11 「死」というもの
「ぶわっ、てぇ!!」
「痛いったぁぁぁ……」
ダイナミック起床。そのバネでヒザを机にぶつける。
机に突っ伏して寝てしまっていたようだ。
「…………」
長期休暇期間というのは、爽やかな朝を迎えられるものである。
それが大抵の場合である。
だが今回ばかりは、そうはいかなかかったようだ。
昨日の夜は夕食時の、ベガの行動について考えていた。
あの金髪少女――鈴香が言っていた、
『今日あったことをよく考えてみて。そうすれば、きっと答えは出るはずだから』
という言葉の意味を、理解したかったから。
この言葉の真意を理解すべく、僕は必死に考えを巡り巡らせてみた。
でも、わからない。何にもわからない。
……主に邪念が多すぎるから。
あの子がトマトで酔って、それから何があった?
抱きついてきて、頬ずりされて……キ、キスもされて。
そんなことばっかり思い出して結局、明確な解答にはたどり着くことができなかった。
んーっと伸びをして、椅子から立ち上がる。
ゆっくりと立たなかったものだから、若干立ちくらみがする。鉄分とやらが足りていないのだろうか。
……今、ベガに会いに行くのは何だか気が引けるなあ。
何だか変な気分がするし。
でも、まあしょうがないよなあ。
これから生活を共にすることになるんだし、「この程度のこと」という感覚でいないと大変だろう。
とりあえず廊下へ出ようと僕は足を一歩踏み出すと、部屋の扉がノックされる。
少し待って、ベガの声が聞こえてくる。
「ルイー。朝だぞー!」
「……起きてるよー!」
……声の調子はもう、酔っているときのベガではなかった。
それがなんだか、安心できて。
さっきまでの心配はどこへやら、僕は直ぐに扉を開く。
「ルイの父さんが言ってたんだ。『ルイは寝坊するからたたき起こして来い』って」
「父さんってば、もう中学生なんだから、そんな寝坊なんかする訳ないでしょうに」
若干不安だけど、あえて背伸びをしてみる。これが僕の目標でもあるから。
中学生になったら寝坊しない! 決めた! 今決めた!
「そうなのか。じゃあ安心だな!」
にひっと笑うベガ。その笑顔はやっぱり優しくて、明るくて、眩しい。
そうだ、ベガはこうじゃなきゃ。僕が見たかったベガだ。
「朝食がもうすぐできるって言ってたぞ、行こう!」
「うん!」
そうして、部屋の外へと一歩踏み出す。
ひやりと、足裏が冷える。
その影響か、何なのか。
――ふと、鈴香が言った言葉を思い出した。
『食べ物には気を付けること』
この言葉が、何だか心に不安を植え付けてくる。
もしや、朝食にリガルスが毒を盛ってるとか……。
不安が募る。
その不安はまるで黒い綿あめのようにモヤモヤとしていて、僕の胃に入り込んできた。
どうしようもなく、気分が優れない。とりあえずみんなに伝えておかなければ……。
「毒だって?」
「うん」
僕はリビングにて、昨日リガルスに遭遇したときの事を全て、ベガと、そして父さんに話した。
どうしようもなく心配だったし、何よりベガや僕を殺そうとしていたのだし、あり得ない話ではない。
聞き終えた父さんは、不機嫌なしわを眉間に作る。
背筋がヒヤリとしてくる。
「昨日話すべきことだよな。それ」
「……はい」
冷たい空気が、身体に入っていく。
父さんの思いが、心に入り込んでくるみたいな感覚だ。
不機嫌そうな表情の裏には、何だか寂しそうな面影もある。
父さんはもしかしたら、裏切られたって気持ちでいるのかもしれない。
こんな大変なことをまず第一に話そうとしなかったんだから。
胃のモヤモヤに、深く重みのある青色がべったりと貼りつく。
胃と、喉と、呼吸が辛くなってくる。
今ここに、人が居なかったならば、直ぐに叫んでしまいたいような、そんな自己嫌悪。
早いうちに言っておけば良かったのかもしれない。
言わなかったからこそ、こうも苦しむ。
……馬鹿だねえ、僕は。
「とりあえず、この飯は心配ないからな。第一、今日俺はキッチンで寝てた訳だし、誰か来れば気付くからな」
「……安心していいの?」
「ああ、全然問題ないよ」
杞憂に終わったということだろう。
でも、僕の心は晴れない。貼りつく場を失った重い青は、胃の表面にまとわりつく。
どうすれば、今の気持ちが晴れるだろうか。
「ルイ、空気が暗いぞ。ルイの父さんも」
ベガが間に入ってきた。
「終わったことは仕方ないし、食事も問題ないってわかったんだ。別にこれ以上気にすることはないんじゃないのか?」
表向きには、そういうことだよね。
僕も、あまり考えすぎない方がいいのかもしれない。気持ちが沈むばっかりだ。
「そうだね。父さん、食べよう」
父さんもそれに了承し、キッチンに集まる。
「あれ、ユメは来ないのか?」
「ユメは朝食食べないんだよ。食べようって誘っても、断られちゃって」
「そうなのか……」
少し残念そうだ。でも無理だ。口論でユメに勝てる人は我が家に一人も居ないから。
だからあの子がノーと言ったらノーなのだ。絶対権力にも等しい。そんなんで良いのかこの家は。
さて、今日のメニューは、焼いたトースト、味噌汁、ベビーチーズ、牛乳。何て組み合わせだ。
味噌汁が浮き過ぎだ。
まあ不味くはないし、そこまで気にしたくは無いけれど、違和感が半端じゃない。味噌汁が玉子スープだったなら、寧ろうれしいのだけれど。
焼いたトーストは、冷めないうちにバターを乗せて、時間をかけて溶かす。そして、その上にジャムを乗せて塗ってから食べるのが我が家だ。
この時間をかけて溶かすまでの工程を、父さんは既に行ってくれていた。
おかげで直ぐに、食事に入ることができる。
でもやっぱり、一口目は勇気が要るな……。
それが安全だと分かっていても、ちょっとした抵抗がある。
そんな僕の気持ちを読み取ったのか、父さんが、
「分かった。じゃあ、俺が証明しよう」
と言って、パンをパクっと一口。そして牛乳を飲み干す。
いや……そんな勢いよく飲まなくても……。
落ち着いてきたところで、一言。
「な。大丈夫だろう?」
確かに、父さんが食べても問題ないのだから、大丈夫なのだろう。良く分かった。
「まあ、時間差で来るやつだったとしても、みんなで死ねば怖かないな」
「やめて」
ブラックジョークにも程がある。折角良くなると思った気分が余計に曇るよ。
とりあえず、まあ大丈夫だろう。
問題が無いと踏んだ僕は意を決してもぐりもぐもぐ。
若干冷めている。ただ、それだけかな。
一方、ベガは楽しそうに食事をしている。トーストのサクッとした食感にも驚きを隠せていない様子だ。
味も気に入ったようで、美味しいなと言ってくれた。
地球の食べ物に慣れ親しんでくれるのは嬉しい。
ちょっと変な雰囲気だった食事も済み、父さんが食器を洗っている時のこと。
僕ら二人は、リビングのソファーに腰かけていた。
最初はどうということも無く、さっきの食べ物の名前だとか、どういうものなのかを説明したりできたのだが、途中から明らかに、ベガの様子がおかしくなってきた。
フラフラとしていて、何だか目の焦点が定まっていないようにも見える。
最初はこんなちょっとした変化だったのだが、ここからもっとひどくなる。
「ベガ、大丈夫……?」
「…………」
その内、話すこともできなくなっていた。
途中まではまだ話せていたが、今や何かを耐えかねているように、苦しそうにしている。
まさか、本当にリガルスが何かを仕組んだのか!?
……でも、僕らには何も影響は無いし……。わからない。
また、新たにモヤモヤとしたものが、出来上がる。
僕は、何も告げられないベガの背中を、ただ撫でてあげることしかできなかった。
それから六十分が経過した。未だにベガの体調が戻ることはない。
あまりに不自然な変化であったし、食事が影響していることは間違いないだろう。
ならばと思い、天ノ峰家に連絡をしてみる。先日救急外来を受け付ける旨を言っていたし、それでどうにかなるだろうと思っていた。
だが、現実はそう甘くはない。
似た症状の病が存在するかどうかを問うも、診てみないことには解らない上に、医学の知識を有する者が出払っていたのだ。これではどうしようもない。
あの家って医者何人居るんだ。もしかしてヒカリの父さんだけってパターンは無いよな?
それよりも、ベガの体調が心配だ。遠方へ行こうにも、父さんが車を所持していないため、それも叶わない。かと言って、歩いて運び込むのは大変危険だ。リガルスと出くわした場合は最悪の事態になりかねない。こちらには「逃げる」という選択肢しか無い上に、担いだ状態で逃げられるかと問われれば、無理だとしか言えない。
こちらに力のある味方が居れば話は別なのだが、それも居ない。
残った手段は、家での看病のみ。
「ごめんね、ベガ」
「…………」
返事が無い、ただの屍のようになったベガは、ソファーの上で横たわっている。
目は開いているし、しっかりと瞬きもしている。が、恐らく無意識だろう。
どうにか楽にしてあげたくて、毛布をかけてあげたり、光を遮ってみたり、お腹を撫でたりしてみたが、全く効果は無かった。
ここまで来ると、どうしても、「死」というものが、頭をよぎってしまう。
――それは、悲しくて、唐突で、理解しがたい、別れ。
……母さん。
そうだ、母さんは、原因不明の病に倒れて、そのまま死んでいったんだ。この国には解決する手段も方法もない。そんな悪魔のような病。
当時まだ物心ついて間もなかった僕は、正直「死」というものをあまり深くは理解していなかった。
けれど、母の死に目に会ったことがある。
当時は戸惑うだけだった。「一体、どうしてお母さん起きないの」って、ユメと手をつないで聞き合ってた。びっくりした。父さんは酷く泣いていた。
それから会えなくなったことに気が付いて、ずっとずっと泣いていた。
そしていつしかそのシーンが、一つの大きなショックとして心に残ってしまっていた。
歳を重ねるごとに、物事や概念が理解できるようになっていく。そして、それに相対するかのように、当時の出来事もより一層、色濃く理解できるようになってしまった。
普通ならば、嫌なことや苦しかったことは、段々とどうでも良くなっていくことだろう。
でも僕のこの記憶だけは、どうしてもそんな楽観的には捉えられない。苦しくて、悲しくて。
どうしようもないってことは分かってる。過ぎたことだってことも分かってる。でも、死は、未だに僕が認めることの出来ない大きな壁になってしまっているんだ。
――ベガも、同じように死んでしまうのだろうか。
そんなこと、考えたくもない。どうしてだろうな。
誰かに対してここまで真剣になれたこと、今まであったかな。
会ってまだ、数日しか経ってないのに、こんなに大切にしてる人、これまで居たかな。
それ以前に、僕らって、今までにどこかで会ったことがあるような気がするんだ。
別に、そんな気がするだけだし、本当はそんなことは無いんだろう。
だとすれば、良くミステリー関連のテレビで取り上げられる「前世」というもので、お互い会っていたのかもしれない。僕の記憶には無いわけだし、もしかしたらそうなのかもしれない。
「不思議だよね、本当に……」
聞いても、返事をする声は無い。
最早この子は、明るくて、眩しいベガでは無い。単なる抜け殻のようなものだろうか。
僕も同じく、抜け殻になってしまいたいような、そんな苦しい気持ち。
ベガには果たして見えているかわからない、そんな天井を、二人で見つめていた時だった。
玄関からチャイムの音が鳴り響いて来る。
「こんな時に……誰だろう」
ふらふらとした足取りで、玄関へと向かう僕。こんな時だ。正直出たくはないが、急用だった場合に困るだろうから、仕方なく。
だが待て。もし仮に、これが奴だったとしたら……。
そうだった場合を考えると、とても恐ろしい。
インターフォンをまずは見る。話はそれからだ。
少しでも頭が回って本当に良かった。そう思いながらインターフォンを見る。
だがそこに映っていたのは、リガルスなんかでは無かった。
緑色の長い髪をした、少女だった。
僕は一先ず安堵し、音声発信をする。
「はい」
『……ヒコの民を、探しています』
「……はえ?」
その声を、僕はどこかで聞いたことがある気がした。
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