第14話 写真

「フミちゃん!」

「あっマイちゃんやー」


 名を呼べば駆け寄ってくる、幼い彼女の頭を撫でる。福美子ふみこは舞夜の友人だ。正確に言えば舞夜の親の、友人の娘である。

 既に彼女の母は亡くなっており、今は父親と二人だけで暮らしている。

 福美子はというところで生まれ育ったらしい。秘密主義の土地であったらしく、その詳細を聞くことはできない。

 今どき珍しいなと思いながらも、その謎にどこか踏み入ることのできない影を感じ、舞夜も問うことはなく今に至る。


「んーと、パパは?」

「パパお仕事!」

「えっ、フミ一人なん!?」


 福美子は曖昧に首を縦に振る。

 こんなにも幼い子供を普通、家に一人残していくだろうか。舞夜は半ば愕然とするが、まさかそれを福美子に気取られるわけにもいかない。

 とりあえずどこか遊びに行こう、と自然に囲まれた市民公園に足を伸ばすことにした。舞夜がよく通う市立図書館もすぐ近くにあって、こういう時には便利な場所だった。ちなみに、図書館とは反対側に出ると海を臨むことができる。


 市民公園は何故か人が少なく、のびのびと遊ぶことができた。

 しばらく遊具で遊び繋いで、先に疲れたのは舞夜だった。福美子は何故か舞夜に全力で遊ぶことを求めてくるからだ。ブランコをもっとこいでとか、もっと高いジャンプして、とか。一つ一つは大したことはないのだが、さすがにこうも続くと疲れる。

 ベンチで休んでいると、ブランコに飽きたらしい福美子が近づいてきた。


「マイちゃん、フミのど渇いたー」

「お茶買ったろか。ジュースはいかんで」

「フミな、公園のお水飲みたい!」


 何でわざわざ。

 福美子が指さすのは、何の変哲もない水飲み場である。確かに舞夜も昔は、あそこで喉を潤したこともあったが、人の家の子だとどうしたらいいのだろうか。


「あれ綺麗なんかなぁ……。あんまいっぱい飲んだらあかんで?」

「んー。でもフミ、いっぱい飲みたい」

「自販機で、おいしいお水買ったろな」


 舞夜が言って歩き出すと、美味しいお水という言葉につられて、福美子もにこにこと付いてきた。

 一番近くの自動販売機は、図書館の裏手にある。




「あーおいし!」


 ペットボトルを両手で掴んで水をごくごく飲むと、福美子は満面の笑顔を見せた。自分で自動販売機のボタンも押させてもらったため、本当にご機嫌である。

 舞夜は可愛いなぁ、とその微笑ましい光景を眺めていたのだが。


「あれ」


 舞夜はぽかんとして自分の目を疑った。同級生、帝釈紫苑がちょうど自転車で横切って行くところだったからだ。

 普通であれば彼も気付かなかっただろうに、その瞬間福美子がペットボトルを地面に落としてしまった。キャップをしていたため零れはしなかったが、紫苑もその音に驚いたように二人を振り返り、そして舞夜の姿を見とめて自転車を止めた。


「久しぶり」

「久しぶり! なんでこんなとこにおんの?」

「見て分かんない? 図書館に行ってたんだよ」


 自転車のカゴを見ると、膨らんだ学生鞄が入っていた。普段は空気しか入っていないのかというほどの凹みっぷりであるから、借りた本が詰め込まれているのだろう。


「君は子守り?」

「うん。さっきまであっちで遊んどったけど、後で図書館も行こかって話しとったん。な、フミちゃん」


 福美子は小声で「うん」と答えた。人見知りだろう、舞夜の影に隠れたまま、落としたせいでペットボトルについてしまった細かい砂利を眺めている。


「めっちゃかわいいやろー、天使って感じやろー。ギャンかわエンジェル。大天使フミちゃん」

「? どーしてかわいいのー」


 可愛さのあまり無言になる舞夜の肩に、紫苑はぽんと手を置いた。いつの間にか横に座っている。


「声が高くて気持ち悪い」

「それわざわざ注意引いてまで言うことちゃうやん……だってフミちゃん可愛いんやもん。それより今のフミちゃんめっちゃかわいくなかった?」


 頬を高揚に赤くさせ尋ねてくる舞夜に、紫苑はおざなりに頷く。

 無抵抗に頭を撫でられている福美子は、何故舞夜がそうもテンションを昂らせているのか分かっていないようで、「そうか、よかったなぁ」と大人びた相槌を打っている。正直お前のことよりペットボトルにひっついた砂利粒の方が大事なんだと言わんばかりの集中っぷりだ。


「動画撮っとけばよかった。あ、写真見る? 見て見てー」


 なーなーと煩い舞夜を無視して、紫苑は市民公園の方向を眺めながら一瞬目を細めた。しかし彼女がデジタルカメラの画面から顔を上げたときには、薄っぺらい笑顔に切り換わっていた。


「あそこの市民公園にも嫌な噂があるんだけど、知りたい?」

「だめだめ。フミちゃんの前でそういう話、しやんといてほしい」

「聞いてないみたいだけどね」


 まだペットボトルを、と思って舞夜が振り返ると、福美子は既に飽きたらしくそれを放置し、別の対象と向き合っていた。猫である。


 この市民公園にはいつからか野良猫が住み着くようになっていて、以前からこの公園で飼われている動物との関係や、無責任な餌やりなどが問題となっている、らしい。

 福美子の前に現れたのもその内の一匹だろう。興味津々といった子どもの熱い視線もなんのその、悠々とアスファルトに寝転び、平和そのものといった顔をしている。

 かわいい猫と福美子を眺めながら、写真を撮るためカメラを構える舞夜と、傍から見れば不審そのものな舞夜をジト目で眺める紫苑。


「その年じゃなかったらマジで通報ものだよな」

「フミちゃんのパパから許可もらっとるもん。帰ったら見せたんの。お仕事であんま一緒におられやんからな、すごい喜ぶよ」


 はいはい、と紫苑がおもむろに立ち上がると、瞬間、今までぐうたらしきっていた猫がまるでばね仕掛けのように跳ね起きた。そしてシャッと牙を剥き一瞬だけ威嚇したかと思えば、滑るような勢いでそのまま逃げ出してしまう。


 止めようもないくらいあっという間の速度でその姿が見えなくなると、舞夜と福美子は紫苑を振り返った。


「……何? 言っとくけど、僕は悪くないよ」

「そうやけどさ、えー。シオンくん、えー」


 不思議と動物に好かれない人間は確かに存在するが、先ほどのあれは嫌われているというレベルではなかった。だからといって、彼がまさか以前あの猫に何かしたはずもない。偏屈なところもあるが、そこまで非人道的ではない。

 何か猫が嫌がるものでも食べたのかな、と思いながら、舞夜は福美子を見た。少々残念そうではあるが、落ち込んではいないようなので内心安堵する。


「猫ちゃん速いの、行ってったねぇ」

「ねぇ。図書館で猫ちゃんの本探そか」


 舞夜の提案に、福美子は素直に頷いた。

 舞夜はそのままペットボトルを鞄にしまうと紫苑に別れを告げて、福美子の手を引いて図書館へ向かった。




 残された紫苑は二人の背を観察するように見送る。どことなく疲れた、というより覇気のない足取りの福美子に対し、舞夜はごくごく普通に進んでいく。

 どことなく険しい目付きでそれを見送るとおもむろに立ち上がり、学生鞄をひっさげて市民公園の方向へと歩きだした。


 市民公園、という割に手入れはおろそかなようだ。少し道を外れると木々は鬱蒼と茂っていて、遠く聞こえる車の排気や子供らの喚声がなければ森林にでも迷い込んだかのようである。

 紫苑はそのまま人気のない場所まで来ると、鞄から学帽を取りだし、外気を遮断するように深く被り込んだ。


 途端、何十と湧きあがる気配に空気がざわつき出す。息を付けないほど濃密で騒がしいそれが、紫苑の肌を撫であげる。


 にゃあ、とどこかで猫が鳴いた。




 図書館で、猫を中心に擬人化された動物たちが出てくるシリーズの絵本を借りてから、舞夜は福美子を連れて彼女の家へと戻った。

 彼女の父親は既に帰宅していて、珍しくこちらが出迎えられる側となった。玄関で大雑把に今日あったことを説明しようとすると、福美子が割りこんできた。


「マイちゃんといっぱい遊んだよー。滑り台してな、ブランコしてな、おいしいお水買ってもらってな、おいしかった!」

「図書館も行ったよなー」

「うん!」

「そうか、世話になったな」

「フミちゃんめっちゃ可愛かったんやよー。どーしてかわいーのーなんて言って。あ、写真見る、写真……あれ、なんか」


 ふと、舞夜は操作の手を止めた。

 最後に撮った、福美子が野良猫をしげしげと眺めている一枚。


「どうした?」

「ん、うーん、なんでもない……」


 なんとなく、写真に写された猫に違和感があるような気がしたのだが、それをうまく説明することができず舞夜は口籠った。実際目にしたものよりも一回り程小柄なような、若干毛色が褪せたような。

 しかしすぐ写り方の問題かカメラの具合か、こちらの勘違いかもしれない、と気を取り直し、結局他に撮ってあった写真を片っ端から見せて、それぞれを後で送ることになった。


「猫ちゃんとな、マイちゃんのお友だちにも会った!」

「そうか。学友か?」

「あ、同級生。なんか図書館行っとったっぽくて」

「勉強熱心だな」

「さあ。勉強じゃなくて、なんか探しとるっぽい。知らんけど……」

「探し物? ああ、調べ物か何かかな」

「しおんくんやよ」


 福美子がぱっと声を上げた。舞夜が同意するように「シオンくんやねぇ」と頬を突くと、鬱陶しげに手を払われた。


「この辺の人間か?」

「えーっと、どうなんやろ。帝釈って言うんやけど、聞いたことないしなぁ」

「帝釈。聞き覚えがあるような、ないような。珍しい苗字だな」


 ふむ、と福美子の父親が首を傾げるのに従い、長い髪がさらりと流れる。彼は女性にもなかなか見られないほどの長髪だった。いつか手入れの仕方を聞きたいものである。


 世間話もそこそこに、舞夜も帰ることとなった。二人にばいばいと手を振って、彼らの家を後にする。帰り際、門構えにある表札が目に入った。

 『戸籠』――これで、とごもりと読む。

 そういえばこの家も珍しい苗字だな、となんとはなしに思って、舞夜は若干早足になりながら帰路についた。

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