第27話 4

「そんでさーっ、その『いつまでお化け』って悪戯やったんやってぇ。なんか問題になって警備の人が見張っとったら、どっかの学校の男子がいつまでもーとかって。しかも交代で驚かせまくって遊んどったとか。マジありえんくない?」

「え、めっちゃ暇やん」


 舞夜も教科書を開きかけていた手を止め、思わずツッコミをいれる。


「アホみたいやなー。『いつまでお化け』って結局、そいつらのネタやったん?」

「そうかも。怖がらせるための、えー、演出?」


 何それ、とまた笑う。どれだけ流行っていた怪談でも、ここまできたら笑い話だろう。大人は顔を顰め、子供は笑ってまた話のネタにする。

 いずれこの『いつまでお化け』なんて怪談も潰えてしまうのか、それともこんなオチをつけてより拡大していくのかは定かではない。


「そういえばそのお化けのやつ、ウチの学校にもおったよね? 脅かされたのが、えーと、名前忘れたけど…イトウ?」


 一瞬その話題も盛り上がりを見せたが、まあガセか、とあっさり収束していく。

 女子高生の話題の賞味期限は鮮魚よりも短い。飽きるより前に次のネタへ。目の前の出来事が次々と移り変わっていく上に、大小問わず話すことはいくらでもある。些細なことをきっかけにしながら、次の話題へと移り変わっていく。


「あっ」


 その途中、一人の女子生徒が声をあげた。


「そういえば、その伊藤先輩のことなんやけどさ――」


 今、なんか変な女に付き纏われとるらしいよ。

 あ、お化けとかじゃなくて普通の――いや普通じゃないけど。どっかの生徒やったかな?

 伊藤先輩は遊びのつもりやったらしいけど、ストーカーっていうか、めっちゃ付き纏われとるらしくって。

 たぶんそれが変化して、あのお化けの噂になったんちゃうかな――。




「……守護霊?」

「あはは。先輩の自業自得じゃないかな。誰彼構わずちょっかいなんてかけるからこうなる。いやぁ人間って恐ろしいね! 僕なんて化け物にしか手を出せないからさ、今回みたいなやつは完全に専門外だよねぇ。怖い怖い…」

「ふーん?」


 探るような目つきの舞夜に、紫苑は自業自得だ、と繰り返す。


「僕の出る幕じゃないよ。ま、先輩だってこれで懲りただろーし、人付き合いのし方だって省みるようになるだろーし、問題ないだろ? ……はい、この話はおしまい」


 ぱちんと手を打つ。

 舞夜も一瞬、それに気を取られて頷きそうになったが、持ち直してまたジト目で紫苑を見つめる。

 さすがに先日からの今日でそれだけでは納得できない。


「しつこいなぁ」

「こうやって鬱陶しくされるのが嫌なら、早く喋った方がいいと思わん?」

「……」


 紫苑はどこで買ったのか、紙パックのジュースを吸っている――というより、ストローを噛みしめている。以前何故噛むのか尋ねたら、癖というより噛みつくことでストローの飲み口を四角にするのが好きなのだと言っていた。しかし今はあれだろう、舞夜への苛立ちを目に見える形で露わにしているのだろう。

 それでも諦めずじっとしている彼女に、やがて紫苑はまあいいか、とぼやいてかくかくしかじか、あの子猫と結んだ約束について説明した。


「そんな心配しなくても、猫も加減するだろうし大丈夫だよ。約束も破れないようにちゃんと脅しといたからね!」

「…それは大丈夫、かなぁ?」


 納得しがたい様子の舞夜をよそに、紫苑はあ、と明るい声を上げた。


「そういや舞夜気付いてた? あの猫のことなんだけど」


 そう漠然と問われても、なんと答えたらよいのか分からない。

 あの子猫についてだろうが、ぱっと思いつくのは痩せていたとか、餓えていたとか、その程度である。


「えっと、なんのこと?」

「ほら、市民公園の鏡・・・・・・だよ。あれを割ったらコピーされて生まれた猫が全員死んだ――って、前に言ったよね? たぶんあの子猫の親は、死んだコピーの猫だったんだと思う」

「え!?」

「だって時期ぴったりだし。――『鏡』のせいで野良猫の増加が問題になったのは、今年に入ってから。あの猫が親猫の腹に宿ったのは二月。それから僕があの鏡を割ったのは、四月の半ば以降だっけ。あの猫が生まれたのは……今が五月の四週目だから……四月前半くらいかな。多分だけどね」


 つまり四月前半に子猫が誕生し、その後紫苑が鏡を破壊する。そして親の庇護を失くしたあの猫を、藤原七々子が保護したということになる。

 なるほど、確かに一応ではあるが、辻褄は合わなくもない。


「だとするとさ、子猫で化けるのも別におかしくはないよね。親がほとんど化け猫みたいなもんだったんだし」

「……あ、七々子さんもあの図書館に行っとったんやっけ。それなら横にある市民公園で、あの猫ちゃん拾ってもおかしくないかぁ。でもそれ――あの猫ちゃんってそのことは、」

「知ってたと思うよ。というより察していた、かな。じゃなきゃあんな、母猫が二月に妊娠して四月にいなくなって、それから拾われて――なんて面倒くさい自己紹介するわけないじゃん」


 あの猫はやけに堅い言い回しをしていたため、そういうものなのかと思っていたが、確かに言われてみればおかしい気もする。


「自分が異常なこともあって、母親も普通の猫じゃないことに気付いてたんだろうね。元々動物ってそういうのに敏感だしさ、あれは特に、口も頭もよく回るみたいだし。憎い奴を追い詰めるために、噂まで利用しようとするくらいだからなー」


 市民公園にはコピーだけでない、普通の猫も数多くいたわけだ。余計に自分たちの異常さが際立った結果、自覚することになったに違いない。


 そしてそれからしばらくして、子猫の周りから、母猫や他の猫達が一斉に居なくなることになる。


「……まとめて消えたってことは、多分何か・・があったんじゃないかって察するわけだ。その何か・・には、きっと僕みたいな奴が関わっていてもおかしくはない。ほら、こんなことしてる人間、そう多くないからさ。幽霊退治に出てきた相手が――つまり僕が、それ・・》に関与していた確率は低くないだろうって見たんじゃない? いやあ、ほんと嫌な畜生だよね」


 だからきっと、確証ではなかった。子猫なりに推測し、そうではないか、と察していただけだ。

 あんな自己紹介までしたのは、彼女なりのアピールだろうか。


 しかしながら、彼女は紫苑に復讐する気はないようだった。

 退治されてもしかたないと割り切っていたのかもしれないし、野良だからどうせ何年も生きてはいられないと勘付いていたのかもしれない。彼女以外には知る由もないが。


「猫が化けてたんだから、幽霊幽霊してないのも当たり前だよね。いや、今思うとかなり珍しい事例だろうな、あれ」

「それでシオンくんも、あれが幽霊じゃないって分からんかったん?」

「まあ、生き物が化けた割には、生き物感がなかったし。――僕の目だって普通の人間の眼球なんだから。しかたないだろ」


 声のトーンが下がって、拗ねたような口ぶりだった。

 今のところ舞夜にとって紫苑は、どんな怪異だって解決できるような一種非常に都合の良い存在なので、驚いてついあんな言い方をしてしまったのだが。――かといってここで謝ると、よりプライドが傷つくのか、余計に紫苑が機嫌を損ねることとなる。記憶の欠けた今の舞夜だって、それくらいは理解している。

 よくなかったな、と思い直して、舞夜は話題を変えてしまうことにした。


「コピーの猫でも赤ちゃん産むんやねぇ」

「ああ、うん。僕もびっくり。コピーだってなんだって、誕生したからには一つの生き物ってことかな。はは、なんか生命倫理っぽい話だね。ウケる」

「笑うとこあった?」


 くすくす笑っている、こういうところはよく分からない。




 それからしばらく。

 清々したらしく表情だけは明るい子猫を抱え上げ、舞夜は藤原家のチャイムを鳴らした。

 偶然保護したことにして、こうやって連れてきた方が家にも戻りやすいだろうという、彼女なりの配慮だった。

 誇らしげににゃーにゃー鳴く子猫の存在に気付いた瞬間、藤原七々子の母親は堪えきれず涙を零した。舞夜の手を握り、壊れ物を扱うような手つきで何度となく子猫を撫でながら礼を言った。

 舞夜はきちんとお礼がしたいという彼女の誘いを断って、近くで待機していた紫苑と合流した。


「なーなーシオンくん、ほんとに挨拶しやんでいいの?」

「いいの。猫の方はちゃんと確認したし、これで今回の件は完全に終了だね」

「お疲れ様でーす。ハイタッチする? しやん?」

「しない」


 すげなく断られたが、まあなんとなく分かっていたことだと舞夜は気にせずにこにこしている。


「でも、七々子さんがお化けになってなくてよかったねぇ。伊藤先輩のこと、恨んでなかったってことなんかな?」

「まあ、怨霊なんてそう簡単になれるもんでもないしねー。恋愛の恨みも昔と違ってどうとでも発散できるし、誤魔化せるし。藤原七々子だってあれこれ言いながら、内心は冷めていたのかもしれない。分かんないけどね」


 紫苑はそこで言葉を区切った。


「……もしくは、優秀な聞き手がいたから中にため込まず済んでた、とかね」

「あの猫ちゃん?」

「うん。だとすると積もり積もったものを、人が猫に押し付けたようにも見える」

「……猫が人を救ったようにも、見えるよ」


 舞夜は、あの子猫が化けた藤原七々子の顔を思い出す。

 ふんわりとした雰囲気の、相手を慈しむような柔和な表情は、実際にあの猫が彼女から注がれていたものなのだろう。そればかりが記憶に焼き付いていたから、食欲の対象である舞夜へ向ける表情だって、あんなに穏やかだったのだ。


 紫苑は、彼女のその言葉に何も言わなかった。


「うーん、気が合わんなー」

「そうだね。まーどうでもいいや。早く帰ってゲームしようぜ!」

「ゲーム? シオンくんゲームすんの!?」


 彼の家にゲーム機が一つもないと聞いて、衝撃を受けたのはつい最近のことだった。兄が幼い頃からゲームに没頭していたこともあって、舞夜は今でもしょっちゅう遊んでいる。そのため、男子の部屋にはゲーム機が一つ以上設置されているものだと、勝手に思い込んでいたのだ。

「ええー…」と固まっていた舞夜に、「前も全く同じリアクションだったよ」と紫苑が呆れていたことは記憶に久しい。

 その彼がまさか。

 目を丸くしている舞夜を見て、紫苑は笑っている。


「僕だって、まあたまにはね。今度貸してあげるよ」

「わーありがとう! どんなんなん? おもしろい?」

「まだやってないから分からないけど、ちょっと噂になってるらしいよ。まあ詳しくは、遊ぶまでのお楽しみかな」


 舞夜は期待に他愛なくはしゃいでいたが、紫苑がそう言ってにっこりしたのを見て、少し気分が落ち込んだ。

 彼は案外よく笑う人なのだが、意味深な笑顔をするときは大抵何か企んでいる。非常に厄介だ。


 これ以上何か言われる前に、舞夜は家に帰ることにした。

……そういえば、御札について尋ねるのをすっかり忘れていたが、また後で聞けばいいだろう。

 きっとまた、こういったことには巻き込まれるに違いないのだから。

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