第20話 2
それから紫苑が伊藤に、仕事用の連絡先を教えたところで、彼は喫茶店から出て行った。
「いやー我ながら詐欺みたいな手口だったねぇ」
紫苑は追加でコーヒーと、ついでにケーキを注文してから、へらへら笑いながらそう言った。
尾行しながら偶然出くわしたフリをして、事情を聞きだし、弱っているところにつけ込んでそのまま仕事を結ばせる――これだけ聞くとアウトな気もするが、一応紫苑は本当にその筋の専門家であるし、特段高値をふっかける気も無い。
結果的に仕事を依頼するかどうするかは、伊藤次第だ。
「結構参ってるみたいだったけど、どうかな」
「うん。ちゃんとお家帰れんのかなぁ? またお化け出てくると思う?」
「さあ、どうだろう。それにしても……」
紫苑はいたく上機嫌な様子でにんまりする。人の弱点を見つけたときこのようになるのはどうか、と舞夜は思うが、彼の数少ない喜びのようなのでイマイチなんとも口出ししがたい。
「自業自得だよなー。
「え、浮気なん?」
舞夜はちょっとばかり目を瞬かせた。どちらかと言えば大人しく、私生活も派手ではない舞夜の周りで、伊藤はあまり見かけないタイプの人間だった。まあ彼と同じようなタイプの人間がそう何人もいたら困るだろうが。
「多分な。じゃなかったらあんな言い淀まないだろうし。おまけにあそこまで自分を追い詰めてくる女の悪口一つ言わないなんて、後ろめたいことでもあったんだろ。……穏やかで優しーとか言っちゃってさ、内心では絶対、大人しくて怒ったりしない都合のいい女とか思ってたに違いないぜ! 多分!」
「でも浮気ならちゃんと、浮気しましたって説明すると思うけど……だってあんなに困っとるんやし」
好き勝手言う紫苑に、舞夜は困ったように眉尻をへにゃりと下げた。
「君がいたからだろ? 後輩女子。冷たい目で見られたくないし、無駄にかっこつけたいのもあるし、何をどう言い触らされるか分からないし……」
「先輩も大変やね。まあそんなん聞いたらすぐ喋るけどな。めっちゃ喋る」
「だよなー。そんで多分君がそんな噂を聞かなかったってことは、学校ではうまく隠してんだろうな。知ってる人は知ってるかもしれないけど」
紫苑は運ばれてきたコーヒーに、先ほどはブラックで飲んでいたというのに、ミルクだけ混ぜはじめた。ティースプーンでくるくると、どこか手遊びのようだった。
「虚栄心が強いというか、見栄っ張りなのかな。思春期云々というより、性根の問題だろうね。あんなお化けに付き纏われるなんて噂が広がってるのも、多分彼にとっては予想外だろうし」
「ふーん」
舞夜はもうコーヒーも飲みほしてしまったのですることがない。ただ相槌を打つだけだ。
伊藤と相対していた先ほどまではいやにハキハキとしていた紫苑だったが、今は打って変わってだらだらと気を抜いた調子である。彼は喋るときは、よくもまあそう口が回るものだと呆れるくらいよく喋る。
「でも噂になるのもしかたないか。誰にでも見える霊だもんな。珍しいよねぇ」
「そーなん? でも妖怪とかさ、色んな人が見て驚くイメージあるよ」
「今回は狙いが伊藤初司一人で、しかも幽霊だよ。それをそこらに座ってただけの爺さんが、まるで人間を見たかのような反応をしてる。まあそれは僕らもか」
「ほんとの人間ぽかったよねぇ。違うん?」
紫苑はさあ、と気だるげに頬杖をついている。
「本物の人間だとしたら足音も気配もなく姿を現して、一瞬で屈んでもどうにもならなそうな物陰に隠れて、恋人を騙せるほどに藤原七々子そっくりの顔を作らないといけない。あと常に誰かの前に現れるくらいのストーカーのプロにならないとね。できると思う?」
「無理やなー」
確かに、伊藤初司と藤原七々子の霊を見かけたあの場所にも、人間が一瞬で隠れられるようなところは存在しなかった。
紫苑はにっこりすると、舞夜がねじって引っぱって遊んでいたスティックシュガーのゴミを、おもむろに取り上げて潰してしまった。
「破壊神やー」
「これくらい小さくなれたら別だけどね」
そのサイズ比だと、もはや人間業とは言えないだろう。
舞夜は、紫苑がわざわざ投げ返してきたゴミを、そっと隅に片づけた。
「めんどくせーなー」
「でもシオンくんのお仕事なんやろ?」
「こうやって他人の尻拭いすんのがほとんどなんだよなぁ。今の君みたいな感じ?」
「めっちゃ嫌な例え」
「……十分な水も用意できないなら火遊びすんなっての。それで稼いでる身としてはありがたいことですがね、ほんと…」
「複雑やね。あ、ケーキきたよ。よかったなぁ」
食事で、気分が紛らわせられることもあるだろう。甘いものはストレス解消に持ってこいだ。
舞夜がにこにこ微笑んでいると、紫苑はその皿を彼女の方へ押した。意味が分からずきょとんとしているその顔に、眉を顰める。
「君の分。食べていいよ。僕が頼んだんだからここも奢る」
「えっほんと? そんなん言うならほんとに遠慮せず食べるよ? やったー半分こしよな!」
「いらない。手伝ってもらうお礼だよ。君、現金はなかなか受け取らないんだもんなぁ。振り込みならなんとかって感じだけど。前からだよね。あ、覚えてる?」
「覚えてないです。あ、一口食べる?」
「いらない」
舞夜は美味しい美味しいありがとうありがとうと言いながらケーキにぱくついた。若干鬱陶しいくらいに上機嫌である。
つまり彼女が貰ったこのケーキと、それから先ほどのコーヒーは、紫苑からのお小遣いであるようだ。それならば彼相手だし、きっと遠慮はいらないだろう、と舞夜はさくさく食べ進めていたが、ふと思い出したようにフォークを動かす手を止めた。
「そういえばさっきさ、なんで勝手にコーヒー頼んだん?」
「割りとうまかったからいいだろ」
「別にいいけど、私コーヒー好きとかシオンくんに前言ったっけ? そうでもないけど」
「まさか。僕ってコーヒー好きだからさぁ、君にもその美味しさを分かってほしくて……。うん、嘘だよ」
紫苑はひらりと片手をあげてみせた。
「君との関係を聞かれたくなかったんだよ。めんどいじゃん。ああやって注文しとけば友人でも恋人でも親戚でも仕事仲間でもいいけど、何かしら近い仲だってあっちで勝手に勘違いしてくれるからね」
「そんなもんなん?」
「細かいことを訊かれたくない奴は、細かいことを訊いてこないもんだよ。それに舞夜ならうるさく言ってこないって思ったし」
「うん、シオンくんてたまに意味分からんから、まあいいかなって」
「奢るの止めようかな……」
ぼそりと引き攣り気味に零された呟きに、舞夜が慌てて謝ると、紫苑は冗談だと微笑んだ。しかしその表情は若干険しかったので、恐らく本気だったのだろう。
今現在ほとんど持ち合わせのない舞夜は、今度は黙々とケーキを食べ進めた。そして彼女が最後の一口を口にいれてしまったところで、紫苑は愛想よくにっこりしてみせる。
嫌な予感に、舞夜は口内のケーキを味わうこともなくごくりと飲みこんだ。
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