第35話 エンディング
「……なーなーシオンくん」
「なに。改まって」
「えーっと、初めてのゲームはどうでしたか? …楽しかった?」
小首を傾げる舞夜の仕草は、女性、というより子どもっぽい。
初めてまともに遊んだゲームは、紫苑が想像していたものとは少し異なっていた。
物語を追い、登場人物を眺め、映像世界を回り、時には謎を解き、あらゆる道具を収集し、武器を振るって敵を討つ。
紫苑は勝手に、ただ最後の一点のみが重視されているのだと思い込んでいたが、そればかりでもないらしい。
本のように映画のようにキャラクターを応援したり、自分自身を投影したり、ただコレクションに熱をいれたり、戦闘を技術として極めたり、現実逃避の先として浸ったり。紫苑が苦行と称した延々同じ作業を繰り返すことに楽しみを見出す者もいるだろう。どれが一つでいい者もいれば、全てを総合して見る者もいる。
ゲームソフト一本でいくらでも楽しみようがあるのだろう。
そんなものが、この世には多種多様なジャンルでいくらだって存在しているのだから、多くの人間が手を出すのも無理はない。
なるほど、人気が出るのも頷ける。
「……結構楽しいね」
紫苑が微かに笑みを浮かべながらそう答えると、舞夜はぱっと顔を輝かせた。まるで自分のことのように嬉しげだった。
「な? そーやろ、面白いやろ? 他のやつもやる? ……やらん?」
迷惑かな、とでも思ったのか、様子を窺うように少し声が小さくなる。
紫苑は時間を確認した。
「他に誰もいない家に、あんまり長居するのもあれだしね。今日はもう帰るよ」
「そっかー、しかたないなー。……? でも家、お兄ちゃんおるよ?」
「いないよ」
「え?」
舞夜はきょとんと目を丸くさせた。
言外に理解できないと伝えられ、紫苑は彼女から目を逸らす。
「……君のお兄さん、ずいぶん長いこと眠ってるんだね?」
「今日はバイトが休み、で、」
そこでひやりと口を噤む。
――そういえばこの前、女心の研究のために、一緒にゲームをしていたとき。
今度の休日、急にバイトが入ったと言っていて。
確かその休日は、土曜日。
今日が、土曜日だ。
つまり兄は、朝からアルバイトが入っていて。
「……」
舞夜はしばらく呆然としていたが、やがて立ち上がると勢いよく彰冶の部屋へと飛び込んだ。
いない。
誰もいない。
ベッドの上の布団は雑にだが一応畳まれていて、寒々とした空間を曝け出している。恐る恐る摘まみあげてみるが、当然その下には何もない。
布団の下から飛び出していた誰かの足を思い出しながら、舞夜はずるずると後退し、静かにその部屋を出て、そっとドアを閉じた。
一連の動作のあとでぎこちなく振り返ると、紫苑と目が合った。
「し、シオンくん」
「なに?」
「あのさ、もうちょっとおったら? ゲームしよ? いや?」
「いいや。また今度ね」
さっさと階段に向かおうとする紫苑の前に、舞夜は珍しく機敏な動きで立ちふさがる。鬱陶しそうな視線も見ないフリで、彼を引き留めるために必死だった。何か相手の関心を惹くいい方法はないものか、と落ち着き無さ気に考えを巡らせている。
紫苑はちょっと面白いな、と思ったのもあって、とりあえずにこっとした。
「今すぐ部屋にエアコンを用意してみせたら考えてあげよう。さあ!」
「え、ええーっ。扇風機もう一台もってくるから」
「却下」
「エアコンなくてもいいことあるよ! やっぱり夏って暑いなーって思うしさ、クーラーの有り難さも分かるしさ。んー。省エネ? 扇風機もお風呂上りとか、服の中に風はいると涼しい。アーってできる。寒すぎやん。……んっと、えーっと、他にも、」
「じゃ」
と思案する横をあっさりと抜けていく紫苑の背中を、舞夜は慌てて追う。
「んっと、お菓子食べる? あっ、お菓子もうないんや…ジュースもない……。えーっと、なんか…なんか…なんかしよ? トランプとかしりとりとか!」
「雑過ぎるだろ」
指相撲でも腕相撲でもいい、と舞夜は華奢な右手を構えるが、そういう問題でもない。
「帰るって言ってるだろ。こんな状況で君の家族と鉢合わせなんてしてみろよ。気まずくて死ぬ」
「その前に舞夜怖すぎて死にそう」
「成仏しろよ!」
「軽い……」
「大丈夫だよ、恐怖で死んだ人間なんて見たことないし……聞いたことはあるけど」
「うん分かった、気まずくて死んだ人間なんて見たことも聞いたこともないからもうちょっとおって? うわーイヤやシオンくん行かんといてー!」
話の途中から去っていこうとする紫苑の服の裾を、舞夜は咄嗟に鷲掴みにした。引き留められた紫苑は、心底面倒くさそうに頭を掻く。
「……本当に大丈夫だから。ゴキブリどころかダニレベルまで綺麗さっぱり祓ってあげたから。今この家は外より安全なはずだよ」
「そーなん?」
「そーなんです。それに君にはあの札があるじゃないか!」
首を傾げる舞夜に紫苑がそう告げると、彼女は納得したのか、とりあえず彼の服を引っ張るのは止めた。
そのまま紫苑が怪談まで進もうとするのを、舞夜も今度は妨害しようとはしなかった。しかし背後ではうーん、と不安げに唸っている。
「あの紙を、ずっと握っとけばいいんかなー」
「絶対止めろ。なんのためにいちいちしまわせてると思ってるんだよ!」
てっきり汚れないようにするため、所在をいつでも把握すため、そして人目を避けるためだと思っていたが。
以上のことを冷静に述べながら違うのか、と首を傾げる舞夜に、紫苑は不思議な心地になった。
――彼女は本当に、地頭は悪くないのだが。
しかしどうあっても、単純に聡明とは言い切れない。どことなく残念なのだ。
「……もちろんそれもあるけど、一番は使う度に君の力を消費するからだよ。だから常に握っとくなんて、それこそお化け云々より危険だ」
「そ、そうやったん!? えっ、よく分からんけど、それ大丈夫? 死なへん?」
「死ぬようなもん無理に使わせるわけないだろ、ひっどいなー」
「ごめん……」
「ガチな感じで謝るのやめろよ……」
互いに若干気まずくなった。
それはともかく。
「んーっと、御札触ると『力』使うってどういうこと? 死ぬ?」
「一日ずっと握ってたら死ぬかもなー。でも生き物ってなんだかんだで結構しぶといから、それ以上握り締めてても衰弱する程度で済むかもしれない」
あっけらかんとしているが、内容だけみればずいぶんと曖昧な説明だった。
不安げな表情を浮かべる舞夜に、紫苑は足を進めながら続ける。
「時間が経てば元気になるから大丈夫だよ。……僕は貯水タンクを例えにして習ったけど、君なら魔力とかMPとかで例えた方がいいかもね。その最大値にはそれぞれ個人差があって、増えたりも減ったりもする。使わない限り、それ自体に意味はあまりない……つまり多ければ幽霊が見えるというわけでもない」
そこで紫苑は気を取り直すようにちょっと笑った。
「普通の人間の平均より、君は多いと思うんだよねぇ。計ったことないから分かんないけど」
「おーやったー、私すごいやん。計ってくれてもいいぞー」
ふざけたように喜んでみせる舞夜に、紫苑は笑顔で凄んだ。
「死ぬギリギリまで流出させるのが一番手っ取り早いんだけど、試してやろうか?」
「ごめんなさい。……でも、何で私が普通より多いって分かんの?」
「普段の動作とか。前に市民公園で猫を見ていたあとも、君は元気そうだったし。傍にいたチビは少し怠そうだったけど」
市民公園。猫。傍にいたチビ。
舞夜の脳がぐるりと汗をかくように働いて、浮かび上がった一つの光景に彼女ははっと紫苑を見た。
記憶を失くす以前の出来事だ。
市民公園に住み着いているだろう野良猫と福美子を、嬉々として写真に収めた覚えがある。
市民公園の猫――あの、『鏡』で造られたらしい、コピー猫。
人の生気だかなんかを吸い取るらしい、鏡写しの猫。
「フミちゃん!? なんでそんなっ……その時言ってよ! フミちゃんに何かあったらどーすんの!!」
「しーらね。子どもだって何だって、死んだら死んだでその時じゃない。まあ大人より将来がある分、もったいないって気持ちは分かるけどね」
「知らんってそんなん、もうっ!」
憤りにほど近い、もどかしい思いで舞夜は紫苑を睨む。しかし何より、今の福美子の状態が気がかりだった。
あれからも顔を合わせてはいるが、福美子は相変わらず元気いっぱいだ。しかし、もう一度大丈夫なのかどうか確認しておくべきだろう。訪問、は、こんな時間には迷惑だろうか。それならやはり電話が早い――。
そうして彼女は、紫苑から大きく目を逸らした。
「じゃ」
「えっ」
咄嗟に顔を戻したときには遅かった。
舞夜はその時になってやっと、紫苑にむざむざと逃げられたことに気が付いた。意表を突かれた、いや、玄関にいたのだからある意味当然の結末か。
舞夜が慌ててサンダルをつっかけたところで、ドアは既に閉じている。まさかさっきみたいに、彼の服の裾が掴めるはずもなく。
「……」
しばらくぽかんとしていたが、やがてやりきれない思いで舞夜は玄関のドアに額を打ちつけた。他愛なく目的を見失い、感情におぼれた自分が情けなかった。
紫苑はわざわざ、舞夜の怒りを煽るような言葉を選んできたに違いない。自分から視線を外させるために。
なぜこんなにも容易く手玉に取られてしまうのか。彼が上手だからか。それだけの付き合いがあるからか。それともただ単に、柊舞夜が愚かなのか……。
(ばかばかあほあほ間抜けっ)
舞夜はやり場のない鬱憤を、ドアの鍵をがちゃがちゃ弄ぶことでぶつけるのだった。
――この一連のやり取りのお陰で、独り家に残る恐怖がなくなったのだけは幸いであるが。
紫苑がそこまで予想をしていたのかなんて、舞夜に分かるはずもなかった。
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