第31話 3
それからゲームを進める度に、部屋のあちこちで怪奇現象が起こる。ベッドに置かれている枕の位置が動いたり、きぃっと微かに軋む音とともにドアが開いたり、風もないのにカーテンが靡いたり……。
ノートパソコンが勝手に起動した際にはさすがに、紫苑になんとかしてくれと訴えたが、彼はさっさとシャットダウンしただけで終わった。
「そんなことよりゲームしようぜ!」
「異議ありー……」
そうぼやく舞夜がコントローラーを操作する手を止めた瞬間、カーテンが急に閉まり、部屋の電灯が突然切られた。
一瞬の暗闇。紫苑がすぐスイッチひもを引いたので困ったことにはならなかったが、舞夜自身に限界がきた。
「もうやだッ!! 帰るッッ!!!」
「どこにだよ」
既に実家なので逃げ場がない。
紫苑が彼女に言ったのは、つまりそういうことである。
「言ったそばからこれだもんなぁ。死ぬわけじゃないのになんでそんなに怖がるんだよ。怖がらないと死ぬわけ?」
「お化けが怖いんじゃない、納得できんことに命をかけられないだけッ!」
「大丈夫、家一帯の悪いもん全部祓ってやるから。カスみたいなのもなんとかするし、前より綺麗になるって。当社比」
未知へのストレスで落ち着きのない舞夜と対照的に、紫苑はこの程度大したことがないということを体現するかのように、平然としてみせている。
彼からしてみれば物が動くだけで、しかもここは他人の家であるため彼自身にはなんの問題もないのだから当然だった。
しかし横で友人にそうしていられると、焦っているこちらが馬鹿みたいに思えてくる――と、そのままあっさり影響されるのが舞夜であった。
(ほんと扱い易いなこいつ……)
というより、扱い易すぎる。
紫苑は自分にとって都合が良いにも関わらず、若干彼女のことが心配になった。
(肝が据わってるというか、度量が広いというか、広すぎて寧ろ馬鹿だよなぁ……)
「シオンくんどうしたん? ゲームに集中して?」
「いや、肝が据わってるなぁと思って。褒めてるんだよ」
「なんか分からんけどありがとう。それよりちゃんとゲームして? ね?」
立て続けに三度死んだパークを蘇生しながら、舞夜は懇願した。
霊体となっていたパークが白い光に包まれて復活する。これだけでも敵の狙いが分散されるので、舞夜としてはかなりありがたいのだ。
しかしパークはあっさり負け、再び霊体となってしまう。立て続けの死にも関わらず、透けた手をひらひらと振っているため悲愴感は微塵も感じられない。必死になって戦うミントをよそに、なんともゆるい幽霊である。
もしも自分がミントでこの幽霊が見えていたとしたら根性で殴り飛ばすな、なんて考えながら、舞夜は雑魚敵をさくさく一掃していく。
「……そういえばシオンくんて、お化けとかが見えるんやよね?」
「大雑把な言い方だな。まあそうだけどさ。見えてなかったらほんとただの詐欺師だからね」
それもそうか、と頷いて、舞夜は彼の見る世界を少し想像してみようとする。
しかし彼のような目は彼女にはないため、当然うまくいかない。ただおどろおどろしいようなイメージだけが残った。
「んー、それって怖くないん? どんな感じなん?」
「…………目に付くキチガイの量が増える。そんな感じ」
紫苑の直截な物言いに舞夜は閉口した。
「しかも他人に絡んでくタイプの、実害ある奴。こっちに寄ってくることもあれば、寄ってこないこともある。うん、いいことないな! 君はそんなもの知らなくていい」
もう少し言いようがあるだろうと彼女なんかは思ったわけだが、紫苑は生来、それこそ物心つく前から
そのため見えない立場について、適当かつ大雑把な推測しか立てられず、こうした物言いにならざるを得ないのだ。
結果、二人にとって同等に見えているもの、つまり人間に例えるのが最も容易だろうと考えたのだが――舞夜からの評判はいまいちなようだった。
というより、ピンときていないようで、のんきに首を傾げている。
「分かったような、分からんような? 霊感強い人って大変なんやね」
「実感薄そうだな。ほら、君だって『顔剥ぎ』って奴に会っただろ? ……まあ、化け物相手の方が手軽なこともあるよ。なんたって邪魔なら殺してもいい。人間は殺したら逮捕だけど、化け物は死んだっていい存在だからね」
「化け物って、なんでそんな、」
そこで舞夜はコントローラーのボタンを押しかけ、そのままぴたりと指の動きを止めた。
――そういった化け物のことを、俺は総称して『鬼』って呼んでる。
蘇る記憶のままに、ぽつりと呟いた。
「『鬼』、じゃないの?」
「は?」
「えっ、なに?」
ドスの利いた低い声と険呑な眼差し。予想だにしない反応に、舞夜は目を丸くした。
それでもさくさくとゲームを操作し続けているのは、最早反射のようなものだった。ただただ終わりが見えない恐怖故でもある。
一方の紫苑はコントローラーを操る手を止めてまでして、射抜くように彼女を見据える。
「……思い出したのか? そこまで?」
「いや。違うくて。ネムレスがそうやって言っとった。まとめて『鬼』って呼ぶって」
たじろぎ、戸惑ったまま舞夜はとつとつと説明する。
先ほどの発言の何が彼の気に触わったのかさっぱり理解できない。出来の悪い落とし穴にでも引っかかったような心地だった。
「なんだよ、紛らわしいなぁ! つーかあいつほんっと碌なことしないな……」
舞夜はふと、廃校舎の探索中、ネムレスと休憩したときのことを思い出していた。
そういえば彼もこうだった。舞夜が失くした記憶について触れようとする度、今思えば過敏なほどの反応を見せていた。それについて隙あらば言及し、常にその行く末を気にかけていた。彼の場合は、舞夜にそれを取り戻してほしくないからであったけれど。
紫苑の場合はどうなのだろうか。舞夜の過去に関して、彼も何か思うところがあるのだろうか。
――あいつに気をつけろ。
――さっきの忠告、ほんとだよ。
どちらもネムレスの、最期の言葉だった。
「……『鬼』のこととか、聞いちゃダメやった?」
「いや、別に。それよりあいつから言われたこと、全部話してもらってもいい?」
「えっ、めんどくさ。なんで?」
「記憶以外にも何か厄介なことをされていたら困るだろう? そう気にしなくてもさ、ただの確認だよ。それとも、聞かれたくないことでもあったのかな?」
そう言って口角をつりあげた紫苑はまるで、学生を試すために暇潰しがてら作られた、悪質な試験問題のようだった。焦りと混乱しか招かない。
咄嗟に首を横に振った舞夜に、紫苑は「へー。あっそ」と言葉を杜撰に放り投げた。
「まあどっちでもいいや。僕と関わりのありそうなことだけ教えてよ。変な嘘を事実として擦りこまれてたら困るだろ」
「……『鬼』って呼ぶのは嘘ってこと?」
「倒すものって意味でまとめてそう呼んでいるのは事実だし、前にも説明したんだけど……ただそこまでの記憶が戻ってるなんて聞いてなかったから、驚いてね」
「説明って――そんなんよく覚えとるねぇ。すごいやん」
舞夜と紫苑が出会ったのは、高学に入学してからしばらくのことだった。それから現在まで、控えめに見ても一月は経過しているだろう。長くはないが、決して短くもない。自分がいつごろ、どのような事を他人に説明したかなんて、よく覚えているものだ。
舞夜の感嘆に対して、「まあね!」と紫苑は誇らしげに応える。
彼は元々頭のよい人間であるようだし、そんなことを覚えているのも当然で、何もおかしくはないのかもしれない。舞夜はそこまで帝釈紫苑という人間について知らないため、なんとも言えないが。もしかしたら。
「……」
――もしかしたら、それが覚えておくべき事柄であったから、覚えているのか? いつ、どのようなことが起こったか。その時系列を。
(でも、そんなもん、なんで、)
と舞夜が考えかけたところで、紫苑がテーブルにゲームソフトのケースを投げ置いた。思い切り水面に掌を打ちつけたかのような、なかなか大きな音が鳴る。俯きがちな彼女の潜思を釣り上げるには十分な音量だった。
引っ張られたような心地で舞夜が紫苑の顔を見やれば、彼は軽く微笑みかけるのだった。
「僕なんかのことなんてどーでもいいじゃん。そんなことよりさ、ゲームしようよ。……このままじゃ一生終わんないかもね?」
「うわぁ、それは辛い」
舞夜は引き攣った表情で頭を(かぶり)振る。
広い世界を旅するというコンセプトとは裏腹に、じりじりと進めるしかない閉塞感。現実で起こる対処しようのない鬱陶しい妨害。
この倦んだような状況が死ぬまでだなんて、それこそ。
「死んでもゴメンって感じ」
想像しただけでうんざりだった。
唇を滅入ったように歪めてぼやく舞夜に、紫苑はきょとんと目を丸くした。それから、フッと声なく息だけを吐きだし笑い始めた。
「今のなんか面白いことあった?」
「いや」
言って、訝しげな舞夜をよそに、また声を抑えたようにくすくす笑う。
「皮肉なもんだと思ってね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます