第22話 2
説得を任せられた舞夜が首をひねりながら喫茶店を出て行ってしばらく。手持無沙汰を紛らわすためぼんやり外を眺めていた紫苑の前の席が、唐突に引かれた。
見やれば、以前会ったときよりもいっそう顔色を悪くした伊藤初司が、荒々しく席についたところだった。
「お久しぶりです。ご依頼の方、承りました。いやー、ありがとうございます」
「本当になんとかしてくれんのか」
愛想の欠片も無い毒づくような物言いに、紫苑は「そうですね」と頷く。伊藤の顔は青ざめているが、活力が失せたわけではないらしい。
しかしどこか病んだような苛立ちっぷりは、異常性を感じさせるほどだ。客でもなければ、目すら合わせたくない様相である。
「なんだかお疲れのようですし、用件だけ話します。二つほど頼みたいことがあるのですが」
「あいつを追っ払ってくれんならなんでもする。だいたいあんな噂のせいで、くそ。いったい誰が……」
そして注文を取りにきた店員を伊藤がそっけなく追い払ってから、紫苑は口を開いた。
「一つは、そうですね。藤原七々子さんのお家に伺いたいので、取りついでくれませんか?」
「は? なんで俺があんなとこ! あいつの家なんか絶対行かんぞ。ふざけんな」
紫苑はいくつか言ってやりたいことはあったものの、まあ、逆恨みでその家に怒鳴り込んでいかないだけましか、と飲み込んだ。
世の中には本当に意味の分からない人間もいるもので、それに比べたら彼なんかは随分と分かりやすい方である。もちろん褒め言葉ではない。
「別に先輩について来いとは言ってないじゃないですかー。藤原さんの後輩だとか知人だとか適当に説明して、僕が手を合わせに行きやすいような状況を作ってくれって言ってるんですよ」
しばらく適当に諭していると、伊藤はやがて不承不承といった感じで引き受けた。
藤原七々子の母親とは、彼女の生前からちょくちょく顔を合わせていたらしい。友人知人には交際を隠していたくせに、不思議なものだ。まあ、そこらへんの仔細を尋ねるつもりもない。
「もう一つは、七々子さんと貴方のことをもう少し詳しく聞いておきたいんです。……ちゃんと話していないことが、あるんじゃないですかね?」
「……そんなん、必要かよ。さっさと退治してくれたらいいんちゃうのか」
「だから、そのための材料をくれと言ってるんじゃないですか。まず相手のことを知らないと、出来るもんも出来なくなるんですって。予め言っておきますが、これはお仕事です。もちろん僕は客の個人情報をそう安々と晒したりしませんし……こうして一対一の今、聞いておいた方がいいんじゃないか、と思いまして」
言外に、舞夜が一緒にいるときよりも、男二人だけである今の内に全部すっかり話してしまえ、というのである。
伊藤はしばらく考え込むように押し黙って隈の酷い双眸をきょどきょどさせていたが、やがてとつとつと語り始めた。
舞夜は兄である
画面の中では少し古めかしい絵柄であるが、それでも個性的で可愛らしい女の子が二名、にこにこと微笑んでいる。プレイヤーが男性主人公となって女性を相手にした恋愛を楽しむゲーム、いわゆるギャルゲーというものだ。
とりあえず舞夜は女心についてのアドバイスを貰おうと、帰宅したら既に家にいた兄に尋ねたのだが、
「彼女いません」
と硬い表情で断言された挙げ句、トイレだなんだと逃げるように部屋を飛び出していったので、とりあえずゲームでいいやと妥協したのだった。
あの様子なら兄も、こういったゲームでしか女心なんて学んでいないだろうし、どちらにせよ同じだろうと結論付けたのだった。
女の子を口説き落とすのだからノベルゲームなのだろうと予想していたのだが、戦闘もステータスもある変わった仕様だった。ついでに言うと主人公らの暮らす国は軍事に重きをおいており、隣国との関係から政情不安が高まっている――というより、後者の大規模な戦闘、軍事軍略がメインであるようにも見える。
パッケージ詐欺だ。
(選択間違ったかな……)
と、画面の中で国の今後について語る主人公らを眺めながらぼんやり思っていると、彰冶がすごすごと戻ってきた。
「……なんで政変イベント起こしとるんや」
「だってさ、頼りにしとるよーってお婆ちゃんが言ったから」
「お婆ちゃんじゃなくて上司やろ。ほっとけ。ほら、さっさと家戻る!」
ゲームに関しては、普段通りてきぱきとアドバイスをくれるようだった。舞夜の遊び方は彼女の「女の子と恋愛する」という目的にそぐわないものだったらしく、大きく方向転換させられた。
ちなみにその後政変は失敗して上司は処刑された。
「違う奴とデートすんなって。落とすんはピンクやろ?」
「だってさっき知り合ったから、一緒に遊びに……」
「一人に絞る!」
「難しーなぁ」
それでも素直に指示に従って、ピンク色のロングヘアーの少女に声をかけにいく。
「こんなのって女でも楽しいんか? なんか見とる俺の方が居たたまれんというか」
舞夜自身、思っていた以上にこのゲームを楽しむことができているので驚いている。
しかしよく考えたら、男主人公が個性的な女性と親しくする物語なんて古今東西山ほどあるわけだ。小説でも漫画でもドラマでも映画でもそうで、今回はその媒体がゲームとなっているに過ぎない。
まあどれも全く同じというわけではないが、ストーリーを楽しむのであれば、そこまでの差異もなかった。
「うん。まあ面白いもんはなんでも面白いよ。向き不向きはあるかもしれんけど……なんでこの人こんな怒っとんの?」
「デートサボるからやろ……」
「ちょっとほっといただけやのに?」
「お前向いとらんから止めた方がいいぞ」
舞夜はゲームに勤しみながら思った。
――女心の勉強にはいまいち役に立たないな、と。
寧ろ主人公が取っている行動から、男心について考察できそうである。
「お兄ちゃんって彼女おらんの? 大学とか、バイト先とかさ」
「いません。バイト先はパートのおばちゃんならいっぱいおるけど、こき使われてさー。可哀想やろ? 今度もさー折角久しぶりの土曜休みやったのにいきなり代わってくれとか言われてさー。子どもの学校行事とか、そんなん早くに分かっとるんやからさっさと言えって感じやし、俺が暇やからって舐めとるやろ? それに、」
こんこんと語られる愚痴の内容を聞き流しながら、舞夜は溜め息を吐いた。
やはり兄自身も悲しいかな、この話題についてはいまいち役だってくれそうにない。
舞夜はその後、友人など、他の人にも相談してみることにした。
昼休み、集まった友人らに恋愛相談があると言うと、全員目を丸くして、興味津々といった様子で顔を寄せてきた。が、残念ながら舞夜自身のことではない。
そう告げると、千晴以外はそれぞれ散ってさっさと昼のパンを買いに行ってしまった。
千晴と舞夜は弁当である。
「えーっと、お兄ちゃんのことなんやけどな」
「めっちゃ興味無いんやけど……」
千晴はえぇ、と眉根を寄せた。
普段はクールな雰囲気であるのに怪談を怖がったり、今みたいな気を抜いている場面では表情が豊かだったりと、こういったところは割と年相応だ。
舞夜もさすがに伊藤初司の名をそのまま出すことは憚られたので、勝手に兄のことに改変した。
「えーっと、なんかストーカーっぽい女の人がおってさ。お兄ちゃんが行くとこにいっつも出てくんの」
「それ警察行った方がよくない?」
「いや、善い人なんやけどちょっと付いてくる感じで、目があったらすぐどっか行くし」
「いや警察行った方がいいって……」
千晴の答えは簡潔であった。
舞夜が説得で何とかしたい、ということを彼女に伝えると、やはりひどく冷静なトーンで淡々と諭された。
「んーと……」
これは先ほどの説明があまりにも悪かった。自覚がある。
舞夜は少し考えてから、方向を変えることにした。
「ストーカーは言い過ぎやったかも。えっと、お兄ちゃんとその人は付き合っとって……それでお兄ちゃんが最近なんか素っ気ないから、待ち伏せとる、感じ? 割りと冷静よ」
「聞かれても。えーっと、つまり、悪い人ではないってこと? んで、舞夜も知り合い?」
「うん、そう。普通の人。それでさ、でも、そういうのってよくないやろ? 噂とかなると大変やし。だから話して分かってほしいなって。どういう風に話したらいいかな?」
「……」
千晴は目を伏せて考えている。
箸でブロッコリーを摘まみあげたままで、その不安定さが舞夜には気にかかったが、彼女の邪魔をしないようにじっと黙って弁当を食べ進めた。
やがて千晴は口を開いた。
「待ち伏せによるデメリット――は、多分本人も分かっとるし。詳しいことは分からんけど、二人には多分、二人の事情があると思う……から、舞夜の気持ちを話したら?」
「……私の?」
きょとんと尋ねる舞夜に、ようやっとブロッコリーを口に入れた千晴は頷いた。
「うん。そういうことをされると兄が心配なので止めて下さいー、とか。舞夜も知り合いなら、ちょっとくらい喋れるやろ。もしその女の人が普通の人なら、舞夜の気持ちも、忠告も、ちゃんと分かってくれると思うよ。……なんか会うのは危ない気がするから、電話とか、メールでもいいし。ま、私は警察行った方がいいと思うけど」
「なるほどなぁ」
舞夜は卵焼きを飲みこんで、感心した声を上げた。
伊藤初司に姉妹はいないため直接この案を使うことはできないが、いい感じに利用はできそうである。
千晴はそれから舞夜に、気持ちを伝えてみて、態度に違和感があったらすぐに通報するようにと言い聞かせた。
舞夜は了承しながら、勝手に名を出した兄に、心の中でそっと謝罪した。帰ったらお菓子でもあげよう。
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