第4話「セント」

 ふわりふわり。


 体が妙に軽い。まるで空に浮かんでいるような感じ。思考に靄がかかって、でもそれが不快でもないし、不安もない。暖かくて柔らかくて、なんだかまるで――


「天国にいるみたいだ」


 こうなる前のことは覚えている。でかい火の玉が直撃したのだ。熱かった、と思う。一瞬で意識が吹き飛んだからか今一実感はないけれど。

 となれば、現在のこの状況はまさに天国に昇天してしまったと言われても納得できるものだ。


 一瞬召喚直前のあの不思議な空間を思い出しもしたが、あの時は今のふわふわ浮かんでいる感覚とは違ってしっかりと『落ちている』感覚があった。

 その感覚が正しいのであれば、今いるここはあの時の空間とは違う場所なのだろう。


 さて、では自分はやはり死んでしまったのだろうか。いきなり異世界に呼ばれて、元の世界に戻る当ても見つけるどころか探すことさえままならなず、人生初戦闘で即死亡のバッドエンドとはいささか理不尽ではないか。

 チュートリアル中のイベント戦闘でゲームオーバー。これがゲームならクソゲーもいいとこだが、残念ながらこれはゲームではなく現実。こんなものだと言われれば「そうか」と返す以外にない。


 普段なら鬱々としそうな展開だが、ふわふわと微睡みにも似た気持ちのよさに身を委ねながらでは、あまり悲観的にもなれない。


 さてこれからどうしたものかと考えていると、視界の端にふわりと小さな光の粒が漂っているのに気が付いた。

 蛍の光のように淡く小さなそれは、ゆっくりと俺に近付き触れるやいなや、ぱちんと弾けた。


『死なないで』


 瞬間、声が聞こえた。聞き覚えのあるような、少女の声だ。

 さて誰の声だったか。首を傾げていると、またも光の粒が漂ってくる。ぱちん。


『起きろ戦闘員!』


 先ほどとは違う、しかし聞き覚えのある少女の声。

 ぱちん。


『はやく起きないとお腹と背中がくっついてしまいますよ』


 やはり聞き覚えのある女性の声。

 ぱちん。


『アタシまだ顔すら会わせてねーんだけど!』


 誰だお前。


 最後はちょっと分からないが、他の声の主は思い出した。本当に短い間だが確かに一緒に戦った彼女たち。マスター、閣下、ディーナ。その声が光の粒に乗って届いているのか。


 自覚すれば、不思議な感覚が身を包んだ。力が湧いてくる。靄のかかった思考が晴れていく。

 その勢いに押されるようにして、『上』へと昇っていく。以前の落ちていく感覚とは真逆だ。


 視界が光りに満たされていって、突き抜けて行く感触を最後に俺は――夢から覚めた。



 ◇



「……おはようございます」


 やけに軽い瞼を開けると、じいっとこちらを見下ろすマスターの姿が目に入ったので反射的に挨拶をしてみた。

 挨拶は大事だ。親しい相手であっても、親しくない相手であっても、欠かせば心にしこりを残す。

 まあそれは置いておくとして。マスターの機嫌はあまりよろしくないらしい。


「……」


 返事もなく無言で俺の頬に小さな手を伸ばし、きゅっと抓ってきた。


「いひゃいですマスター」


「心配かけた罰」


 むすっとしながら小さく呟くマスターは思いのほか可愛らしかった。美少女に心配されるのは人生初なもので、ときめいてしまう。


「すいません」


 謝りながら、視線をきょろきょろと彷徨わせる。清潔なベッド、知らない部屋、少し開いた窓。そして部屋の隅に知らない少女が背を預けていた。

 不躾かとも思ったが上から下まで見回して。マスターや閣下らと同じ制服を着ていることから学生なのは分かる。だがなぜかその上に白衣を羽織っており、そしてさらになぜか頭には猫耳をつけていた。


 俺の疑問の視線に気付いたマスターが少女の方を振り返り、補足してくれる。


「学園征服部最後のメンバー、プロフェッサー・マギ」


「ああ、あの」


 いらない言われてた。


「なんか今すげー失礼なこと考えてねーかしら?」


 半眼で呻くように呟くマギ。その声を聞いて、天国のような空間で聞いた聞き覚えの無い声の主が彼女であったことに思い至る。


「まったく、新しいメンバーを紹介しよう! とか閣下が言うからわざわざ出張ってきてみりゃ、なぜかベッドの上で死にかけてるんだもの。そりゃー閣下たちは個性派ぞろいだから多少奇抜なとこねーと埋もれちゃうのは分かんわよ? でもねぇ……こう、もうちょっと自分を大事にしても良いと思う訳よ」


「別に個性出しの為に死にかけたわけじゃないんですけど!?」


 もちろん、分かってて言っているのだろう。俺の反論にくつくつと笑いながらベッドに近付いてくる。


 改めて、その姿を観察する。

 背丈は閣下よりも少し高いが、それでも小柄の範疇だろう。腰まで伸びた緑髪はウェーブを描き、前髪の隙間から覗く瞳は血のように赤い。そのうえ肌の色は病的に白く、全体的な印象は閣下の底抜けに明るい印象とは正反対だ。だが、可愛いか可愛くないかで言えば即決で可愛い。ただ胸はない。マスターとタメを張れる。


「視線がいやらしい……」


おっとこの子ねぇ? ヒヒヒ」


 ちょっと胸を見過ぎたかもしれない。でも、うん。どう思ったかは言わない方が良いだろう。口は災いの元なのだ。


「んじゃ改めまして。プロフェッサー・マギよ、よろしく新人君。……握手して良い?」


「俺は……ええと、『戦闘員』です」


 言いながら右手を差し出す。指先まで包帯グルグル巻きなのに気付いたが、痛みはないし動かすのに支障もないようだ。

 と、なぜかその手をじっと見るだけで握手に応えようとしないマギ。自分から握手しようと言っておいて何故応えないのか。


「握手、しても良い?」


 良いから手を差し出したんですけど。それが読み取れないほど頭の巡りが悪い人には見えないが……。


「ええ、勿論。良いですよ」


 疑問に思いながらも言葉として許可を出す。するとにっこりと笑いながらマギも手を差し出し、無事に握手は行われた。今のやり取りにどういう意味があるのだろうか。


「で、さ。何? その『戦闘員』って」


 まあそう思いますよね。

 何と言ったら良いのか少しばかり考えていると、俺の代わりにマスターが答えた。


「彼は自分の名前を忘れている。恐らくは召喚術の影響。名前が無いのは不便、だから閣下が便宜的に『戦闘員』という呼称を与えた」


「なぁるほどねぇ。でも、さ。――それ名前じゃなくね?」


 はい。


「い、一応思い出すまでの仮のものということなので……」


「ふーん、んで思い出しそうな感じはあんの?」


「それがさっぱり」


 本当に全く記憶復活の気配もない。まるで己の名前の部分だけが削り取られたかのように、他の記憶は問題なく思い出せるのにそこだけが何も思い出せないのだ。


「……うん、じゃあやっぱちゃんと名前決めとかねーと駄目ね」


 顎に親指を当てて考え込む仕草。


「戦闘員では不足?」


「そりゃそーでしょ。だってこの子、部員として登録すんでしょ? なら、養成校の生徒としても登録しなきゃ不法入校者として捕縛されんわよ。んで生徒として登録すんなら名前は必要になんわ。偽名で通す奴もいるし戦闘員だけでも通るっちゃ通るでしょーけど、さすがに人名ですらないのをつけちゃうとねえ。出会う奴ら全員にいちいち説明すんのも現実的じゃねーし、なら最初っからちゃんとした名前考えたほうが都合がいいっていうかコレまず真っ先にやっとかねーと駄目なとこだと思うんだけど……」


 マスターすかさず目を逸らす。

 あれ、もしかしてこの部ってマギが唯一の常識人枠なんです?


「つーわけで名前! 決めんわよ! 何か良い案ある人ー」


「待て待て待てー! そういう大事なことを私抜きで決めるんじゃなーい!」


 バーン、と扉をスライドさせて飛び込んできたのは我らが閣下だ。その後ろにはディーナも居た。


「全く、ほんの少しごはん食べに離れている隙にこれだ!」


「お腹いっぱいです♪」


 ぷりぷり怒っている閣下、幸せそうに満面の笑みを浮かべるディーナ。二人が来たことで学園征服部『デスネコ団』のメンバーが全員揃ったことになる。

 閣下はこちらをじいっと見つめると、一拍置いて「よし」と頷いて笑った。怒ったり笑ったり忙しい人だ。


「ドクター・ストレナージがもう大丈夫だと太鼓判を押してくださったからな、心配ないとは思っていたがどうやら本当に持ち直したようだな! 結構結構!」


「ずっと眠っておられましたし、お腹空いているかと思いまして。サンドウィッチを持ってきました、どうぞ」


 ディーナがすいと紙袋を差し出してきたので受け取る。中を覗けば、なるほど確かにサンドウィッチがみっしりと詰まっていた。何食分だろうかコレ。


「遠慮せず食べろ食べろ! なんせ三日も寝たきりだったんだからな!」


「み、三日も!?」


 全くそんな実感はないのだが、わざわざ嘘をつく意味もないだろう。そう言われてみれば、急にお腹が空いてくるから不思議だ。

 俺はお言葉に甘えて紙袋からサンドウィッチを取り出し、齧り付いた。

 ……美味い。空腹なのもそうだが、美少女たちに見られながらという未知のファクターが食事という事象を一段高い次元へと引き上げている気がする。左右を美少女に挟まれながらサンドウィッチを食べる奇跡。そうだ……俺がサンドウィッチだ!


「美味しそうに食べますね。私お腹が空いてきちゃいました」


「美味しそうに……? アタシにゃあなんてーかもっと邪悪な何かに見えんわ」


「気持ち悪い」


「結構結構!」


 好き勝手言われてるけど気にしないおいしい。


「さて、では戦闘員が食事をしている間に我々は名前を決めておこうと思う! 各自案を出せ!」


「クラクの実が好きだから……『クラーク』」


「いやあれは好きとかじゃないんじゃないか? まあいいか、じゃあ私は毛が黒いから『クロ』だな!」


「ネコみたいなド安直な名前ねぇ。流石に可哀想でしょ、包帯巻かれすぎだから『グルグル丸』」


「そっちだって安直じゃないか!」


「ふふ、現状を端的に表してますね。では『サンドウィッチくん』はどうでしょう」


「うっかりディーナに食べられそうな名前だな……」


「どっちの意味」


「ネモっちそれは聞いちゃダメなやつよ」


「どっちってなんだ?」


「閣下はそのままでいてね~」


「あらあらまあまあ」


「そうだ包帯で白いし『シロ』というのはどうだ!」


「発想貧困か! それに包帯取ったらどうなんの、クロになんの?」


「黒いと言えば『あんこ』でも良いのではないかと思います。美味しそうですし」


「どっちの意味」


「天丼やってんじゃねーわよ!」


「どっちってなんだよ~」


「あらあらふふふ」


 ……好き勝手言いすぎじゃね!


 結局それから十数分ぐだぐだと案を出しあった挙句、サンドウィッチを食べ終わっても決まってなかったので俺が適当に「戦闘員を短くして『セント』じゃ駄目ですかね……」と提案してみた。

 だがそれを聞いた皆の反応は予想外のものだった。言葉にすると「どういう意味?」みたいな感じだ。


「『戦闘員』を短くすると『セント』だって?」


 皆一様に首を傾げるものだから、俺まで揃って首を傾げて止まった空気が辛い。なんか変なこと言いました?


「……恐らく、言語翻訳で食い違いが発生している」


 マスターの指摘で疑問が溶ける。なるほど、そういえばそんな設定がありましたね。


「えっと、俺の世界では『戦闘員』の最初の三文字が『セント』になるんです。分かりやすいかと思ったんですけど逆に混乱させちゃいましたね……」


「なるほどなぁ。いや、別に構わんよ。なにせ他でもないお前自身の名前だ。うん、『戦闘員』セント。良いんじゃないか?」


 閣下がそう言えば、他のメンバーにも文句はないようで。アッサリと決まってしまった。


 俺の名前が決まった後、メンバーはそれぞれ授業があるとかで揃って退室していった。あとに残ったのは静けさのみである。嵐みたいな人たちだ。

 それと入れ違いに、一人の大人の女性が入ってきた。マギと同じく白衣を着ていたが、制服は着用していない。生徒ではない、のだろうか。

 薄紫色の髪を後頭部でシニヨンにして、見えるうなじが大人の世界だ。ボインも合わせて尚良い。眼鏡が知的さも演出しており、恐らくティーチャー側と予測が出来た。


「ふあ……元気なのは良いことだが、一応病室だもんでね、もう少し抑えて貰えるとありがたい。ああ、私は保険医のストレナージだ。よろしく戦闘員君」


 あくびをしながら眠そうな顔で言う。保険医……エロいワードだ。


「すいません。ええっと、戦闘員……の、セントです。よろしくお願いします」


「セント君ね。覚えたよ」


 薄く笑いながら、ベッドの横に椅子を持ってきて座る。それから熱を計ったり触診したりと軽く診察をしながら、俺が倒れた後の細かい事情を説明してくれた。


「運び込まれたときは全身大やけどでね。薬と、白魔法も併用したがあまり良くない状態だったんだよ、最初はね」


 それほど深刻そうでもなく言うものだから、こちらとしてもどのくらい悪かったのか実感が湧かない。実際、今の俺は包帯でぐるぐる巻きとは言え痛みはないし、体も動くのだ。今すぐ立って歩けるんじゃないかと思えるくらいに。


「まあ正直一晩越せるかも怪しかったものでね。エルル君たちに面会の許可を出したのさ。いっぱしに責任でも感じてたんだろうかね、酷い顔してたよ。特にネモ君。私がミスをした、私のせいだってね。あ、これ言わない方が良かったかな? まあいいか、私がバラしたことは黙っててくれ」


 多分ワザとかと思われたが、それも含めて黙って頷いておいた。なるほど、マスターが。

 起きた時にはそんな様子はおくびにも出さなかったが、マスターはプライドが高そうであるし然もありなんといった所だ。


「ただ、その直後くらいかな。急に容体が回復し始めてね。不自然なまでに急激に持ち直したものだから、何らかのギフトの影響かとも思ったんだが――ネモ君の話では君にそのような特殊なギフトは与えられていない、らしいね?」


「そう、聞きました。ただ、その……変な夢を見たんです」


「夢?」


 言うかどうか迷ったが、関係なくても少し恥ずかしいだけだ。折角先生がいるのだし相談しておくのはアリだろう。

 俺は先ほど見た夢をたどたどしく説明した。天国のような暖かい場所でふわふわ漂っていると光の粒が流れてきて、弾けたら閣下やマスターたちの声が聞こえて元気が湧いてきた――改めて口にするとまさしく夢という他ない突拍子の無さだ。だが、ストレナージ先生はそんな話も真剣に聞いてくれた。


「なるほどね。夢の中で彼女たちの声を聞いて元気が出た、と。それだけ聞けば良くある美談だが、実際死にかけている状態から不自然な回復を遂げていることを考えれば……少し見方も変わってくる」


 眼鏡の位置をくいっと指で直し、短く息を吐く。知的だ。実に。


「とは言え、だ。ギフト、ないしそれ関係の能力由来の現象であれば私の専門ではないな。ただ彼女、マギ君ならば或いは原因を突き止められるやもしれん。仮にも教員が一生徒に問題を丸投げなど恥ずかしい限りだが、意地を張っても君の為にならんしな。今回の話は私から彼女に伝えておこう。君は、もう少し休んでいきたまえ。ああ、その包帯は取っても構わんよ。もう治っているだろうから」


 言いながら立ち上がり、退室する。最後に「お大事に」と言い残して、静かに扉が閉まる。


 再び静かになった室内で、取り敢えず言われた通りに包帯を外し――大怪我の痕など微塵も感じさせないくらい綺麗に治っていた――清潔なシーツに包まれながら目を閉じる。

 こんな目に遭っておいて尚、もしかしたら俺にも特別な力が、なんて考えてしまうのは不謹慎だろうか。

 ただ分かっているのは、俺は弱いということ。そしてきっと、それがどんなものであれ、『強さ』が無ければ元の世界に帰るどころの話ではない、ということだ。


 先の戦いでの、マスターの冷静で正確な射撃やディーナの強烈で洗練された剣技、そして閣下の豪快で圧倒的なパワー。

 脳裏に焼き付いたそれらを思い出しながら俺は、溶けるように眠りについた。

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