第11話 膝を抱える君へ

 

 メイドに案内されること十分前の事。

 

 結婚式場を思わせる作りで、壇上を向く様に客席は一列に設置されて。壇上の真上をみれば、人間一人分ほどの十字架が飾られている。

 この空間が『どんな時にここを使うのか』また『何の目的で作られたか?』と、気になったりもした……だが、今のこの状況で知る余裕などない。

 その中央部分。

 太陽が差し込む窓ガラスからは虹色に光を変え――盤上を照らし輝いていた。

 

 その盤上を挟む先に――見慣れたボロボロの制服で灯がいる。

 見下す眼差しで白子を見ている……その瞳から伝わる『怒り』『恨み』『勝つ』を全て現している様に感じ、圧迫される程のプレッシャーに押しつぶされそうだった。

 

「では初めにルールのご確認です。各持ち時間は5分、制限時間は無制限の勝敗が着くまで対局してもらいます」

 約20人近くのメイド達が並ぶ、その中央で一歩前に出てルール説明をするネ子は無表情のままに淡々と語る。

「加えて特別ルールとしまして。どんな事があろうとも、決して制限時間を止める事はないことにします。以上を以って、只今より対局を開始させて頂きます。


 白駒側――葉田白子王様プレイヤー


 黒駒側――美底灯王様プレイヤー


 準備はよろしいでしょうか?」

 

 

 数秒の無言が続き、それが準備ができていると捉え。 




 そして、その時が訪れる。

 




「 それでは王様、戦争ゲームを始めてください 」




 メイド達の掛け声が。今、この空間に無情にも響き渡る。

 

 


 白駒側は先手。つまり、白子からの一手で始まる。

 

 大丈夫……いつも通り、冷静に中央に駒を固めて行こう。まずは防行を固めて、様子を見て……。

 慎重に白子はポーンを手にしようとした――瞬間。


























                【 敗 北 確 定 】

















「ッ!?」

 だが、すぐさまその手を引き留める。

 そう……今、そのポーンを動かせば負けていた。

『そのポーンが空いた懐に、灯のクイーンが攻め込み決められる』という敗北確定の未来を見れば当然のこと。

(ありえない……まだ一手目なのに)


 『たかが一手』――そう思う人もいるだろう。

 チェスは、その『たかが一手』で戦争終了を告げてしまう可能性も十分にありえるスポーツ。

 そして同時に、それを可能とするのが上級者の証を表している。

 

(これが【十天王】……世界ランキング10位の力……ッ!)


 本来ならば互角に戦い合える相手ではない事はわかっている。実力も時間さえも相手が上なのは分かり切っていたこと。

 そう……やり直しなんてない。

 一度始まってしまった戦争、どちらかが負けることはわかっている。

 白子が負ければどんなに願おうと、二度と灯を助け出すことはできない。

 

 助け出すには……勝利しなければいけない。

「私は、ポーンをe4へ」

 冷静に駒を変え、二歩前に前進。

 

「…………ポーンをc5」

 そっと、静かに駒を置く。

 ……そう、ただ置くだけのはず……なのに。


 コトンっ。


「っッ!?」

 

 『それ』の衝撃に、言葉を失う。

 手も、足も、体全体が異状に震えを起こし。次第に吐き気も襲いかかってきた。

 手に顔を触れれば……尋常ではない汗が流れている事に今気づいた。

 ……

 

 白子は――その『たかが一手』で、体の異状を起こしていた。

 

 

 戦いとは無縁の白子には感じたことのないプレッシャーだろう。

 

 

「早く動かしなさいよ…………貴方の手番よ」

 不気味な笑みを浮べるその姿に、白子は後退る気持ちでいっぱいだった。


「いくら考えた所で…………白子ちゃんは忘れるんだから勝ち目はないよ」

 

 ……忘れる?

 この時、白子はまだその言葉の意味を深く考えてなかった。

 何気ないその言葉の意味を、後に思い知る事も知らずに――。









 ☆ ☆ ☆










 気付けば激戦は中盤へと突入していた。

 盤面を見る限り、まだどちらが『優勢』と言うには至らない状況だ。

  

(灯ちゃんはずっと左右に駒をバラつかせてる……守りを捨ててるのかな)

 

 制限時間も残りわずかと考えれば、今ここで迷っている時間なんてない。。

 

 仕掛けるのなら、『今』しかない。

 

 迷いが内消えずまま、掴んだナイトをd4へと置こうと手を伸ばす。



「――白子ちゃんって弱いんだね」



 ボソっと、言ったその一言。

 思わず手が止まってしまっていた。

「ここまできてハッキリした…… 特に、中盤にもなってキャッスリングをしてこない……いや、『知らない』って言ったほうが正しいかもね」

 キャッスリング……?

 初めて聞く単語に、戸惑うその姿を察したかのように……灯は溜息を吐き。

「キャッスリングは必ず最初に覚えさせられるルールなのに、そんな重要な事も知らいないくせに…………………………よく私の前に座れたものだよ」


「もういいよ。早く決着が着きたいからね…………………………本当の地獄を、今から見せてあげる」

 すると……灯は口から息を吐き切り。

 また息を吸ったと思った――時。



「うぅわぁぁぁぁァァァァァァァァァァァァぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああっっ!」



 喉が切れると思う程に、強い叫び声が響き渡る。

 悲鳴の最中……すると突然。



「な、何っ……また地震!?」



 とても座っていれないほどの振動だった。何人かのメイド達も、床に倒れ込みとても立っていられない状態だ。


 ヒビが入っていた地面が穴が開き、天井から崩れたガレキが叩き付ける速度で落ち危険な状況が続く。

 

 数秒後、次第に揺れは弱まり始め……気づいた時には、その揺れは既に収まっていた。




 ……これは、あくまで直感にしかすぎない。




 あの時の地震も『灯の悲鳴』と同時に起きたことは事実。今回も同じ現象……。

 つまり。考えられることは、ただ一つしかありえない。




「そう――これは偶然なんかじゃないよ?」




 心境を見透かされたのか、それはわからない。

 灯は真っ先に……真実を告げるように語った。

 何処か、悲し気な面影を見せて。

「過去を思い出す度、部屋でも私は何回か悲鳴を上げた時があった。その時に毎回一定の時間揺れ始めて『壊れる物』が粉々になって崩壊するんだよ……不思議だよねこの力」

 

「つまりね、これらの仮説を辿れば一つの答えにたどり着いたの。そう……【悲鳴を上げた10秒間。『壊れる物』が全て崩壊する】という力を持っている事になるの」

 



 『壊れる』。

 



 その時、メイドが説明していたルールを思い出した。

『どんな事があろうとも、決して制限時間を止める事はない』。

 案の定、よく見ればメイドの手にはストップウォッチが握られている。恐らく、今迄のやり取りも全て制限時間に含まれている。

 落ち着いて……後は、私が駒を置くだけだ。

 

 あそこに置けば……。

 そう、あそこに……置け……ば……。


 ――あれ?

 

 何処に置けばいいんだ?

 ……私、何処に置こうとしたんだ……?

 記憶が、さっきまでの置こうとしていたイメージが……ッ!?


 全てが――無くなっていた。 

「言ったよね白子ちゃん。『壊れる物』が全て崩壊する――別に目に見える物だけじゃないんだよ?」

 額には嫌な汗が流れる……それは異常なほどに。

 震える手は駒を掴めない程に揺れ、白子の心は揺れに揺れていた。


 一枚のガラスがあるとしよう。そのガラスは頑丈に特殊加工され蹴ろうが殴ろうが決して割れるわけがない。

 それは『壊れない物』と呼ばれるだろう。

 だがもし、そこにヒビが入っていたとしたら?

 それは簡単に『壊れる物』として呼ばれ崩壊されてしまう。

 

 『思考』も同じだ。

 曖昧な考えなら、それも『壊れる物』として崩壊され……記憶から消え去る。

 つまり。灯が悲鳴を上げる度、毎回『思考』が壊され続けられると言う事になり……それは。





 もう――チェスにおいて重要な『思考』を奪われた事を表していた。



 


『白駒側、残り一分を切りました。速やかに駒を置いてください』

 無慈悲にも、メイドの冷たい声が現実を告げた。

 

「私は…………ポーンをh4へ」



 震える手から……ポーンを離し、手を強く握った。

 

「――失望したよ白子ちゃん」

 

 心底、本気で呆れた声で灯は言葉を漏らす。


「白子ちゃんがここで動かすべき一手はナイトだ。そうしてれば――」

 

「こうならなかったのにね」

 まるで見せつける様に、ビショップがそこにある。

 その瞬間……白駒クイーンが去った。

「でも残念。そこでポーンを動かし手番を回す最低な一手を打つとは予想もしてなかったからね……初心者もいいところだよ」 

 駄目だ……完全に、思考が追いつけていない。

 動揺と不安が入れ混じり真面な思考回路ができなくなっていた。

 

「諦めなよ。もうここから逆転するのは無理…………………………あと7手指せば、私の勝利。いい加減諦めてさ…………………………私を楽にさせてよ?」




「――――さ」

 


 その言葉を聞いてから、着々と手番は進んだ。

 逆転の一手を見つけ出すにも、ことごとくチャンスは潰されていく一方。 

 

 頑張って考えても答えは見つからずまま。

 

 白子は……惨めにも、キングを逃す悪足搔きしかできなかった。

 






 そして…………………………宣言した7手目。






 静かに、灯は言い残す。








「チェックメイト……か」







 言葉すら出なかった……。

 白駒のキングに逃れる場所などなく、現実を突きつけられ。





 今この時――白子は負けてしまった。

 

 



「ずっと思ってた……私は世界ここにいちゃダメな存在なんだって」


 すると、灯は席を立ち。盤上へ優しく触れていた。


「きっと生まれるべき存在じゃなかった……それを今、白子ちゃんに勝って分かったよ……運命も私に『消えろ』って言ってるんだって」

 

 


「少なくても、今この世界じゃあ――私は生きてちゃ悪い存在なんだって」

 



 ふとっ、灯は上を見上げた。

 崩れる最中、天井の岩が再び大きくひび割れる。

「違う……違うよ灯せんぱ――」

「『 嘘 』をつくなぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」 

 ……床に転がる駒。

 掃った手を握りしめ……その手は震えていた。

「違う……? 何処が違うって言うのよ? 何もしてないで突然影口が始まって、気付けば暴力と罵声の毎日……それって私が『目障り』だからでしょ? 『気持ち悪い』からでしょ? そんな理由で始まったんだから生きてても皆の迷惑でしかないでしょ?」

 ……。



「原因を治そうとしたって、そもそも知る方法もわからない。誰も教えてくれないし、自分で見つけるしかない…………………………イジメられなが分かるしかなかった」


「言ってよ? これの何が違うの? 原因も見つけられなかった奴が悪いの? 貴方もそう思うの!?」


「違うっ……そんなこと」

 

「いや、また貴方は騙そうしてる……楽しいかな? そんなに私を騙して楽しいかな!?

 何で面白いのかな何で笑ってられるのかな何で殴るのかな何で笑うのかな!?

 何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何で何でッッッッッッッッッ――私をイジメて楽しむのよォッッッッ!?」

 













「私なんて――こんな世界から消えてしまえばいいのにッッ!」












 ガタンっ!

 

 天井から、何か崩れるそんな音が聞こえ。

 





























「貴方となら、きっと友達になれると思ったのに……」

 





























           「バイバイ。白子ちゃん――」

 































 ――――――――――――。


 恐る恐る、白子は目を開いた。

 目の前には……岩が、巨大な岩がある。

 そこに、灯の姿なんて……いない。



 ――この世界から、灯はいなくなった。



 茫然と膝を着き、目の前の岩を眺めている……。

 目元からは、一滴……また一滴と涙が頬を濡らす。

 

 何で……言わなかった?

 

 

 

 言えてれば、こんな結末を迎えることはなかったかもしれない――いや、迎えるなんてありえなかった。

 


 

 私が――友達を殺してしまったんだ。

「ごめん……ごめんなさいっ……!」



 そこに灯はもういない。

 私の謝罪は届く事なんてない。

 

 流れ落ちる涙は止まらなかった。いくら拭っても、また涙が生まれて、また地面に落ちて消えてしまって。

 

 

 もう、この言葉が届かないとわかっています。 

 ――誰でもいいです。

 いくらでも頭を下げます。

 何回でも下げます。

 土下座だってします。

 もし……もし届くならお願いします。

 この言葉だけでも。せめて……私の大切な『友達』へと届けてください。

 




 灯ちゃん。









 助けられなくて――ごめんね。

 

 
















               【 敗 北 確 定 】


  















 ☆ ☆ ☆











 ――なにもない。

 ここは、なんて真っ白な空間なんだろう。

 周りには物なんてなく、地平線があるかもわからない。

 

 いつからだろう? 私がここにいるのは。

 

 空っぽな空間――そんな中心で真っ白な人がいる。

 

 いつからだろう? 私がここで膝を抱える様になったのは。

 

 真っ白な空間の中……人が過ぎ去っていく。

 そこに。三人組の女の子達がクスクスと笑い声が聞こえる。

「ともぼっちに関わるな。友達がいなくなるぞ~」

 その真っ黒な人は、キャハハと笑い去って消えて行く。

「アイツを見るな……関わったらイジメ問題とかめんどくさいぞ? 俺は御免だ」

「親も何も言って来ないなら問題ないだろう。勝手に何処かで自殺しても『イジメは知らなかった』って言い張ればいい」

 一人だけじゃない。 黒い人達は入れ替わる度に次々と聞こえる声。

 俯くまま……私は周りを見渡す。


 冷たい目のまま黒い人達は笑っていた。


 次第にその声たちは束になって大きな笑い声が私に向けて飛ばしてくる。

 耳を塞げれば、こんな声を聞かなくていいのに。

 ……もうその気力もないよ。

 ああ、そうか。

 私は――ここに居てはいけない存在だったんだ。

 生きてちゃいけない人間なんだ。

 

 なら、ずっとここにいればいい。

 

 静かに座っていれば死んでいると同じ。他人に迷惑かけることなく、暴力されることもいなんだから。

 

 誰も。


 誰一人も、差し伸べる手なんてない。


 誰だって……私に目を向ける事なんてない。


 なら、ずっとここにいればいいさ。

 

 










 ―― もう、楽になろうかな? ――










 

「灯ちゃんッのバカぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 












 ――。

 誰だろう? ……この声?

 ……なんて真っ直ぐなんだ。

 その声に、私の心が揺らいだ様だった。

 ゆっくりと――私は顔を上げてしまった。


 前を流れる黒い人達の中……誰かが走って向かってくる。


 けど。

 その人は「うわぁ!」っと地面に転ばされる。

 すると、一人の黒い人が次第に腹を抱え、指を指して笑いだした。

 釣られるように周りの黒い人達も、転んだ少女に向けて笑いだす。


「いないよ」


 ――――っ!


「いるわけないよ……灯ちゃん」


 その瞳には――真っ直ぐな光を放ちながら。


 涙を流す私を見つめていた。










 ☆ ☆ ☆

 










「――いないよ」

 

 目を見開き、灯はただ白子を見つめていた。


「――いるわけ、ないよ」



 正さなきゃいけない。



「辛い思いでいっぱいで、泣いている子が……生きてて悪い人なんているわけないッ!」


 そうだ……当たり前じゃないか。

 そんな当たり前な事が考えられない。そこまで心が闇へ落とされているなら、助けられない理由なんてない。

 

 そっと、盤上から一つの駒を撮み上げた。

 ゆっくり、それは覚悟。

 目の前の対局相手に、その駒を持つ手を突き出した。




 涙で、頬が真っ赤に腫れた……友達に向けて。





「戦おう――灯ちゃん」





 鋭い眼光が、決意と共に拓く!

 




「もう迷わないよ。灯ちゃんを助けるまで――盤上ここでは決して私の白旗は揚げないっ!」


 

 

 自分の体を、覆う様に両手で。




「うわぁぁぁぁァァァァァッッッッーー!!」

 悲痛の叫び声が再び大きく響き渡った。

 ビキっ、と。亀裂が走ると同時、瓦礫の一部が落下……次々と落ち始め、古びた巨大十字架の崩壊が進む。

 再び揺れる最中、この屋敷の『壊れる物』が無差別に崩壊されていく。

 普通なら、『怖い』『逃げたい』と思っても仕方ない。この状況なら普通に思うことだろう。

 










 ――だが。










「 当った 」

 










 その瞳から――真っ直ぐな光を輝かせ。

 白子だけは、無邪気な笑みを見せつけている。

 

 ある白駒を、素早く置く。

 それは今――灯の駒を初めて奪った事を表している。




「なんで……なんで駒が置けるの!? 普通なら置けないはずなのに……っ!?」

 そう、灯が戸惑うのも無理はないだろう。 

 以前の心が揺らぐ白子ならば、簡単に『壊れる物』として考えが崩壊されている。本来なら置けないはずだろう。

 ――だが、今は違う。

 その白旗は、もう『迷う』意味を持たない。今ここで棚引くその『決意』の旗は誰も折る事は出来ない。

 





 決して『壊れる』ことはない――強い意志を掲げているのだから!








『灯様。残り制限時間が一分を――』

「黙れェェッ! ……分かってる…………分かってるからそれ以上口に出さないでェっ!」





 心を取り乱す灯は……ナイトの駒を、b5に置かれる。

 


 思わず白子の口元には。ニカっと笑みを浮べて。

「慌てたね。灯ちゃん」

「……それがどうしたの? 盤上を見てよ。駒数も、戦場も一目瞭然……この意味がわかるでしょ?」


 白駒はわずか7駒。内、クイーンの駒がない状態。

 一方、黒駒は11駒。内……クイーンの駒は存在している。

 クイーンが有無かで戦場はどれだけ有利かが証明される。攻め手にとっては必須のクイーンの駒……それがないと言う事は、攻め手をほぼ失ったとも言える。

 傍から見れば……戦力面では天と地の差が開いてるこの状況下だ。

「今更一手ミスした所でこの戦場が崩れることはない。そう……いい加減諦めて、降参した方が早」「わかった」





 言葉を遮り、白子は『その駒』を掴んだ。

 




                 ――じゃあ――。

 






             「  ここから四つ取るよ  」






 ……一瞬の事だった。

 一つの駒が、無残にも盤上から消え去り。

 その呆気のなさに、灯の頬に一粒の汗が流れ落ちる。

 何が起こったのか? ……今、どうなったんだ? っと、いくつもの疑問が頭を横切り理解が追いつかずにいる様だった。

 白子が手に取ったのはナイト。

 ただ……それだけを動かし。


 それは灯が動かした駒……クイーンの駒が盤上を去ったのだ。


「私はナイトを、f5! これで」

 ――。

 一つ、また黒駒が消え去っている。

 


「ビショップ――f5へ」



 ……腕の震えが止まらない。

 戸惑う様子も見せない堂々とした一手、迷うことなく置いたその姿に驚く表情を隠し切れない。

 この状況は異状すぎる。

 何よりも置いた瞬間、既に駒が取られている事も異状だ。

 灯は別に考え無しに置いたわけではない。十何先を手読んでの選択そのまま通れば、いつもの灯なら勝利も当たり前のルートだ。

 ……だが。

 白子は、その一手で全ての計算を崩したのだ。

 まるで――すべてが分かってたかの様に。

「わ、私は…………ビショップを、b4に置い――」

「ナイトをG5へっ!」

「ッ!?」

 反撃の手は緩めない。

 ここに動かせばここ。

 ここに置いたならここ。

 既に灯の手を読み取り……いや、置いてけぼりにして。

 灯でも見えない……十天王ですら読めない遥か先を読み、白子は読み動かしているだけだ。


 ――誰にもわからない、何百手先を読み越して。

 



「……ポーンを、C5に」

 震える手で何とか置くも、生きた心地はしない。

 恐らく、灯も気づいているだろう。

 もはや互角所の話ではない、と。

 駒数。戦場。そして優勢が……全てが逆転している事に、

 



「これで――やっと互角だよ」

「あっ……ああ…………ああっ……ッッ!!」

 

 何千対局した歴史で、灯が絶望の一歩手前まで追い込まれた事はなかっただろう。 

 だが、初めて追い込まれ感じた……これが絶望の一歩手前だ。

 頭の中でよぎる『負ける』という恐怖が、体がむしばんでいく感覚に襲われる……もう心の限界だった。


 灯は今、泣き叫ぼうと息を吸い――。


 

「いつまでそうやって泣き叫ぶつもりなの」



 目線を外さない。

 

 

 真っ直ぐな瞳を揺るがぬまま、ただ灯を真剣に見つめて。


「灯ちゃんはもう気付いているはずだよ。叫んだ所で、今の私の思考は壊せないと言う事。それと、灯ちゃんの過去も壊せないと言う事も」

「……なによ強気になって。説教でも始めるの……?」





「灯ちゃんは自分を信じてない」



 思いもよらない言葉に……灯は黙った。


 

「……自信がなかった私も、自分を信じるのが怖かった。私のすること、私が選択したことが全部『間違い』なんじゃないかって……いつも不安で怖かった」

 保育園からずっと……ただ夕陽ちゃんだけを信じて歩いてきた。



「私達のような自信がない人は……他人を信じてしまう。

 他人の言葉全部が『正しい』って聞こえて、

 だから他人を信じて」

 

「……で、何? 結局は他人を信じた私が悪いって事を言いたいだけでしょ? そんなこと……そんな事は一番自分がわかって!」

「そうじゃないッッ!」


「他人を信じた事が悪いんじゃないっ! 誰だって最初は自信がなくて誰かを信じるとこから始める……むしろ、生まれて初めて最初に信じた人が『自分』なんって人はいないよ」


「けどもし……いつか信じてた人から心ない言葉を言われるかもしれない。嘘をつかれて酷い目に合うかもしれない――その時が、自分を信じるタイミングなんだよ」

「……なによ………………何が言いたいのよ!?」



「私が言いたのは――他人を信じたら、いつか今度は自分を信じなきゃいけない日が来るんだよ! 一番信じなきゃいけない――『人』をっ!!」



「灯ちゃんは『死ね』って言われて、それが『正しい』って思うの? 何で『間違い』だって思わないの? それは自分を信じてないから……自分を信じてればそんな事を『正しい』なんて思わない!」



「そしていつか自分を信じられたら、灯ちゃんは見つけられる……本物の友達を」

「っ!!」



 でも……分かってる。



「今の灯ちゃんに、自分を信じろって言われても難しいかもしれない……一人じゃ厳しくて大変な事だと思う」

  


 ……だったら。



「だったら私が灯ちゃんを信じさせてあげる! 私を【信じる】私で、灯ちゃんを【信じる】心を私は【信じ】続ける! 灯ちゃんの【信じる】心が私を【信じる】まで――ずっと【信じ】てあげるっ!」


 




「私達が『本物ともだち』って思える時まで――私は【信じる】よ」


 


 心が大きく揺れる。

 灯は今迄感じなかった心も、思いを……生まれてくる感覚に怯えているのだろう。


 髪で隠れたその瞳から……一滴の涙を頬を濡らし。



 そして白子は確信した。……だから、その瞳を信じて問いかける。 

 








「灯ちゃん――君はどうしたい?」

 







 無言で下を向く彼女へと、白子は真っ直ぐと見つめ。








「もう一度だけ聞くよ――君は、どうしたいの?」







 ……なんて過酷な質問なんだろう。

 灯の気持ちを考えれば、他にだって優しい問いかけも言葉もあったはずだ。塞ぎようにない辛い気持ちが溢れる中。今にも壊れかけようとしている彼女ならなおさらもっとあったはずだ。

 

 けど、それでは灯の心には届かない。

 



 厳しい言葉だろうと。灯に、心に、白子の言葉を届けなければなんの意味もない。

 とても大きな賭けだと言う事はわかっている。

 失敗すれば、また心を閉ざしてしまうかもしれない――でも。

 それでも【信じる】。

 私が知る。『今』の灯ならきっと言ってくれる。

 その言葉を言ってくれる、確信があるのだから!

 ――だって。










 瞳のその奥先に、誰よりも優しい光を今浮べているのだから。











 灰色に染まっていた瞳はもうそこにはない。

 ……灯の、瞳からまた一滴の雫を落ちる。

 また一滴と……雫が零れ、黒駒達を濡らしていた。




「…………助けて」



「誰をッ?」



「っ……私を」




「誰に! 助けを求めてるのか言わなきゃわからないよ!?」 




 ――――コトンっ。

 置いた駒を、その手から離して。

 ……この部屋に、すすり泣く声が響き渡る。

 対局相手から、その声が聞こえる。

 くしゃくしゃな顔で、灯は真っ直ぐ前を向いて。 

 今も辛そうに大粒の涙を零しながら。

 口元を歪ませ……涙交じりの声が……今。

 





「 私を助けてっ、――白子ちゃん 」







 

 ああ、その言葉だ。





 待ってたよ――その言葉。

 どれだけ待ったかなんて関係ない。

 涙交じりに言ったその一言を、聞き逃すわけがない。





 だから、今度は私の番だ。






 なんの迷いもなく、白子は一つの駒へ手を伸ばし、そして。

 一つの駒を――天に掲げる。

 












「待っててね? ここから七歩進んで助けに行くよ」

 












 その駒を――直に、盤上へとルークを叩き置く。

 すると、スライドする様に真っ直ぐその奥先へ伸ばし進める。

 ルークが進む道に、邪魔する物などない。だからこそ出来る、だからこそ可能なこの一撃に全てを乗せて進むんだ。

 大切な友達が待つ――その場所に向かってっ!

 

 そうだ、もっとだ。

 

 もっともっと。

 もっともっともっともっと。

 もっともっともっともっともっともっともっともっと!


 その奥に届け――私の『想いコマ』よッ!!

 

「と ど けぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇェェェェッッ!!」


 ☆  ☆ ☆

 

 ……今、決着した。

 理解に追いつけずまま。茫然と灯は前を見つめ、信じがたい状況だと言わざるを得なかった。

 エンドラインに聳え立つ一つの白駒。それは、全ての終わりを表している。

 その子の口元には……ニコっと、無邪気な笑みを浮べ。

 ただ一言。これだけを言い残す。

 











             「 バックランクメイト 」

 













 バックランクメイト……その技には聞き覚えがある。

 上級者でも見落としやすく、守る駒を疎かにすれば決まってしまう。

 それはまさしく、必殺の一手とも言える一撃だった。


 しかし、問題はそこじゃない。

 灯の部屋で白子と初めて会った頃の事。

 その時の白子は、確かにこう言っていた……。


 『私は、まだチェスは二週間前に始めたばかりだよ』。


 そう。あの言葉が事実なら……バックランクメイトで決める事なんて不可能なんだ。

 そんな不確定要素の駒運びを、わずか始めて二週間の初心者が容易く出来る事じゃない。


 彼女は……何者なんだ……と?


「灯様! そこからお逃げくださいッ!」

「え?」

 上を見上げたその時――巨大な岩が迫っていた。

 恐らく、崩壊を続けていた岩が崩れた影響だ。

 岩は既に落下していて、すぐ目の前までと迫っている。

 逃げようとするも……いや、既に遅かった。

 反応が追いつかないまま、もう岩は目の前。

 目を閉じた時に……私は死を悟った。


 ――その一瞬。


 巨大な岩は灯が居た位置へと直撃しチェス盤ごと下敷きになっている。

 ……私は無事だった。

 覆いかぶさる様に、その人は私の上で

 

「大丈夫だった……灯ちゃん?」

 痛さを我慢してか、ぎこちない笑みを浮かべて。

 左足を見れば、どうやら岩に少し当たったのか……大量の出血を地面に流れている。



「なんで――なんで私なんかを助けるのッッ!?」



 ――あれ。 何を言ってるの?



「貴方を退学させようとして、最低な私を、どうしてそんな馬鹿みたい助けて何なの? 何が目的なのっ!? ハッキリいいなよッ!!」




 違う。こんなこと言いたくない……なのに、口が勝手に。




「裏切るんだ……アナタも私を裏切って」




 やめて……もうやめて!




「どうでもいい私なんかを助けないでよ……私なんて消えてしまえばいい人間なのにっ!!」




 これ以上……言わないで!





「私なんて、私なんて! 私なんて私なんてここから消えてしまえばッ――」

 

 その一瞬に、言葉を失う。

 

 

 ……温もりを感じた。

 


 

「また戦えるね」

 



 屈たけのない笑いを浮かべて……その子は言う。 




「また、一緒にチェスが出来るねっ!」




 ……ああ、これだったんだ。

 この真っ直ぐな声が、私を救ってくれたんだ。

 

 この人が私に、【信じる】心をくれたんだ。

 


 そうだ……こんな人こそが上に行くんだ。


 私が知らないチェスの頂点まで、その先まで。


 どの言葉から言っていいわらないけど。


 今の気持ちを伝えたい。

 

 だから、今精一杯の言葉で伝えよう。

 





 ……ありがとう。

 





「助けてくれてっ……ありがとう……白子ちゃんっ!」

 

 何かに囚われていた。その鎖が外されたかのように白子に抱きつき。

 しがみつく様に泣いていた。


 


「灯ちゃん。私、どうしても連れていきたい所があるの」

 そうだ……約束を守らなければいけない。

 ……でも。

 学校に行く勇気なんて……私にはまだ。

「今からショッピングモール行こうよ!」

「…………はっ?」

 待って。学校じゃないの?

 そのつもりで白子は戦っていたはず……何故、ショッピングモールに?

「いいけど……私、服はこれしかないから。…………このままで行くよ? 白子ちゃんも一緒に変な目で見られても知らないよ?」

 予め、そう告げて。

 でも白子は嫌がる様子なんて一切見せず、笑顔をで答えた。

 



「私、そう言うの気にしない方の人なんで――安心してください」

 






 ☆ ☆ ☆



 

 木更津市市内では有名らしい、あの巨大ショッピングモールに来た。


 執事の車で向かおうとしたが、タイミングが悪く。車が交渉したばかりで修理中だったらしい。

 白子も慌てて。何故か「14時までに行きたい!」と、ずっとそれだけを言って……まさかバスに乗ってまだ向かうとは思わなかった。

 

 なんとか14時の3分前に来た事はいいが……。

「…………な、なにここ? 周り子供だけしかいない…………白子ちゃん、そろそろ何しに来たか教えてくれても」

「ごめんなさいっ……もう少しだけ、」

店内ではなく、外に設置されたステージ前の広場に来ていた。



そして外に設置された大きな時計が今――14時を指した。




「 マ ジ カ ル レ ン ジ ャ ー っ ! 」


子供達の掛け声が響いた時――。

 

するとステージ中央から煙が噴射され……その煙から。

4回転近くのバク転で……あのヒーロー達が着地する。


愛の魔法を信じる桃色のヒーロー マジカルピンク。


勇気の魔法を信じる黄色のヒーロー マジカルイエロー。


夢の魔法を信じる青のヒーロー マジカルブルー。



そして――友情の魔法を信じる赤のヒーロー マジカルレッド!



「今日はスペシャルショー! 過去に人気を誇った伝説のレンジャーたちに来てもらったよ皆~! さあレッド? あの決め台詞、言ってあげてちょうだい!」

 お姉さんのフリに答えかのように……。


 マジカルレッドが言う。


「皆! 初めて会うお前達に、魔法の言葉を教えてやる!

 

【信じる】と言う魔法がある限り、俺達はどんなピンチでも駆けつけるぜ! 

だから、君の友を信じる様に」




「君の中の【信じる】魔法を捨てないでくれ!」


「よっ! 待ってましたよ~マジカルレッド~!」


 ――――っ。


 懐かしいその声が聞こえ、私は振り返る。


 何年ぶりの再会だろうか……。


 上手く言葉が表せず戸惑ってしまう。


 けど……初めて会った時と変わらずに、のほほんとした声で……。


 彼女は言った。


「久しぶりトモちゃん~」




「……久しぶりっ! 蛍っ!」



 それからはもう最高の時間だった。



 マジカルレッドが敵を倒す度、小学生の時のように声援を送って。


 

 そんな夢のような時間はすぐに経って。



 ヒーローショーは幕を閉じた。







 ☆ ☆ ☆






 蛍と別れ、少し経った頃。

 





 誰も居なくなった広場の前。

 そこでまだ白子と灯はいた。


 空っぽのステージを……何故か見上げながら。


「今日は……凄く楽しかった…………久しぶりの外で、ちょっと吐きそうだったけど」

 吐きそうだったんですか!?

 ……しかし、確かに人が多く集まる場所に連れてきてしまったのは……少し反省していた。

「けど。外に出るのって……気持ちがいいね」









「ありがとう白子ちゃん。私を外に連れ出してくれて……本当に、ありが」






























 バシャっ!

 







 灯の髪の毛から……何滴ものの液体が落ち滴る。

 コーラと思わせる液体が灯の制服に全身浴び。誰かにかけられびしょ濡れ状態。






 

 カラになったコップを持って三人の女子高生が――奴らが立っていた。





「アっハッハッハッハッハッ! 汚ねぇ奴がいるなって思ったら、まさかのお前とか超笑えるわぁー!」



 見覚えのあるその姿に……白子は震える。


 よりにもよって……一番合ってはいけない人物に。




「久しぶりじゃねーかよ――トモボッチ」



「アリ、ナ……ちゃん?」

 

 まずいッ! 

 この状況は最悪だ……早く、灯を逃がさなきゃいけなかった。 

 しかし――それは叶わず。

「逃げンなよぉともぼっちッ!? ちょっと遊び付き合う時間ぐらいあるだろぉ~――ナァッ!!」

「オイオイまじか! 中学の制服とか何年前? 未練ありすぎて脱げなかったんでちゅかー??」

 強引に灯の手を掴み、真音が力強く押さえ。


 そいつら二人……真音と捲子がニヤニヤと笑い。


 逃げようと暴れる灯の両腕を掴むと……二人で押さえつけられ。

 




「私さぁ……優等生様って勉強とか人間関係でストレス溜まっちゃってさイライラしてたのよ~。けどラッキー♪ 劣等生のともぼっちがいてくれて嬉しいですよ」






「――ストレス発散に、丁度いい『物』があって……さ♪」







 すると、距離を少しとり……。

 







「さぁ~てまず一発っ♪ ――気合入れろぉッッ!」


 その距離から助走をつけ、振りかざした拳を。

 灯の頬に向け……撃ち込まれる。……その寸前。







「 『 ―――――――――っ! 』 」







 

 その声を。



 言葉を。



 私は聞いた。



 なのに……。



 

 灯の頬向けて、容赦ない拳が打ち込まれた。

 

 髪を掴み上げ、何回も顔をぶん殴り……加減もなく、鈍い音が響きわたる。

「ッオラァ~、気合が足ンねぇーッッぞ!」

 ――ドンッ! と……足蹴りで腹に入り込み。

 地面に倒れ……灯は声にならない程に苦しむ声をあげて。

 けど……アリナ達はまた、今度は三人で踏み始める。

 勢いよく力強く背中や頭に……ゲラゲラと楽しむ笑い声の中で……。

 ……灯の頭部から、血が地面を流れる。

 

 助けなくちゃ。


 この場で止められるのは白子だけ。止めなきゃいけないとわかっている。

「真音も捲子も加減するなよ? 遊びは全力でやってこそ面白いンだよオラァァ!」

 ……なのに。

 ただ、白旗を揚げることしかできない。

 目の前の『本物ともだち』を……ただ暴力を振るわれる姿を見て。

 

 涙を流して……茫然と見つめる事しかできなかった。

 

「あ~あ。壊れたらつまんねぇな? でも、もう満足したからいいですね!」

 放り投げ、アリナ達の足元近くに無残に転がされる。


 ……制服姿で倒れる女子高生の異様な姿で。

 ……血が染みり、変色した制服姿で……。

 ……私の『ともだち』が倒れる姿を……。


「はぁ~~~~すっっっっっっっっっっきりしたぁ♪ 今迄のストレス全部ぶつけるってこんなに清々しくて気持ち良いのですね! あ・り・が・と・よ――ともぼっち♪」

 あはは……あはははは!

 アッハッハッハッ! アッハッハッハッハッハッハッ!

 ……ゲスな笑いだけが響く。


 横たわる灯は……その中で、身動きなんて感じなかった。

 光を失った瞳からは、ただ涙が零れている。

「ごめん……ごめんね灯ちゃん」


 最低だ。


「ごめんっ……ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ……!」


 もう彼女は動かない。魂も心も全てを壊され……もうあの笑顔を見ることはできない。

 それなのに……私はただ謝る事しかできないのか?


 私はなんて最低な『ともだち』なんだ。



 この耳で聞いたはずだ。


 彼女の涙交じりの声で、わずかに聞こえたあの言葉。


 私の目を見て、私に求めたあの声をっ。


 あの言葉をっ!!

 

 灯ちゃんが勇気を出して言った――力強く言ったあの言葉をッッ!

 









             ―― 私を助けて! 白子ちゃんッ! ――













                【 敗 北 確 定 】

 






☆ ☆ ☆


 

 

 ――しかし、一度も痛みを感じない。

 恐る恐ると、その瞳を少し開ける。


 灯は…………無傷だった。


 振り向いた……後ろには。




 

 横たわる白子の頬に、赤く腫れた跡が……くっきりと。




「――はぁあ?」



 

 その現状に頭の整理が追いつかないでいる。

 アリナ達も。

 灯さえも。

 

「それだけは……やめて、くれませんか?」

 フラフラな身体を支えるその姿は、もうやっと支えている様にしか見えない。


「灯ちゃんだけっゲホッ……は……やめてくれませんかね?」

「お前興味ねーんだよ。私らはともぼっち甚振って遊びたいの……劣等生は黙ってそこで」 




     「――暴力振るうなんて、なんだか劣等生ぽいっですよね」






 ――その言葉が引き金になったのか。

 

 再び……今度は腹に拳を打ち込み。

 



「今謝ればこの優等生様が許してあげますよ? 白子さんのお得意の謝罪ですよ。ほらっ、土下座でもその持ってる白旗でも揚げて謝れよ」

 苦しんで腹を押さえ……強烈な痛みが襲っている。

 けど……白子は言った。


「――――あげない」


 苦し紛れにでも言った。


「ここでは決して……私の白旗は揚げません」


 ドンっ、と……次は足を腹にねじ込み。


 力強く押し込み……白子の悲痛な叫びが。


「揚げろよ白子? 揚げて楽になれって!」


「――――アゲないッッ!!」



「ここで揚げたらッ――灯ちゃんを裏切る事になる」



 だから揚げないっ。



 白子は揚げないっ!



 大切な――友の為にっ!




















「貴方達だけには――――決してこの白旗だけは揚げませんッッ!」

















 その後も白子は逃げなかった。


 蹴られ殴られ……数十分近く暴力を受け続けた。



 逃げようと思えば何時でも逃げられるはずだ。



 けど逃げない。



 痛みに耐えながら……私を庇って、自ら暴力を受け続けた。

 








 そして――容赦なく、再び一発の蹴りが腹へと叩き込まれる。










「白子ちゃん!?」


 息を荒げて……横たわる白子の頭部から赤い液体が地面を濡らす。






 真っ赤な……血が……。







「もうっやめてぇッ!!」

 震える体を押さえ、白子の元へ慌てて駆け寄り。

 ……ニヤニヤと笑う、アリナ達の前に立ちふさがる。

「アリナちゃん、これ以上やったら……死んじゃうよ」

「死んじゃう~? 何処の誰がですかぁ?」

「……白子ちゃんが、このまま続けたら死んじゃうんだよ!? 」

 

 

「あのさ――最初からその気でやってンだから仕方ないだろ?」



 予想を反し……衝撃の返答が返ってきた。




「白子もお前も……目障りな存在でしかない。ハッキリ言ってウザいんだよ」


「社会のクズ・ゴミ当然の存在よ。そんなゴミが人間様と関わりたいなど何様のつもりって話?」

 意気揚々に喋るアリナはさらに続け。

「みんなと『普通』の行動が出来ようもしない奴に救う価値なんてあります? ないですよね?

 学校社会もお上手に集団行動できない人間は害でしかない。周りと仲良く関係を保てない奴なんて人々の害でしかない。その害だけで、どれだけ周りが迷惑するか、ストレスが溜るか――ともぼっちにはわからないですよね?」

「でも。そんなゴミでも『救ってやってもいいか』と私は思うの。だから仕方なく、私の様な『優等生様』が直々にイジメてやってんのに。そうしたらすぐ被害者になって、まるで私達が加害者の様に扱う――悲しい現実よねぇ?」

 ……顔が上がらない。

 耐えられなくなって、ついに膝を着き……俯いたまま。



「いつだって悪いのは、イジメられる原因を作った本人なんだよ」




 そう、断言する。

 

 聞く限り返答する言葉もなく。


 全てが正論だった。


 





























 

「本当に――それが『正しい』のかな?」









 ボソッと、聞こえた声。

 俯く顔を上げ、その子の顔を……。

 ボロボロな姿で……白子は立ち上がり。

 ただ真っ直ぐ前を見つめ、……アリナを見ている。



「イジメられる原因は誰にだって持ってると思うよ。私にも、灯ちゃんにも――アリナちゃんだって」



「っ!?」

 

 

「けどね? 皆は必死に隠してるんだよ……見せないように、ばれないようにって……」

 









「灯ちゃんは『わからなかった』だけ。……でもね、それで『イジメられる原因を作った人が悪い』ってなるは……おかしいことだと思うよ。私はそれを……一番悪いとは思わない」

 






 









「一番悪いのは。イジメられる原因を持ってる人じゃなくて、?」

 

 









「アリナちゃん。私はここで、自信をもって言える事が……一つあるんだ」








 そっと聞こえた言葉。 




 白子が言ってくれた―ー温もりのある言葉が。




 冷たかった私の胸に――確かに届く。




 ――――灯ちゃん。


 

「――灯ちゃんは、何一つ悪くないんだよ」

 

 その言葉に、いくつ涙をこぼしたことか。


 心に染みり、涙が止まらない。

 

 灯は……泣き続け。


 








「黙れ劣等生がぁぁぁぁァァァァッッ!!」

 喉を引き裂く程に叫び揚げ。

 息を荒げ血走った目が、ただ白子を睨んでいた。

「狂ってるわアンタの頭っ! 『イジメられる奴が何の罪もないです♪』ッッてかァ~? 吐き気がする気持ち悪い顔を散々見せられて、お上手に集団行動も出来ない幼稚がぁ~? 空気も読めないで浮いてる奴がぁ~? 人々にイラつかせる原因を作ってる奴が『何一つ悪くない♪』っなわけねェだろうが!? 劣等生がァ! 優等生気取ってるンじゃないわよォォ!?」

 

 アリナは手持ちのリュックをあさり始め、息を荒げ何かを探している。

 一転。アリナが笑ったように見えた。

 するとリュックを落とし、探していたその物を握りしめていた……。

 手元には…………カッターが握られていた。

「――白子さん。殺しますがいいですね?」



 そのカッターを……長く突き出し。


 

「久しぶりですよ……こんなに怒りを滲み出すのは」

 鼻で笑い、見下ろすように白子達を見つめる……そして。




「よかったですねともぼっち! じゃあ一緒に仲良く――あの世にいっちまええェよォォォォォォォォォッッ!!」


 一瞬で駆け寄り、その距離を一気に縮め。

 

 白子の胸元を掴み上げると……その刃物を持つ手を振りかざった。


 誰か。


 誰でもいいです。

 

 私の事はどうでもいい……助けてください……っ!


 ボロボロになっても、何度も立ち上がって庇ってくれた。

 私の為に守り続けてくれた、この子を……白子ちゃんを助けてください。


 いや――誰でもよくない。


 この世界で一番信じている私の憧れの人。


 そして一番、『私』を最初に救ってくれた人。


 あの時の、絶望していた私を救ってくれた……あの時私に差し伸べてくれたように、今度は私の『ともだち』を助けて。
































             助けて――――っ!



































 直前だった。その一瞬の出来事に全ての時が止まった。



 この町では場違いな動物が、全力疾走で飛び込んで。




 ――――馬が。アリナの頬へ向かって蹴り込まれた。

 




 勢いよく、それは数メートル先まで飛ばされ地面をグルグルと転がり。鈍い音と共に駐車中のクルマに背をぶつけて、そこに倒れ尽す。

 …………。




「な……何してくれてンのかわかってんてだろうな――騎士ィィィィィィィッッ!?」

 



 馬から降り、立ち上がる彼女を。


 無言のまま。ただ騎士は、アリナに鋭い視線を向ける。



「おいおいどうしてくれるんだよッッ! 前歯二本無くなっちまっただろうがッッ!? これじゃ……これじゃ優等生様として拍が立たねェェだろうがぁ!?」

 

 ………………。


「聞いてんのかァ騎士!? 私の前歯二本どうしてくれるんだよ? 鐙家の資産でもそんなしょぼい額で済ませると思って――」

 ――しかし、アリナは言葉が止まる。


 

 息を殺す程の威圧が、殺気が放つ。

 

 騎士の冷たい視線は……ただ、アリナへと向け。


「アリナ――この僕が、たかが前歯二本で許すと思っているのか?」


 その恐怖に。アリナの足は震え手は震え……後ずさりする程。


 でも一歩下がれば……騎士は一歩進む。

 その行為がさらに恐怖を増し、アリナをどん底に追い込む勢いだった。


「大切な白子ちゃんにここまでの瀕死を与え。そして灯にまた手を出した。

――ここまでの行いをして、まさか無事に見逃してもらえると思うかい?」


「警察は既に呼んでいる。……さあ、ここまでの暴力に及び殺人行為……あの名門私立、高飛者高校でも退学は一発だろう」





「アリナ。どちらか選べ」




「素直にここで警察に捕まり今までの罪を許してもらうか? ……今、ここで逃げて罪から逃れるか……選びたまえ」


 付け加えて。


「もし【後者】を選ぶなら――君を地獄の底へ落とすことを誓おう」


 …………。

 アリナは…………鼻で笑う。

 余裕な表情を作り上げ。




「忘れるなよ騎士……この仕返しは、そう遠くもない時に返してやるよ」












「今度は――お前が『的』だ」












 言い残すと同時、アリナ達は閉まるバスに飛び乗り。

 閉まったバスはそのまま走り出し、出口から去って行った。



「き、騎士君……助けてくれてありが――」

 ……その人は、灯の横を過ぎ去って行ってしまう。

 まるで灯に眼中などなく、慌てた表情を浮かべながら。

 後ろを振り向けば。


 動かない白子を抱え……必死で呼びかけている騎士の姿が。


「大丈夫か白子ちゃん!? こんなボロボロになって……白子ちゃん! しっかりするんだ白子ちゃん!!」

 

 ああ……そうなんだと思った。



 本当だったんだ。



 4年の片想いをして、久しぶりに感動の再会を期待していたけど。


 騎士君は――もう白子ちゃんが大好きだったんだ。



 嘘でも何でもない。騎士の真剣な目を見れば、どれだけ本気で彼女を心配してるか身に伝わる。

 

 

「白子ちゃん!! 頼む、起きてくれ……返事をしてくれ! 白子ちゃん!!」

 

 ……そっか。

 

 【十天王】になっても無駄だったんだね。


 虚しいな……この気持ち。


「……灯ちゃ……守らなきゃ……」

 微かに聞こえたその声。

 そこでハっと我に返った。



 そんなこと――今はどうでもいいじゃないかと。



 恋愛なんて今は関係ない……慌てて白子の元へ駆け寄り。




「白子ちゃん…………私は無事だよ? アリナ達はもういないから……もう大丈夫だよ?」 

「…………そう……ですか? …………ならよかったです」



 少し白子が落ち付きを取り戻し。

 

「灯ちゃんを守れて……………………よかったです」

 ……それは、優しかった。

 涙を流して……本当に嬉しそうに泣いてい……心から喜んでいるようで。

 この子は……本気で守ろうとしてくれたんだと。

 こんな……………………私なんかを。




「ねぇ白子ちゃん――私でいいの?」


 



 私も……何でだろうか泣いていた。





「いいの? 私が、友達でいいの……? こんなどんくさくて、こんな可愛くもない私でも……こんな私でいいの?」




「……『いいの?』じゃないよ」




 すると。灯の涙を拭って。

 ――ニッコリと、笑みを浮べ。





「いいんだよ」

 

 

 

「しろ……こ、ちゃ……ッ!!」




 溢れる気持ちが抑えきれない。

 

 暴力を振るわれた小学生の時も。

 明かされた中学の時も。

 

 今までの過酷な事が全てが報われた様だった。

 

 



「また、一緒に遊ぼう……チェスをしよう……ね?」

「うん……うんうんっ!」







 何度も頷いた。

 何度も、何度も頷く。

 








 

 心から信じようと決めた――友達の手を握って。

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