第19話 K高の伊藤、I女の藤原
「――これさ、ストーカーやよな」
舞夜がぼやくと、「分かってるよ、煩いな」と紫苑は煩わしそうに手を振った。
二人の視線の先にいるのは同じ高等学校の制服を着た、一学年上の男子生徒である。舞夜の友人曰く伊藤先輩で、本名は
死んだ恋人、つまり『いつまでお化け』に憑かれているという噂の張本人だ。
噂によると、『いつまでお化け』は彼の登下校の途中などにふっとその姿を現すらしい。
その幽霊の姿を確認するため、二人はこうして伊藤初司本人の許可も取らず、こそこそと後をつけているのである。
「人助けのためにやってるんだから問題無し。それともあの人、伊藤だっけ。見捨てて放っとけってこと?」
「違うけどさ、なんか、帰っていい?」
「それで僕が帰れなくなったらどうするんだよ! 鬼、人でなし」
確かに紫苑は高校入学とともにこのT市へ越してきたらしく(祖父母や親戚はこちらに住んでいたらしいが)、舞夜ほどこの周辺には詳しくはないのだろう。
「でもさ、あっち出たらそのままずーっと真っすぐ行くだけやし……」
この辺りは観光地ではあるが田舎だ。そこまでややこしい道は存在しないし、線路か港湾沿いに歩いていけば大抵はどうにかなる。その辺の人に道を尋ねても問題はないだろう。
しかし紫苑は、
「もしかしてってこともあるだろ!」
と言って譲らない。
舞夜は抗議の意を示すために唇をひん曲げた。
「嘘やん、絶対帰れるやん……あっ」
曲がり角の手前で、伊藤の足が突然止まった。
間隙置かず、影からぬっと現れた女性――舞夜にはそれが噂の幽霊だとは、到底思えなかった。姿かたちははっきりとしていて、少しやつれているようにも見えるが、おっとりした雰囲気の整った目鼻立ちも見て取れる。
本当に、生きた人間だと思ったのだ。
しかし伊藤は何事か、よく聞き取れない悲鳴とともに、手元にあった鞄を投げつけた。女はそれにぶつかる手前で掻き消え、しかし伊藤は狂ったように叫びながら指に触れた石ころや木屑なんかを片っ端から投げ続けている。
完全に狂人のような有り様である。
「こわー。傍から見たらどっちが化け物か分からないよね」
伊藤の動きは力尽きるように徐々に緩慢になり、やがて彼は肩を落としたまますすり泣き始めた。
彼が完全に大人しくなったのを確認してから、紫苑は舞夜の背を前へ前へと押していった。舞夜はぐいぐい押されながらも、とりあえず鞄からポケットティッシュを取り出す。
「あの、大丈夫ですか? ティッシュいります?」
「え、いや、ああ、ありがとう。でも大丈夫や。うん」
見知らぬ女生徒に泣き顔を目撃されたのが恥ずかしいのか、伊藤は舞夜から顔を逸らし、左腕で強く目元を擦っていた。
紫苑は曲がり角で何やらうろうろしていたが、肩を竦めると早々に戻ってきた。大した発見はなかったらしい。
「見間違いであれば申し訳ないんですが、さっき女の人が一緒にいたようですけど、彼女は……?」
「み、見たか。見えたんか。あいつ、あの女、う、ああ、誰にでも見えるんやったか……」
呻くように頭を抱えてしまう。よほど精神的に参っているようだ。
そのまま彼を宥めるフリをして、紫苑は愛想よく微笑みながら、近くにある喫茶店に入ることを提案した。
「もしかしたら、お力になれるかもしれません」
伊藤は恐る恐るといった様子で紫苑の顔を眺めていたが、やがて、微かに頷いた。
少し歩いた先にあった喫茶店は、空いてもおらず混んでもおらずといった感じだった。二階で食事を取りながら、青く光る港湾を眺めてのんびりとすることができる。
友人とこのような場へ来る機会が今まであまり無かったため、舞夜は少しきょろきょろしたが、すぐ紫苑に横目で
(友達おらんのに、こういうとこよく来るんかなぁ)
と舞夜は素直に疑問に思った。彼自身、あまり外出が好きなタイプでも無さそうだが。
「ところでさ、なんで私の分も勝手に頼んだん? 私、何も言ってなかったよね?」
「駄目だった?」
「まあいっか……。あの、先輩、食べ物とかいいんですか?」
「ん、ああ、うん。食欲ないし」
それから注文した飲み物が運ばれてきた頃には、伊藤初司の顔色は大分よくなっていた。明るく開放的な場所に来て安心したのだろう。
彼は落ち着いた口調でぽつぽつと、先ほど現れた幽霊について語り始めた。
あの女性は、舞夜が噂で聞いていた通り、伊藤初司の恋人で
名前は藤原 七々子。三週間ほど前、彼女の通うI女子高校からの帰宅途中で、交通事故にあったのだという。二年に進級してすぐの春に起こった、痛ましい事故だった。
しかしその藤原七々子、霊になってまで現れるからには、ずいぶん気性が激しかったのかと思いきや、
「ちょっと地味やけど、普通の感じでさ。成績もよくて、優しいし、いい奴やったのに……」
俯く伊藤になんと言葉をかけたらいいのか分からず、舞夜は砂糖とミルクを入れたコーヒーをぐるぐるかき混ぜた。
「……出会ったきっかけを聞いてもいいですか?」
「俺が話しかけたら気があってさ。それで、俺ン家鳥とか飼っとるんやけど、七々子も動物好きで、それがきっかけかな」
「現れる場所――どこでもって聞きましたけど、何か共通する特徴などはありませんか?」
「……いや、分からん、かな。俺が一人のときは、本当にどこでも出る。物陰から出てきたり、さっきみたいに曲がり角からとか。ああ、でも、T市におるときだけ、かもしれん……」
三人が今いるのは、彼らの住居があるT市である。通っているK高校はすぐ隣のI市にあり、全員電車通学だ。
登下校時にも現れる『いつまでお化け』だが、どうやらそれはT市内にいるときだけらしい。
こんな単純なことにも今まで気付かなかったなんて、と伊藤は乾いた笑いを漏らし、左手で髪をかき上げた。どうにも痛々しい姿のまま、幽霊による実害こそ無いが「そのうちノイローゼにでもなりそうや」と笑えないことを冗談のようにぼやいている。
「……彼女は誰にでも見えているんですか?」
「多分な。他の人がおったら出て来んけど……」
一度伊藤が藤原七々子と遭遇して尻餅を付いた際、その辺にいた老人に声をかけられたことがあったという。老人は屈んで土いじりをしていたため、彼がいたとは伊藤は気付いていなかった。
落ち着いたところで伊藤はその男から、「彼女と喧嘩でもしたか?」と尋ねられた。彼にも、藤原七々子の姿ははっきりと見えていたらしい。尻餅を付いた伊藤に気を取られていたせいで、彼女が消え去ったところまでは目にしていなかったが。
「なるほど、大体は分かりました。最後に、現れた時期――いや、きっかけのようなものは分かりませんか? 何も死んで直後からってわけじゃありませんよね?」
伊藤はそこで初めて、躊躇うように口を噤んだ。
ふと目を細めた紫苑がコーヒーカップを置き、はっきりとした口調で
「何かあるんですか」
と尋ねると、伊藤は渋々といった感じで再び口を開いた。
「……俺、今、新しい彼女がおるんやけど。そいつと付き合って、しばらくしてからかな」
「それは一体いつくらいから?」
伊藤は日付を確認した。
「ちょうど一週間前」
横で聞いていた舞夜は吃驚した。何よりもまずそんなハイペースで恋人が出来るものなのかと思った。
確か藤原七々子が亡くなったのが二週間前、それで新しい彼女ができてしばらく、一週間前から『いつまでお化け』の出現。その期間わずか一週間。
まるでインスタント食品のようだ。舞夜がぽかんとしている一方で、紫苑は淡々と会話を続けていく。
「……それで、その女性の霊が嫉妬して、先輩の前にああして現れるようになったのではないか、と」
「俺は、そう思う」
伊藤はきっぱりと頷いた。
「お二人が付き合っていたことを知っていた人物は?」
「あんまり。あいつには俺の名前を出さんようにと頼んであったし、守っとったはずやし。……俺も、I女に彼女がおるとは話したけど、そんぐらい」
そうですか、と紫苑は冷静に頷いている。舞夜は伊藤が語った一連のあれこれを飲みこんで、これは七々子さんは嫉妬というより腹を立ててるんじゃないかと思ったが、コーヒーで一緒に飲みこんでおいた。
彼からしたら、どちらでもいいのだろう。多分。
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