第2話「隊商襲撃」

 ネモの小さな指が俺のおでこをついと滑る。ほんのりと暖かい感触が残って不思議な感じだ。

 これは、このアジトに設置された罠を回避する為の登録作業であるらしい。


「……完了」


「うむ! これでもう連れまわしても平気だな! さあ地下行こう、地下!」


 そんなこんなでデスネコ団戦闘員とやらにされてしまった俺だったが、元の世界に帰るのを諦めたわけではない。ただ今は情報が足りな過ぎて行動しようにも指針がないのだ。

 まずはこの異世界の情報を集めて地盤を……


「閣下、そろそろ隊商襲撃の時間」


「ああそうだった! では速やかに戦闘員の装備を整えなければな!」


「え、ちょっ」


 訳も分からずあたふたする俺を半ば引きずるように、腕を取って強引に移動するエルル。小柄な少女の見た目にそぐわないパワーだ。

 狭い室内から扉を開けて、少し広めの部屋に出る。ソファーなどが置いてあってリビングにも見える場所だ。


「ま、ちょっと待って! 隊商襲撃って? 装備って?」


「隊商襲撃は隊商襲撃だ。学園主催で定期的に行っているイベントでな、商人達を護衛する冒険者役と隊商を襲撃する盗賊役に分かれて、それぞれ守る戦いと攻める戦いの訓練を行うのだ。一応先生も監視役についているからよっぽどのことがなければ死人は出ない安全なイベントだよ」


 ああ、そういえばここ、『冒険者養成学校』だったっけか。そのための訓練が今から行われると。襲撃とか言うから少しびっくりしたが、あくまで訓練だというならまだ安全――


「死者は年間通して一人二人程度だから。安全」


「全然安全じゃない!」


 流石は異世界だ、文化が違う! などと言っている場合ではない。この流れからすると間違いなく自分も参加させられるのだろう。しかしこっちは平和な日本でだらだらと過ごしていただけの一般人だ。戦闘なんて出来るわけがない。


「俺、戦えません!」


「戦闘員なのに!?」


「それは閣下が付けたただの仮称……」


「むぐぐ。あー、じゃあギフトとか持ってないか? 異世界人だとないかなぁ」


 また新しい単語が……。


「異世界からの召喚であってもギフトが与えられることはある。前例がいくつか。でも戦闘員にはなかった。すでにチェック済み」


「ギフト無しかぁ。まあしょうがないな、やはり戦力は装備で補おう」


「あの、だから俺戦ったことなくて」


「誰にでも初めてはある! 安心しろ、これは本番じゃない」


「でも死ぬこともあるんですよね……?」


「そういえばイベント中の死者はもう半年出ていない。時期的にはそろそろ」


「わあああ! やっぱり死ぬんだあああ!」


「召喚士ネモ! わざとだろ!」


 顔を逸らすネモ。でも俺は見たんだ、完全に顔が逸れる前に口の端が少しだけ持ちあがっているのを。


「そもそも無理に俺が参加しなきゃいけない理由もないでしょう?」


 素人の俺では足を引っ張りかねない、参加させても得にならないと当たり前のように思ったのだが二人の反応は微妙だった。


「まあ、ふつーならな。でもなぁ……折角召喚したんだし」


「アナタを召喚したのは戦力増強の為。召喚で魔力と触媒を消費した分働いてもらわないと元が取れない」


「そんな勝手な……」


 こちらの都合はお構いなしということか。そんな恨みがましい思いが顔に出たのか、エルルは気まずそうに頬を掻いた。だがネモはニヤリと口の端を持ち上げた。


「これはアナタにとっても悪くない話。この世界はアナタが思うよりずっと危険が多い。戦ったことが無いから戦えない、は通用しない。少しでも安全が保障されているうちに鍛えられるチャンスをふいにするのは……非合理的」


「……う」


 言われたことには、素直に頷きづらいものの納得できる。ここでごねても得するわけじゃない。結局のところ、最後に頼れるのは自分なのだ。それは元の世界でも、こちらの世界でも変わらないということ。


「分かりました。出来る限り……頑張ってみます」


 不承不承。そんな様子でも満足したのか、ネモはすっと目を細めながら笑みを深めて「良い子」と呟いた。


「おほん、気を取り直して。戦闘員、今から君の装備を整えようと思う。どうやら君はあまり荒事には慣れていないようなので、中距離からの支援が可能な武器を与える」


 中距離支援か。どうせならもっと敵から離れた遠距離武器とかないんだろうかと思ったが、どうやら読まれていたらしい。エルルは続けてこう言った。


「素人に遠距離武器を渡しても同士討ちの可能性を高めるだけだし、残念ながら練習の時間はない。そもそもこのイベント自体訓練の一環だしな。どうせなら出来るだけ敵に近寄って戦闘の空気を感じ取ってもらいたい!」


「はい、これ」


 力説するエルルをスルー気味にネモが俺に渡したのは――


「木の実?」


 見た目はクルミによく似ていた。大きさも似たようなものか、少し大きいか。


「クラクの実。強い衝撃を与えると爆発して激しい音を出す」


 天然のスタングレネードみたいなものか。確かにこれなら自分でも使えそうだ。殺傷することがないというのは素人にはありがたい。


「衝撃を加えてから数秒間を置いて爆発する性質がある。直接投げても不発の可能性がある為、まず手に持ったまま地面に直接打ち付けてから投げるといい」


 数秒という説明に若干の不安を覚えるが、自然の物だろうし仕方がないだろう。例えばきっかり五秒で爆発するように品種改良出来ればもっと便利だろうが……。


「では次は防具だな! 戦闘員の現在の装備では……少し心許ない!」


 言われて、現在の装備を見直す。……当然、相変わらずパジャマのままだ。肌触り柔らかで全身を包み込んでくれるお気に入りのパジャマ。

 確かに防御力は低そうだ。


「昼間に寝間着とは良い身分」


「あっちでは夜だったんだよぉ!」


 聞いてないネモはささっと部屋を移動して、何かを抱えてすぐに戻ってきた。


「余っていた男子用の制服があるから、これを。防刃処理が施されている上に軽く、動きやすい。現役の冒険者にも愛用者がいるくらいには実用的」


「卒業生はデザインとか自由にオーダーメイドできるんだよな。私も卒業したらこの制服を改造してもっと悪の組織っぽいやつにするんだ~」


 全然『悪』って感じがしないエルルだが何かこだわりがある様子。まあ、性格はどうあれ見た目で言えば悪っぽいデザインもしっかり似合いそうで見てみたくはある。


 さて、手渡された制服を見て、それから二人の来ている制服を見る。なるほど、似通ったデザインだ。この学校の指定制服ということだろう。

 色は白を基調として黒のラインが印象的なシンプルなデザイン。ただ、冒険者という字面には似合わないかもしれない。


(冒険者ってもっとこう泥臭いイメージあるしな)


 一旦、自分だけ最初にいた部屋に戻って、渡された制服に着替えてくる。サイズは丁度良いものだった。


「こうして自分も制服を着てみると……あんまり実感なかったんですけど、ここってやっぱり学校なんですねぇ」


 元の世界でも学生だったからか、実に制服が馴染んだ。うん、落ち着く。……少なくともパジャマよりは。


「ところで守る方はともかく、襲う訓練って意味あるんです?」


「流石に実際に隊商を襲うことはないだろう。それもう冒険者じゃなくてただの盗賊だしな」


「しかし襲う側の動きを考慮できれば守りにも応用が効く。全くの無駄ではない。それに――人間の隊商は襲わずとも、モンスターの群れを襲うことはある」


 そんな説明に納得しつつ、他に確認しておくことがないか考えてみる。

 そういえば二人はどのように戦うのだろうか。俺が出来るのは、中距離から木の実を投げるだけだが、この二人が近距離でガンガン叩き合う姿はあまりイメージしにくいのだが。


「あーっとそうだ、エルルさんとネモさんはどういう戦い方を?」


「近づいて殴る! あと蹴る!」


「後方から射撃で援護。あと私のことはマスターと呼ぶように」


「あ、はいマスター」


「じゃあ私のことは閣下と呼ぶがいい!」


「あ、はい閣下」


 ……マスターと閣下ってどっちが偉いんだろうか。召喚獣にとってはマスター優先だろうか。


 ともあれ。マスターはともかく、閣下の戦い方は随分とアグレッシブなようだ。しかしそうなると前衛が一人になるのだが大丈夫だろうか?


「ああ、そうそう。私たちの他にもまだメンバーはいるから戦力バランスの心配は無用だぞ。というか暗黒騎士ディーナはどこにいった?」


「ディーナならもう部室前で待機している。間食用にお饅頭を箱で与えておいたのでまだ動いてないハズ」


「プロフェッサー・マギは?」


「寝てる。いらないから起こしてない」


「まあいいか……」


 どうやらもう二人ほどメンバーが居たらしい。片方の扱いがぞんざいな気がするが。

 しかし暗黒騎士という字面は強そうで頼りになりそうだ。まず間違いなく前衛だろうし。


 時間も押しているようなので、そそくさと部室の外に出て行く二人について自分も外に出る。

 するとそこには話にあった残りのメンバーと思われる女性が佇んでいた。


「あら、もう時間ですか?」


 薄い桃色の髪を腰まで伸ばした、ややゆったりとした口調の温和そうな女性。閣下とマスターに比べ、背も高く出るところも出ているつまりボインのナイスな女性だった。学生というよりは女教師みたいだ。同じデザインの制服を着ていなければそう考えてもおかしくないほどだった。

 ――その両手にお饅頭が握られていなければ尚のこと良かったのだが。


「ああ、そろそろ出発するぞ! 準備はいいな、暗黒騎士ディーナ!」


「はい。いつでも行けますもぐもぐ」


(この流れで食べるのはやめないんだ!)


「……ところでこちらの男性は? もぐもぐ」


「うむ! 本日より我が『デスネコ団』のメンバーとして加わった『戦闘員』だ! 仲良くするように!」


「了解です。もぐもぐ」


 アッサリと。何というか実にマイペースな感じの人だ。


「よし! ではこれより我が学園征服部『デスネコ団』は隊商襲撃を行う! 各自の健闘を祈る!」


 閣下の宣言に合わせて「おー」という掛け声があがる。ただ感情の起伏が薄いマスターにおっとりしたディーナではあまり気合が入るとは言えない。俺もまだそこまで馴染んでいるわけではないので、やや小声になってしまうのも仕方がないだろう。


 閣下は若干不満そうな顔だったが、すぐに気を取り直して意気揚々と歩き出すのだった。



 ◇



 場所は変わって、幅の広い舗装された道のその脇にある繁みの中。

 四人で並んでしゃがみ込み、繁みの間から道の様子を窺っているのだが、自分のポジションがなぜか閣下とディーナに挟まれる形で非常にまずい。何がまずいってどっちを見たら良いのか分からなくなるのだ。なぜ人は右と左を同時に見れるように進化しなかったのか?


「なんでそんな忙しそうに左右に首を振ってるんだ……」


「まぁ、ふふふ」


 閣下は分かっていない様子だったが、ディーナは俺の奇行の理由が分かるらしい。だが分かったうえで怒られないということはステキなことだと思う。


 そんな三人をスルーしつつマスターだけは真面目に監視を続けていた。じっとアンティークじみた単眼鏡を覗き込んでいる様子は可愛らしくも凛々しい。


「にしても君は肝が据わっているなぁ。これから初めての戦闘を行うとは思えん落ち着き具合だ。冒険者としては悪くない資質だが……」


「あ、もしかして褒められてます?」


 実際、自分でも不思議なくらい落ち着いていると思う。最初戦わなければならないと分かったときはもっと慌てていたのだが、いざその時が近づくにつれて心のさざ波が収まっていくのが分かった。


「一応な。ただ、あまり調子に乗って前に出すぎるなよ? 怪我の元だ」


「了解しました!」


 俺の返事に満足したのか、閣下はうむと鷹揚に頷いて見せた。


「話はそこまで。……目標を確認した」


 その報告を聞いた瞬間、閣下とディーナの雰囲気が変わった気がした。少しだけ、空気がピリッと感じる。


「召喚士ネモ、確認できる範囲でネームドは居るか?」


「三人。魔道部の『氷河』、園芸部の『屍埋め』、物理で殴る部の『デスバンデット』」


 ネームド。通り名みたいなものだろうか。皆の警戒具合を見るに、イコール実力者と思って間違いないだろう。

 それにしても魔道部園芸部はともかく物理で殴る部って。この上ないくらい分かりやすいけどもうちょっと名前何とかならなか……学園征服部よりはマシか。っていうかうちの部って何する部なんだろう。色々ありすぎて聞くのを忘れていた。


「ふむ、屍埋めとデスバンデットは私とディーナで抑えられるが、氷河を放置するのはマズイな。召喚士ネモ、狙えるか?」


「出来る、けど……一撃で決められるかは保証できない」


「十分だ。決められなかった場合は私とディーナが速攻で前衛を潰して氷河を叩く」


「速度重視なら、エルルさんが氷河さんを直接狙って、私は残りの前衛を抑える役目に回った方がいいかもしれませんね」


「分かった、それでいこう!」


 サクサクと役割が決まっていくが、さて俺はどうすれば良いんだろう。クラクの実を投げるくらいしかできませんが。


「えっと、俺は?」


「……あ。う、うむ! 忘れていたわけじゃないぞ! 戦闘員は召喚士ネモの先制攻撃の後、思うさまクラクの実を投げて敵の撹乱に務めてくれたまえ!」


 分かりやすいお仕事を貰ったので一安心。いややっぱりあんまり安心できない。何せ訓練とはいえ人生初といってもいい荒事の渦中にこれから飛び込むのだ。心臓がドッキンドッキンとうるさくてしょうがない。


「仕掛ける」


 ぼそりと呟いた後、マスターは何もない中空に手を突っ込み、長い棒状のものを取り出した。

 それの先端を繁みからわずかに覗かせ、狙いを定める。


(…………銃じゃん!)


 召喚士という役職には合わなさそうなライフルらしき銃に心の中で突っ込みながら様子を見守る。数秒、呼吸音すら邪魔になるのではと息を止めて見守る中、マスターはあっさりと引き金を引いた。


 破裂音と共に、反動でマスターの小柄な体が揺れる。放たれた弾丸はどうなったのか――


「突撃ー!」


 弾の行方を確認する間もなく、閣下は立ち上がり駆けながら叫ぶ。合わせてディーナが中世の騎士が持つような両刃の剣を抜き放ち、駆け出した。

 俺も慌てて二人の後を追い、繁みを飛び出す。手にはクラクの実。


 道に出れば、少し離れた場所に隊商の馬車が止まっているのが見えた。周りの護衛もそれに合わせて立ち止まっている。

 だがすぐに突撃してくるこちらに気付いて三人ほど前に飛び出して迎え撃つ形を取った。


「先行する! 頼むぞディーナ!」


「任せてください」


 声を掛けた後、閣下はさらに速度を上げて突っ走った。護衛の間をすり抜けるように走る。

 それをさらに迎え撃つべく、一人の男が立ちふさがる。スコップを持った屈強な体の男。あれが『屍埋め』だろうか?


 前に出ていた護衛は、すり抜けて行った閣下を視線で追おうとするもすぐさま突っ込んできたディーナの対応に追われて身動きが取れない。おっとりした彼女からは想像もつかないほどに鋭く重い剣に、三対一にも関わらず押され気味だ。

 一人、上半身裸の筋肉男が斧を振り回して対抗するが、ディーナは残りの二人を牽制しながらでも余裕で対処出来ているようだ。


「ディーナのギフト『暗黒剣』は体力と引き換えに多大な身体能力の強化を及ぼす。相手がネームドであろうと多人数であろうと、短期なら圧倒出来る」


 いつの間にか追いついて横に並んでいたマスターが説明してくれる。


「だがあれ以上の人数になれば倒しきる前に体力が切れる可能性もある。その前に援護して速やかに終わらせる。戦闘員は他の護衛にクラクの実で牽制して」


「分かりました! ……閣下は?」


「あれは無視していい。世界がひっくり返りでもしない限りは平気」


 伊達に閣下じゃないってことだろうか。マスターの台詞からは確かな信頼を感じる。信じてもいいのだろう。


 改めて閣下が突っ込んだところに視線をやれば、スコップを持った男が地面に逆さまになって埋まっているのが見えた。

 うん、大丈夫そうだ。


 俺はクラクの実を握りしめて、強く地面に打ち付けた。


(――よし、戦うぞ!)

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