27 僕らがすべきこと

 我が家のお風呂は、そこまで大きいと言うわけでは無い。だからと言って、極めて小さいと言うわけではなくて、二人ならばなんとか普通に入れる程度の大きさである。

 湯気は全体に広がっていて、この冬の時期には最適な温度になっているであろうことが伺える。


 普段通りのお風呂ではなくて、ベガと一緒に入っているということが、唯一の違いだろうか。


「シャンプーはあんまり好きじゃないな」

「目に入ると痛いもんね」


 ベガはギュッと目を閉じていたため、そうだと直ぐに分かった。僕もシャンプーはそこまで好きじゃないかも。


 僕らは今、互いに向き合った形で、別々のお風呂椅子に座り、お互いの頭を洗い合っている。

 傍から見ると、何をやっているんだお前らと言いたくなるような場面だ。言い出したのは僕では無くて、ベガである。なるほど、さっき背中流しって言ってたけれど、それと同じ感覚で頭もやってるのかな。

 この子の髪の毛は少し硬い質感で、僕の毛先よりも太いようだ。ちょっとゴワゴワしてるみたい。だからカールがかった髪をしてるんだなぁ。

 しっかし気になるのは向かって左に垂れさがったアホ毛である。普段はあまり自己主張が激しくないのだけれど、お湯を被って周りの毛が湿ったことで、より一層主張を始める。「オレの扱いには気を付けろ」と言わんばかりに堂々としている。湿っても変わらないってのがなかなか凄いな……。


「こないだここに来て、初めて風呂に入ったんだ。その時にシャンプーの使い方はユメに教えてもらったんだ。でもいざ使ってみたら目に入って痛い思いをして……ぅう、染みるんだよな」

「そうだね、僕も母さんに頭を洗ってもらったときは、良く嫌がったっけ……――」




 …………。




「――ユメに聞いたの!?」

「ああ、一緒に入った」

「一緒に入ったの!? えぇ、ユメ良く許したなぁ……」

「何かいけない理由があるのか?」

「え、あー、うんと」


 ああそうか。なるほど。こんな性格だからユメも良しとしたのかもしれない。

 この子は別に男女が云々だとか、性別の垣根を気にしているわけではないのだ。ちょっと見習うべき所なのかもしれないなぁ。学校でも男女平等って習ったし、そういう考えはきっと大切になるのかもしれない。


「別にどうってことないみたいだね」

「やっぱりそうだよな? 何か悪い事でもあるかと思ったぞ……」

「あはは、ごめんごめん。はい、じゃあ流すよー」


 僕は半ば強引にぼかして、ベガにシャワーを当てる。事前に調節していたから、いきなり冷えた水が当たるなんてことは無い。

 ギュウっと目を瞑って、湯に打たれるベガは、何だか自分の幼い頃を見ているような気がしないでもなかった。何だろう、自分もこうしていたよなって。シャワー慣れしていない感が伝わってきて、何だか面白い。どうしても口呼吸になってしまって、パッパプパッパなるのはお約束。


 どうにか流し終えたら、今度は僕が流される番になった。

 ベガのことだから真面目にやるかと思っていたけれど。


「むぺぺぺぺぺーーーー!?」


 ベガはお返しと言わんばかりに僕の顔面狙ってシャワーを当ててきた。


「へへっ、ルイは慣れてるから、これぐらいはいいよな?」

「ひどぶ、ひぶ、び……ぶくぶく」


 流石にちょっとやり過ぎかとベガも感じてくれたようで、ベガは直ぐにストップしてくれた。


「けほっ、けほっ……ひどいよぉ……」

「あはは、ごめんごめん。次はしっかりやるよ」


 今度はしっかりと、頭から流してくれた。

 ベガの手つきは大分慣れているように感じた。本人は初めてだと言っていたけれど、きっと記憶の深い所には、憶えがあるのかもしれない。だって、初めてなのにこんなに心地よく人の頭を洗える人って、中々居ないよ……はふぅ……。

 ツボというか、心地の良い所をマッサージすることも、流すついでにしてくれて、とっても気持ちが良かった。


 次に、身体を洗う時だけれど……何だかベガが変だった。

 望み通り、こちらも洗いっこをすることにしたけれど、身体を洗うためのボディタオルを忘れてしまったため、どうしても手で洗う必要がでてしまったのだ。

 仕方なしに僕がベガの身体を丁寧に泡立てつつ撫でる形で洗っていたら、始めは大分くすぐったそうにしてて、僕に対して同じように、これまた仕返しみたいな形で洗いっこができていたのだけれど、途中からベガの息が荒くなっていた。理由は分からない。とっても苦しそうだから、大丈夫かと問うてみたけれど、大丈夫、続けてくれと言われてしまった。

 不安な気持ちに駆られながらも、本人が大丈夫だと言うのなら大丈夫なのだろうと思い、とりあえずスク水から出ている……変な言い方だけれど、露出している所を全て洗った。


「ありが、とう……な。あと、は、自分で、やる」

「本当に大丈夫?」

「ああ、問題ない、よ。寧ろ、マッサージ……みたいで、よかった」

「そう……? ならいいんだけど」


 息は未だに荒かった。でも、表情は不快なようではなさそうだったから、別段嘘を言っていたわけでは無いらしい。

 僕らはその後、黙々と身体の残りを洗って、流し合って、チャプンと浴槽に入った。


 変な雰囲気だけど、タイミングは今がベスト……!


 僕は意を決して、持ち続けた疑問を打ち明けるのだった。





「ちょっと、のぼせそうだった……」

「ああ……」


 お互いの手がしわしわにふやけてしまうほどには、長湯だったかもしれない。二人してフラッフラだ。目もグルグルとしていて、顔も真っ赤。着替えるのがやっとだった。

 僕が着替えてる最中、には、ベガがその混乱と言わんとした顔で「ルイー、下の方に変なのが見えるぞ~」とふにゃふにゃ言っていた。

 ベガ、それは多分幻覚。

 のぼせかけているということは、軽く視界がフェードアウトしそうになっているのではないか。そう思って、急いで僕は着替えて、同じく同時に着替え終わったベガを引っ連れて、リビングへと向かって行ったのだった。



 …………。


 つい先ほど持っていた疑問は、直ぐに晴れた。

 ベガは病室に戻ってきたのは一度だけ。つまり、診察から帰ってきて直ぐに退出するといった行動は取っていないということらしい。

 ということは、あの違和感を感じたベガは、ベガでは無いということになる。


 でも、そうなるとまた一つの疑問が浮き彫りになってくる。

 それは勿論、あの時居た人は、一体何者だったのかということだ。


 ベガでは無いとしたら、それは本当に、ドッペルゲンガーなのか。或いは、別の何か……例えば普通に考えて、生き別れた兄弟という可能性もある。

 どちらにしても、それならばどうしてその人が、あえて自分を名乗ろうとしなかったのかという点もよくわからない。何か理由があるにしても、不可解だ。


 それともう一つ。ローテナリアが怯えていたことだ。

 あんなにリガルスに対して強い意志を持って対処をしてくれた彼女が、どうして怯えることがあるのだろうか。それがベガにとっては気になる所らしい。


 いずれにしても、今の段階では手がかりが少なすぎるのだ。正解にたどり着くことも許されないほどだろう。


「はぁ……」

「ふぅ……」


 ベランダに出て、二人して冷たい風に当たる。のぼせかけには丁度いいぐらいだ。 ……寧ろ冷え過ぎかもしれないけど。

 外で吸う空気も大変に冷えていた。でもそれが、身体を巡っていく度に、何だか心も落ち着く気がして……。先ほどまでの熱が嘘のように、体外に放出されていく。

 うん、やっぱり外の空気は美味しい。


 僕とベガはすっきりとした顔をして、再びリビングに戻ろうとした……が、ベガが何かに気が付いた。


「風が止んだ……」


 言われてみて、僕もハッとした。今の今まで僕らを冷やしていたその風が、突然流れを止めていたのだ。とはいえ単純に流れ終えてからの停止であれば、理屈は理解できる。けれど、こればかりはおかしいとしか言いようがない。

 例えるなら、川の流れが途中でピタリと停止したような状態、だろうか。

 極めて異常な状態であることが分かるだろう。


「自分の力を何も生かしきれてない上に、何も気付けないなんて」


 この声は。鈴香……?


「ようやく来たか、鈴香。オイラはお前に質問がしたい」


 ベガはいつ来ても良いようにと、何かを準備していたようだ。

 僕は正直、このタイミングで来るとは思わなかった。どんな時でも現れるこの人が正直こわい。


「ええ。貴方が聞きたいことは理解してる。私が何かを知っているだろう、と。そう言いたいのね」


 自分が知りたいことを適確に言い当てられてしまったのか、ベガも「何故知っている」と驚きの表情だ。


「貴方たちのことは何もかも知っている。昔のことも、そして……『未来』のことも。でも、これから先のことは分からない」


 ……? 未来は知っているのに、これから先のことは分からない……?

 同じことのはずじゃ……。


「じゃあそのことについて、しっかり話してもらおうか」

「……早とちりね」


 鈴香は呆れ顔だ。短い文でまとめる辺り、面倒くさいという感情が露わになっている。

 でも、今は鈴香に聞く以外に、進む手立てがないのだ。情報で頼りになるのは、彼女しか居ない。


 何者なのかもわからない、どこから来たのかも、どうしていつも僕たちの前に現れるのか。それすらもわからない。だけど、未来を理解しているというのなら、僕らのこれからに関する、道しるべのような、そんな存在になってくれるのではないか。

 そういう期待も、沸々と湧き上がってきたのだった。


 僕もベガも、鈴香が話す言葉を頼りにしていた。

 だけど、彼女は大きなことに関して口を割ろうとしなかった。例えば僕が最近よく見る正夢。これに関して聞いてみても、詳しいことは何一つとして教えてもらえなかった。そして、ベガの偽物に関しても同じだ。こちらも詳細な情報は無し。

 では、彼女は何も知らないのかというと、そういう訳では無いらしい。


「いずれ対峙する。いえ……近々ね」


 と、遠くを見ながら話してくれた。たったこれだけではあったけれど、僕らにとっては有益な情報だと思えた。そもそもこれから解決するかも分からないことだったため、これから分かるならと、ベガは何となく安心していた。

 ……僕は、ちょっと怖いけれど。でも、分かっただけでも一歩前進しているんだし、そこは妥協せざるを得ない。


「それともう一つ。さっきの正夢のことだけれど……あれを正夢だと思ってるなら、愚かね」

「……じゃあ、身体から精神体みたいなのが離れて行って、場所だけを移動した……ってこと?」

「違う。そうだとしたら、おかしい所があるのに気が付かないの?」


 彼女は本当に理解しているようだ。淡々と僕の身に起きていたことをズバリ当ててくると同時に、僕が全く考えてもいなかった疑問点を提示してきたのだ。


 その疑問というのは二つだ。一つ目として、まずは少し前に遡り、リガルスに撃たれた時。あの時ベガは砂浜に、僕の幻影を見たと話していたこと。

 これがあったから僕は精神が離れて場所を移動したと考えていた。けれど、そうなると、明らかにおかしい所が出てくる。


 倒れていた時に僕が見ていた夢は、砂浜で二人が闘っていた夢ではなかったのである。


 よくよく考えて、そして、鈴香に教えられたことで、僕も思い出した。あの時見ていたのは、闘いの夢ではなく、あの夢空の姉妹の夢だったのだ。決闘をしている夢は、その一つ前の夢であったのだ。

 こうなると、時間軸がおかしくなる。タイミングが合わない。つまり、僕は単に移動していただけではない。何か別のことが身に起きているということが明らかになったのである。

 とすれば、僕の身に起きているのは……まさか、時間的な移動なのではないだろうか。


 それを鈴香に言ってみるも、フッと鼻で笑われてしまう始末であった。

 ベガは既に納得をしてしまっていたために、この鈴香の反応は不服であったらしい。


「どこがおかしいんだよ」


 そう言っても、それ以上に鈴香が何かを語ることはなかった。


 彼女はただ、今自分たちがすべきことをよく考えて、そして理解して。それを実行に移すことが大切であるというアドバイスをするだけであった。


「貴方たちには正直期待していない。でも、存在している以上は仕方がないから。これは運命よ」


 そう言って、またもや彼女はその場から姿を消してしまった。

 期待していないってどういうこと……? 他にも、コンタクトを取っている人がこの世界に居るってこと……?


「また、意味がわからないことを……」

「まだ隠してることは沢山ありそうだね……」


 彼女に関しては、分からない事ばかりだ。

 一体何者なのだろうか。それが気になって仕方がない。でも、本人が何も語らないから、分かるはずもなかった。

 ただ、今は僕たちにできることをしろと彼女は助言してくれた。だからその通りに進んでいこうと思う。


 とはいえ、僕らにできることって一体……。

 二人でしばらく考えてみたけれど、答えが浮かび上がることはなかった。



    ★☆★


「……順調ね。変わってしまった部分もあるけれど、微々たる変化にすぎない……。彼らに期待していないのは事実。でも、期待している面もある。未来は、どう動いてくれる……?」

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