第5話「ネサリー」
眠りから覚め、ゆっくりと瞼を開ける。窓から差し込む光は二度寝の前に見たものと比べても違いが分からないくらいには明るい。今度はそこまで長い時間眠った訳ではないようだった。
起きたはいいが手持無沙汰だ。まずはほぼ唯一知っている場所である部室に戻ろうかと思いたち保健室から出た。
のは良いのだが。
「あれ、ここからどう行けば部室なんだろ?」
現在位置が分からない。気絶している間に運び込まれたのだから当然だが、これは下手に動けば迷子フラグだ。
大人しく保健室の中で待っていれば閣下か誰かが迎えに来てくれるだろう。そう考えなおし、部屋に戻ろうと振り返ったところで声をかけられた。
「君が噂の新入部員か」
「はい?」
声の主へと振り向けば、現れたのは漆黒の長髪も艶やかな美少女だった。美少女ばっかだこの学校。けしからんな。
まず特徴としては胸が豊かだ。正確に見比べてみなければ分からないが、ディーナ並にあるのではないか。だが彼女のようなおっとりした印象とは真逆で、ツリ目がちでキリッとした表情が実にクールだ。そして背丈は閣下と同じか少し低いくらいか。小柄な体が余計に胸の豊かさを強調している。けしからんな。
「大丈夫かい?」
しまった、露骨に見過ぎたか。このままでは不審者として捕まってしまうやもしれない。それはマズイので慌てて視線を逸らし取り繕う。
「ダイジョウブです! 何か御用でしょうか!」
「あ、ああ、うん。なに、大した用ではないんだが。例の『学園征服部』に新人が入ったと聞いてね。大怪我を負ったそうだが……元気なようで何よりだ」
自然と近くに寄ってきて吐息を感じる程に間近で観察された。探るようにこちらを見つめる目にゾクゾクと来るが耐える。
サラサラのストレートヘアが肩から滑り落ちた拍子に、ふわりと良い匂いが香る。眩暈がしそうだ。
満足したのか少しだけ身を引き、腕を組む。胸が持ち上がって大変だ。
「同じ黒髪だな」
ふふ、と上品に笑う。
「色は、そうですね」
質とか比べるべくもないですがね!
強くそう思いながらこちらも笑う。きっと笑い方の質も大分違うはずだ。
「僕はネサリー・ララフェットだ。よろしく」
「セントです、よろしく」
軽く握手を交わして。そういえばこちらの世界でファミリーネームらしきものを名乗られたのは初めてだ。やっぱりあるんだ。
自分もちゃんと名乗りたかったが忘れてしまっているものはしょうがない。失礼かもと思ったが彼女の方は気にしている様子もなく、安心した。
「さて、引き留めてしまって済まないな。……これから予定でもあるのかな?」
「いえ、部室に戻ろうかとも思ったんですけど、場所が分からないので。保健室で待機してようかな、と」
そう返すと、なるほど、と呟いて少し考える様子を見せた。
「……では、こうしよう。確か君はまだ入学手続きをしていなかったはずだね。部室棟に案内するついでにそちらを済ましてしまおうか。ついておいで」
そう提案し、こちらが返事をする前にくるりと向きを変えて歩きだしてしまった。
一瞬呆けてしまったが慌てて後を追いかける。
「手続きには本人の署名が必要でね。それとちょっとしたテストもあるが……ああ、心配しなくても良い。簡単な質問に筆記で答えてもらうだけさ。流石に文字も読めない書けないでは勉学もままならないからね」
「筆記ですか……」
少し、いやかなり心配だ。一応召喚術の機能とやらで言葉は翻訳されているが、筆記まで適応されるかどうかは未知数だ。
「筆記は苦手かい? 召喚術には翻訳機能があったはずだが」
どうやらこちらの事情に詳しいようで、俺が召喚された人間なのも承知だったようだ。
「えっと、言葉は分かるんですけど、筆記まで適応されるものなのか分からなくて」
「機能が正しく働いているなら、大丈夫なはずだよ」
その言葉で不安が多少軽減された。多少なのは――ほら、記憶喪失関連の不具合でそもそもマスターの召喚術に信用が。うん、本人には言えませんがね。
その後はしばらく会話もなく、ゆっくりと歩いていくだけの時間が続いた。
歩きながら、廊下の窓から外を眺める。ここから見えるのはグラウンドらしき広く平らな場所だ。十数人の生徒達が走ったり、飛んだり、爆発したりしている。
(俺の知ってる学校と違うなぁ)
冷汗を流しながら、他の場所にも視線を飛ばしてみる。グラウンドの向こう、少し離れた場所にも校舎らしき建物があって、その窓の一つから巨大な蛸の足みたいなものが飛び出してうねうねと蠢いているのが見えた。よく見るとその先端は人を握りしめているようだった。
(――俺の知ってる学校と違うなぁ!!)
戦々恐々としていると、こちらをちらりと振り返ったネサリーがくすくすと笑って言った。
「賑やかなところだろう? 君の世界ではどうだったかは分からないが、これがここの日常だよ。まあ、そのうち慣れるさ」
「な、慣れますか、ねぇ……」
絶賛異世界である実感を得つつ、どっと気疲れしながら重い足取りでついて行く。なるべく外は見ないようにしながら歩き続ける。
「もちろん、一般的な学校はもっと大人しめだろうけれどね。しかしここはなにせ冒険者の卵を育成する場所だから。力が有り余ってるヤンチャな子がいっぱい居るせいか、色々と大変なのさ。……さて、あまり変な所ばかり見せてこれからの学校生活に不安を残すようでは不味い。もう少しまともなところも見せておこうか」
先を行くネサリーが足を止めて視線で示したのは、中庭へと続く通路だ。綺麗な緑と整えられた花壇がここからでも垣間見える。
ゆっくりとそちらへと案内され、花々などを観賞しながら話は続く。
「本校舎の中庭は、園芸部が伝統として代々管理している所でね。とりわけ今代のは造園センスが良い。色鮮やかながら目に煩くなく、心落ち着ける空間となっている。そんなわけでここに集う生徒らは比較的常識的な――いやこういう言い方はよろしくないか。そうだな、穏やかな、かな。そんな性質の子たちが多い」
言われて、ちらほらと存在する生徒たちを見れば、確かにグラウンドで走ったり飛んだり爆発したりしていたのと違って大人し目の子が多いようだった。
良かった。あんなバイタリティ溢れまくってる生徒ばかりでもないなら、少しは安心できるというものだ。
少し離れた場所、中庭の丁度真ん中辺りにはテラスがあって、そこでは数人の少女たちが楽しそうにお茶か何かを飲みながらお喋りを楽しんでいた。
……まあ、あれはあれで溶け込みにくい空気ではある。
それ以外に少し気になるのは、こちらに気付いた生徒たちが皆一様に丁寧なお辞儀をしていくことだ。まだ生徒でもない俺への対応としては些か不自然なので、ネサリーの存在がそうさせているのだろう。
小柄なネサリーだが、もしかしたら結構な年上なのかもしれない。下手をすれば最上級生も考えられる。
内心、女性にはちょっと失礼なことを考えながら、中庭を通過してアーチ状の門を潜って行く。
てっきり校舎内に戻るものと思っていたが、次はどこに向かうつもりなのか。
「折角だ。このまま大図書館も覗いて行こう」
図書館、それも大が付く。まだこの世界の右も左も怪しい俺だから、色々と情報を得られそうな場所を教えて貰えるのはありがたいことだ。
◇
中庭から門を通過してすぐ、少しだけ歩いた場所にそれはあった。本校舎よりは流石に小さいが、それでも見上げる程に大きな建物。作りも立派で、いかにも歴史がありますといった風情をビシビシと感じる。
大図書館の広い昇降口から出入りする生徒たち、彼らもまた冒険者志望なのだろうが、体つきは俺と然程変わらない者も多いように見えた。頭脳派、ファンタジー的に言うと魔法使いの類いだろうか。
土足厳禁のようで、昇降口にて専用の内履きに履き替える。
紙の匂いを感じながら、落ち着いた色合いの柔らかい絨毯の上を歩く。中は吹き抜けの構造で、一階中央部には大きめの机が並んでいる。そこでは少なくない数の生徒たちが読書、または資料を広げて勉学に勤しんでいた。それを取り囲むように本が隙間なく詰め込まれた棚が並び、同じように二階、三階にも本棚がずらりと並んでいるのが見える。
その棚自体がまた、梯子を使わなければ上に届かない高さがあるのだ。そんなものが所狭しと並んでいれば、もうそれだけで圧倒されてしまう。
大図書館の名に恥じない様相に思わず感嘆の声を出してしまいそうになり、意識して堪えた。
完全な無音という訳ではないが、少なくとも耳に拾えるほどの声でお喋りしている者は皆無だ。外では同じ制服を着た生徒たちが好き放題暴れたり爆発したりしているわけだから、驚きもひとしおである。本当に同じ学校かと疑うほどに、ここには静謐な空気が充満していた。
圧倒されている俺の肩を軽く叩き、ネサリーは階段を上がって三階へ。俺も周囲をきょろきょろと見回しながらそれを追う。
本棚の道を行き、さらに奥まった場所には中型の机が設置されていた。ネサリーは椅子を引いてみせ、俺に座るように促す。てっきり彼女は対面側に座るのかと思ったが、自然な流れで隣の椅子に座った。
座りながらこちらを見上げて微笑む彼女に、意味もなく少しだけドキドキしつつ引かれた椅子に座る。
「どうかな、少しはまともな学校らしいところを見てもらえたと思うが」
「あ、はい。もう何か凄いです。こんな立派な図書館初めて見ました。凄いです」
どうにも語彙が貧弱で悲しい。ネサリーは笑っているが、馬鹿にしている風では無いのが救いだ。
それにしても人気のない空間に二人きりというのは中々緊張する。とはいえ公共の場で何が起こるわけでもなし、変に意識してもしょうがない――
「ふふっ。二人っきりだね、セント君」
頬杖を突き、目を細めて微笑むネサリー。何ですか、遊ばれてますか。
どう返せばクールに切り抜けられるのか迷っていると――この時点でクールもへったくれもないわけだが――彼女は少し悲しそうな顔をして溜息をついて見せた。
「やっぱり僕とじゃあ、楽しくないよね……」
「え、いや! そんなことは!?」
「なら、どうして襲ってくれないんだい? 折角二人っきりなのに」
うっすらと涙すら浮かべて見せて言うものだから、呼吸が止まりそうになる。ついでに心臓も。
「はい!? ちょ、なにいきなり言い出すんです!」
「実は僕……君を一目見た時から気になってたんだ。色々理由をつけてここまで連れてきたけど、本当はここで君にあ、そろそろかな? うん、来たみたいだね――おっと、ちなみに今のは冗談だよ」
「切り方雑すぎませんか!? いや冗談なのは分かってましたけどね? ええ、それは分かってますけどもうちょっとこう……ごにょごにょ」
がっくり来てる俺を華麗にスルーしつつ、仕切り直し、と言うように手のひらを軽く打ち合わせてニコリと笑う。
「さて、召喚されたばかりの君に最低限の知識を与えておこう」
言って、視線が横に流れる。つられてそちらを見やると、眼鏡をかけた知らない女性が本を数冊抱えて歩いてくるのが見えた。
オレンジ色の腕章をつけている所を見るにおそらく大図書館の司書か何かだろう。
司書さんは机に二冊の本と一つの筒を置いて、会釈をして去っていった。
「近年までのエルドリアノ大陸史と読みやすく人気のある冒険録、それから世界地図だ。君が少し呆けていた間に頼んでおいたのさ」
全く気が付かなかった。ばつが悪い顔を抑えきれないまま、広げられた地図を覗き込む。
それは、何ともおかしな地図だった。ぱっと見たところでは、大きな大陸が二つ描かれた普通の地図だ。だが良く見てみれば、二つの大陸の描かれ方にはかなり差があることが分かる。
ダーカーと記された大陸は隅から隅、国家や山脈や河川、海岸線の細かな形まで描写されている。だがエルドリアノと記された大陸は一部を除いてかなり曖昧な、空白部分の目立つ、言ってしまえば未完成の地図であった。
「これって……」
「そう。見て分かる通り、この地図は未完成だ。ここ、エルドリアノ冒険者養成学校があるのはこの辺りで――」
椅子ごと体を寄せてくる。鼻孔をくすぐる良い香りと机の上に乗り上げているアヤツの誘惑に耐えつつどうにか視線は地図へと。
エルドリアノ大陸の西端、ダーカー大陸により近しい海岸部に指を置く。その辺りは他の部分と比べればまだしも詳しく描かれている場所で、やや太い字でエルドリアと表記されていた。
そこから北側に指を動かせば、『深い森』とだけ表記された場所がある。辛うじて大きな河が一条描かれているくらいで、他には何も読み取ることは出来ない。
「これより北には『深い森』がある。ある、ことだけは分かっている。だがそれがどこまで続いているのか、その奥には何があるのか、未だ詳しいことは解明されていない。つまり、『空白』だ」
大陸史の本を開き、『深い森』関連の頁を地図と合わせて見せてくれた。そこには『深い森』近辺の拡大地図も乗せられていたが、ほとんどがただ『森』の記号で描かれるのみで詳しいことはあまり読み取れなかった。ただ一点だけ、『森』の入り口近辺に『エゴス族の集落』と表記されているのを見つけた。
少し気になったが、あまり細かい所まで話がずれ込んでも覚えきれるか分からない。今はネサリーに任せて基本を覚えることに集中する。
「東にあるのは広大な荒野だ。いくつかの遺跡やダンジョンも発見されている。が、それでもまだ全てが解明されたわけではないし、未だ東端に辿り着けた者も居ない」
冒険録を開き、荒野の遺跡を調査した記録を見せてくれる。遺跡の外観を描いたイラスト付きだ。
一面に描かれた塔のような建造物は、その下部に小さく描かれた人物の絵との対比で相当に巨大なものであることが知れる。
「イーザン第三遺跡、冒険者イーザンが発見した三番目の遺跡だ。見上げる程に高く切り立った崖に沿って造られた塔は、しかし見えている部分は実のところただの先端部でね。地面より下にはこれに倍する長さの遺跡が続いていたそうだよ。埋もれた地下にはまだ未発見の遺跡が眠っている可能性もあって、現在も研究が続けられている。……とまあ、こういった遺跡が各地に存在するとだけ覚えておいてくれ」
そして地図上の指は南を示す。
そこにあるのは『大湿地』の表記。そしてそこからさらに南下した所には山脈が連なり、東に向かって延々と延びていた。
「この大湿地では貴重で有用な動植物が多く発見された。が、それより先の大山脈は未だ越えられた者のいない未踏の地だ」
「……こうして見ると、ほとんどの場所が未開拓ですね。東側はまだ少しは進んでるみたいですけど」
「そうだね。予測はついていると思うが、我々のルーツは隣のダーカー大陸から渡ってきた移民開拓団だ。その最初の開拓団がこの地に辿り着いたのが約二百年前。つまり二百年かけて、切り開けたのはこの程度というわけだ。詳しい経緯は大陸史を読めば分かるが――知らなくても問題はないかな」
あんまり面白くないし、などと言って笑うネサリーに和まされつつ。
「大事なのはこの大陸の大部分が未だ『空白』で占められている未知の世界であるということ。そしてそれらを切り開いて行くのが『冒険者』の使命ということ。ああ、そしてもう一つ。全ての冒険者たちが追い求めるとびっきりの『秘宝』がこの大陸のどこかに眠っているという話も覚えておくといい」
「秘宝、ですか?」
訝しげに聞き返すと、ネサリーは人差し指を立て、やや演技がかった口調で何事かを諳んじてみせた。
「それは太陽の如く輝くもの。それは心惑わすもの。それはあらゆる欲を溜め込むもの。それはあらゆる願いを叶えるもの。それは神の血、いと尊きもの。それは――『真なる黄金』」
知らず、ごくりと唾を飲む。召喚される前であれば、それこそよくある眉唾物の伝説だろうと笑い飛ばせただろう。だが、諳んじる彼女の纏う空気はそれをさせない真剣さがあった。
「もし、尋常な手段では叶えられない願いがあるならば。求めてみるのも良いかもしれないね」
或いは、それがあれば元の世界に帰ることも叶うのかもしれない。口には出さず、心の内に刻み込んでおく。
「さあ、そろそろ出ようか。学生登録さえ済ませればいつでも大図書館は利用できるから、気になったことがあれば調べに来るといい」
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