第21話 噂

 翌日、学内にて、舞夜は『いつまでお化け』の噂話を集めていた。

 いくつか聞くことができたのだが、中には同じ人物について語っているにも関わらず、若干程度変化してしまっているものもあった。例えば藤原七々子が――同校生の伊藤初司と異なり、彼女の名前自体は誰にも伝わっていなかった――I女子高校の生徒ではなく、OLになってしまっているものまである。

 何がどう変化して伝わってきたのか、ひどく疑問だ。


 しかしながら、それらをすっきりまとめてしまうと、存在する噂は二パターンしかない。

 一つ目は、女性が姿を現して「いつまでも、いつまでも」と告げて消えるものだ。伊藤の前に現れる藤原七々子もこれにあたる。噂で聞く限りは、女性しか存在しない。

 もう一つは、「いつまでも いつまでも」という声だけが聞こえるというものだ。声の主は男であったり女であったり、はたまた老人であったりと様々である。この学校付近で、同い年くらいの少年の声が、というのもあった。


 そういった話の中で、伊藤初司についても詳しく聞くことができた。

 といっても浮気をしていたという直接的なものではなく、どこか女子に対する態度が軽いとか、女慣れしてそうだとか、そういったものである。あまり誠実じゃない人というイメージがあるのは事実なようだ。

 そのため、


「それで浮気とかしてさ、バチがあたったとか?」

「あ、それありそー」


 なんていうことを、冗談めかして喋る女子もいた。


 紫苑の言った通り、伊藤は本当に浮気していたのかもしれない、と舞夜は考えた。彼女が会ったときは弱っていたせいもあってか、女慣れとかはなく、ただ受け答えが早い先輩だな、という印象しかなかったのだが……見る人、見る状況によってはこうも変わるらしい。……もしかしたら、舞夜が鈍いだけかもしれないが。




 前回と同じ喫茶店で、舞夜が聞いたことをまとめていると、紫苑がやってきた。その手には珍しく、少し古い型の携帯電話が握られている。彼は普段、頻繁に連絡を取る相手がいないと言って、携帯電話には碌に手をつけない。


「シオンくんと携帯って珍しいね」

「そうかもね。……さっき連絡が来てさ、伊藤先輩からの依頼がはいったんだよ」


 彼の携帯電話はメールや電話くらいにしか使えないという。そのためネット検索などちょっとしたことがしたくなったら、舞夜のスマホを勝手に取って使っている。それで困ったことはないようなので、そういうものなのだろう。


「お、噂集まってるね。すごいじゃん。へー、よくやるよ」

「やらしたのシオンくんやけどな。もっと褒めていいよ」


 喫茶店でケーキを食べ終えたあと、舞夜が頼まれたことがこれであった。

 舞夜も普通に嫌がったため色々と言い争ったのだが、結局紫苑の「友達がいない僕にどうやって噂集めろって言うんだよ! 君は鬼か?」の一言から始まった攻勢に舞夜が押し負けてしまった。

 ちなみに舞夜がメモ書きした内容のほとんどが、クラスの女子から聞いたものだ。一度話題に上がれば、次から次へとあれがあった、これがあったと向こうから喋ってくれる。クラス全員がそこそこ気の知れた仲であるため可能なのだろう。


「この『いつまでお化け』が姿を見せるパターンは全部、藤原七々子が元になってると考えていいと思う?」

「んっと、多分な。自分の高校の生徒が関わっとる話やから、皆あんまり話に差がなかった。えーっと、男の先輩がこの高校以外の人と付き合って、その人が死んで、幽霊になって出てくるって感じ。だいたいそう」

「ふーん。じゃあ声だけの方は無視でいい。たぶん模倣犯、悪戯かただの変態か、それかただノリで吐いた出任せだろう」

「いいの?」

「うん、今回は楽そうだ。T市内って条件もあり、原因もだいたいは予想がつく。幽霊の正体は藤原七々子。依頼も既に請け負い済み。振り込みが未だという点以外は完璧だね!」


 紫苑は机に広げられた舞夜のメモを眺めながら、うきうきとしている。舞夜もつられてにこにこした。

 紫苑はしばらく読み進めて、やがて舞夜が伊藤初司について、おまけ程度にメモしておいた部分につき当たった。


「……しっかし伊藤は碌でもねーなー。軽薄で浅慮で虚栄心の塊だ、いいとこが一つも見当たらない」

「そこまで言わんでもよくない?」


 確かに正直、彼を褒めるような発言は聞くことはできなかったが、きっと友人だっているのだろう。多分。そうもべらべら暴言を言ってもいいものか。しかし舞夜も彼についてはよく知らないため、フォローの一つもできないのだが……。

 紫苑は平然続ける。


「だって予想にしてもさ、普段の態度から『浮気したバチ』なんて言葉が出てくるんだぜ? あ、依頼してくれたんだからそう文句も言えないな。でも女一人化け物にするくらいの恨みを生みだしたんだから、まああんな奴死んだっていいんだけど……」

「死ぬのはいかんな」

「別に精神病んで廃人になったっていいんだけど……」

「そういうこととは違う」


 普段から化け物を相手にしているせいか、死が人より身近であるせいか、紫苑の発言はしばしば物騒だ。たまに辟易とさせられるほどなのだが、


「とにかくさ、藤原七々子と一度話し合ってみようと思うんだ」


 今回出された提案は、ひどく穏健的であった。


 理由はいくつかあるが、まず生前の姿がはっきりと現れていたこと。伊藤曰く視線も合っていたから視覚もあるし、口も利いていたのだから当然話しをすることもできる。以前伊藤が罵ったら消えたこともあるらしいので、恐らく聴覚もあると推測される。また、今のところ伊藤に物理的な・・・・害が及んでいないことから、話し合う余地があるのではないか、ということだった。


「平穏や……」


 舞夜も賛成した。


「じゃあ舞夜、頼んだよ」

「何が!?」

「説得だよ、説得。ほら、僕なんかに任せたら何口走るか分からないじゃない」

「無理……」


 確かにそうだと思わなくもないが、そこで容易く頷けるほど舞夜は身の程知らずでもない。

 有無を言わさぬような圧力をかけてくる紫苑の笑顔に、舞夜は「うわぁ」と嫌そうな声をあげるが、彼が気にした様子はなかった。


「普通に幽霊の気持ちになって考えたらいいんだよ。藤原七々子が何故それをしているのか? どうしたら伊藤へのしょーもない嫌がらせを止めてくれるのか?」

「そんなん私に分かるはずないやん。シオンくんなんか考え方ズレてない?」


 気軽な調子で幽霊の気持ちと言われたが、常人にとってそれはあまりにも関わりのない、異常なものだ。普通に、のノリで考えるものではない。

 紫苑の感覚はあの世のものに近すぎるというか、舞夜にはいまいち付いて行けない。


「……まあ、何故の方は完全に理解する必要はないよ。宥めるでも慰めるでも罵倒するでも説教するでもいいから、とにかく藤原七々子を祓ってくれればいいんだ。ほら、同じ女同士ってことでさ」

「それ本気? 最悪の人選やー」


 柊舞夜と藤原七々子。別と同じ市内に住んでいたこと以外、一致している点が何一つない。

 それに舞夜は彼女と違い、恋人一人いたことがないのだ。説得の材料になるだろう七々子の気持ちを推察することだって、当然ながら難しくなってくる。

 紫苑だって分かっているだろうに、彼はのん気そうにへらへらしている。


「大丈夫、坊さんもよくやってる」

「何が大丈夫なん?」


 というか、シオンくんいつもこんなんやっとったっけ?

 舞夜が首を傾げると、君が忘れてるだけだと返された。そう言われてしまうと、彼女としてはぐうの音も出ない。


「ほら、僕に遠慮なく説教される藤原七々子の気持ちも考えてみなよ。傷心して死んだ上にぼろくそ言われて叩きのめされて追い払われるなんて、あんまりにも可哀想じゃないか。な、君もそう思うだろ。……人の心があるなら、哀れな幽霊にちょっとくらい情けをかけてやってもいいじゃん。な?」

「確かにシオンくんに色々言われるのは可哀想やけど……。でもシオンくんだってその自覚があるならさ、なんとでもできるやろ?」

「僕じゃ慰める言葉が何一つ浮かばないからこうやって舞夜なんかに頼ってるんじゃないか。今こそ君のそのお人好し加減を活かすときだ!」

「滅茶苦茶言うなぁ……」


 祓うべき対象である幽霊――藤原七々子に少しでも穏やかに成仏してもらいたいと思っている分、紫苑は優しいのかもしれないと舞夜は一瞬思ったが、それからすぐ、ただやりたくないことを押し付けられてるだけかもしれん、と考え直した。

 多分後者だろう。

 彼はいざとなったら毒のように優しい言葉を、いくらだって吐き出せそうだ。


 そんなことを考えながらも、舞夜は、


「……分かった」


 と頷いた。紫苑はこちらが了承するまでしつこく頼んでくるだろうと思ったし、それに単純に、藤原七々子が可哀想だったからだ。

 万一彼に任せて、彼女がけちょんけちょんになるまで甚振られでもしたらあまりにも惨い。


「そう言ってくれると思ったよ」


 と紫苑は上機嫌だった。

 しかし何を話したらいいのかなんて、さっぱり分からない。宥めるにしても説教するにしても、そもそも接点一つ存在しないのだから。


「ハードル高いよ?」


 と舞夜が首をひねっていると、紫苑はあっけらかんと答えた。


「じゃあ誰かからアドバイスでも貰って来たらどうだい? ハードルが高いんなら、他の誰かに越えてもらえばいいんだよ」

「そうかなぁ……」

「僕は僕でやることがあるからさ、そっちは君に任せたよ」

「なんか準備? 大丈夫?」

「そうだね、気になることもあるし……何より、穏やかな手段を取るって決めちゃったからさー。もう少し、色々と準備をしておこうと思って」


 舞夜は詳しく聞こうかとも思ったが、紫苑の笑顔がどこか空恐ろしかったので結局止めておいた。

 それから、彼はまだここで待ち合わせがあるらしいので、先に喫茶店を後にした。

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