第3話
幻獣の森
世界は黒い影で埋め尽くされた。呼吸するたびに肺にまで闇が侵入してきそうだ。一行は、たどりついた森の中で野宿することにした。焚火を囲んで、四人と一匹は足を投げ出している。足の感覚がなくて自分のもののような気がしない。一日踏みつけてきた大地の呪いじゃないか、とノンノは思った。
男は、少女たちから距離をおいて腰を下ろしていた。あの槍は肩にかけて片時も放そうとしない。白い狼は主人の足元にいる。ノンノは、そのフサフサした毛に触りたくて仕方なかった。
「その子、なんて名前なの?」
「名前?」
男は、意外なことを聞かれたかのように不思議そうな顔をした。
「名前よ。あるんでしょう?」
「ない」
「じゃ、呼ぶときは、何て呼んでるの?」
男は、しばらく考えていた。
「来い」
「かわいそう。名前くらい付けてやらなきゃ」
かわいそう、という意味が、男には理解できないようだった。
「そうだ! ノンノが付けてあげるよ。そうだな~。ウバシは、どう?,」ウバシとは雪という意味だった。「そう。ウバシ(雪)のように白いから、ウバシがいい。ね、ウバシ」
新しい名前で呼びかけられた白狼は、きょとんとしていた。
「ところで、あなたの名前は?」
「そんなものは……ない」
「ないわけないでしょ?」
「あったが忘れた」
「信じられない」
ノンノは心底あきれた。自分の名前を忘れたひとなんて初めて見た。
「言いたくないだけなんだろ、きっと」
ピリカは冷たい目で言った。
「そうだ! あなたの名前も、ノンノが考えてあげる」そうは言ったが、動物の名前を付けるのは得意だが、人間の名前は難しかった。「ね、何かいい名前、ある?」
思いつかなくて、仲間に助けを求めた。
イクタラは考えた。
「槍を持ってるから『ヤリ』は?」
ピリカは、あまり考えなかった。
「『あいつ』『馬の骨』『クソ男』」
「ピリカ、このひとのこと、嫌いなの?」
ノンノは、二人の仲が本気で心配になった。
「ピリカは、だいたい男嫌いだから」
イクタラがフォローした。
「別になくても不便じゃない」
勝手に自分の名前が決められそうな事態に、男が横から口を出した。
「こっちが不便なの!」
三人が同時に言った。以後、男は黙っていることにした。
男の名前は、なかなか決まらなかった。イクタラの案は普通すぎたし、ピリカの案は、ただの悪口だった。ノンノの案は、かわいらしすぎて男には似合わなかった。
「いつも黙ってるから『石』ってのは、どう?」
ピリカの案にしては、毒の薄い方だった。
「かわいくな~い」
ノンノは大反対だ。ピリカの案にはノンノが反対するし、ノンノの案にはピリカが反対、そして、イクタラの案には、あとの二人が乗らなかった。その繰り返しで、夜は更けていった。
「あっ、無口な人のこと、何て言ったっけ?」
イクタラの頭に、突然、何かが降りてきた。
「ホモイタクベでしょ?」
ピリカが答えた。
「ちょっと長くない?」
ノンノも、いまいちという反応だった。
「じゃあ、短くしてホモイは?」
「ホモイねえ?」
「ホモイかあ?」
三人とも、いいかげん名前を考えるのに飽きていたし、眠くなり始めていた。
「悪くないかも」
ノンノが言った。たしかに、悪くはない。よくもないけど。
「じゃ、ホモイに決定!」
ピリカが宣言した。もう、どうでもよかった。
「よかった、決まって。じゃ、おやすみなさ~い」
イクタラの言葉をきっかけに三人は、重い目蓋を下ろした。それぞれが寝息をたてはじめるのに、そう時間はかからなかった。誰も、新しい名前に対する本人の感想を訊こうなんて気にはならなかった。
夜の闇は、よどんだように動かなかった。月明かりも星の囁きも、深い森にさえぎられて四人と一匹のところまで届かない。闇にあらがっているのは、余命いくばくもない焚火の炎と、その火影を映して青く光るホモイと名付けられた男の槍先だけ。
そんな中、イクタラが目を覚ました。一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。寄りそうように眠っているピリカとノンノの寝顔を見て、自分がおかれている状況を思い出した。そして、自分がなぜ目を覚ましたのかも。
「ね、ね」
イクタラは、耳元で囁きながらノンノの体を揺すった。熟睡しているノンノは、起きる気配を見せなかった。今度は、ピリカを揺すった。
「んん~、なに?」
目はつぶったまま、ピリカの唇だけが微かに動いた。
「一緒に来てくれない? お願い」
「やだ」
ピリカは、モゾモゾとイクタラに背中を向けてしまった。
イクタラは闇の奥に目をやった。目的を果たすためには、ひとりであの中に行かなくてはならない。でも、一際暗いその奥には、何がひそんでいるか分からない。今この瞬間にも、何かが息を殺してこちらをうかがっているように感じた。イクタラは、再び二人の仲間を見た。二人とも、イクタラに背を向けて、夢の中に閉じこもっている。強引に起こそうと思えば起こせるのだが、そこまでしたくなかった。この二人に頼れないとなると、残っているのは……。
「なんだ?」
イクタラが四つんばいになって近づいていくと、気配を察知してホモイが目を開いた。
「ちょっと付き合ってもらえる?」
「どこへ?」
「ちょっと、そこまで」
わけも分からないままホモイは立ち上がった。ウバシもついてこようとしたが、ホモイに「おまえは、そこにいろ」と言われて、その場にとどまった。二人は、焚火の火を枝に移して松明にした。それぞれが一本ずつ持って、森の奥へと分け入った。事情が呑み込めないホモイは、怪訝な顔でイクタラのあとについていった。
「このへんでいいや」イクタラは、そう言って立ち止まった。「もう少し離れてくれる」
言われるままにホモイは後ろに下った。
「そこでいい」
五メートルほど下らせたところでイクタラが言った。自分は、そこから更に奥へと進んで、樹の陰にしゃがんだ。ホモイの姿は見えなくなった。松明の明かりが微かに闇を焦がしている。ということは、向こうからも彼女の姿が見えないはず。それはいいのだが、今度は、急に不安でたまらなくなった。
「ねえ、いる?」
「ああ」
闇の向こうから不機嫌そうな声が返ってきた。
「なにか話しててくれない? いるのかどうか分かるように」
沈黙だけが返ってきた。
「無理だよね。じゃ、歌とかは?」
「歌?」
「ごめん。もっと無理だよね。じゃ、私が歌う。よかったら、あとからついてきて。ていうか、歌って」
イクタラは、ウチおばさんに教えてもらった子守唄を歌った。
「熊の母さん、何してる? 人里なんかでフラフラ散歩」
イクタラは待ったが、何も聞こえない。ホモイは、本当にそこにいるのだろうか?
「歌ってよ」
「何だって?」
いらだったような声が返ってきた。イクタラは、ほっとした。よかった。いたんだ。
「熊の母さん、何してる?」
「熊の母さん、何してる?」
歌じゃなくて、ただ棒読みで繰り返しているだけだった。でも、それで用は足りた。
「人里なんかフラフラ散歩」
「人里なんかフラフラ散歩」
「おまえの子供は何してる?」
「おまえの子供は何してる?」
「今ごろひとり穴の中」
「今ごろひとり穴の中」
「葉っぱかぶって泣いている」
「葉っぱかぶって泣いている」
「早くお帰り、子供のもとへ」
「早くお帰り、子供のもとへ」
「子供が大きくならないうちに」
「子供が大きくならないうちに」
「母子なかよく月の中」
「母子なかよく月の中」
イクタラがここに来た目的は、歌の途中で、もうすんでいた。ホモイが最後の歌詞を語り終わったときには、もう彼のすぐそばまで戻ってきていた。
「ありがとう。帰ろう」
ホモイには、今もって何が何やら分からなかった。この女は頭がおかしい、と密かに思い始めていた。
そのあと、二人は、無言のまま焚火のところに戻ってきた。炎は、まだ命脈を保っていた。だが、ピリカもノンノも姿を消していた。ウバシもいない。
「ピリカ! ノンノ! どこ?」
イクタラが大声で叫んだ。
「おい!」
ホモイも、声を張り上げてウバシを呼んだ。
だが、応えるものは何もない。ただ、静寂だけが二人を取り囲んでいた。
混濁した意識のなかで,ピリカは、誰かが近づく気配を感じていた。イクタラ? もう、そんなこと、ひとりで行ってよ。子供じゃないんだから。
だが、そうじゃない、と分かった。生臭い匂いが鼻を突いたからだ。ピリカは跳ね起きた。イクタラとホモイの姿がない。ウバシは、森の奥に向かって、牙を剥いて唸り声を上げている。
「ね! ねってば!」
ピリカは、のんきに眠っているノンノを揺り動かした。
「う~ん。オヘソは二つでお願いします」
何の夢みてるんだよ、こいつ? ピリカは、思い切り拳骨でノンノの頭を殴りつけた。
「痛~い!」
頭をなで、目をこすりながら、ようやくノンノが目覚めた。
「おかしいんだよ、様子が」
ノンノは、寝ぼけまなこであたりを見渡した。
「イクタラは?」
「いないんだよ。それに、あの男も」
「ホモイだよ」
「いいよ、そんなこと」
ウバシが、森の奥に向かって吠え立てはじめた。二人には、闇のなかの一際暗い部分が、さっきよりも近づいてきているような気がした。
何かに包囲されている。
イクタラは、そう感じた。でも、何に? 槍を構えて身構えているホモイも、同じことを感じていた。身を守るために二人は背中をつけあった。
毛穴が開き、産毛が逆立っていた。肩に何かがのしかかっている気がする。息苦しい。その息苦しさが頂点に達したそのとき、闇夜を切り裂いて、一条の稲妻が二人の足元に突き刺さった。凄まじい轟音と地響きとともに、ふたりは、離れ離れに吹き飛ばされた。
雷鳴は、まだ続いている。次から次へと雷の矢が、地上に降り注いだ。轟く雷鳴の合間にイクタラの悲鳴が聞こえる。彼女は、地面に背中を丸めてうずくまり、我を忘れて悲鳴を上げ続けていた。
「やめて! もう来ないで!」
イクタラは、固く目をつぶって、目蓋の裏側の世界に逃げ込んだ。だが、雷鳴と地響きは、容赦なくその世界を揺さぶり続けた。そして、その砦の中にさえ……。
草原を駆けていく幼い日のイクタラと幼友達が見えた。かげりひとつない笑顔。屈託のない笑い声。そこに、何の前ぶれもなく訪れた夜の暗さ。雷鳴。稲妻。目の前で真っぷたつに裂ける大木。悲鳴。倒れて動かない親友。
「なんで? ニウエを返して!」
イクタラは、子供のように泣きじゃくった。
「何か来るよ」
ノンノは、ピリカの腰にしがみついていた。
「何かって何?」
「知らない」
その何かは、黒い塊となって二人の方に飛んできた。二人を呑み込み、包み込んだ。
「やだ!」
それは、ノンノが大嫌いな虫。それも大群だった。虫から逃れようと、彼女は、やみくもに走り出した。すると虫の全軍は、ピリカを無視してノンノを追撃しだした。どこまでもどこまでも追ってくる。
「ピリカ~。助けてよ~!」
ピリカに救いを求めるノンノ。だが、どうしろというのだ?
そのとき、ピリカは、不思議なことに気づいた。空を飛べる虫たちは、追いつこうと思えば、いつでもノンノに追いつけるはず。なのに追いつこうとしない。一定の間隔をおいて追いかけているだけだ。まるでノンノをもてあそんでいるみたいに。
「助けて!」
ノンノが珍しく悲痛な声を上げている。放ってはおけなかった。ピリカは、ともかくノンノの方に向かおうとした。だが、その前に闇に浮かんだ人影が立ちふさがった。
「ピリカちゃ~ん」
その影は、たしかにピリカの名を呼んだ。そのあとに薄気味悪い笑い声が続いた。理由は分からないが全身に鳥肌が立った。聞き憶えのある声だ。そのとき、焚火の明かりが血に濡れたような男の顔を照らし出した。
「おまえ……」
たしかに見覚えがある顔だった。でも、思い出せない。思い出そうとすると頭が痛くなった。
「かわいいな~」
その男は、薄ら笑いを浮かべながら迫ってきた。ピリカは逃げたかった。でも、逃げられない。体が動かないのだ。
ノンノの悲鳴に、ピリカの悲鳴が加わった。
「怖い! 怖いよ~! お母さ~ん!」
イクタラは、うずくまって泣き続けていた。
「おい! しっかりしろ!」
ホモイの声は、彼女の耳には届いていない。
「巫女になるんだろ!」
ホモイはイクタラの襟首をつかんで強引に立たせた。激しく揺すった。それでもパニックは治まらないので頬を張った。力いっぱい。その衝撃で彼女は我に返った。それと同時に、あれほど激しかった雷鳴も稲妻も、消えてなくなった。初めからなかったかのように。
「助かった~」
イクタラが安堵の吐息をついたのも束の間だった。二人は気がついた。黒い人影が周りを取り巻いている。いったい何人いるのだろう? その目はすべて、憎しみの色に燃え上がっていた。
「誰?」
イクタラの問いに答えはなかった。代わりに返ってきたのは、石の礫だった。硬い石の雨が二人に降り注いだ。
「やめて! 何するの?」
イクタラは、頭を腕で覆って防ぐしかなかった。意外に降ってくる石が少なく感じたのは、ホモイが、そのほとんどを背中で引き受けていたからだ。
石の雨は、まもなく止んだ。と思ったら、今度は、目の前に大きな火柱が立って空気を焦がした。火柱の中には女の影があった。踊っているように見えるが、もがき苦しんでいるのだ。そのとき、イクタラの耳元で長く尾を引く嗚咽が聞こえてきた。意外だった。それは、ホモイの口から、喉の奥から、魂からしぼり出されたものだった。
炎が消え去り、一瞬、黒く炭化した人形が残った。それは、たちまち風に吹かれて散り散りになった。ホモイは、腕を突き出して、それをつかもうとしたが、手には何も残らなかった。ホモイは、微かに煤けた掌に顔を埋めた。
再びさっきの黒い人影が、二人を取り巻いていた。手には、それぞれ太い棒が握られている。ホモイは、槍を抱き締めて、体を丸めてうずくまっていた。イクタラの耳には、すすり泣きの声が聞こえた。イクタラは、ホモイをかばうように身を投げ出した。影たちは、手にした凶器を高く振り上げて、今にも振り下ろそうとしていた。
「なんで、このひとを憎むの? このひとが何をしたの? そんなにひとを憎めるなんて、どうかしてる!」
答えはなかった。だが、イクタラの中で何かが彼女に囁いた。
「憎んでるんじゃないのね。怖れているんだ。怖いんだわ」影たちは、さっきから動いていない。イクタラは、森中に響くように叫んだ。「私たちが怖いんだわ!」
影たちの色が、微かに薄れたように見えた。
ピリカは、息ができなかった。男に押し倒され、両手で首を締められていた。殺される。でも、どうにもできない。意識が薄れていく。
「やめて……」
苦しい息を振り絞ったのはピリカではなかった。ピリカはピリカだが、幼い日の彼女だった。やはり首を締められていた。締めているのは、同じ男。
封印されていた記憶が甦った。私は、昔、この男にこうやって首を締められていたんだ。ピリカの手に力が戻ってきた。わずかに男の手を押し返した。
「やめて! やめないと、また、あの日みたいに……」
ピリカの言葉は、男に聞こえなかった。男の目には狂った喜びがあふれていた。ピリカの抵抗を押しつぶして、再び首に指がかかった。とどめとばかりに渾身の力が指先にこもった。
「おまえは誰にも渡さない。これで、ずっと俺だけのものだ」
征服欲が満面に広がった。そのとき、ピリカの中で何かが外れた。
「おまえなんか……おまえなんか……死んじまえ!」
ピリカの全意識が眉間に集中された。そして、集中したそれは、見えない矢となって男の眉間に一直線に突き刺さっていた。
「うう……」
突然、声を失った男は、胸を押さえてあえぎだした。瞳は恐怖に震えている。見えているのは自分の死だった。やがて口から泡を吹くと、男は、絶命して地面に倒れた。
ピリカは、肩で息をしながら男を見下ろした。醜くゆがんだ顔から思わず目をそらした。
「あんたは恐ろしい女だよ。死神さん」
背後から女の声が聞こえた。鋭い氷柱を突きつけられたような戦慄が走った。振り返ったピリカの前に立っていたのは、自分自身だった。
「おまえなんか……死んじまえ」
もうひとりのピリカがつぶやいたとたん、ピリカは、心臓を鷲づかみにされたような痛みを感じた。殺される!
ノンノは、もうこれ以上、走れないと何度も思った。それでも、虫に対する嫌悪が彼女を走らせていた。もうよれよれで、とても走っているように見えなくても。それでも、どこかで、きっとピリカが援けにきてくれる、と信じていた。ピリカじゃなくても、イクタラか、ホモイか、ウバシの誰かが。でも、体力は、もう限界だった。何かにつまずいたわけでもないのに、足がもつれてバランスを崩した。そのまま前のめりに転倒した。もうダメだ。虫の餌食になっちゃう。そう覚悟したが、地面に顔を伏せたままの彼女のそばには、一匹の虫もやってこない。助かったの? ノンノは、恐る恐る顔を上げた。
すぐに危機は去っていないことが分かった。ノンノを円の中心にして、おぞましい虫たちが、大きな輪をつくって取り巻き、浮いていた。何千、何万という虫の目が、どれもこれもノンノを見すえている。ノンノは悲鳴を上げた。その声を待っていたかのように、虫たちは、一斉に彼女に向かって殺到した。もう叫ぶこともできない。口を開けると虫が飛び込んでくるからだ。目も開けられない。耳も両手でふさがずにはいられない。それでも鼻の穴から虫が入り込むのが分かった。もう耐えられない。声が出せないぶん頭の中で絶叫が爆発した。底知れない恐怖が、彼女の奥の奥にある安全弁を外した。
ノンノを中心にして、小さな爆発が起こった。たちどころに全ての虫が蒸発して消えた。衝撃波が一瞬で森の果てまで波及していった。
ノンノは、自分自身が爆発したと思った。でも、目を開けてみると、自分は五体満足でそこに立っていた。なにかウサギくらいの大きさの動物が数匹、大あわてで森の奥へと逃げていくのが見えた。すでに朝陽が進撃を開始していて、夜の残党は総退却を開始していた。ピリカも、イクタラも、ホモイも、そこにいた。みんな、力なく立ち尽くしていた。ウバシだけは、あの動物が逃げていったあたりに向かって吠え続けていた。
「何だったの、今のは?」
その場にしゃがみ込んでしまったピリカが、つぶやいた。
「たぶん、ここは彼らの縄張りだったんだと思う。私たちが縄張りを侵しにきたと思って、追い出しにかかったのよ。私たちが一番怖がっているものの幻を見せて」
イクタラが、自分に理解できた範囲で説明した。
「一言、言ってくれればよかったのに。出てけって」
今のピリカには、腹を立てる気力も残されていなかった。
「ね~! 私たち、あなたたちに何かしようなんて思ってないよ! ただ、一晩、泊めてもらっただけだから! 怖がらせて、ごめんね!」
ノンノが、森の奥に向かって呼びかけた。樹の高みで微かに枝が揺れた以外、何の反応もなかった。
「また誤解されないうちに行こう」
ピリカの言葉に全員が同意した。
森の外に出て、さえぎるもののない陽の光を浴び、ようやく一行はホッとした。
「ねえ、あの森で、どんなもの見せられたの?」
ノンノがイクタラに聞いてきた。
「雷」
「イクタラ、雷が怖かったんだ」
「ノンノは?」
「ノンノは、虫。すっごい数の虫。も~、思い出しただけでもサムイボが出ちゃう」
「ね、そんな話やめない? 気持ちが落ち込むだけだからさ」
自分に話を振られることを恐れたピリカは、予防線を張った。それで、その話はおしまいになった。
イクタラは、自分たちのあとに距離をおいてついてくるホモイの方にチラリと目をやった。あの黒い影と炎に焼かれる女の人は、いったい何だったんだろう?
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