33 持つべき信念

    ★☆★


 ふと目を覚ました時、僕はまた知らない場所に居た。

 ここは一体何処なのだろう……。見る限りはあの天ノ峰家の病院のような印象も、ぼんやりと感じないこともない。けれど、何となくそれとは布団の質も違えば、毛布も違う。もしかしたら、部屋によりけりなのかもしれない。

 あっと、大きく違っていることを見つけてしまった。


 ベガが居ないのだ。


 あの時ベガは、常に横に居てくれたが、今回は視界を探っても、誰一人として存在していない。

 ただカーテンが閉じられた空間で、ぽつりと一人……一人。


 やっぱり、一人だと不安な気持ちになってしまう。

 いつも隣にはベガが居て、楽しくって。


 でも、ベガが受験勉強を始めた後からは、あまり関われなくなってきて。いや、勿論ベガには悪気は無いのだけれど……。

 僕はベガが勉強をしている際には、アドバイスをしようと思って過ごしてきた。でも、ベガは僕が教えなくても、テキストから、活字から物事を吸収していった。それもあって、支えなくても良くなってしまったんだ。だから、あまりベガの所に行く機会が無くて、寂しくなって……。


 それに当日、突然居なくなったら悲しくって。受験に向かう時だって、置いてかれちゃって……。

 だから、あの時無意識に走り出しちゃったんだよな、きっと。


 ……あれ。


 うん、何かがおかしい。恐ろしい何かがあったはずなんだ。

 というか、僕はどうして生きているの。確かリガルスに銃で撃たれたような気がしたんだけど。え、もしかして今この場所こそが天国だったり? いや、そうだとしたらこんな天国嫌だよ。布団も心地よくないもの。


 ……。


 少しだけ興奮してきてしまったので、落ち着いて考えてみる。

 けれど、こんな場所に居ても答えは出てこないので、とりあえず外に出てみようと決意した。


 でも、少し怖いので、カーテンを少しだけめくって、辺りを確かめてみる。

 漸くこの場所が何処なのかが掴めてきた気がする。

 ここは保健室だろう。もしくは、その類の場所か。

 置かれている物や、ポスター。それと、この室内の広さから何となく察することができた。


 それに何より……。

 ノートパソコンを開いて何かの作業をしている、白衣の女性が一人。

 何となく、保健室の先生だなと感じた。


「あの……すみません」


 安心した僕は、その先生に声をかけてみる。

 すると、声に気が付いた彼女は、こちらを向き、にっこりとしてから会釈をしてきた。結構若くて、和風な顔だちをしている。白い化粧と和服の組み合わせが、とっても似合いそうだと思う。


「目が覚めたみたいで安心したよ」

「はい、何とか。 ……ええと、どうして僕はここに居るんですか?」


 早速、自分がここに居る理由を問うてみた。

 すると彼女は、気絶してたもんねぇと言いながら、人差し指で頭を掻く。


「特別枠の入試の子、あなたの連れだよね? その子が運んできてくれてたんだよ。唐突だもんでビックリしたけど」

「ああ、そうなんですか……」


 話によると、ここは僕が通う予定の学校。もとい、ベガの受験会場である、天ノ峰中の保健室で、風のように現れたベガによってこの場所に預けられたんだそうだ。うん、風のようにって恐らく文字通りの物だったんだろうな……。


「ありがとうございます、受け入れてくれて」

「いいのよいいのよ。病人は放っておけないからね」


 養護教諭の先生はどうして例に漏れず、優しいのだろうか。母性に溢れている人が多いよ本当……。

 お母さんと呼びたくなるよね。母親が居ない自分にとっては余計にそう思えてしまう。


「ところで、そろそろ試験が終わる時間だね、丁度良かったかも」

「え、そうなんですか?」


 彼女は時計を確認すると、うんうんと頷いていた。

 そんなに眠ってたのか、僕は。

 というか、思い返せばあの時、銃で胸の辺り撃たれたような気がするけれど、その痕も残っていない。もしかしたらあれは夢だったのかな。最近夢と現実がごった混ぜになってきてる気がする。

 非現実的なんだけど、現実で、でも非現実っぽい事ばかりなせいだろうか。自分で考えていても訳わからなくなってきそうだ。多分、寝起きのせいもあるかもしれない。中々思考が安定しない。


「失礼します」

「はーいどうぞー」


 噂をすれば何とやら、ベガが戻ってきたようだ。


「おお、目が覚めたようだな」

「うん、何とか……試験、どうだった?」

「――……そうだな。特に問題は無かった」


 そっか……なら安心だ。一番心配してたことはどうにかなったし、後は帰るだけ、なのかな。リガルスにも打ち勝てたわけだし!


「では先生。保護観察、感謝します」

「いいよいいよー。あなたも、気を付けて帰ってね」

「はい、ありがとうございました!」


 僕もベガも、丁寧にお辞儀をして、その場から去っていった。

 そうして少し急ぎ足で、ベガは歩き始めた。僕もペースを合わせるのだけれど、ちょっと早い気がする。


「ねえベガ、ちょ……ちょっと早くない?」

「ああ、すまない。あの二人と合流を果たしたくてな……」

「あの二人……もしかして、ローテナリアとVHMのこと?」


 そう聞くと、しばらく間を置いて、コクリと頷いた。この子から見て左に垂れさがる髪が、フラフラと揺らめいている。


「二人には感謝せねばならないのだ。お前の傷も、あの子が治したものだからな」


 ああそうか。なるほど……。今のを聞いて何となく理解した。

 リガルスとの闘いの時、きっとあの二人が助けに来てくれたのだろう。そうでなければ、あんなピンチな状態から助かっているはずが無いし、それに、僕の傷が治っているはずがない。察せるようになってきた辺り、慣れって怖いと心から思う。

 そうして二人に会うのを楽しみにしながら、僕らは校舎を出た。すると、ベガは突然立ち止まった。何やら不可思議な笑みを浮かべている。


「まだ、気が付かないのか……?」

「ほえ?」


 ベガは突然、僕に問うてきた。


「病院に居たときの方が、もっと怪しまれていたような気がしたな」


 ベガはニヤリと笑った。

 僕は数秒ほど固まってしまった。これでもまだ意図が理解できなかったためだ。だがその内、やがてその言葉の真意を理解する。


 こいつ……ベガじゃない。

 どうして気が付かなかった!? 間違いない。あの時のドッペルゲンガーだ!!


 我にもなく僕は謎のゲンガーから逃げようとするが、足がもつれて転んでしまった。それと同時に、腰まで抜けていた。これではもう、動くこともままならない。何をされるか分かったものではない。もしかしたら、今度こそ自分は殺されてしまうかもしれない。


 一歩一歩、ゆっくりと踏みしめて、こちらまでやってくる。

 その足音を聞きたく無い。聞く度に恐怖は増幅していく。


「ひっ……あ、あ……」

「フフ……」


 迫ってくるこいつに、僕はリガルス以上の恐怖を感じた。

 リガルスが高圧的な恐怖だとしたら、こいつは……無機質な恐怖だ。何も感じられない。


「待て!! 何をしてるんだ!!」


 後ろから聞こえてきた声に、僕はどれほど救われただろう。


「ルイ、大丈夫か。今行くぞ!」


 聞き慣れたトーンで、安心できる強みのある声。何より、その内面には優しさがある。

 そんないつもの声を聞いて、若干遠いながら、顔も確認できて。

 これ以上の安心ったら無かった。多分無い。絶対無い。


 ベガがこちらまで近づくと、まずは僕を立ち上がらせてくれた。本当にありがとう……。


「……来たか。お前とは少し話がしたかったのだよ」

「奇遇だなあ。オイラも聞きたいことがあるんだ」


 ジリっと二人が向かい合う。こうして見ると、二人とも似すぎていて、違いが分からない。雰囲気の違いからでしか、把握することは難しそうだ。


「ほう、では、お前の質問から聞こうではないか……」


 何でも来いといった表情で、ゲンガーは言う。心から余裕を見せているようにも感じられる。


「お前は何者だ。これが初めてじゃないんだろう? 何が目的でオイラに化けている?」


 僕自身も気になっていたことだ。何かしら理由があってもおかしくは無いはずだ。ドッペルゲンガー的な理由であれば「代わりになるため」というものとも考えられるけれど、そんな簡単なものでは無いはずだ。


「化けている……だと? まさか。これこそが私の姿だ」

「何だって? どういうことだよ……オイラと全く同じ姿だぞ……?」


 ベガは片手を額に当てて、考え込んでしまう。タラリと汗が垂れている辺り、ベガ自身にはあまり余裕は無さそうだ。本当に、あいつとは対称的だ。


「では、こちらからも質問といこうか……」


 考え込んでいるその最中に、更に質問をぶつけようとしている。ベガに余裕を失くすための作戦だとでも言うのだろうか。


「お前は私を忘れてしまったのか?」

「知らないな……。まさかとは思うが、お前はオイラの過去を知っているのか?」

「ああ。お前が失ったであろうその全てを、産まれてから今に至るまでを、私は知っている。 ……全てを知りたいか? 悲しき星屑よ」

「ああ、それは勿論だよ」

「そうか。ではその少年と引き換えだ」


 え。引き換え? ……え?

 思わず辺りを見回す。少年と呼ばれる対象を探してみた。

 勿論、そんな少年なんて居ない……え? 居ない?


「居な……え? え?」

「ルイ。多分、お前のことだ」

「え、嘘ぉ、僕!? 一体何のために……」


 考えてみても、見当が付かなかった。この人にはあの病院で初めて会った訳だし、縁が深いわけでもない。正直会いたいという人というのも分からない以上は……怪しくて仕方がない。

 ベガはというと、何やら決意をした表情で、相手を見やる。


「お前がオイラの何かを知っている。それは良く分かったよ。だけど……」

「ベガ……?」

「トモダチを売ってまで、自分の記憶が欲しいとは思わないな!」


 僕は、この選択が嬉しかった。堪らなく嬉しかった。

 もしかしたら、僕は彼に売られてしまうのだろうかと。それを一瞬でも考えてしまった僕を許してほしい。君はそんな薄情な人間ではないのだ。しっかりとした、温かい心を持っているんだ。


「そうか……。そちらを取るか」


 ボソッとこの人が呟いたその時だった。


「そこまでだティリス!」


 何となく聞いたことがあるその声が、門の方から聞こえてきた。

 見やると、その声の主はVHMであった。

 というか、VHMをこの目でしかと見るのは初めてな気がする。全部寝ている間に夢の中で見てきたものではないだろうか。ある意味初対面だ。本物だ。


「……? どうやってここに入ってきた」

「その《力》を破るのは頭を使ったな。だが、まさか別の空間に移動しているとはな。これは想定外だった」

「そうか。見破られたか。フフッ……」


 ティリスという名らしいこの人は、不敵な笑いを浮かべている。彼らの方を見ていたため、僕らにはその表情は見えなかった。それよりも、ティリスは一体どんな力を……。


「残念ながら、今日はこれまでのようだ。私は失礼させて頂こう」

「待て! せめてお前が何者かだけ教えろ!」


 ベガは目にも止まらない超速で走っていく。きっと、ティリスにしがみつきにかかろうとしたのだろう。が、ティリスは更に上を行く速度で横移動をしてしまった。その速度はベガの倍以上はある。遥か凌駕したその速さに、僕は圧倒されると同時に、再び恐怖を感じてしまった。

 その後度重なる回避を続けた挙句、ベガは疲弊してしまった。対してティリスはまだ余裕があった。


「フフ……お前は私に追いつけない」

「――……ベガ! 戻って来るんだ! お前が今闘って勝てる相手ではない!」


 ティリスはこれを聞き入れて、再び不敵に笑った。ベガには出来ない、怖い笑みだ。


「フフ……ご名答だ。では、勝てない弱き者のために、私はこの場から消えるとしよう」


 消え去るその瞬間、ティリスはチラリとベガの方を向いて言った。


「さらばだ。しばらくは幸せにな」

「え……」


 そう言い残すと、ティリスは透けていき、次第に見えなくなってしまった。リガルスと全く同じだ……。


「あいつは一体、何が目的なんだ……?」


 悔しいことだろう。記憶は要らないとは言ったものの、やはりそれは、僕と比較しての話。記憶そのものに関してはやはり望むものがあるだろう。


「あの人が何をしたいのかは、僕も分からなかった……でもね……」


 あの時、僕が察してしまったことは、きっと真実だと思う。正しいことだと思う。


「ベガ、多分あのティリスって人、ベガの兄弟だと思うんだ」

「へ……?」


 あの時感じたこと、そして、あの時彼が言っていた言葉を交えて説明をすると、直ぐに理解してくれた。それでも、やっぱり良く分からないような表情だ。


「だとしても、『しばらくは幸せにな』って、どういうことなんだろうな」

「うーん……」

「何にしても、お前たちは今まで通り、日常生活を送ればいいのさ。試験も無事終わったんだろう?」

「ああ、そこは問題なしだよ。恐らく全科目9割5分は取れてる」


 本番でそこまで取れているなら、全く問題は無いだろう。

 というか、たった2週間でそれだけ取れるってのが本当に凄いと思う。


「暫くは、あんな大きな事件は起きないだろう。だから安心して過ごしてくれ」

「VHMさんって色んなことを知ってるけど……何者なの?」

「……いずれ分かるさ」

「オイラの時と同じ回答だな」


 ベガはふくれっ面だった。でも、気持ちは分かる。僕も知りたいもの。


「というか、お前ティリスのこと、どこまで知ってるんだ?」

「前に話したかもしれないが、私はお前たちに多くを語れない。それによって、未来や過去が変化してしまう可能性があるんだ」

「そこが良く分からないんだよな……」


 これも消化不良な回答だった。結局この人は、何も教えてはくれないのだと、僕らは悟った。


「しばらく私は旅に出る。ローテナリアはこの町に居るらしいから、もし何かあれば彼女を頼りにしてくれ」

「そっか、複雑な気持ちだけど、色々とありがとうな。お前が居なかったら、多分オイラ死んでた」


 ブラックジョークみたいに、ベガは笑いながら言った。でも確かに、高速移動が使えるようになったのも、彼が手助けしてくれたからだろうし、彼の功績は大きいだろう。


「VHM、またいつか……」

「ああ……」


 そう言うと、彼は静かに背後を向いて、校門を抜けて行った。その姿は、何処か物寂しげな感情を伝えているような気がした。

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