみたいなことを彼女の前ではしていないからに決まっている。
「馬鹿なのか……」
自室の片隅に学生鞄を投げ、イライラしながら吐き捨てた。
逆に言えば彼女が関わっていなければ、誰に何をしたものか分かったものじゃない。自分のためであれば何にだって手を染める。
頭は悪くないくせに、なんでそんなこと思いもしないのか。そんなもの答えなんて簡単で、舞夜は自分の友人が大好きだからだ。紫苑もその例外ではない、というだけで。
椅子に座り、いつもどおり机に山と積んだ資料に向かう……が、結局集中できず、堂々巡る思考に沈む。
――『口と態度は悪いかもしれんけど、行動は真っ当』? ふざけんな。
(あんなもの答えにならない)
じゃあなんだって記憶を失くすより
あの頃の紫苑は、今より遥かに図々しく無配慮だった。舞夜の前だろうがなんだろうが好き勝手していた。とても真っ当とはいえないような人間だっただろう。それでも舞夜は友達だった。
……あの子若干おかしいからな。何故かあらゆる災難の一要因である紫苑に、それらから助けられたってだけで恩義を感じているようだったし。
恐らく柊舞夜が帝釈紫苑の友人になったのには、彼女が今言った以外の理由があるはずで。
舞夜が紫苑を
全く都合の良いことに、彼女は紫苑と平凡に友人同士であったときのことしか思い出していないようだが、そうではない。
記憶を失くす以前――といってもそう長くはない期間だが、舞夜は明らかに紫苑を避けていた。意図的に、そしてその意図を隠すにはド下手くそだった。理由は分からない。
(――愛想を尽かした?)
自分に愛想を尽かした。紫苑はそう考えた。だからこそ聞きたかった、知りたかったのだ。なぜ友達なのか、と。
それへの、先ほどの当人の答えはこうだ。
『よく分からんけど、いいことあるから友達とか、悪いことあるから友達やめるとか、そういうことと違うと思うんやけど……』
(じゃあなんで僕を避けたんだよ、ふざけんな!!)
机を殴りつけたくなる衝動を抑え込むと、不快げに椅子が軋んだ。
なにが嫌って、思い出しただけでも若干動揺する自分が嫌だ。ありえない、嘘だ、最悪だ、最低だ。ふざけてるのはどっちだよ、クソっ!
紫苑は都合よく記憶を失ってくれた舞夜に、できるだけ慎重に接した。彼女が何故紫苑を避け始めたか、その原因が分からないからだ。
紫苑自身の性格か(恐らく一番可能性が高いと踏んだ)、変わった家業についてか、それとも別の要因か。
だから今回は優しくした(当社比)。家業のことだって最低限以外説明しないようにした。
ただ、あの『顔剥ぎ』が帝釈紫苑について、どこまで喋ったかまではさすがに分からない。
しかし、紫苑であったあいつが、まさか自分が舞夜に引かれるような事を口にするはずはないし、なによりあいつが一番恐れていたのは、彼女が本物の帝釈紫苑を思い出して、自分から離れていくことだったから、そう大したことは喋っていないはずだ。彼女自身から聞き出した限りでも、変な話はなかった。だから大丈夫のはずだ。たぶん。恐らく。
――帝釈紫苑には近寄るなと、誰かに吹き込まれたという可能性も考えた。
周囲に好かれていない自信はある。しかし気にかけていた限りでは、記憶を失った彼女に何か余計なことを吹き込もうとする人間はいなかった。
「……」
めんどくさい。
紫苑が以前、福美子に言ったことは嘘でも冗談でもない。『僕を好きな舞夜は嫌いじゃない』。当たり前だ。くだらないことにいちいち気を配らなくても悩まなくてもいいのだから。
本当になんでこんなくっだらないことに頭抱えてイライラしなければならないのか。そしてそれが嫌だから――友達だった理由さえ分かれば、それさえ守れば、仲良くやっていけると思ったのだが。
(結局よく分からなかったし)
確かアイツさっき『なんでもする』って言ったよな……とも思うが、どうせ舞夜のことだから、またノリなんてクソみたいなもんで口にしただけだろうし、おまけに彼女はちゃんと頭にこう付け足していた。『私が嫌じゃないことなら』。
ズルい。こういうのを天然でぽかんと言ってのけるからアイツはズルい。――いや、心底の馬鹿じゃないからこそ友達をやれてるのだが。
イライラしながら資料の山から薄っぺらい冊子を取り、机上に放り投げ。しばらく沈黙し、結局また拾い上げた。
以前読んだことのある、先祖が残した資料だ。
(――『
普段なら表題なぞ気にしないが、これは中身がすかすかで肝心の情報もないのだ。苛立ちもする。
紫苑が知りたいのは唯一つ、それが一体何処にあるか、だ。
欲しい
目的の札についてはそれからも諦めず探し続けているが、未だ確固とした手がかりはない。
つまり、無駄なことに苛立っている暇はない。
「……」
紫苑は小さく息を吐いて、別の本を手に取った。記憶を頼りに昨日読んだページを開き、文字を辿る。それから彼は黙々と、まるで何も受け付けぬよう俯きながら、一人本を読み進めるのだった。
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