第26話 3

「返事こやんなー」

「はぁ? なんで? 女子高生って小動物が馬鹿みたいに好きなんじゃないの?」

「いや、さすがに即答で飼いますとか言うほど、皆軽率じゃないよ」

「冷たいだけじゃなくて? あ、君んとこどうなの、猫」

「お兄ちゃんがアレルギーなんさー」


 症状は深刻というわけでもないが、軽いと言い切れるものでもないため、お願いしてみせてもさすがに却下されるだろう。

 舞夜自身、そのこともあって余計にペットに憧れを募らせてはいるのだが……だからといって、兄の体に負担をかけたいわけでもない。


 舞夜が説明すると、紫苑はふーんとだけ呟いた。


「でも猫ちゃんやっつけたりしやへんし、新しい飼い主探そうかーとか聞くし、シオンくんなんか優しいねぇ。探すの私やけど」

「だって産まれて一ヶ月しか経ってない猫を殺すって、なんか僕が悪者みたいじゃん。納得いかない。なんにも悪いことしてないのにさぁ。あと化け猫退治なんて伊藤初司からの依頼に含まれてないのもまた腹立つ。料金だって段違いだぜ? ――割と冗談抜きで、たぶん彼じゃ払えない」

「えっと、それやばくない? どうすんの?」

「こいつの『いつまでお化け』だけ止めさせる。詐欺とか言うなよ! しかたないだろ!」

「伊藤先輩に説明しやへんの?」


 説明義務とか、と言いかけたが間髪入れず「しない」と断言された。


「もし説明してやったとしてだよ。化け猫に恨まれてるなんて知ったら、そいつは一体どうすると思う?」

「なんとかしてーって言う?」


 帝釈家の存在を彼は既に知ってしまっているのだから、縋りつきに来るに違いない。でなければ自分がどうなるか分からないのだから。


「そうだね。だけど支払いは不可能だろうし、そうするとなんとかして金を集めようとするだろ? さすがにサラ金に行く根性は無さそうだよな。安くしろってごねられるかもね? ああ、親に借りるって手段もあるけど、普通の高校生が親に借りるような金額でもないし……。あいつ絶対自分のしたことを親に説明したりしないだろうし、ややこしいことになる……」

「なんで?」

「化け猫退治なんて言ったって、普通の人間なら信用しないよ。ヤバイ商売に騙されてるって思うだけだ。そうなるとこっちが顔出さないといけなくなるわけだけど……マジで面倒くさいんだぜ、こんな頭のおかしな職業で親御さん説得するの。ほんと通報される」

「な、なるほど……」


 確かに舞夜が紫苑と知り合う以前の状態で、その家族側の立場だったとしたら、絶対にそんな戯言信用しないだろう。

 怪し過ぎる商売に騙されたのだと結論付け、速やかに説得に入るに違いない。


「あ、分割払いないの?」

「あるけどあいつ高校生だろ? これから受験だからバイトも期待できないし、お年玉や小遣いでも焼け石に水。慈善事業じゃないんだぜ、そんなに待ってやれるかよ。だから学生の客は嫌いなんだよ、ほんとクソ。貧乏、そして真っ当な親の庇護、そして未成年という法律上の特権の塊。ほんとクソ」


 紫苑は本気で鬱屈としているようだ。

 舞夜には詳しいことは分からないが、しんどい目に遭っているだけは理解できた。


「なんかよく分からんけど大変やね。大丈夫?」

「大丈夫じゃない。しょっぼい霊だと思ったからあんな奴でも払えるだろうと思って客にしたのにさぁ。見通し甘すぎたね! 正直気を抜いてた。自分が間抜け過ぎて苦しい」

「それは喋り過ぎたからっちゃう? 二酸化炭素の吐きすぎや。深呼吸深呼吸。すーはー」


 紫苑は素直に深呼吸した。

 先ほどから怒涛の勢いで喋り立てていたので口も疲れているのではないだろうか、と舞夜は内心気にかかっていた。

 水筒でもあったらお茶でも分けてあげたいくらいだが、残念ながら今の舞夜の手持ちは財布と携帯電話くらいである。


「だから化け猫のことは伝えない! 『いつまでお化け』はしょぼい霊だった、それを解決した、代金を頂く、はいおしまい! 以上!」


 全て丸く収まるのなら、それがきっと一番いい方法なのだろう。そこまで言われてあれこれ反論できるような立場に舞夜はいない。


――それにもし、伊藤初司が化け猫に憑かれていたと知り、藤原七々子が飼っていた子猫について、勘が働くようなことがあったとしたら。


 それこそ、その後どうなってしまうか分からない。確かに、黙っている方がいいのかもしれない。


「しかも飼い猫なんて余計に手出したくない。あんな奴のために安価で法律犯すとかアホらし過ぎて笑えない。まあそれもあって高額なんだけど……」


 とりあえず子猫が暴行されないこと、伊藤初司がこれ以上子猫に付き纏われないこと、それだけ確認できたのだから舞夜としては最低限オッケーである。


「……『お前の家から化け猫が出た!』って難癖つけて、藤原七々子の母親からせしめてやってもいいけど……さすがに無理だな。そこまでいくとあの家が悲惨過ぎるし、それにこいつ、絶対協力してくれないしね」

「そんなんなったら私も止めるよ! こうなったのも――あ、返事きた」

「いい返事?」

「千晴や。子猫について知りたいってさ! あ、違う人からもきたー」


 そのままどうでもいいことを喋りだしそうだった舞夜に、「そっちに集中しろ」と言って背を向けさせてから、紫苑は子猫と向き合った。動物なので表情こそ変わらないが髭は萎れ、長い尾は力なく地面に伏せてしまっている。

 舞夜だったら釣られてしょんぼりしてやるのかもしれないが、紫苑からしてみれば落ち込むくらいなら早く諦めろといった呆れしか湧いてこない。


 自身の名すら捨てたという頑固な子猫のあまりのやり辛さに、紫苑は自分の膝頭に頬杖をついて溜息を吐いた。


「なあ、お前帰ってやれよ。拾ってくれた飼い主の恩に忠実なのはいいけどさ、だからってそれ以外の家族を蔑ろにしていいってわけでもないだろ? それに今の聞いてて分かったと思うけど、僕みたいな…伊藤以上にヤバイ奴なんていくらでもいるんだから、ほら、戻ってあの家を守護してやろうって気にはならない?」

「道理は分かるが、しかし、どうにも。あの男に湧き立つ恨み辛みが、我が事でないかのように抑えきれない。母の優しさを笠に着て好き勝手な振る舞いをしたあの男に、どうしても目にものを見せてやりたい。それが出来ぬのならばせめて、己の行いを省みるようになってほしい」

「そーゆー物の考え方は悪くないんだけどさぁ、こっちからしたらすっげー面倒臭いの、分かる?」

「納得なきまま動くわけにはいかない」

「生後一ヶ月のくせに言うこと一本気だな。――まあ、僕もさ、鬼じゃないんだ。きちんと言うことを聞いてくれたら、君を無理矢理消さなくていい。説法だよ説法。暴力はよくない。ね、マイ。おい、聞けよ」

「えっ、なに? 今いい感じなんやけど」


 紫苑に言われたがまま、いそいそ子猫の里親候補を探していた舞夜が顔を上げた。とりあえず猫の状態につて、かくかくしかじか説明しながらやり取りを交わしていたところであった。


「あー、つまり、暴力はよくないって話?」

「ど、どうしたん? 大丈夫? えーっと、穏やかなシオンくん? 大丈夫?」

「顔剥ぎだとでも思った? ……頭も大丈夫だよ、どうもご心配頂きありがとうございます。それよりも、これの飼い主候補は?」

「とりあえずいい感じに一人……」

「お、舞夜にしては仕事が早いね! さてそれじゃあ僕はこいつに一説振るってやるからさ、君はあっちで電話でもしてきてくれる?」


 求められたり捨てられたり忙しいな、と思いながら舞夜は大人しく移動した。文字でちまちま説明するより電話の方が手っ取り早いと、ちょうど思いかけていたところだったからだ。紫苑のタイミングがあまりにもよくて、まさか分かっていたのかと一瞬だけ思っていた。もちろん偶然である。


 舞夜が離れていったのを確認してから、紫苑は再び子猫に向きなおった。


「恨みつらみを単純にぶつけるだけじゃあ誰も救われないよ? いっそ相手を許し、受け入れるぐらいの心の広さがないと。傷つけ合いは何も生まない。ほら、お前の馬鹿に目立つ行動があっさり僕を引き寄せたみたいにね? …それに傷つけて追い込んで孤立させたとしても、結局はそれっきりなんだ。何にもならない。寧ろ、憎さを押し殺して守護してやるべきであるとさえ言える。彼に人との繋がりの大切さを教えてあげるんだ、お前にならきっとできる」


 しゃあしゃあと吐き出される言葉の群れに、綺麗事を、とはぼやかない。言外に含まれる真っ黒なそれを子猫は敏感に察し、その人間の目を覗き込む。

 産まれて一月の子猫にとって、彼はまるで悪の巨人のように見えた。


 紫苑はそっと、子猫の耳元に口を寄せる。


「……少し危険で、少し変わった人間に好かれるようにしてあげればいいんだよ」

「……」


 子猫は、深々と頭を下げた。


「あ、ちょっと懲らしめたらすぐ放れろよ。んで、そのあとはどうする? 舞夜が飼い主探してくれてるけど」

「ありがたいことですが、許されるなら元居た家に帰り、家族の守護につきたいと思うております」

「分かった。――もしもこの約を破ったら、その時点でお前が、いや、お前の家がどうなるか、覚えておけよ? それからお前の今からの行動に、僕は一切責任を持たない。いいね」


 子猫は頷いた。


「オッケー。――マイ! 話がついたみたいだ、電話切っていいぜー」

「なんで? え、つまり新しい飼い主は必要ないってこと?」


 舞夜は地味に物分かりがいい。紫苑が頷くと、彼女は納得いかない様子で首をひねった。

 それでも子猫がやけに曇りの無い表情と眼をしているため、そこまでの怒りは湧かなかった。寧ろ彼女が納得できるように話が纏まったのなら、それこそ万々歳である。


「貴方のお陰で、目が覚めたかのようでございます」


 頭が地につくぐらい、子猫はお辞儀をした。


「命を取らずにいてくだすった御恩、今世のこの命果てるまで忘れませぬ。ありがたし、ありがたし。さすれば此度の償いを終えた後、是非とも謝礼に参りたいのだが、よろしいか」

「話の分かる子で嬉しいよ。ネズミ捕りでもしてもらおっかなー。……家で見たことないけど。あ、舞夜はなんか欲しいものある?」

「ないけど、えっと、此度の償いって?」

「迷惑をかけた分、伊藤先輩の守護霊をしてみせるらしい。肉の器があるから大変だろうけど……、まあ、すぐ片も付くだろうし大丈夫だろ」


 驚きの変わり身っぷりに舞夜は訝しげにしているが、紫苑は放置して猫に向きなおった。


「最後に、これはただの僕の興味なんだけどさ。以津真天いつまでって妖怪知ってる?」

「存じております。母が時おり赴いていた図書館、そこで人間を呪う技を探していたがございませんでした。しかたなしと参考がてら読んだあやかしの本に、それが。――母は、勉学にも熱心でありました」


 そういえば彼女は頭も良かったと、伊藤初司も言っていた。真面目な娘だったのだろう。

 その図書館とは、舞夜や紫苑がしばしば足を踏み入れる市立図書館にちがいない。もしかしたら彼女と擦れ違ったこともあったかもしれないな、と舞夜はしんみり思った。


 子猫は最後に二人に向けて、両手を揃えて頭を下げた。


「さすがは、さも恐ろしき人間の知恵にございます。畜生の頭の出来を恥じるばかりです。……さて、善は急げと申しますれば、これにて御前を失礼させていただきます。では」


 猫はその身を伸ばし、高らかに一度鳴き声を上げた。そしてそのまま駆け出して、あっという間にその姿が見えなくなった。


 どことなく置き去りにされた感がある舞夜は、首を傾げていた。


「……どーゆーこと?」

「伊藤も子猫も僕も、みんなが納得できるいい方法が見つかったってこと。めでたしめでたし、完!」


 紫苑が満面の笑みを浮かべる。

 舞夜は肩を竦めた。

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