第45話 3
「――で?」
「ん?」
今までの静黙とした雰囲気とは打って変わって、にっこりとした笑顔。こういう顔の紫苑は碌なことを考えていないと、舞夜はもう身に染みて理解している。
というより、話題も雨もうまい具合に落ち着いたし、このまま解散というのが今の流れではなかったのか。
舞夜はなんとなく身構えた。
「人の弱点引きずり出したんだから、何か言うことがあるんだろ?」
「う……ごめんなさいシオンくん、私、」
「違う」
「はい」
「そうじゃくてこう、代わりに僕に頼みたいこととか、言ってやりたいこととか、ほら、弱みを握ったんだから色々あるだろ? 無いの?」
ぴんとこない、と舞夜は首を捻る。
彼女の考えなんて単純だ。相手が触れられたくない弱みなんてものにうっかり触れてしまったら、まず謝る。もしくは、相手の様子によっては、互いにうやむやにして誤魔化すかもしれない。自宅に帰ってから、自分はなんであの時あんなことを言ってしまったのかと後悔したり、罪悪感に駆られたり、次からは気を付けようと己を叱咤することもあり得る。
しかしそれくらいだ。逆に言うと、よっぽどの事が無ければ、それ以上はない。
「ないなぁ……」
「ないのか」
「うん」
「そうか……」
そしてまた黙る紫苑から目を離し、舞夜はまた外を眺めた。今でこそ小雨だが、雲の敷き詰められた灰色一色の曇天模様から見るに、またいつ雨足が強まるか分からない。
もうすぐ図書委員の当番も終わる頃合いだ。陸上部の集まりを終えた美夏と合流したら、さっさと帰ろう――。
そこまで考えて、舞夜ははっとした。『雨宿りの鬼』のことを――休み時間、あんなにも噂に怯えていた陸上部の少女、凪のことを思い出した。
「た、帝釈さん帝釈さん、実は相談があるんですけど」
「……あるんじゃん」
「えっ、いや、弱点の代わりとかじゃなくてですね、普通に相談したいだけ、なんです、けど……」
「……面倒臭くないのならいいよ」
紫苑は全く「いいよ」なんて顔をしていなかったが、舞夜はとりあえずその言葉に甘えることにした。
「ありがとう。あの、『雨宿りの鬼』のことなんやけど……」
「まだ怖がってんの? 昨日も言ったけど、それ多分嘘――というか、放っておいても問題無いやつというか……。とにかく、怖がるだけ時間の無駄」
「そーなん?」
「うん。昨日探ってみたけど、何もなかったし」
「……シオンくんて、いっつもちゃんとお仕事しててえらいねぇ」
舞夜は、本当に感心してそう呟いた。
雨が嫌いだと言う彼が、先日、一人でバス停にいた理由がそれだろう。仕事に取り組んでいるとき、彼は本当に慎重なくらい真面目だ。非常に細かいところにまで気を配っている印象がある。
紫苑は一瞬面食らった顔をしてから、自分を称賛する友人から顔を逸らした。
「……君がまだ気にしてるってことは、どうせなんかあるんだろ」
「え?」
「こうしてわざわざ話題に出してきたってことは、恐怖を引きずってるってだけじゃないんだよね? いいよ、聞いてあげる」
「やったーありがとう!」
「(なんで弱み握った相手に恩売られてんだろコイツ……)」
なぜか急に真顔になった紫苑に首を傾げなら、舞夜はかくかくしかじか、昼間の出来事を説明した。
対する彼の回答は、
「……情報が足りない」
非常に端的であった。
「君が気にしているのは、『雨宿りの鬼』なんて怪談話に、その天花寺って同級生が異常に怯えていたことだ。あの怪談のどこに、彼女にそこまでさせるモノが潜んでいたのか。僕が思ってるほど単純な話じゃないのかもしれない。君はそれを心配している。例えば――非常に不服だけど、僕が判断を誤った可能性もある。『雨宿りの鬼』は実在する――知られてないだけで、他に鬼が現れる条件があるとかね。天花寺さんは、うっかり本当にそれを目撃した……」
「……かもしれない?」
「そう。あくまでも、可能性だね。それ以上のことを判断するには、もっと情報がいる。まあ、あっても全部無駄でしたって結論になるかもしれないけど」
「どういうことなん?」
首を傾げる舞夜に、紫苑は微笑んだ。
「全部、ただの君の気にし過ぎってこと。僕としては、こっちの可能性の方が高いと思うけどねー」
舞夜が紫苑と別れた後、昇降口でのことだった。彼女がお手洗いに行った美夏が戻ってくるのを、独り待っていると、
「柊!」
「えっ? あ、た、隆樹くん?」
隆樹が軽く息を弾ませて現れて、人好きのする朗らかな笑顔で、舞夜に一本のボールペンを手渡した。
「悪い急に。さっき図書室行ったら、忘れ物って、司書の人が」
どうやら先ほど、図書室に忘れてきたらしい。舞夜が日ごろ愛用している多機能ボールペンだ。四色のボールペンに加えシャープペンシルまで兼ねた便利なもので、高校生にとってはなかなかの高級品のため、このまま帰宅していたら家で大慌てしていたことだろう。舞夜は丁寧に礼を言って受け取った。
ただ本人の机に置いておくか、明日渡すのでも構わないのに、こうしてここまで持って来てくれるのが、彼の親切さの表れだろう。
「あ、帰るんなら気を付けろよ。もう遅いし、雨で視界も悪いし。美夏と一緒に帰るんなら余計な世話かな」
「ううん、隆樹くんも気を付けて――」
と言いかけて、舞夜ははっとした。
そういえば、彼がいた。『雨宿りの鬼』について、情報がある人間。
声の大きな田中の横、時たま隆樹の姿を見かけていた。親しい友人があれほど騒いでいるのだから、彼も何かしら噂について知っている可能性が高い。まあ、田中だけではなく、隆樹は基本的に誰とでも仲良しな気はするが。
舞夜にじっと見つめられ、隆樹は戸惑うように身を引いた。
「ん、なに?」
「あ、ごめん。大したことじゃないんやけど……隆樹くんってさ、『雨宿りの鬼』の話、知っとる?」
もう何度となく聞かれたのだろう、隆樹は控えめに苦笑しながら頷く。
「一応は。田中がいつも大声で――……柊は、こういう話って平気?」
「んー。ちょっと平気やけど、ちょっと怖いかな」
「そっか」
先ほどとはまた異なる苦笑が浮かぶ。困ったようにも、傷ついたようにも見えた。しかし舞夜がそう思ったのも束の間、すぐいつも通りの表情に戻る。見間違いかと思うほど一瞬だった。
隆樹は真正面、細雨にくすぶる外の景色を眺めていた。
「俺も信じてないわけでもないけど、どうせただの噂。すぐ無くなるって」
堂々として見えるほど淡泊な物言いだった。決しておかしな反応ではないのだが、舞夜は少し意外に感じた。
(なんか、あっさり……?)
情が深いというか、人の好い隆樹がこうもさっぱりと言い切るとは思ってもみなかった。まあ、舞夜としても、そこまで彼のことを知っているわけではないのだが……。
彼女が内心目を丸くしていると、隆樹はその表情を少し緩めた。
「興味あんの?」
「知り合いがその噂、気にしてて。ちゃんと噂のことが分かれば落ち着くかなって」
そっか、と隆樹は微かに笑って外に目をやる。しとしとと振り続ける雨が、絹糸のように柔らかくアスファルトを打っている。
二人はそれからしばらく、といっても美夏が戻ってくるまでの数分間だが、静かにぽつぽつと話し続けた。
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