三章:「いつまでも、いつまでも」

第18話 以津真天

 既に昼食を済ませた昼休み。舞夜は席の近いクラスメートの少女たちと一つの机を囲んでいた。

 いつもの馬鹿騒ぎとは正反対のトーンで、全員固唾を飲んで一人の語りに耳を澄ませている。


「で、その亡くなったはずの先輩の恋人の姿が、帰り道にふっと浮かんで――」

「も、もしかして、それってI女の?」


 I女とは、I女子高等学校の略称だ。ここ、K高等学校と同じ市内の学校である。


「そうそう」


 と語っていた女子が頷くと、囁きが静かな波のように広がる。

 高校に入学してまだ一ヶ月とはいえ、中高一貫制のクラスだ。ここに集まっている女子全員には、既に中学時代三年間の積み重ねがあるため、全員がそこそこ仲が良い。

 もちろん特別仲の良い女子同士が固まるグループというものは存在する。舞夜もよく数人と行動をともにしているのだが、今、彼女の斜め後ろで顔を強張らせている千晴ちはるもその中の一員である。

 舞夜は先ほどから、彼女に両手で右肩を握りこまれている。地味に痛い。


「――それで、その女の声で、『いつまでも、いつまでも』って聞こえてくるんやって!」

「えーこわっ。それほんと?」

「らしいよ。先輩が言っとったもん」

「もうやめよ。お風呂入るときとか思い出しそー」

「頭とか顔洗うとき?」

「あー分かる。目つぶるとめっちゃ怖い!」

「トイレも怖いよなー、一人とか」


 舞夜はそれを見越して既に女子トイレに行っていたので、余裕をもってこの会話に参加することができた。

 背後の千晴はというと、唇を微笑の形に留めたまま、先ほどから一言も会話に参加していない。彼女は本気でこういった怪談が苦手だった。

 それなのに、こうして輪に加わるのは怖いもの見たさというやつなのか、それとも、聴かずに済ませる方が逆に想像で怖くなる、というやつなのか。

 やっと肩から離れていった手に、舞夜はほっと安堵した。


「ごめん、痛かった?」

「全然。でもそんな怖いなら聞かんだらいいのに。大丈夫?」

「大丈夫というかさ、……」

「なに?」

「……一緒にトイレ来てくれたら嬉しいんやけど」


 冗談ではないらしい。なぜか凛々しい顔つきの友人に、舞夜は軽く笑って頷いた。




「んっとな、それで死んだ女の人が出てきてな、男の人がびっくりしたら、女の声で『いつまでも、いつまでもー』って言うんやって。どう? 怖い?」

「お前舐めてんのか? 怖さが死んでる」

「……でも内容は悪くないやろ?」

「話の内容はね。でも君の語りは最悪。凶悪。才能無いよ。ゼロ。怖い」

「あー、教室明るいからな。しかたないな」


 いつもの美夏を待つ間の時間、舞夜は紫苑に今日聞いた噂話についてかくかくしかじか説明していた。


 彼は常に小遣い稼ぎのようなノリで、面倒くさくない限り・・・・・・・・・――ここらへんかなり主観的だと舞夜は思う――仕事になりそうなネタを探しているらしい。


 というわけで、折角だからとこうして報告したわけなのだが、紫苑の反応は芳しくない。というより舞夜の語り口に非難たらたらである。彼は隙あらば他人をこき下ろすタイプなので、舞夜に文句をつけるのも珍しいことではないが。


「他人の精神を追いやるようなおぞましさがほしいよね。脳どころか耳に残る感じのさー。聞いた人が生活に支障をきたすレベルにしてほしい。うん、皆もっと真剣に怪談に取り組むべきだよ。僕の仕事のためにも!」

「そこまでいったら私も怖いんやけど……」


 舞夜だって怖い話が特別得意というわけではない。ただ皆と居るときや、聞いている最中なんかは案外平気である。紫苑といて慣れたところもある。

 それでも独りになったときに思い出して背筋をぞっとさせたり、夜にはやたらと家の電気をつけながら移動したりする。


「で、それは実際の話?」

「うーん、分からん。さっき聞いたのはホントっぽいけど、他にも『いつまでお化け』の話はいっぱいあってさぁ。そっちはどうかなぁ……」

「――『以津真天いつまで』って妖怪はいるんだよね。確か太平記に、あ、貸して」


 紫苑は机に置いてあった舞夜のスマホを取り上げると、そのままインターネットで検索をしてみせた。

 太平記の巻十二、「広有射怪鳥事」についてだ。


――元弘三年七月、建武に改元された年、疫病が流行り多くの者が病死した。

 その頃、毎晩のように紫宸殿に怪鳥が現れ「いつまで、いつまで」と鳴くようになった。その声は雲のように響き、人々を怯えさせた。


「世情が不安定だったにせよ、ずいぶん不気味な話だよね。建武って後醍醐天皇か。まあこんなピンポイントな事件、日本史には関係ないけど……」

「後醍醐天皇、1334いざみよ建武の新政、なんだちょーやべー」

「最後のヤツ何の語呂?」

「南朝」

「イマイチ。どっちにしろそのまま覚えてるから必要ないね。次行くよ」


――役人らは会議で、古代中国で天帝から遣わされた弓の名手が太陽さえ射落としたこと、陸奥守義家(源義家)が弓の弦を三度鳴らせて怪事を鎮めたこと、また、源三位頼政(源頼政)が鵺を射殺した前例から、源氏の誰かをその怪鳥退治にと尋ねた。しかし誰も仕損じることを恥じて声を上げない。

 結局、隠岐次郎左衛門広有(真弓広有)という弓の名手が推薦され、鏑矢で見事その鳥を射落とした。


「それで、褒美をもらってめでたしめでたしってね。坊主でもなんでもない、武士による妖怪退治譚だね。いや出家してた可能性もあるか?」

「でもこれ、どこにも以津真天って書いてないよ?」

「ああ、そう名付けられたのは後世らしい。マイだって『いつまでお化け』って呼んでるだろ。そんなもん。字は当て字かもな」

「そうなんや。うーん、でも、なんかだいぶノリが違う気がする……」


 片や死んだ恋人の亡霊。片や黒雲から現れ、口から火炎を吐くかと思われるほどの光を発する不気味な巨大怪鳥である。「いつまで」という言葉を繰り返す以外は欠片も一致していない。

 紫苑も頷いた。


「これの亜種にしてはなんというか……恋愛脳過ぎるな。どちらかというと、男に冷たくされた平安時代の女性が後々祟った、とか、そっちの方がイメージに近い気がする」

「あ、でも噂では、男の声がするのもあるんやって! やっぱり、いつまでもーって聞こえるらしいよ」

「男の? へー、珍しいね」


 性別で差があるのか、と舞夜が首を傾げると、紫苑は少し考えるような素振りをした。


「いや、現実では男が女にみっともなく取り縋るのだって普通にあるんだろうけど、怪談となると……。ほら、怖い話で彼氏に冷たくされた女が死後現れて、私のことをいつまでも忘れないで――ってのはありそうだけど、逆は無さそうじゃない」

「うーん。そう言われたらそんな気もする……?」


 逆、つまり彼女に冷たくされた男の幽霊が、その女に憑りつく。今回の場合だと、いつまでもいつまでも自分のことを忘れるなと呟いて消える。

 確かにあまりイメージが湧かない、と舞夜は唸った。別にあったっておかしくないことなのだろうが……。


「まあ、どれも古典からきたイメージなのかもしれない」


 紫苑は詳しく聞きたがる舞夜に、かくかくしかじか説明してみせる。


 例えば、源氏物語の六条御息所。光源氏と恋仲になった女性に嫉妬し、無意識ながら生霊となって祟り殺し、後々それを自覚した際にはその罪を深く悔やんでいた。

 他にも有名どころだと、平家物語に書かれた、女への嫉妬のあまり神に祈り鬼にまで成った京都は宇治橋の宇治の橋姫などが挙げられる。

 また、能面にある般若は、女性の・・・抱えた怨恨や嫉妬、憤怒、苦悩を表現したものである。


「男女平等が謳われている今では古い感じのイメージだけど、怪談となると通用する。……そう考えると、恐怖や怪談って、やっぱりパターンなのかもしれないね?」


 今までの時代や文化が積み重ねられた結果なのかもしれない。

 紫苑がぼやいた言葉の意味はなんとなくしか舞夜には分からないが、それはきっと自分が勉強不足だからなのだろう、と彼女は思った。


「……じゃあさ、海外やったらなんか変わんのかな?」

「さあ。比較研究してレポートでも書いてみたら?」

「嫌やめんどい。レポートとか、シオンくん大学生みたいやねぇ」


 舞夜の兄も大学生だが、常日頃レポートだ課題だ憂鬱だと深刻な顔でぶつぶつ呟いている。その割に、切羽詰まらない限りなかなかパソコンには向かわないのだから不思議なものだ。




 あれこれ言いつつ結局紫苑は興味を持ったみたいで、舞夜をせっついて友人から更に情報を聞き出させている。

 舞夜はスマホをちょいちょいつつきながら、紫苑がぐだぐだと未だ会ってもいない『いつまでお化け』に文句をつけるのを聞いていた。


「あーヤダヤダ。みっともないの。未練がましいよねー。どうせ生きてたら適当なとこで別れてたくせに」

「まだ若いでな。しかたないな」

「年寄りみたいなこと言うね。何歳?」

「十五! シオンくんも?」

「十五!」


 舞夜が「いえーい」と言いながらハイタッチしようと振りかぶった手は無視された。そして少し情けないそのタイミングで、彼女のスマホが震えた。


「あ、返事きたよ。これからどーすんの?」

「そりゃもちろん、仕事を取りに行くんだよ。その先輩の名前は聞いたんだろ? あとは少しだけ関わってみせればオッケー」

「ふーん、シオンくんえらいねぇ」

「どうも。……ついでにその、『いつまでお化け』の顔も見てみたいしね。どんな惨めったらしい顔してんのかなー」


 彼は常日頃気だるげというか、物事に対する積極性が死んでいるのだが、家業に関わるこうした事件に関してだけは前向きである。それだから、舞夜もこうして手助けしようという気持ちになるのだろう。

……そういえば、紫苑が舞夜の前で、自分の仕事の存在についてハッキリ述べたのは、以前の『鏡』事件のときだったか。あの時持って帰った鏡の枠は、一体どうしたのだろう。

 尋ねてみると、紫苑は首を傾げた。


「さあ……。家に渡して、その後は聞いてないから知らないけど……神社かどっかに送って祓ってもらったんじゃねーの。知らないけど」

「そういえば猫がいっぱい亡くなっとったのって、その鏡のせいやったん?」

「それこそ前に説明したんだけどねー。あ、先に言っとくけど、僕が殺したわけじゃないぜ! 勘違いすんなよ!」

「そんなん思ってないよ……」


 そう言い返すも、彼に『前』という単語を出されると、舞夜としては小さくなってやり過ごすしかない。


 以前起こった『顔剥ぎ』退治の際に、舞夜は諸事情あって記憶喪失になってしまった。今では記憶もあらかた戻ってきており生活に支障こそ無いものの、紫苑に関する事柄だけは未だ思い出せないままである。

 ちなみに現在思い出せたことはというと、彼との出会いから始まり、舞夜の地元の市民公園で、紫苑が自分の仕事のため『鏡』を割ったことまで、だろうか。

 それから先はさっぱりであるが、恐らく徐々に戻ってくるのではないだろうか、とは紫苑の談である。


 結局彼は一つ溜息を吐くと、舞夜に説明を始めた。


「そうだな、説明すると長くなるけど……鏡はまず二枚あったんだ。『実体がある』のと、『無い』の。無い方の前を猫が通ると、その猫とそっくり同じコピー猫が生まれる。一回だけね」

「なんで?」

「知らね。それで、実体がある鏡の方に潜んでいた鬼が、その猫達を通して人間からちょいちょい生気を吸っていたっぽい」


 思ったより大事である。

 あの市民公園は遊具も自然も多いため、老若男女問わず大勢が訪れる憩いの場なのだ。まあ最近は、その猫の大量死の件で人足も若干遠ざかっているようだが……。


「それいつからなん?」

「さあ? あの市民公園の野良猫の増加については、今年の冬から問題になってたって聞いたけど。詳しくは知らないよ。……とにかく、まず実体が無い方の鏡を僕が割ったんだけど、何故かそれにつられるみたいにして、コピー猫も一斉に死んでね。ヤバいニュースになって、舞夜の耳にも届いたってわけ」


 死体の処理までは依頼ではない、と紫苑は続ける。


「単なるコピーのくせに器としての肉体まで持っているとは思わないし、まさかそれを映した鏡を割っただけで全員連なって死ぬとは思わないじゃない」

「私にそんなこと言われても……。シオンくん悪くないと思うけど、うーん、ということはさ、私もそのコピーの猫に会っとったかもしれんってこと?」


 舞夜も福美子の手を引いて何度か市民公園には足を踏み入れていたし、その際野良猫を目撃したこともあった、気がする。いまいちうろ覚えであるが。

 複雑な表情を浮かべる舞夜に、紫苑は薄っぺらい笑みを浮かべた。


「……そんなこと、僕が知るはずもないけどさ。そうだね、そうかもしれないね」

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