第32話 このゲームを遊ぶまでは

 ダンジョンの最後に待ち受けるのは当然ボス戦である。

 しかし、


「…………」

「僕なりに精一杯やったということは認めてほしい」


 黙りこくる舞夜に、紫苑は己の努力をはっきりと伝えた。

 試行錯誤しながら既に七回挑んだが、全て完敗を喫している。


 今まで(色々あったなりに)順調だった聖石物語だが、とうとうここにきて詰んでしまった。



「そしてポルターガイストも悪化、と」


 どこからともなく飛んできたハサミが、紫苑の頭――を完全に覆っているフルフェイスヘルメットに当たって弾かれた。同じくヘルメットを被った舞夜はそれを拾い、引き出しにしまう。更にガムテープを張り付けて封印してしまえば完璧である。


「あのハサミどこにあったんやろ、久しぶりに見た」

「危険物はちゃんとしまっとけってさっき言っただろ」

「ごめんごめん。もうこれで全部やと思う」


 聖石物語に憑りついているらしい霊による攻撃が悪化するにつれ、舞夜の部屋にある物の暴れっぷりも酷くなっていった。

 そこで紫苑が膨らんだ鞄から取り出したのが、この二人分のヘルメットであった。対ポルターガイスト用にと舞夜の分まで準備しておいたのだ。

 それだけ酷くなると分かっていたのかと、舞夜はヘルメットを抱えつつ紫苑を睨んだのだが、


「大丈夫だって」


 紫苑は自分目がけて飛んできた消しゴムを、タイミングよくクッションで打った。野球だったらヒット間違い無しの当たりだ。

 消しゴムは開けっ放しだった舞夜の部屋の入口から飛び出したのだが、その途端、まるで気でも失うかのように床に落ちてしまった。


「ね?」

「何が?」


 どうやら霊は、舞夜の部屋より外には力を発揮できないらしい。

 それを聞いた舞夜は本棚に並べてあった本を全て廊下に出すと、それ以外の文房具や小物やなんかは全て引き出しにしまいこんだ。

 元々物が少なかったこともあって、だいたいの移動はすぐに済んだのだが、テレビの裏などに落ちて失くしていた物なんかはさすがに片付けられなかった。


「で、念のためのヘルメットだよ」

「まあもうなんでもいいけどさぁ」

「不満げだね」

「これあっついんやー」


 舞夜はぐったりと頭を垂れる。おまけに視界も悪いので、無駄にゲームの難度が上がる。


「なんでこんなハサミとか飛ばして邪魔してくんの? ゲーム進められやんやん」

「そこまでの脳みそが無いんだろうね。不快だから泣く子どもみたいなもんだよ。ゲームが進まない、苛々する、だから物を飛ばして攻撃する」


 歌うような説明のあと、「だから外すなよ、フリじゃないからな」と睨むように念押しされて舞夜は頷く。

 二人でフルフェイスヘルメットを被ってテレビゲームをする、という奇妙な光景であるが、本人はどちらも大真面目であった。



「うーん、ボスは二人じゃ無理かなぁ。あ、お兄ちゃん――いやダメダメ」

「それは止めた方がいいと思う」

「分かっとるよ。危ないといかんもんね」


 そう言って自分のヘルメットを撫でる舞夜に、紫苑は何も言わなかった。


「でもさ、猫の手でも借りたいというかさ。犬の手でもいいけどなー」


 肉球ぷにぷに、と舞夜は和みきった表情で言う。猫も好きだが犬も好きだった。


「……一回休憩しようか?」

「この状況で?」


 舞夜はまたどこからともなく飛んできた埃のついたヘアゴムを拾い、廊下に投げ捨てた。もう収納するのすら面倒くさい。


「……まあ、私もちょっと疲れたけど」


 主に、死に一直線に突き進む紫苑へのフォローのせいで。


「そうそう。あれだよ、ゲームは一日一時間。ちゃんと休憩をいれないとねー」


 言いながら紫苑がおもむろにチャンネルを変えると、サスペンスドラマが放送されていた。彼が先ほど一階でちらりと見ていたものだった。

 場面はちょうど終盤である。ナイフを手にした男が切羽詰まった様子で叫んでいる。

『奴をこの手にかけるまで、俺は死ぬわけにはいかないんだ!』

 まさにクライマックスであったが、さすがにこの流れでは何一つ感情移入できない。そのため、本当にただの暇潰しといった風に、二人してぼんやりとテレビ画面を眺める。


 被っているヘルメットさえ無ければいつもの、退屈な休日の昼下がりである。


「舞夜さー、これをするまで死ねないって思ったことある?」

「いきなりやね。こんな重いのはないけど、一応あるよ」

「どんなやつ?」

「修学旅行とな、お正月におばあちゃん家行くのとな、あと好きな小説が今度映画になるんやって。それとな、うーん、あ、今度新しいゲーム出るからお兄ちゃんと買う。お金半分ずつすんの」

「祖父母の家とか何が楽しいわけ? 僕、親戚と顔合わせるの吐き気がするほど嫌なんだけど」

「楽しいっていうか、毎年いくし……。あ、親戚に赤ちゃんおんの。生まれたてほやほやでかわいいんやー。おじいちゃんとおばあちゃんも好きよ。写真見せたろか?」


 舞夜はにこにこしながら、紫苑にスマホの画面を見せる。彼は覗き込んで、写真が移り変わる度に逐一される舞夜の説明を、「ふーん」と聞き流している。


「……で、シオンくんは何が聞きたかったん? そこと違うやろ?」


 紫苑は未だろくに扱えないコントローラーを握り締めたまま、顎でそれを指し示た。


「ゲーム?」

「うん」


 舞夜は首を傾げた。

 これをするまで、死ぬわけにはいかない。

 ゲーム機、そしてその中で動く『聖石物語』。

 合わせると。


「…………このゲームを遊ぶまでは死ねない?」


 まさかね。思いながらも、恐る恐る尋ねる舞夜に、紫苑はすんなり頷いた。

 舞夜は閉口した。


 曰く、このゲームを予約し心待ちにしていたが、悲しいかな、発売前に亡くなってしまい、それが未練となってこうして厄介にもゲームソフト自体に憑りついてしまっているのだとか。


 淡々とそれだけを語る紫苑に、舞夜はなんと答えたらよいか分からなかった。が、表情が悲しみと困惑の入り混じったものになっていくのはさすがに取り繕えなかった。

 生涯傾倒した物への、深い思い入れというのは、分からなくもない。が、だからといって何一つ関係の無い、赤の他人に迷惑をかけるのはさすがにどうなのだろう。

 寧ろ発売前にも関わらず、そこまでの未練を生み出したこの『聖石物語』が凄いというか。なんというか。そもそも、遊んだこともないゲームに、それほどまでの思い入れを持つものなのか。


 なんとも定まりきらない煙のような疑問や感情に、舞夜は口をもごつかせた。


「……えーっと。なんやろうな。ほんとに悲惨というか、可哀想やけど」

「けど?」

「うん、うーん。好きやからって迷惑かけるのは、うーん……。でも気持ちが分からなくもないし、それがまたなんとも言えん……。――あ、そんでその、私たちはどうしたらいいんかな? 一生このゲームを幽霊に見せ続けるとか、そんなのはさすがに」

「死んでもゴメン、だろ?」


 紫苑はにやりとする。

 皮肉だよな、なんて明るい声で付け足されれば、舞夜は若干居た堪れなくなってしまう。そしてそわそわしたまま、逃げるように、


「結局何したらいいの?」

「ゲームクリアだろ!? それを見せてやれば満足するに違いないんだよ! ――たぶん」

「ん、え? どっち?」


 困惑した問い掛けにも紫苑は返事をしないまま、テレビを素早くゲーム画面に戻した。


「うん、とにかくゲームを進めよう。舞夜の腕だけが頼りだよ、頑張れ!」

「シオンくんも頑張るんやで」

「頑張ってこれなんだよね。……うん」


 二つの動作を同時に行うのが難しい。頭では分かっていても指が動かないのだ、とワンテンポ遅れて剣を振るパークを見ながら紫苑は考える。

 と、彼の傍にふらふら寄ってきた敵を、背後から放たれた矢が貫いた。

 ミントはたったかやってくると弓矢をしまい、素手で敵を殴りつけ始めた。

 強い。


「大丈夫、シオンくんうまくなっとるよ! ――たぶん」

「……顔の割りにいい性格してるよねぇ、ほんと」


 仕返しのようにぼそりと付け足してきた舞夜に、紫苑は聞こえる程度の小声で毒づいた。


 ちなみに今回のボス戦もすぐ死んだ。

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