第11話

魔女の血



 一行は歩き続けた。何日間も人に会わない日々が続いた。道らしき道もなくなり、草の丈も足首から膝のあたりへと、日増しに高くなっていった。

「あっ」

 ノンノが何かにつまずいた。

「あれ? 見て見て、みんな」

 ノンノの足下には、半分土に埋まった土偶があった。

「結界の境界線だわ」

「でも、結界の気配はないけど」

 イクタラもピリカも首をひねった。

「死んだ結界……。まさか鬼に滅ぼされたんじゃ?」

「俺は知らない」

 ピリカの視線を避けながらキラウが答えた。

「先を急ぎましょう」

 イクタラが決めた。考えていても何も分からない。日没も近かった。

 やがて草の海を渡り終えると道が現れた。荒れはててはいるが、かつては人が通った証だ。更に進むと、人家の跡があった。ただ、焼け落ちた残骸に過ぎなかったが。

「火事があったんだね。ずいぶん昔みたい」

 ノンノの言葉に、イクタラは答えられなかった。この光景、どこかで見たことがある。どこで? イクタラは、ハッとしてホモイの方を見た。ホモイの顔からは表情が消えていた。目は焼け跡に縛りつけられ、唇は固くむすばれている。

「あなたの生まれた家?」

「違う。この村でも、俺たちは、よそ者だった」

 イクタラとホモイ、ふたりだけの会話だった。

「俺たち? あなたと……お母さん?」

 イクタラの目の前に、幻獣の森で見せられた幻が甦った。石の雨。闇を焦がす火柱。炎に包まれる人影。

「焼き殺されたのね、この村の人たちに」

 ホモイの無言が明確な答えだった。

「何があったの?」

 ノンノがイクタラの顔をのぞき込むようにして訊いてきた。他の者も、二人のただならぬ様子に気づかぬはずがなかった。

「行こう」

 イクタラが言う前にホモイは歩き出していた。一同は、それについていくしかなかった。足早に進むホモイのあとについていくと、村の広場に出た。そこで一同を出迎えたのは、おびただしい数の人骨だった。

「なんだよ、ここ?」

 オワツが、緑の皮膚に鳥肌を浮かべていた。アマメチは、その腕にしがみついていた。

 人骨は、今ここで事切れたかのような恰好で転がっていた。苦痛に髑髏を歪め、生にしがみつこうとしている。そんな人骨が、地面を埋め尽くすとまではいわないが、踏まずに前進するのが不可能なくらいに散乱していた。

「こいつら何で死んじゃったんだ?」

 ピリカが、誰に問うでもなくつぶやいた。イクタラは、答えを求めてホモイの方を見たが、その横顔に答えはなかった。

「イクタラは死者の声を聞けるんだろ。何か言ってないのか、こいつら?」

「それが……何も聞こえないの。怖いくらいに静か」

 普通、墓地でも何らかの囁き声が聞こえるものだ。意味は分からなくても声くらいは。ところが、ここでは何も聞こえない。誰かが無理やり黙らせているように。

 ホモイが無言で歩き出したので、他のみんなも歩き出した。すぐにひときわ大きな小屋の前に出た。巫女の小屋だ。廃墟の村にあって、その小屋だけが、まだ人が暮らしているようなオーラを放っている。その夜は、そこで一泊することになった。廃材を集めて焚火にし、それを囲んで夜を過ごした。

「ね、この村、あんたが生まれたところなんでしょう?」

 ピリカの質問にホモイは無言で答えた。否定しないということは、そうだということだ。彼女も、この男とのコミュニケーションにだいぶ慣れてきていた。

「この村の人たちがどうなったか知らないの?」

「知らない。俺が出ていってから起こったことだ」

「でも、巫女様だっていたんでしょう。なんで、こんなことに?」

 質問を続けているのはノンノだ。

「この村の巫女は病気がちだった。たぶん、あまり役に立たなかったと思う」

「そうなの?」

 ホモイは、何か言いかけたが、それが口の外に出ることはない。イクタラには、それが分かっていた。だから、彼女は、さっきからホモイに何の質問もしていなかった。ホモイにこの村のことを話させるのは、酷なことだと知っていたからだ。

「そう言えば、ノンノが持ってるそれ、なに?」

 ノンノは、両手にのせられるほどの壺を一つ、大事そうに抱えてみがいていた。

「これ、かわいいでしょう。この小屋の外で見つけたの」

「かわいいか?」

 ピリカは、ノンノのセンスに異議を唱えた。何の変哲もない薄汚れた壺だった。おそらく他の者も、ピリカの意見に賛成だったろう。

「かわいいよ。一目ぼれだったんだ。見た瞬間に壺がノンノに話しかけてきたの」

「壺がね~。それで、壺ちゃんは何て言ったんだ?」

「私を抱いて、って」

「はいはい」

 ピリカは、ノンノと付き合うのを放棄した。

「中に何が入ってるの?」

 もう少しその話題を引っ張りたくて、イクタラが訊いた。ホモイへの質問をしばらく食い止めておきたかった。少なくとも彼の方から話す気になるまで。

「知らない。見られないんだもん」

「ちょっと見せて」

 イクタラは、ノンノから壺を受け取って調べてみた。入口も出口もない奇妙な壺だった。

「何だろう、これ?」

 呪文のような模様が刻まれている。触れてみると模様の上だけ凍ったように冷たい。胸の奥にムカムカするものを感じる。

「何かいやな感じがする」

 耳元で振ってみると、ゴロゴロと小石でも入っているような音がした。本当に壺なの? 壺でないとしたら、いったい何?

「ノンノのだよ」

 ノンノが不服そうに唇をとがらしたので返したが、イクタラの手には不思議な感触が残った。握っていた誰かの手を引き剥がされたような……。その手はイクタラに何かを伝えようとしていた。

 

 月は西に傾いていた。月明かりを受けて闇に白骨が浮き上がっている。虫の声さえ聞こえない。一方、巫女小屋の中では、各人の寝息が規則的に時を刻んでいた。和を乱すのは、お気に入りの壺を抱いて眠っているノンノの寝言と、キラウとオワツのいびきくらいだ。

 ガチャ、ガチャ。

 静寂を破って、何かが遠くから近づいてくる。何か硬いものががぶつかり合う音。それが一定のリズムで聞こえてくる。それに、いち早く気づいたのは、ホモイとキラウ、そしてウバシだった。

 ガチャ、ガチャ。

 音は巫女の小屋に近づいていた。このリズムは……足音だ。

 ガチャ、ガチャ。

 それも、一人や二人じゃない。かなりの人数だ。もし、音の主が人間だとすれば。

 ホモイとキラウは同時に跳ね起きた。ウバシは、すでに立ち上がっていて、小屋の壁越しに正体不明の敵に牙を剥いている。

「なに?」

 イクタラとピリカも、二人が跳ね起きた気配で目を覚ました。

 ガチャ、ガチャ。

 足音は、もう小屋のすぐ外まで来ている。ホモイとキラウは、小屋から飛び出していた。ウバシとピリカも続いた。

 ノンノたちを揺り起こしたイクタラが、小屋の外に出ると、ホモイたちは闇に向かって身構えていた。何も見えない。何も聞こえない。だが、その闇の向こうに何かがひそんでいるのは、はっきり分かった。むせ返るような敵意が、重く夜気を満たしている。

「まだ、夜じゃねえか」

 緊迫した空気を場違いな声が破った。アマメチとともに最後に小屋から出てきたオワツだ。そのオワツでさえ、刺すような視線の一斉攻撃を浴びて眠気が吹っ飛んだ。思わず後ずさった拍子に何かを踏んだ。

「ひっ!」

 足をどけてみると、半分土に埋まった髑髏だった。こんなところに、こんなものがあったかな? 目玉のない目で、こっちを睨んでいやがる。気色悪っ! どこか行っちまえ!

 オワツは、思い切り髑髏を蹴飛ばした。髑髏は高く弧を描いて飛んで……いくはずだった。ところが、驚いたことに途中で飛んでいくのをやめて宙に浮いている。俺、夢を見てるのか? オワツは我が目をこすった。

 髑髏は空中に静止している。何かを待っているように。そして、待っていたものは土の中から現れた。その髑髏に続く白骨化した胴体。離ればなれだった頭と体が合体して、一体の骸骨になった。アマメチとオワツが同時に悲鳴を上げた。アマメチが自分に抱きついたことを喜ぶ余裕は、オワツには全くなかった。髑髏の歯茎のない歯がカタカタと笑い声を立てた。

 すぐにホモイが、その骸骨を槍で打ち砕いた。だが、それは総攻撃の合図に過ぎなかった。気がつけば、彼らは、闇の中から現れた無数の骸骨に囲まれていた。無数の鬼火が飛び回って闇を焦がしている。骸骨たちは、硬い木の棒や大きな石などで武装していた。

束の間の睨み合いのあと、骸骨たちは、声帯を失った喉で声なき雄叫びをあげた。一斉に襲いかかってきた。ホモイは槍で、キラウは岩棒で、襲いくる骸骨を粉砕していった。だが、骸骨たちは、次から次に闇からわいて出る。オワツも水鉄砲で対抗した。水鉄砲は、頭蓋骨に穴を開け、髑髏を噴き飛ばすほどの威力を発揮した。だが、穴を開けても、首を飛ばしても、骸骨の前進は止まらない。ウバシの牙は、硬い骨に歯が立たないし、ピリカの呪術も、骸骨に対しては何の効力もなかった。頼れるのは、ホモイとキラウだけだった。

 そのうち、全員が、あることに気づいた。

「ねえ、あいつら、ホモイばっかり襲ってない?」

 声に出したのはピリカだ。

骸骨たちは、非力な女たちを襲おうとしない。それどころか、オワツやキラウさえも積極的に襲おうとはしていない。骸骨の標的は、明らかにホモイひとりだった。だが、それが分かったからといって、どうなるというのだろう? ホモイとキラウが、いつ果てるとも知れない戦いを強いられていることに変わりはないのだ。

 骸骨たちの攻撃がホモイを傷つけることはできなかった。ホモイの防御は完璧だった。だが、ホモイとて生身の人間だ。汗は目に流れ込むし、蓄積した疲労は、槍を振るう腕を重くしていく。それを、イクタラたちは、ただ見守っているしかなかった。ときどき砕けた骨のかけらを骸骨に投げつけてやるくらいが精々だ。

 だが、攻撃は、突然、終わりを告げた。停戦の合図は日の出だった。最初の朝陽が地平を照らした瞬間に、骸骨たちの動きは、ぱたりと止まった。やがて、山の端から自立した太陽が、光の一斉掃射で大地を薙ぎ払うと、骸骨たちは砕け散った。あとは、元の白骨となって地面に転がっているだけだ。

「よかった。朝に弱い骸骨で」

 緊張が解けてノンノは、その場にしゃがみ込んだ。

「あんた、何したの? ずいぶん恨まれてるみたいだけど」

 ピリカが、ホモイに呆れたような視線を向けた。

「俺は、何もしてない」

「じゃ、こいつらの逆恨み? 何か心当たりくらいあるでしょう?」

「ない」

 ホモイが本当のことを言っているのかどうか。誰にも分からなかった。

「恨んでる本人に訊いてみるしかないわね」

 イクタラは、さっきからずっと白骨を見下ろしていた。

「また、あれやるの?」

「あれ、けっこう疲れるんだよな」

「うん。あれが流れ込んでくるとき、やな感じだし」

「それに骸骨の記憶なんて探れるのか?」

 ノンノもピリカも、できればやりたくなかった。

「やってみなきゃ、分からない」

 イクタラは、ひとりでもやる気だった。

 三人は、一つの頭蓋骨の上に手をのせた。


 村はずれの小屋が見えた。焼け落ちる前のあの小屋だ。一人の女と五、六歳の男の子が見えた。母子だろう。男の子は、どこかホモイに似ている。その後の時の流れで削り取られるものを、まだ持っている。母が薬草の葉を干している横で、男の子は、過ぎ行く雲を見送っていた。

「聞いたか? 最近、流れてきたよそ者の母子のこと」

「村はずれで薬を売ってる母子のことじゃろう」

「その薬がバカに効くらしい。どんな病気でも、たちどころに治るそうじゃ」

「ただ者じゃないな」

「いったい、どこから来たんだ?」

「それが、誰も知らないらしい」

 女は、薬草をすりつぶして粉にしていた。男の子は、女のそばを離れて、無邪気に枝で地面に落書きをしている。

不意に女の顔色が変わった。男の子に声をかけたが、男の子は落書きに夢中で顔も上げない。女の中で、不安が急激に大きくなっていく。すると茂みを突き破って大きな熊が一頭、飛び出してきた。手負いの熊だ。突き進むその先には、未だに落書きに熱中している男の子の姿があった。女が何か叫んだ。男の子が、ようやく顔を上げたが、すでに逃げるには遅すぎる。惨劇は避けられそうになかった。だが、熊は、男の子の手前で急にスピードを緩めると、二、三歩よろけてばったり倒れた。すでに絶命していた。男の子は、泣くこともせず、ただ大きく目を見開いて固まっていた。女は、片手を熊の方に向けて、何やら唱えていた。

「聞いたか? あの女、熊を呪い殺したそうじゃ」

「ただ者じゃねえとは思ってたんだ」

「俺たちも、いつ呪い殺されるか分かったもんじゃねえ」

「近づかない方がいいな」

 母子のもとに、お客がいた。傷ついた一匹の狼だ。女は、傷口に薬を塗り、男の子が看病している。女は、狼に何かしゃべっている。狼も、まるで人の言葉が分かるように耳を傾けている。

「聞いたか? あの女、狼と話ができるらしいぞ」

「あの子供も、狼との間にできた子供らしい」

「あの女も、きっと化け物に違いねえ」

 小屋の前で母子は退屈そうにしている。通りかかった村人に、女は、明るく挨拶した。村人は、無視して足早に去っていった。女の顔に失望の色が浮かんだ。

「モユクのとこの一家も、例の流行り病にやられたそうだ」

「怖ろしい。このひと月で十二人も死んでるぞ」

「トッコニさまは何とおっしゃってる?」

「それが、トッコニさまも御病気だ。かなり悪いそうじゃ」

「何かの祟りじゃねえか?」

「そう言えば、病が流行りだしたのは、あの母子が来てからじゃないか?」

「くそ! あいつのせいだ! あいつのせいで、うちの息子が!」

 夕暮れ時になっていた。小屋から出てきた女は、風の匂いを嗅いで顔を曇らせた。男の子を呼んで何か伝えている。男の子は、唇をとがらせ、首を横に振って、拒んでいる。女は、男の子の頬を平手でぶった。男の子は仕方なく小屋から離れていく。何度も何度も振り返りながら。女が追い払うように手を振ると、とうとう森の中に駆け込んでいった。女が振り返った。そこには、あの怪我をした狼がいた。女は、狼の耳元で何か囁いた。唇が「おねがい」と動いたように見えた。

 陽は落ちた。小屋の周りを何本もの松明が取り囲んでいる。松明の灯りに浮かび上がる村人たちの顔は、悪鬼のように見えた。憎しみと怖れのこもった石が、小屋に向かって投げつけられた。中から出てきた女は、毅然として暴徒の前に立った。怒ることもなく、おびえることもなく、村人たちを説得しようとした。だが、村人たちは、聞く耳を持たなかった。容赦ない罵声と石が女に浴びせられた。小屋に火がかけられた。女に殺到し、殴り、蹴った。誰がつけたのか、女の衣に火がついた。あっという間に女の全身を炎が包んだ。それでも、女は、しばらく立っていた。炎の中から、女の目が、村人たちのひとりひとりを見つめていた。加害者たちは、あわてて逃げ出した。

「また、流行り病で七人やられたそうだ」

「どんどんひどくなる一方じゃ」

「トッコニさまもお亡くなりになった」

「これも、きっとあの女の祟りじゃ」

「ああ、そうに違いねえ」

「村から逃げ出そう」

 だが、逃げ出すには遅すぎた。逃げ出そうとした村人たちは、道端にばたばた倒れていった。倒れたときには、もう死んでいた。最早、この村に立っている者は一人もいない。枝の上で様子をうかがっていた烏たちが、次々と舞い降りてくるのが見えた。


 三人は、指に火傷でもしたように同時に髑髏から手を放した。

「そりゃ、呪い殺したくもなるよ」

 最初に口を開いたのは、ピリカだった。

「お母さんも、ホモイも、かわいそう」

 涙目のノンノが、手で洟をかみながら言った。

「お母さんの最期、見てたのね?」

 押し黙ったままのホモイにイクタラが訊いた。幻獣の森で見た幻がホモイの記憶なら。

「ああ、見ていた。木の陰から」

「辛かったでしょう?」

「俺は飛び出そうとした。でも、母さんと目があった。金縛りにあって動けなくなった。声も出なかった」

「出てったら、あんたも殺されてたよ」

 ピリカは、ホモイの方を見ずにそう言った。

「最後まで子供を守ったんだね」

 ノンノは、また、洟をかんだ。

「この村に祟ったのは、やっぱりお母さんかな?」

 言ってから、ノンノは、しまった、と思った。

「違うわよ。お母さんが死ぬ前から流行り病はあったんだし」

 イクタラが否定した。

「どっちにしろ、この村から早く逃げ出した方がいいんじゃない? 夜になったら、あいつら、また来そうだし。逆恨みだ、って言っても聞いてくれそうもないし」

 ピリカの意見に、イクタラもノンノも賛成だった。

「あの、おいらたち、何がなんだか分からないんだけど」

 髑髏の記憶を見ていないオワツには、彼女らが何を話しているのか、全く見当がつかなかった。キラウもアマメチも同じだ。

「事情は、道々、説明してあげる」

 とりあえずノンノの一言でオワツたちも納得することにした。逃げ出した方がいいと思っているのは同じだったからだ。それも日が沈む前に。

 だが、日没までに村を出ることはできなかった。どれだけ歩いても、どの方角に行っても、いつも巫女の小屋の前に戻ってきてしまうのだ。

「よっぽど気に入られてるんだな、この村に」

 疲れ果てたオワツは、天を仰いで嘆いた。

「今夜も寝られそうにないわね」

 ピリカは散乱する人骨を一瞥した。

「こんなんだったら昼寝しとけばよかった」

 ノンノは、今からでも仮眠をとろうかな、と思っていた。

「これは、俺の問題だから、俺が、ひとりでやる」

 ホモイが、誰の顔も見ずに、そう言った。

「なに言ってんのよ。閉じ込められてるのは一緒なんだから、そういうわけにいかないでしょ」

 イクタラの言葉が他の全員の言葉だった。

「私たち三人で結界を張るわ。あれから、だいぶましになってるし。三人だったら,この小屋を守ることくらいできる。今夜一晩なら、それでしのげると思う。明日のことは明日考えましょう」

 村の上空を真っ赤に染めて夕陽が沈んだ。イクタラたちは、巫女の小屋を囲む結界を張った。闇を追い払う火を囲んで、一同は夜を過ごした。だが、切れ切れの浅い眠りをつなぎ合わせても、朝は遅々としてやってこない。

 ホモイは、焚き木の燃え残り具合で、だいたいの時間を計っていた。昨夜、奴らがやってきたのは、今くらいの時間だった。でも、今夜は、あの足音も聞こえない。結界のおかげで諦めたのだろうか?

 次にホモイが目を開けたときも、何事も起こっていなかった。ウバシも安心して目を閉じている。今夜は来ないのかもしれない。ホモイは、目を閉じて外の物音に耳を澄ました。静寂以外なにも聞こえない。だが、それは間違いだった。奴らは足下にいた。

突然、地面を突き破って何体もの骸骨が立ち上がった。ホモイとウバシ、キラウは、すぐに臨戦態勢に入ったが、それでも不意をつかれた。向こうの方が優勢だ。乱闘の音に、イクタラたちも、すぐに目覚めた。

「ちょっと! こいつら、どこから入ってきたのよ?」

 ピリカが叫んだ。

「下からだ。土の中から飛び出してきやがった」

 三体の骸骨をまとめてぶっ飛ばしながらキラウが叫んだ。

「モグラさんみたいに穴を掘ってきたってこと?」

 ノンノは、壺を抱えて右往左往している。

「ありえない。初めからここにいたんだわ。私たちが結界を張る前から」

 ノンノの言葉を否定してイクタラが言った。

「でも、昨夜はいなかった」

 ピリカの言うとおりだった。

「じゃあ、私たちがうろうろしてた間にだわ。村から出られなくて」

「私たちが、ここに結界を張るって予想してたっていうの? 嘘でしょ」

「そうとしか思えない」

 言いながら、イクタラにも信じられなかった。

「この骸骨さんたち、頭良すぎ!」

 ノンノが声を張り上げた。でも、そんなはずはない。ただの骨なのに。イクタラは思った。

「ここは狭すぎる。外に出る!」

 そう言い残して、ホモイが外に飛び出した。

「待って!」

 イクタラの止める声は、ホモイの耳に届かなかった。外に出たら、もっと……。

 案の定、外は骸骨の大群で埋め尽くされていた。あとを追ってきたイクタラたちには、手に汗を握って見守ること以外できなかった。ホモイは、石突の方を握って槍を大きく振り回していた。槍先が青く輝き、その円周の内側にいた骸骨は、たちまち粉々になった。振り回す槍が風を切り、風をつくり、青い光が尾を引いてホモイの周りに青い輪をつくった。骸骨たちは、近づくこともできず、ただカタカタと顎の骨を打ち鳴らしている。

「このまま朝までもてば大丈夫かも」

 ノンノの意見は楽観的すぎる、とイクタラは思ったが、彼女も、それにすがった。

 だが、その時、思いがけないことが起こった。突然、骸骨たちがバラバラになって、一斉に崩れ落ちたのだ。朝でもないのに。そこにいる誰もが呆気にとられた。ホモイすら、その必要がなくなったのに、惰性で三回、槍を振り回していた。

「これで終わり?」

 ノンノの声に反応する者はいなかった。終わりでないことが、すぐに分かったからだ。大地がうごめいている。いや、大地がではない。地面を埋め尽くしている無数の骨が、一箇所に向かって移動しているのだ。骨は、集い、積み上がり、山になっていく。そして、とうとう一体の巨大な骸骨となった。

「嘘でしょ」

 いくらピリカが否定しても現実は変わらない。

 十メートルにも及ぶ巨大骸骨が、地響きをたてながら向かってくる。ホモイは、骸骨に向かって一直線に突き進んだ。だが、青い槍が骸骨の中心部へ届くより早く、巨大な手の一撃がホモイを払いのけた。ホモイの体は、放物線を描いて地面に叩きつけられた。それより遅れて落下した槍は、ホモイの五、六メートル横に突き刺さった。地面に激突した衝撃で、ホモイは、息が詰まって呼吸ができなかった。もちろん動くことも。

「恨みを晴らしてやる~。村を根絶やしにされた恨みを~」

 巨大な骨の共鳴が、おどろおどろしい声となって降ってきた。

「違う! このひとは、そんなことしてない!」

 イクタラの叫びだった。

「こいつだ~。こいつがやったんだ~。こいつとあの女が~」

 凝り固まった妄念を相手に、いったいどうすればいいというのか? イクタラは、必死で説得の言葉を探したが、虚しく頭の壁を叩くだけだった。

「私を出せ。私を、ここから」

 そのとき、耳の中で誰かが囁く声がした。

「誰?」

 イクタラの言葉に、ピリカたちは怪訝な顔をしていた。

「私を……ここから出してくれ……」

 ようやくイクタラには声の出所が分かった。ノンノが腕に抱えている壺だ。

「ノンノ、その壺を割って!」

 ノンノは、きょとんとしているだけだった。

「いいから割って!」

「ええ! せっかく気に入ってるのに」

 業を煮やしたイクタラは、ノンノのもとに走り寄って壺を奪うと、地面に思い切り叩きつけた。壺が砕け散ると同時に古びた人骨のかけらが散乱した。骨は、瞬く間に組みあがって一体の骸骨になった。そして次の瞬間には、骸骨は、人品骨柄卑しからぬ一人の壮年男性になっていた。

「村の衆よ、やめるのだ!」

 ホモイの前に立ちふさがったその男は、凛とした声を巨大骸骨に向けた。

「オンネプさまじゃ」「おなつかしや」

 複数の声が同時に骸骨から降ってきた。

「おまえたちは恨む相手を間違えている。おまえたちを呪い殺したのは、この男でも、この男の母親でもない。この村の巫女トッコニだ」

 オンネプと呼ばれたその男が断言すると、方々から驚きの声が湧き上がった。

「そんなバカな」「トッコニさまが、そんなことを」「信じられない」

「信じられない気持ちは、よく分かる。だが、トッコニの側近だった私が言うのだ。信じてくれ」

 オンネプは、人望のある男だったらしい。意味まで聞き取れないが、囁きかわす声には、否定的な響きはなかった。

「トッコニは、この男の母親が怖かったのだ。あの女の力が。巫女の座を奪われるのではないかと怖れた。自分が病身で先が長くないのを知っていたから尚更だった。だから、病を流行らせ、あの女の仕業だという噂を広めたのだ」

「じゃあ、おらたちは、無実の女を焼き殺したというのか?」

 それは、認めるには怖ろしすぎる事実だった。

「おまえたちも、だまされていたのだ。操られていたのだ。そのうえ、トッコニは、自分の寿命がいよいよ尽きるそのときに、自分の村人たちを道連れにすることを選んだ。私は、それを諫め、止めようとしたために殺されて、魂を壺の中に封印されてしまった。恨むならトッコニを恨め」

 オンネプが拳を振り上げたそのとき、彼の体を砕けて散った。白い砂の粒となって、生臭い風に吹き飛ばされた。

 ガチャ、ガチャ。

 どこからともなく骨の音が聞こえてきた。一体の骸骨が、闇の中から妖しい燐光を伴って現れた。ドクロには、まだ長い白髪が揺れている。骸骨は、みんなの前に近づいてきた。近づきながら、それは、年老いた一人の女になった。

「トッコニさまじゃ」「トッコニさまじゃ」

 巫女トッコニは、顎を突き上げるようにして巨大骸骨を見上げた。

「トッコニさま、オンネプさまの話は本当ですか?」

「本当だ」

 あっさり認められて巨大骸骨は動揺した。否定してほしい思いは、つれなく踏みにじられた。

「うおおおおお」

 巨大な骨の足が、村人たちの積年の恨みが、トッコニめがけて踏み下ろされた。だが、その足をトッコニが指一本で受け止めると、骸骨は、もろくも崩れて塵になって消えた。

「バカな奴ら。おまえらが動けるのも、私のおかげだというのに」

「なんで? 骸骨さんたちは、あなたの村人でしょう?」

 ノンノが顔を真っ赤にして怒鳴った。

「もう用済みだ」

 トッコニの顔が、一瞬、髑髏になった。髑髏の口が笑った。

「おまえのせいで」

 ホモイは立ち上がっていた。その目は、足元で身構えるウバシと同じく野生の怒りに燃えていた。

「おや、今ごろ親の敵討ちかい?」

 ホモイは、槍のもとに走ろうとした。だが、できなかった。突然、目の前が霞んで、空気が重くなって、その場に膝をついて倒れてしまった。

「どうしたの?」

 イクタラが叫んだ。ホモイの様子は尋常ではなかった。

「ホモイに何をしたの?」

「体の中の血をたぎらせてやったのさ。魔女の血をね」

 うれしくてたまらないといったようにトッコニは笑った。その顔めがけてウバシが飛びかかった。だが、トッコニは、手も振れずにそれを弾き返した。叩きつけられたウバシは、それきり動かなくなった。

「ウバシ!」

 ウバシの元にノンノが駆け寄った。

「はい。次は、おまえ!」

 トッコニの指がノンノを指した。指の先から光の矢が飛び出してノンノに向かった。

「ノンノ、逃げて!」

 イクタラとピリカが同時に叫んだが、ノンノは、ウバシのことに気をとられていて、逃げる暇はなかった。イクタラもピリカもノンノの死を予感した。だが、光の矢はノンノに届かなかった。キラウが盾になって受け止めたからだ。

「キラウ!」

「大丈夫です」

 キラウには、ノンノの声に答える余裕すらあった。

「さあ、それは、どうかしら?」

 トッコニの指が小さく円を描いた。すると光の矢は、大きく広がってキラウとノンノとウバシを包み込んでしまった。ノンノたちを閉じ込めた光の球体は、ふわりと宙に浮き上がった。ノンノとキラウは、拳で光の壁を何度も叩いたが、びくともしない。声も音も外には聞こえない。

「結界には、こういう使い方もあるんだよ。憶えておいで、小娘ども」

 イクタラとピリカにトッコニは言った。

「あんた、それでも巫女なの?」咬みつくような勢いで吠えたのは、ピリカだった。「自分の満足のために、村の人を、こんなに殺して!」

「こいつらの命なんてゴミみたいなもんさ。自分の頭じゃ何も考えられない。ただ、日々、食う物に困らなければ、それで満足なんだよ。生きてく価値なんかないのさ」

「あんたは、そんなに偉いの?」

「偉いわよ。私は巫女だもの。力があるの。やろうと思えば、この世の全てを動かせるのよ」

「それにしちゃ、ホモイのお母さんを、ずいぶん怖れてたみたいだけど」

 ピリカは、皮肉っぽく突き刺してやった。

「あの男の母親が……」トッコニは唇の端で笑った。目は笑っていなかった。「怖かったわけじゃない。ただ許せなかったんだよ。ここは、私の村なんだ。支配者は、ひとりだけ。誰にも渡さない」

「それは、あんたの勝手な思い込みでしょ。ホモイのお母さんは、そんなもんに興味なかったんだよ。あんたのケチな巫女の座なんかにはね」

 トッコニの表情に初めてイラつきが見えた。

「おかしいよ、あんた。自分と道連れに村のみんなを殺しちゃうなんて」

「言ったろう。この村は誰にも渡さない。未来永劫ね」

「狂ってる。だから、この世から消えちまえ!」

 ピリカの眉間から念波の槍が発射された。だが、トッコニは、その槍を指一本で弾き返した。跳ね返った念波を鳩尾に受けて、ピリカは吹っ飛ばされた。

「ピリカ!」

 イクタラの声に返ってきたのは、消え入りそうなうめき声だけだった。

「さて、どっちにしようかね?」

 トッコニの視線の先にはイクタラとアマメチがいた。巫女の霊は、地上十センチをすべるように二人のところにやってきた。

「おい!」

 ふたりの前に立ちふさがったのはオワツだった。誰もが彼の存在を忘れていた。その瞳には恐怖心と、それを跳ねのける固い決意がみなぎっていた。

「のけ!」

 だが、そんなものもトッコニの指一本で鼻糞のように吹っ飛ばされた。

 残ったのは恐怖で動けないふたりの少女だけ。トッコニは、息もできずに立ちすくんでいるアマメチの顎を指先でつまみ上げた。

「ふ~ん」

 さも面白そうにトッコニは鼻で笑った。

「彼女に何をするの?」

 イクタラが叫んだ。両手の拳は握り締めているが、体は動かなかった。

「そろそろ生身の体が欲しくなってね。骸骨でいるのにも飽きちゃったのよ」

「それなら彼女じゃなくて私にしなさいよ」

 トッコニは、足下から頭のてっぺんまでなめるようにイクタラの体を眺めた。

「そうだね。あんたの体をもらって、あんたの村の巫女になるっていうのも悪くないね」

 トッコニは、アマメチの体を放り捨てると、両手でイクタラの顔をはさみ込んだ。

「なかなか使い勝手の良さそうな体じゃないか」

 凍りついたように動かない自分の体が、イクタラは恨めしくてしょうがなかった。これは、こいつの術のせい? それとも、私の弱さのせい?

「されじゃあ、いただこうかね」

 イクタラは思わず目を閉じた。自由になるのは目蓋だけだった。それもすぐに……。イクタラは覚悟を決めた。ごめんなさい、お母さん。

 でも、何も起こらない。

「うっ!」

 そのとき、トッコニの表情が苦痛にゆがんだ。その腹には丸い穴が開いて、そこからあの槍の先がのぞいている。ホモイだ! 

槍が引き抜かれた。トッコニの腹に開いている丸い穴。その向こうに見えたのは、ホモイではなかった。オワツだった。

「どいつもこいつもおいらを無視しやがって。おいらを無視すんな!」

 トッコニは、自分の腹に穿たれた穴を見下ろしていた。大して動揺しているようには見えなかった。

「こんなもんで私を倒せるなんて思わないでよ」

 トッコニは肉体を持たない霊体なのだ。体に穴が開いたところで何ほどのものでもない。

 だが、そのとき、彼女の足下で異変が生じていた。粉々にされたと思った村人たちの骨が寄り集まり、無数の手となってトッコニの脚にしがみついていたのだ。

「放せ!」

 トッコニは、白骨の手を振り払おうとした。汚い泥でも払うように。

「今度は、おらたちが、おまえを道連れだ」

 何人、何十人もの声が、トッコニにたかっていた。体を取り戻した骸骨たちが、彼女の膝から腰、胸へと群がっていく。ついには、トッコニの顔まで完全に覆い尽した。トッコニの断末魔が闇を貫いた次の瞬間、白骨の人がたは、粉々に崩れて、風に吹き払われてどこかに飛んでいった。あとには、疲れはて、動けずにいるイクタラたちだけが残されていた。

「な~んだ、この槍、おいらにも使えるじゃないか」

 オワツが、槍先の青い光に見とれながらつぶやいた。

「オワツ、すご~い。やったね」

 ノンノは、涙目でオワツを見上げていた。

「ま、あんたが倒した、ってわけじゃないけどね」

 ピリカは事実を指摘してやった。

「でも、ありがとう。本当に助かったわ」

 イクタラは、少しはオワツの力かもしれない、と思っていた。

「この槍、俺が持ってた方が良さそうだ」

 オワツは、よほど気に入ったのか、しきりに槍をしごいている。

「それは言いすぎじゃないの?」

「なんだって?」

 ピリカが辛口なのはいつものことだった。そんなこと慣れっこのはずなのに、それに対するオワツの目は、いつもとまったく違っていた。触れると火傷しそうな目つきだった。

「そろそろ返してもらっていいか?」

 ホモイが無表情に言って手を差し出した。

「いやだね」

 その手をオワツは傲然とはねのけた。

「なんかいつもと違うよ」

 ノンノも、オワツの異変を感じ取っていた。

「これからは、この槍はおいらのものだ」

「ちょっと話し合おう」

 イクタラが、なだめるように言った。すでに全員が、おかしい、と気づいていた。オワツを興奮させないように、ゆっくり彼を取り巻く輪を縮めていった。

「近寄るな!」

 オワツは、敏感に周りの気配を察知した。威嚇するように口を開くと、もうもうたる白煙を吐き出した。

「ちょっと! 何、これ?」

「熱い!」

 イクタラとノンノが叫んだ。白煙の正体は水蒸気だった。誰もがオワツの姿を見失った。

「あいつ、いつからこんなこんなことできるようになったのよ?」

 咳き込みながらピリカが言った。

「槍のせいで力が強くなっている」

 どこかでキラウが答えた。

「ギャーーーーー!」

 突然、甲高い悲鳴が白煙の中で響いた。だが、みんな、動くに動けなかった。やがて煙が晴れた。首から血を流して倒れていたのは、オワツだった。そばにはアマメチが立っていた。手には槍を持ち、唇は真っ赤な血に濡れていた。

「とうとう手に入れたわ。このアホ蛙のおかげで」

 そのとき、つむじ風を引き連れて一人の女が現れた。鬼女エンレラだ。

「やったわね、とうとう

「ずっと機会を狙っていたけど、なかなか手離さないんで苦労したわ」

 エンレラとアマメチは、目と目を見かわして、冷たく笑い合った。

「あんた、鬼の仲間だったのね。最初から槍を盗む目的で……」

 ピリカが言うまでもなく、イクタラにもノンノにも、それは明らかだった。だが、気づくのが遅すぎた。

「その通りさ。これで『結界破りの石』はヤテプさまのもの」

 槍先の輝きをウットリと見つめながらエンレラが笑った。

「結界破りの石?」

 イクタラたちにとっては初耳だった。

「おや、知らなかったのかい。この青い石には、全ての結界を破る力があるんだよ」

 エンレラは、小馬鹿にしたように娘たちを見くだした。

「本当は河童の持ってる石をいただこうと思ったんだけどね。あいつら、どっか知らないところに隠れちまったから。でも、こっちの方が上物だよ。たっぷり魔物の命を吸ってるからね」

「それを手に入れて、どうしようっていうの?」

 ピリカは悪い予感がした。

「これがあれば、どんな村だって襲い放題さ。全ての村がヤテブさまにひれ伏すんだよ」

「なんで、そんなことしなきゃいけないの?」

 ノンノには、全く分からないことだった。

「お子さまには分からないだろうね」

「ついでに、もうひとつ教えてあげたらどう?」エンレラと娘たちのやり取りを面白そうに眺めていたアマメチが、口をはさんだ。「この槍を手に入れたら、最初にどこを襲うことになっているか」

「そうだったね。私は聞いたこともなかったけど、確かタアタアンワっていう村だったよ」

 三人の少女は、大きな石で背後から殴られたような衝撃を受けた。自分たちの村タアタアンワが襲われる。キラウの記憶で見たあの村みたいに。

「なんで!?」

 ノンノが絶叫した。

「さあね。ヤテブさまが決めたことだ。あの方には思い入れがあるらしいよ。そのタアタアンワって村に」

 本当は知っているのに教えないのだろう。エンレラは、全ての言葉に毒を盛っていた。

「でも、場合によっては攻撃するのを考え直すかもね」

 イクタラたちは何も応えなかった。その言葉の裏に罠の臭いがした。

「そこのお兄さんが、ひとりで鬼の穴まで来るなら」

 エンレラは、ホモイの方にねっとりした流し目を送った。

「なにしろヤテブさまは、あんたにえらく御執心でね。あんたの出方次第では、この娘たちの村を助けてくれるかもしれないよ」

 ホモイは無言だった、無言でエンレラを睨んでいた。その意味するものが、イクタラには分からなかった。分からないから不安だった。

「それに、この槍だって返してくれるかもよ」唇まで裂けた口から蛇のような舌が見えた。「考えてる時間は、あまりないよ。次の新月の夜までに鬼の穴に来なければ、タアタアンワに進軍を開始する。いいね? じゃ、待ってるよ」

 甘ったるい声で、そう言い置くと、エンレラは風になって走り去っていった。アマメチも姿を消していた。

 そのとき、初めてオワツのうめき声が聞こえた。本当は、もっと前からうめいていたのかもしれない。イクタラたちが、あわてて駆け寄った。三人の少女は、傷口の上に掌を重ねた。癒しの光が傷口を覆い、出血を堰き止めた。

「ホモイ……」

 オワツは、苦しい息で言葉をしぼり出した。ホモイは、すぐそばで見下ろしていた。

「アマメチの仇を討ってくれ……彼女は、あんな娘じゃなかった。きっと変な魔物にとり憑かれて、魂を食われちまったんだ。だから、彼女の仇を……」

 そこまで言うとオワツの体から一気に力が抜けた。呼んでも揺すっても、何の反応もなくなった。

「河童さん、死んじゃったの?」

 ノンノの声は泣いていた。

「安心しろ。気を失っただけじゃ」仙人がホモイのすぐ後ろからのぞき込んでいた。「虫の報せで飛んできたら、こんなことになっておるとは」

「遅いよ」

「どこに行ってたんですか?」

「肝心のときにいないんだから」

 少女たちの声にも目にも、抗議の色が充満していた。

「仙人だって万能じゃないんじゃよ」

 仙人は、バツが悪そうに目をそらした。

「おや、これは何じゃ?」

 都合よく見つかったものがある。仙人は、オワツの肩口から何かをつまみ上げた。何かの動物の毛だった。

「ほほ~。こんなところで、また会うとは思わなんだ」

「何ですか?」

 癒しの巫術を続けながらイクタラが訊いた。

「これは昔なじみの古狐のもんじゃ。あいつも海を越えて渡ってきておったのか。妖術に長けていて、いくつもの王朝を滅ぼした札付きの悪じゃ。名前をダッキと言ってな」

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