第6話 唐突の出会い

 

 七畳間の空間。

 薄暗いこの中を明るくしてくれるこの豆電球が、唯一この空間を照らす光。


 時刻は九時半を少し過ぎ、まだ母が帰宅するには有り得ない時間帯だ。

 ……だから、少し夜更かししても誰も怒る者はいない。





 折り畳みテーブルには丁度コンパクトサイズの小型テレビが置かれ、貧民特有の『置ける物は何でも置く』という典型的な代表だといつも思う。

 かれこれ一時間と待機状態……トイレに行くほど余裕なんてない。

 数年前、近場の『タナカデンキ』が閉店セールで購入した中古オンボロテレビ。

 当時まだ白子の家にはテレビなどと言う画面が映る高級段ボール品など無縁の存在。 

 このご時世、逆に貧民がテレビ一台持っているだけで珍しく。ほとんどの貧民はテレビを持っていない事が普通の事だ。

 にも拘わらず、今こうして小さいながらもあるこのテレビが未だに信じられず、夢を見ているのでは……と、錯覚してしまうほど。

『葉田』家はきっと、貧民の中でも物凄く幸せの部類に入るだろう。

 これだけは母に感謝しても仕切れない想いで一杯だ。





 しかし。今年に入ってからか所々画面が乱れ、ノイズが出るのも少なくはない……そろそろ限界が近づいてきた気もしなくはない。

 と言うか、そんなことは今どうでもいい!

 愛用の白旗をパタパタと揺らして、白子はテレビ画面から視線がブレる事無く。

 無邪気な子供の様に瞳をキラキラと輝かせ、今か今かとワクワクと待ち望み……そして。

「……あっミカンちゃんだ! ミカンちゃんだぁーー!」

 勢いよく身を乗り出し、思わず白子はテレビ画面へ急接近。

 その距離……わずか小指一本分。

 顔を近づけ、中古オンボロテレビに写し出された光景は……。






 会場内を埋め尽くすおよそ五千万人の観客。

 辺り一面にはオレンジ色に光り出し、鮮やかな景色が広がっている

 その時! スポットライトが照らし出す。

 満員の観客が見守るステージ中央。そこで光を浴びる先……そう、そこには――!







 ――コタツ。

 





 

 

 ポツンと……コタツが置かれている。

 

 






 そのコタツの上に―― 一人の少女。

 ひらひらとしたオレンジ色のドレスコスチュームがスポットライトを浴び、さらに輝きを増して。

 チャームポイントである『雪だるまのヘアピン』が存在感を放ち。

 その女の子はハニカム笑顔を……何万の観客達へと向ける。

 少女は堂々と右手のマイクを握りしめ、高らかと拳をあげ。

 




 綺麗な髪を靡かせ、その女性――アイドルは、ただ一言……。






『――みんな、温まる準備はできてるよねっ!』

 





 ウウぅぅぅぅオオぉぉぉぉォォッ!! 

 まるでライオンの雄叫びを思わせるかの様な声が、こんな深夜9時の小部屋に響き渡る。

「うわぁぁぁぁ可愛いよぉ~! ミカンちゃんがいないコタツなんてコタツじゃないよ~!」

 興奮のあまり、敷かれていた布団の上でジタバタと転がる白子(※現役女子高生)。

『みんっな~! 今日もライブ来てくれてありがとう~! ……あっ、ごめんね。私コタツの上で歌うアイドルで。それで……行儀が悪いことは知ってるけど』

 そのアイドルは、上目遣いで画面に映る。

『ミカンの事、許してくれるぅ?』

「許しちゃう~!」

 夜9時過ぎだと言うのにもかかわらず白子はノリノリだ。愛用の白旗を振って画面越しのアイドルに応えた。

『みんなのその言葉、私信じてたよ! 一曲目は皆に送る元気な歌……だからっ! 聞き逃したりしたら、私泣いちゃうんだから!』

 次第に会場は黄色い声援。

 ファン達の歓声が、今。この小さい部屋の中で響き渡る。

『私のコタツで、皆の心――温めちゃうぞっ♪』

「キャ~~! ミカンちゃん可愛いぃ~~!!」

 

 





 ☆  ☆ ☆






 電車に揺られ、10分近く過ぎた頃だろう。

 ……殺風景な、空間だった。

 通勤ラッシュの時間帯だと言うのに閑散とした車両……その少なさは、まるで空っぽな空間が広がる。

 一つの駅に到着するも、誰も乗車などしない。

 数十秒近くでドアは閉まり。再びゆっくりと……電車は走り出す。

 落ち着いた空間が……ただただ続く。



「――でね? 一発目の曲の『コタツでア・イ・ド・ル♪』はもぅ最高の一言で尽きるよね!? あれ聞いてからは夜も落ち着いて寝れなくてね~。あぁあと! 2番目の『ホットロード』も感動して――」

「3回聞いたわよその話……相変わらず、白子好きよね~『ミカン』の話になると特に」

 白子にとっては唯一の幼なじみであり親友、夕陽は手慣れた様に白子の話を聞き朝食のおにぎりを食べている最中だった。

 その座席には女子高生の……明るい声だけが響く。

 電車に揺られる中……ポツンっと。

 一緒の座席に座る二人だけがこの車両の中にいる。


 町のはずれ。そこに、白子達は住んでいる。

 白子達が住む地域から学校までの距離はそれなりに遠く、決して近い距離ではない。

 電車で木更津駅まで向かって、駅前のバス停。そこに来る奇皇帝高校行きの専用バスまで乗って初めて学校に到着する流れ。

 時間にすると30分……短い時間とは言えない。

 学生貧民達にとってバスと電車は必須の乗り物。これが無くなったら毎日学校まで徒歩生活だ……一時間は裕に超えるだろう。

 そんな地獄が訪れない事を。ただただ願う事しか出来ない……。





『次は~木更津駅、木更津駅、終点になりまぁ~す』





 聞きなれたアナウンスの声で、もう直ぐこの空間との終わりを告げようとしていた。

 それでも他愛のない会話を交わし、二人だけの、このお茶の間な空間が心地よさを感じさせる。

「ほらっ白子? ミカンの話はもぅいいから、早く降りる準備しないと遅れるよ」

「ふふ~ん♪ いつかミカンちゃんに会えたらいいなぁ~♪」

 上機嫌にそんな譫言を呟いて……電車は徐々にスピードを緩め始める。

 窓の外へ眼を向けるとタクシーとバスが行き交う街並みが見え。

 急いで忘れ物を確認する白子は、降りる仕度を始め。

 (この調子で……今日も何事もなく平和な一日になるといいな~)

 心の中で、僅かな望みを掲げる。

 だが。―ー白子達は電車から降りた。

 







 ☆ ☆ ☆






 ――白子達は、大きく開いた口が塞がらなかった。


 門に入る直前……そこから見ても分かる異状な光景だった。

 キャビキャビした声があちこちから飛び交う中、その道を気まずそうに歩く男子の姿も見受けた。

 いや、気まずくなるのも無理はない。だって……。






 両側に……200……。






 まるでそれは。そう、『レッドカーペットを、今からハリウッドスター達が歩く道を心待ちするファンの皆様』と思わせる程の列。

 女子集団列は何処までも綺麗に整列され、白子の肉眼では確認出来ない所まで続いている。

 その道は……下駄箱まで続く勢いで整列されていた。

 門から下駄箱までの距離は150m程。普通の高校にしては長い距離だ。

 それが今は、その列で目を輝かせた女子生徒達が恋人を待つかの様に居座っている。

 白子も夕陽もその異様光景に開いた口など塞がらず、茫然と立ち尽くしかなかった……。

「だ、だれかアイドルとか来るのかな……」

「きっと大物ね。若手俳優かジャミーズ、か……それしか考えたくないわ」

「あっ! もしかしてもしかするとミカンちゃんの登校でッ」

 きっぱり「それはない」と夕陽は断言し、スタスタと歩いて行く。

 確かに辺り一面女子だらけであり、男性ファンが格段に多いミカンちゃんとは考え難い。

 ……でもいいじゃない。少しぐらい、貧民の夢ぐらい見させてあげてよ。

 そんな白子の気持ちも気づくことなく、二人はいつも通り校門を抜け。

 いつも通り、何食わぬ顔で歩く。

「ちょっとそこの女子二人ッ! 邪魔だから、チンタラ歩くなら早く行きなさいよ!」


 ピコーン。夕陽は、立ち止まった。


 ピコーン。夕陽は、ラケットとボールを構えた。


「ちょっー!? 落ち着いて夕陽ちゃん!? 私、白旗振るから謝るからここは素直に謝って謝罪を」

 ――と。言い終える間もなく、身を揺らすほどの地響きと轟音によって白子の声は空しくかき消されてしまった。

 コンクリートなんて関係ない、付近の地面にはヒビが入り何故か湯気を纏ったテニスボールが……深く、地面にめり込んでいた。

 周囲の女子達は、ただ茫然と立ち尽くして『何が起きたのか?』すらあまり理解が追いつけてない状態だった。

「――今言った奴、誰に向かって言ったか答えろ」

 最前列の一人の女子が冷や汗を垂らし、一人の生徒が一歩と後退り。

 不穏な空気の中で、夕陽は爽やかな笑顔で言葉を続けた。

「私に対してなら別に構わない。野次でも罵声でもいくらでも飛ばしてきなって、そこだけは話し合いで解決してやっても構わない」

 ……でもな。

「私の、大切な白子に向かって言うなら話は別だ――」

 すると――表情は一変。

 





「――ブっ潰す」






 その表情はまるで殺意に溢れた……鬼の様な笑みを浮かべて。

「白子に悪口を言うって事は『命はいらない』って事で判断していいのよね? だってそうでしょ。私の大切な友達を侮辱されて、怒らない方が無理って話でしょ?」 

「……夕陽ちゃん?」

「でもね。それでも私の友達を――白子を傷つけるなら容赦はしない。男女問わずにその脳天にスマッシュボール叩き込んでやるわよ! そうよ顔が腫れ様が命乞いしようが何球何発打ち込んでもぅ人としての顔を崩しきって」 

「ユ ウ ヒ ちゃんッッ!!」

「ハッ、どうしたの白子!? まさか誰かに悪口言われたのわかったその人の命を奪って」

「……周り、見て」

 その言葉に不思議そうに首をかしげ、夕陽は周りを見渡した。





 ……辺り一面には白子と、夕陽の二人だけ。

 





 泣きながら、中には悲鳴を上げ逃げ去っていく生徒達もいた。

 恐らく、あまりの恐怖に耐えられず。自然と体が『逃げる』と言う選択を選ばせたのだろう。


 その日。一つの噂がたちまち学校中に広がった。

 全学年、そして教師までもそれを知り……都市伝説まで騒がられた……その内容。


『白子に関わると顔面スマッシュボールの餌食になる』……と。


 そんな大事な噂になる事も。

 夕陽の行動に。呆れかえる今の白子には、まだ知る余地もなかった。

 





 ―――――。

 





 トイレなんて行くべきじゃなかった!


 教科書とノート。それと白旗を掲げ、今にも泣き出しそうな表情を浮かべ、次々と教室の横を走り去っていく。


 白子は今、絶賛『廊下の旅~校舎一周マラソン~』をしているまっ最中だったのだ!

 













 ……ではなく。


 次の授業の移動教室先を見つけ出す為、今は無我夢中で探していた。

 あちこちと教室を見ては次、また次と、息切れするほど慌て。

 時間はまだ……大丈夫。後5分あればなんとかなる。

 目に入った教室の時計を確認した後、すぐさま生徒達の中を駆け抜け去っていく。

 (トイレさえ行かなけば皆と移動だったのに~……まだ何処が何室なんて把握もしてないのにっ!)

 まだ学校全体の場所を把握していないのも仕方ないだろう。

 逆に、何千坪もある場所を入学して一か月も満たない一年生に『把握しろ』という方がどうかしている。

 だが、そんなグチをこぼした所で無駄な事だと分かっているわけで。

 今はともかく、見失った一組達を追いかける事が優先。先程より少し早く、白子は廊下を駆け抜けて行く。

(次は確か。理科室で実験だから……)

 チラっと、目に入った曲がり角。

(こっちだね!)

 スピードなど緩まず、曲がり角を曲がる白子――その先。

 ゴッツン!

「「いっっ痛ぁぁ!?」」

 おでこに強烈な痛みが走る。教科書もノート、後白旗も。

 地べたに広がり……ぐったりと白子は尻餅を着いていた。

 ハっ!? 

「すすす――すみませんッ! こんな人間に当てられても迷惑ですよね最低ですよね!? お願いです見てくださいこの真っ白な白旗をッ! 謝っても許されないのはわかってますけどでもそれでも私が出来るのは白旗を――」

 





「――可愛い」





 ……え?

 思考が停止。その言葉に思わず白子は言葉が止まってしまった。


 ぶつかった衝撃で尻餅をついている――男子生徒。


 まるで毛先一本一本が綺麗に整えられ、爽やかな髪。

 その体勢からでもわかる程、とてもスマートな体型だ。

 白子から見ても、他の女子よりも小顔なんじゃないか? と、思えるほど幼い顔立ちで。だが、キリっとした目元でそこまで幼さを感じさせない。

 よく見れば――完璧な美少年だ。

「ぶつかっても素直に謝れて……ちゃんと頭も下げられて……女の子でそんな事が出来るなんて……なんて教育が出来た子なんだッ!」

 バカにしてるのかな? 

 ぶつぶつ独り言を言う……変わった美少年だった……。

「あの~……何処か、お怪我したところとかありま――きゃ!?」

 万が一の事も恐れ、ぶつかった衝撃で頭のネジが飛んだかもしれない。そう白子は思って、状態を聞こうと手を差し伸べた……。

 ――両手で、熱く握られました。





 それはもう暖かく、包み込む温もりで。





「僕の心配なんてとんでもないっ! 何処か、おケガしたところはないか――マイプリンセス」

「プ……プリンセス? い、いえ。ケガは特にどこも……あのぅ、この手は――」

「よかったぁ……ご無事で、本当によかったぁ……」

 え。待ってそこで号泣するほど?

 涙も鼻水も入れ混じり。顔もくちゃくちゃ……せっかくの美少年が台無しだ……。

「見苦しい姿を見せてすまない……失礼、初対面なのにこんな事を聞く僕を許して欲しい」

 すると……手を差し伸べられ。

 膝を着き、まるで真剣な眼差し状態の美少年は静かに……問いかける。






「マイプリンセス――あなたのお名前を僕に教えて頂けないでしょうか!」





 ……急展展開すぎません?

 少なかれ、正面衝突した直後に聞く流れではないのでは?

 まず。全く見ず知らずの生徒に個人情報を言っていいものか?……しかし名前だけなら。

 ……と、悩んでいた矢先だった。 

 ――キンーコーンカンーコーン。

 ああああぁぁぁぁぁ移動教室の事忘れてたぁぁぁぁ!?

「ごめんなさい! もう時間でこれから授業なので……本当にごめんなさいっ!」

「あっ、まだ名前もッ……!? 何処へ行ってしまうマイプリンセス? 待ってくれマイプリンセス……行かないでくれマイプリンセス――逃げないでくれマイプリンセスぅぅぅぅぅ!」

 何この人怖い。狂気さえ感じる……。

 校内だから良いものの、これが通学路だったら民間人に通報されても当たり前レベルだ。

 チラっと、気になって後ろを振り返る。

 罪悪感には耐えられず、白子は思い立って振り向き「あのっ!」と、慌てた声で呼びかける。

 その言葉に美少年も、俯いていた顔が前を向いた。

「――私、白子と言います! 葉田白子ですっ」

 それだけを言い残し、小走りで白子は廊下を駆け抜け。また曲がった先の階段も駆け上がっていく。

 

 茫然と。美少年はただ立ち尽くしていた。

 今、去っていた少女の面影を名残惜しい目で。

 前だけを、ただ見つめて……。



「白子ちゃん……か。――いい名前だ」



 爽やかな顔で、そこで美少年が微笑んでいた。 









 ☆ ☆ ☆










「し、失礼します……」


 って、誰も居ない。

 それもそのはず……授業が終わってまだ5分経たず、他の部員達が来るにはまだ早い時間帯とも言える。


 今日もまた、壊れた夕陽と束花の鬼ごっこにつき合わせられると思い。

 それを予防として先回りして来たわけだが。

 珍しく。今日は白子ただ一人でチェス部の部室に来ることが出来たのだ。

 辺りを見渡す限りでは、束花の姿も部員達の姿もない。

 誰も部員がいないのも、少し寂しさを感じるが……少し待てば誰かしらは来るだろう。

 一人チェスをして勉強をしているのも良いと思えたが、駆け出しの初心者が調子乗ってやったところで、変に下手な事を覚えてしまったら束花先生に怒られてしまう……。

 (……掃除でもしてよう)

 特にやる事がない、ただボーっとしていても時間の無駄と白子は思った。

 壁に掛けられたほうきを手に取り、白子はいつものように床を掃き始める。

 教卓の下辺りを掃き。

 畳の上も掃き。

 丸テーブルの下辺りにも掃き。

 一通り掃き終わった所で、ソファーに腰を落として。

 少しだけの、一時休憩をする事にした。

 しかし、思い出したように白子は。

 (……窓側のソファーの辺りは掃いてなかったよね)

 休憩はほんの一瞬。

 腰を上げ、思い出した様に白子はもう一つのあるソファーの所へ向かう。

 





 チェス部の部室は極端に広い。

 広さは白子の教室とも変わらず、30人ぐらいは余裕で入る面積だ。

 他の部室に比べれば、断トツで広さはチェス部が一番に違いない。しかしテーブルや座敷やら関係ない物で場所が圧縮され、せっかくの広い面積が狭く感じてしまっている。

 だが。その中でも、特に白子は気になる場所がある。

 窓際に向けられ日差しを受ける……赤いソファー。

 そこは何故か誰も座らず、誰も座ろうともしない……謎の場所。

 普段部員達にこき使われ、あまり近づく機会がなったものの、白子は前々から気になっていた場所だ。

 でも、今は白子ただ一人。こんなチャンスは二度もないだろう。






 …………正直、寝てみたい。






 心地よい日差しに照らされ、きっと暖かい温もりがするはず。あそこで寝てみたいと言う気持ちがどうしても抑えられない。

 いいよね? 一回ぐらい、ちょ~とだけ横になるだけ。

 気づけばもうソファーまでの距離は五歩近くまで迫る。

 して……そのまま寝転がろうとダァァァァァァァァァイブ――。













 を、止めた。










 ――既に、そこには美少女が寝息を立てていた。






 制服を着たまま、それは心地よく寝ているのが緩んだ顔を見ればわかる。 

 ふにゃふにゃと、小さな口を動かし。

 その姿は日向を浴びる子猫を想像させる、そんな可愛げな姿で少女は寝ている。

 しかし白子は少し……違和感を感じた。

 そう。その顔には見覚えがある。

 綺麗に整った顔はこれぞ美少女と代表出来る顔立ち。

 今気づくと、胸ポケットの部分。そこに留めていた物……。

 そのヘアピンを――『雪だるまのヘアピン』を見た瞬間。

 全ての謎が解かれていくよう、まさにアハ体験並の感じ味わったところで妙な違和感に納得した。

 ……つまり。



「なるほど~♪ ミカンちゃんが寝てたんだ♪………………………」

 


 ――時が止まった。

 脳も。体も。顔さえも硬直状態。

 気づくと、思わず離したほうきはそのままバタンっと床に落ちていた。

「ん~~……んっ?」

 白子の存在に気付いたのか。

 体を起こし、白子の顔を。

 ジーっと、ブレを感じさせない。

 綺麗に透き通った瞳が……白子の顔を見通す様に。

 そして、その視線に耐えられることもなく。

「ぎゃぁぁぁごめんなさいっごめんなさいッ!! 誰もいないと思って、つい興味本意でっ! 本当は悪いと思ってましたはい思っていましたぁぁ! 見てぇぇ! 見てくださいこの白旗、負けです敗北です降参です全ては私の欲がいけませんでしたごめんなさいごめんなさいごめんなさい本当にごめんなさいごめんなさい」

 綺麗な土下座を決め、片手には真っ白な白旗がちょこんと掲げられブンっブン揺らして。


 でも。彼女は「ああ~」と、納得した様な声で。


「噂の『白旗の子』ってアナタね……」

「えっ。噂……?」

「あぁごめんね、こっちの話だから気にしないで」

 体を起こし「よっと」と、少女は立ち上がると。

 少し背筋を伸ばし……キョロキョロと、まるで観察するように見られる。

「ふ~~~~ん? 顔も小柄でスタイルも悪くない……身長はちょっと気になるけど、可愛さなら十分ね。君、アイドルになったら案外凄い所まで行けると思うよ」

「い、いえ……ごめんなさいアイドルは見る側の方が好きなので……遠慮だけしときます」

「あはは! 面白い事言うね。まぁ正直アイドルも大変な世界だし、案外普通の学生が一番楽かもね」

 ミカンちゃんによく似た人は色々喋ってくれるが……正直、頭に何も入って来ない。

 そうだ。本物なんてあり得るわけがない……こんな偶然に、しかもチェス部にいるなんて……そんな、偶然が。



「自己紹介がまだだったね。私は二年二組、冬室美香よ……一応、こう見えてもアイドル活動してるのよ」



 脳が停止する白子を置いてけぼりに、ソファーに置かれた学生鞄からゴソゴソとあさり美香は小さなケースを取り出す。

 よくよく見るとそれは名刺ケース。

 美香はそこから一枚の名刺を取り出し「はい」っと、笑みを浮べ白子に差し出す。

 ガタガタと震える手を抑え込み、恐る恐ると名刺を受け取り……確認。






『オタカラプロダクション所属――――ミカン』

 





 触っただけでもわかる、この滑らかでつ丈夫な紙の質。

 仮にこれが偽物にしても、他人を騙すだけにしては手が込み過ぎる。

 つまり……本物の名刺だ。

 ここに書かれた事務所も、ここに書かれた事務所の住所も。






 ここに書かれた――――名前も。






 ほ、本物の……ミカンちゃんが目の前に……。

「こんな頼りない先輩だけどさ、困ったことあったら迷わず私に言ってくれれば力になるから」

 ポンっ、と。

 ミカの綺麗な手先が、白子の肩に手を乗せ。


「まぁーそんなところで、これからよろしく頼むよ白子」





 ……しろ、こ。





 エコーに聞こえる今の言葉。

 今、ミカンちゃんが私の名前を呼んだ?

 国民的アイドルの、大人気アイドルの。

 憧れの、あのミカンちゃんが……私の……名前を……。

「ちょっ、何で涙流してるのこの子ッ!? ボロボロ出てるけど……」

 ダメだ。涙腺が壊れて涙が止まらない……。

「ああもう! そろそろ泣き止んでよ……どうしたら泣き止んでくれるかな~」

「………………サイン」

「え?」

 白子は自分の鞄が置かれた所に戻り、慌ててあさりだす。

 無我夢中で、例のソレを取り出すとすぐさまに美香の所に戻り。

 深く頭を下げ。それを、両手で差し出した。

「この色紙にっ! サインをお願い出来ますか!?」

「……何で、学生鞄に色紙が入ってるのかって聞いてもいい?」

「いつ何処でミカンちゃんに会うかなんて想定出来ません。……しかし万が一、その何処かで会っても後悔しない様に中学時代からコレだけは毎日持ち歩くようにしてたのです」

「そ……そうなんだ……用意周到なのは良い事よね!」

 苦笑いにしてるのは気のせいだろうか……?

 でも、今はそんな事は気にしてられない。

 長年待ち望んだ……憧れの人の……直筆サインが……今手に入るッ!

 


「気持ちは嬉しいけど……事務所がうるさくてさ。『数が多く出回るとサインの価値が下がる』とかの理由で、イベント外でのサインは禁止されてるのよ。悪いね」

 


 そ……そんな。



 三年間思い続けた人が、有り得ない事に今ここに目の前にいる。

 なのに……断られてしまうなんて……。

 まるで、それは灰の様に……白子の体は、命火も消え消衰状態。流れる涙は、新品色紙を濡らして。


「……白子。その色紙ちょっと貸して」

 ……言われるがままに、白子は色紙を差し出し。美香は色紙を手に取った……。

 すると、美香はすらすらとマジックペンを走らせ。

 ……無言のまま。美香からその色紙を受けとると……。

 その色紙には……涙で濡れた跡と共に。

『白子さんへ』と書かれた、ミカンちゃんのサインの可愛い文字が!

 けど……さっきサインは難しいと言ったのに……。

 顔を上げると……美香はニコっと笑みを浮べた。

 人差し指で口を押え、その仕草はまるでテレビでいつも見る、あのミカンちゃんの可愛い仕草そのもので。



「二人だけの秘密だからね? ミカンとの約束だよぉ♪」


 可愛くウィンクした。その姿に――。

「うわぁぁぁぁごめんなさいぃぃっ!! 絶対に! これは一生! ずっとずっと大切に我が家で飾らせて頂きますぅ!!」

「そう言ってくれると嬉しいよ。あと、学校では美香が本名だから、普通に美香って呼んでくれると助か――」

「はいぃ! ミカンちゃん先輩わかりました!!」

「……あはは。まぁ、呼び名なんてどうでもいいか」

 あれ? おかしな事を言ったのかな?

 ……とりあえず、だ。

 夢にまで見た現実が今叶い、もぅ満足状態。

 早く部活も終わって、早速に家に帰り壁に飾りたいと思いを弾ませている。

 すると突然、勢いよくドアが開く音が耳に入った。

 ……目線を向けると。


「ちょぉーす☆」

元気よく声を上げ、挨拶らしき言葉を言い。

そこに……見知らぬ女子生徒がそこにいた。

「……その挨拶、いい加減辞めたら?」

「うっさいわねー。言わせてもらうけど、ミカっちも寝言で『キシぃ……キシぃ』って部室の中で言うのうざいし、まじぃやめてくんない? キッシーは私の幼馴染なんだから」

「私がいつ寝言でキシの名前呼ぶのよ!? ……ありえないから、きっとありえないから……」

 最後の辺りは小さくて聞こえなかったが、突然の訪問者に白子は固まっている。


 着崩れした制服を着こなして、規則など大破りの短めのミニスカートが目立つ。

 化粧も派手目で……いや、全体が派手目な少女が今、あのミカンちゃんと対等に話している事に驚いている。

 その光景を、羨ましそうに見ていると……気が抜けていた瞬間。

「みかっちの寝言は今さらだしどうでもいいけどぉー……誰、あんた?」

 ギロっと、白子の瞳を覗き込まれるよう。

 ジロジロ睨まれる視線に耐えられず。

 白子はその怖い瞳を……避ける事で精一杯だった。

「ちょっと怖がらせてどうするのよ。七色も一応、束花先生から一緒に聞いてたでしょ?」



「……彼女が噂の、あの『白旗の子』よ」



「まじぃ?! こんっなチョー気弱そうな子が、あのタバ子ちゃんが追い込まれたわけ?」

 ……タバ子、ちゃん……? ……ああ束花先生のことか。

 稀に廊下で束花先生が歩いている時「タバ子ちゃん!」と、よく生徒に呼び止められている現場はよく見ていた。

 一応。あんなフリーダム教師でも一部の生徒からの人気はある様で。

 生真面目で大人しい生徒よりも、少しチャラけているかノリの良い生徒に慕われているらしい。

 きっと、このギャル生徒もその慕う一人。あんなテキトーな人の何処がいいのやら……今の白子には理解出来そうにない。




 それにしても……この生徒も、また何処かで見覚えのある顔だ。

 



 記憶を巡らせても思い出せず……ただ、直接会うのはこれが初めてのはず。

 一体……何処で見たんだろう……?

「ちょ、人の顔ジロジロみんなしっ。勝手に見るとかマナーがなってないっていうかぁー、まじぃ最低って感じっしょ」

「あぁぁぁごめんなさいすみません! 別に悪気があったわけでもなく変な目で見ようとしたわけもなくただ疑問に思って見ていたわけでぇ! ……あれ?」





 今、彼女が言った聞き覚えのある言葉……。






 その一言で……全てが繋がる。





 よく廊下を歩いていると、ギャル(生徒)達が廊下の端に座り込んでいる所はよく見る。

 少し苦手……いや怖いと思っている白子は、そこは息を殺し、密かにいつも通っていた。

 その時。チラっと、目を向けた時。

 ……そのギャル達は、同じ雑誌を片手に見ては「かわゆい~」と言ったり。

 それを見てはキャキャと盛り上がっては騒ぎ、表紙を見ては「ナナみんマジ最高って感じショ☆」と。言っていた記憶がある。


 そして……その雑誌に写っていた人物が。

 まさに今、目の前にいる。

「あ……ああッ!? 見たことがありますよ……あの雑誌の、ギャル雑誌の表紙の人! あの空川七色そらかわななみさんっ!!」










 ――に。










「よく似てます」

「『似てる』じゃねーし本人だから!?」



 身を乗り出す程の勢いでツッコミが入ってしまった。

 思わず体が縮こまっていると「まぁまぁ落ち着きなさいって」と、七色を宥めた美香が。

「そうだよ白子。彼女こそ正真正銘の、ギャル雑誌『にゅー・The・スター☆』の専属モデル……二年一組、あの空川七色そらかわななみさんよ」



 どの時代になっても、彼女達を見たことがない……と言う事はないだろう。

 東京……渋谷などでも生息するが、別に珍しい存在でもない。

 そう――それはギャル。

 時代の流行に、まるで波乗りの様に乗っかってファッションもセンスも合わせ、 その『今』の時代に合せ続ける異材の存在。

 中でも今。

 ギャル達の間で誰もが憧れ、尊敬の眼差しを向けられ。

 その人達の中では、『神』と呼ばれるギャル界のカリスマが君臨している。


 ――それが空川七色そらかわななみだ。


 バラエティー番組にも出演数が多く、ギャルだけではなく。一般市民の人達にも知れ渡りもはや知らない人はいないと言ってもいい程。

 それも昨年、番組内でもよく言う言葉……『まじぃ○○って感じっしょ☆』は、なんと流行語大賞を飾り。さらに世間へ知れ渡り、バラエティー番組もさらに出演する様に……まさに今を輝く人気者だ。


 ……そんな人が。まさかのチェス部員だと言う事実。

 改めて、白子は思う事がある。










 この部濃すぎる人が多すぎないか? っと。










「そう言えばキシから聞いたけど、今イギリスのファッションショーにオファー来てるんでしょ? それも、有名なブランド会社から直々に」

「それまじぃナンで今言うの!? チョーまじ意味不ナンですけどぉ」

 ……でも、徐々にモジモジし始め。

「ま……まぁね! まだ時間もチョー余裕あるし? 別に出てもいいかな~っと思ってるけどぉ。だけどついに海外ブランドも私の魅力に気付いてくれた思うと嬉しいっていうか」

 


「――まじ最高って感じっしょ☆」



 ふんっ、と胸を張って言い切る。と、その後もゴニャゴニャと自分を褒め称えていて。

 コチラの存在など忘れ……ただ置いてけぼり状態だ。

「七色は浮き沈み激しい子なのよ。……悪いけど、余りからかわないであげてちょうだい」

「あ、いえ。別にからかったつもりじゃ――」

「機嫌損ねると、すぐ家に帰っちゃうのよねー……午前の授業中でもお構いなく。だから、ちょっと言葉には気を付けてね?」



 小学生ですか……。



 いや、まずギャル様に……と言うか先輩に失礼な発言なんて出来ない。

 有り得ないが、もし誤って機嫌を損ねる事を言ったなら訂正&土下座+白旗で謝罪する覚悟。

 それで関係が悪くなるのは避けたい……と言うか、あまりギャル様を怒らせたくないのが本音だ。

 そんな謎の覚悟を掲げている――時。

 トントン。っと、ノックする音が聞こえ。

 すると、またドアが開く。

 





「失礼する……おや? 七色も美香もいるとは珍しいな」

 ……何故だか、これは聞き覚えのある声を耳にした。

 それも遠い過去でもない……まさに今日。

 午前中にハッキリと記憶に残っている程に。

「久しぶりのチェスだからな……今日は珍しく二人がいるなら、早速対局していこうじゃない――」

 ――と。言いかけた所、美少年はコチラにチラっと目を向け。

 ……視線は重なる。






「「あっ」」






 その瞬間、見覚えのある姿に偶然にも二人は声が重なった形となる。

「おっ? その反応だと、白子はキシの事を知ってるのね」

 美香達はどうやら騎士と言う人の反応に気付いてない、白子一人が驚いた形で捉えられている様だ。

「まぁキシも、この高校じゃあ有名人だから、知らない人はいないのも当然よね。全学年の女子皆から愛され、ついにはファンクラブまで出来る程の人気ぶりなのよ? 忠告しとくけど、キシを好きになったって無駄だし、諦める事をオススメ――」

 ……美香の言葉が、止まった。

 美香と七色には眼中なく、横を当然の如く素通りして。

 その体勢はまさに王子様と思わせる。方膝を着き、目の前の女子生徒だけを見つめて。

 白子の両手は……騎士の両手がガッシリと包まれていた。

「また会えるとは光栄ですマイプリンセス! いや、白子ちゃんと呼ばせてもらいませんか?」

「あ~……どうも、久しぶりです……」

 あっ、出来れば苗字でお願いします~あはは。

 と、頑張って笑顔を見せようと口元だけは上げて笑っているのは自分でもわかる。

「なるほどそういう事でしたか。僕達は端からここで出会う運命だったと……これが運命だと白子ちゃんも思いますよね?」

 ただの偶然だと思うのですけど……。

「この部室に、僕が来ると。先回りして僕を待っていたわけですね」

 部員ですし、部活に来ただけですけど……。

「きっと僕達は前前前世から、君を探してここまで来れたんだと――そう思いませんか!?」

 思い込みが激しい子かな?

 ……誰か早く病院に連れてってあげて。

「申し遅れました。わたくし、二年一組 鐙騎士あぶみきしと申します。以後お見知りおきを」

 騎士は礼儀正しく、深々と頭を下げる――そして。





「マイプリンセス。マイ白子ちゃん。どうかこれから、僕達二人の愛を築いて行こうとは思いませんか?」

 





 ダメだ……これは全部私の責任だ。

 恐らく先程ぶつかった衝撃で脳が可笑しくなってしまったに違いない。

 言葉の一つ一つの意味を間違えず聞いていれば。流石にバカな私でも言葉の意味がわかる。


 ……私の事が……好き?

 

 いやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいやいや絶対にないッ!

 

 生まれてからこの年まで男子と話した事はあるが、そんな恋愛展開になった事など一度もない。

 ……いや、『葉田。次の授業数学だっけ?』『そうだよ』と、これを会話したと言う事に含めていいのか? それすら怪しいのに。

 とにかく。男子に……しかもこんな美少年に好意を寄せられても正直困る。

 今は早く、この人に正直な気持ちを伝えないと――。

 

「キシ?」「きっしー?」

 

 名前を呼ぶと同時――酷く壊れる音に耳を疑った。

 なんということでしょう。チェス盤が真っ二つに割れているじゃありませんか……。

 

「ねぇきっしー? そのちんちくりん女から手を離した方がまじぃいいよ? ……警察に通報する前に」

 どうしよう目がマジだよ……。

 スマホを握った手がプルプル震え、今にも警察に電話する気だ。

「……ダメ。それはダメだってキシ……ロリだけはダメ!」 

 ロリ!? 私これでも高校生ですよ!?

 身長は確かに平均より、すこーし低い事は認めるけど……けどロリじゃないよ。

「確かに……それは一理ある」

「でしょ!? ロリを好きになったって何も良い事なんてない。世間からは『ロリコン』ってバカにされて、社会的に絶望して職にも付けなくなるのよ? もっとさ、スタイル良くて騎士の事を思ってる人を……特にアイドルの様な人を好きになった方が――」

「ロリ……白子ちゃん……ロリ白子ちゃん……それは可愛さが増して最高なんじゃないか!?」

「…………」

 嫌だ。見たくない。

 ミカンちゃんが今にも泣き出しそうな顔、私は見たくない……。 

「二人とも。仲間の僕を心配してくれるその気持ちはありがたい……だが、どうしても聞いて欲しい事が一つある」

 すると。騎士は……天を向いた。






 息を吸い。それをすぅーと抜く様に。






 して、瞼を閉じ――。

 





 その瞳を――くわぁッ、と開く!














「僕は…………白子ちゃんを愛してしまったァァッ!!」














 …………。

 白子を含め、三人の女子達は言葉すら失った。

 

 ……呆れた顔の先輩達も置いてけぼりの状態だ。

 だが。そんな白子達にお構いなく、前触れもなく騎士は語り始めていた。

「僕はわずか16年と生き、数多くの女性をこの目で見てきた。どれもこれも魅力がある女性ばかりさ……ああ、何度心が揺らいだことか……」

 歩きながら語る様に、騎士は過去の想いを聞かせてくる。

「しかし僕は、彼女達の手を握る事はなかった。……特別な好意もない人の手を握るなど、それは相手に対し無礼な行いだ……」

 ――「でも」っと。

 気付くとまた。白子の手を優しく積み込む様に……両手を握られ。

「僕は、今気づかされた……この心のときめき、どきどき、ハーモニーをっ!」

 向けられる眼差しは真剣そのもの……。


「その大切な事を教えてくれたのは。白子ちゃん……誰でもない、君なんだとわかって欲しい!!」


「…………白子? 別に拒絶してもいいのよ? 無理は良くないからその手払い除けなさいってホラ早く」

 ……気のせいか。先ほどからミカンちゃん先輩から殺気を感じてしまう……。

 いや、払い除けたいのは本当だが。

 こんなに熱く握られ熱い視線を向けられると……心理的に、可哀そうで中々離せない。

 ……ああ、誰か……誰でもいい。

 この混沌として状況を解決してくれる人、誰か来てくれはしないでしょうか……。

 なーんて。そんな空しい願いを込めてた……時。

 ガチャ――。





「煩いなぁ……お前ら外まで聞こえたぞー? 騒ぐなら、どっか外に行ってくれ」 



 ああ神よ―ーさらに悪化させる人を増やしてどうする。


 眠そうに、そんなぼやきを口にし。

 気怠そうに、束花もこの混沌とした空間に参戦してしまった。

「なんとグットタイミング! ……失礼。束花先生に一つ、お聞きしたいことがあります」

「はぁ? 騎士……私これでも疲れてんだぞー? 朝のホームルームから帰りのホームルームまで起きてんたがらもぅクタクタなんだー。言うなら手短めに言ってくれー」

 ……起きてるのは普通なのでは?

 それと。その口振りから察するに……朝のホームルーム開始まで寝てたって事に思えるのは私だけだろうか?

 だが、そんなどうでもいい疑問を消し飛ぶ……とんでも発言を口にする。

「先生……我が部に、退?」




((( な に 言 っ て ん だ こ の 人 )))





「別に。特にうちらの部に何にも支障が出ないなら何でもいいぞー」

「なるほど……つまり! 僕がマイプリンセス、白子ちゃんと結婚しても何も問題がないわけですねッ!」

 高校生で結婚は社会的に問題があると思うのですけど。

 先輩、そこはどう配慮するのでしょうか……?

「キシ……つまんないジョークもそろそろ止めな? 私、そろそろ笑顔でいるの疲れてきた」

うっちーも」

「……確かに、美香達にはジョークと捉えしまうのも無理はない……か」





 だがしかぁーーし!!





「僕は本気だ。ここに今、一人レディーを見つけた。そして僕は恋に落ち心から誓った!」

 ――それは素早かった。

 腰に手を回され、まるで男女が二人でダンスをするかを思わせる慣れた手つきで回り。

 気づけば……熱い眼差しがあり。

 そして騎士に抱き抱えられる形で、白子は見つめられていた。

 


「マイプリンセス――白子ちゃんを心から愛そう、と」

 


 ……騎士は果たして気づいているだろうか。

 傍から見てもそれはピリピリと、この距離からでも伝わる。

 ――二人の怒りオーラが駄々洩れ状態の事に。


「あっああの、どうか謝りますから土下座しますから白旗を振るので……は、離してくれるとありが――」

「あぁー! なんっって謙虚なんだマイプリンセスッ! どこまで君は眩しい人なんだ」

 また一人でブツブツと言い始める。

「あのっ……すみません本当に恥ずかしいので、離してくれるとありが」

「恥ずかしがるなんて……なんて可愛い子なんだ君はっ!」

 ダメだ……この状況下で「困惑してる」なんて言える勇気なんてとてもない。

「あの~……私、そんな可愛くないですって……可愛いって言うのはですね、ミカンちゃん先輩や七色先輩の様なスタイルも顔も完璧な人こそ可愛いって……」

「あはは! マイプリンセスはジョークも上手いとは。この騎士、もっと白子ちゃんを好きになってしまう」

 すると。捕まれた顎を……クイっと上げられ。

 美少年の……騎士のクスっとした笑顔を近距離で見せられ。

 ――彼女達の前で、それを騎士は口にしてしまう。

 





「美香も七色にも劣らず……いや、アイツらよりも君が一番可愛いさぁ♡」






 ――ブチっ。

 





「みかっち、まじぃで左まかせる」

「ええ、本気でいかせてもらうわ」


 そう言葉を交わし合い。突然、二人は騎士を挟む形で両端に移動。

 すると。騎士の手を、両手でしっかりと握る。

「お? 今度は何だいきなり手を握るなんて……おいおい、これじゃあまるで両手には」


「 「 引き千切っィてぇやるうッッッッ!! 」 」

「え? お、おおウオぉがががガぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ! うう腕がががががっぁぁぁぁぁぁぁッ!!」


 まさに阿吽の呼吸。

 勢いよく両端から引っ張る二人。

 全力で、それも本気で引き千切ろうとしているのが見ていても分かる。

「ダメだ……こ、このままじゃ抜かれ……ッ! 白子ちゃん! おお僕のマイプリンセスよ助けてくれないか? こ、コイツらを止めアアアアアアアアァァァァ!? ブチってぇ! この状態で今一番出しちゃいけない音出たよぉぉぉぉ!?」

 悲痛の叫びと共に、騎士の腕も悲鳴の声を挙げたようだ。

 そんな白子に今出来ることは……一歩、距離を取ること。

 そして心の中で、ただそっと願いを込めた。


『神様。どうかこの床一面が血の海にならないように』っと。


「騒ぐのは構わないがあんまり散らかすなよー。一年共が集まり次第すぐ始めるから、脳でも柔らかくして待っとけー」

 え?

 さりげなくこの人は何か重大なことを言わなかった?

 一応確認の為、束花に聞いた。

「あのぉ~……これから何が始まるんですか……?」

「え? 何って白子、うちらはチェス部だって事忘れてるのかー?」


 ……いやいや、それをあなたが言いますか? 

 

「新入りを入部早々容赦なくビシバシ指導する奴なんて人の心も分からない馬鹿のやる事だー。部に慣れる為にも緊張をほぐす為にも、まずはレクリエーションが大切って聞くだろうー?」

 

 つまり。

 

「今から二年生共と対局してもらおう――歓迎戦だ」

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