第2話 的外れ


 ショッピングモール事件から翌日の早朝。


 奇皇帝高校のテニスコートは、千葉県内では最も多いとして噂され。その数は計八面。全てが人工芝生コートで作られ、高級感が横並びに広がる。

 ある一面。それはフェンス一番端に、二人の女子生徒は準備運動を終えようとしていた。

「いや~7:00の朝練は、清々しさを感じるわね~。白子もそう感じるでしょ?」

「えッ? わ、私は……涼しさを感じるよ! うんっ凄く、涼しい感じが……右からスーッと」

 ……隣コートでは、全女子部員達がコート一周でランニングしている……している、が。

 先程から、白子達にあまり良い視線を送られてないことはわかっていた。

 夕陽には言えないが、白子の『涼しい』はオブラートに包んでの発言。

 別にドストレートに言っても夕陽は気にしない……が、万に一つ別問題に発展する恐れを予防し、最善の手を打っての言葉を白子は選んだのだ。

 

 さぁ……何故、二人だけ別コートにいるのか?

 これは決してイジメなど言う類には含まれないとだけを付け足して……。

 それは――朝練が始まる直前、夕陽のこの一言からだった。






「喜べ白子! 今日から部活引退するまで、このコート一面は私達専用だ! 嬉しい? 嬉しいか白子~♪」

 





 ……なんと夕陽は、一面を強奪したのだった。

 昨日、それは白子がトイレを探している間。

 夕陽は体験入部に来て早々『男女ベストメンバーに全勝したら一面をよこせ』と要求し、なんとも無茶苦茶な展開になり。

 そして、当然の如く見事賭けに勝利し今に至る。

 ……なんなの。これ以上君臨してどうしたいの?

 いつか全世界さえも君臨してしまうのでは……と、積もる不満も当の本人に言えるわけもなく。

「準備運動も終わったし、軽いラリーでもして、その後試合でもしようか」

「……夕陽ちゃんのボール、一球返すだけで折れちゃうよ」

「悪い悪いッ。ちょっとは加減するからさ、ホラっ。ラケット持って早く打つよ」

 白子は「はいはい」っと、軽い返事を返し、小走りで向かった。

 フェンスに寄りかけたテニスラケット一本分入る程度の小型バック。

(って言っても。加減して169㌔強だよね。……どうやって返してあげればいいのかな)

 そんな、些細な事を考え……ラケットを取り出そうと右腕を伸ばす――が。

 白子の両手には。手錠が、かけられている。






「……手錠?」






 テニスコートでは見かけない、場違いな品物が、何故か自分の腕に。

 しかもそれが……両手に。

「あれ? れれれ?」

 気づくと、両足にも手錠がされていた。

 フワッっと。

 軽く、体が宙に浮くことを感じると、見覚えのある服装が……その人は、米袋をかつぎ上げるように白子を肩に乗せていた。

 思い出すのはそう遅くなかった。

 それは昨日、白子のピンチにトイレを貸し、黒衣を着こなすチェス顧問にして教師……束花だった。

「新入部員。確保よぉーし」

「よぉーしじゃないわッッ!! 誰よ貴方は、不審者? いいや確実に不審者ね……」

 不審者と決めつける夕陽に迷いはなかった。

 仕方なそうに束花は、怠そうに自己紹介を始める事にした。※トーンを少し上げて。

「私、ピチピチピッチ☆現役女子高生、校内一のマドンナー。三年二組の口笛束花よ、以後ヨロシクー☆」

「いやどう見ても三十代後半だろ」


「はぁ? まだ前半だけど? 私の人生ピーク、まだ過ぎてないですけど? ムカつくなーお前、いつか殴るぞ。校長から許可得て左頬殴ってやる」


 夕陽の胸ぐらを掴み上げ、それはもう……鬼の顔をした怖い表情で。

「ってその口振り、アンタ教師でしょ!? テニスの顧問でもない人が白子を捕まえて、アンタいったいどうする気よッ!?」

「お? 直観だけはすぐれてるなーお前。ちなみに、お前テニス部の部員かー?」

「このラケットと黄色ボール持ってる時点で察せないのッ!?」

「おぉー。それは話が早くて助かるー」

 ぽいっ、と。束花は掴みあげていた胸ぐらを離し――。



「コイツ。白子を今日限りで退部させてもらっていいかー?」



 ……。

 凍り付く空気……。


「アンタさぁ……冗談にも限度があるって、全く知らないみたいねぇ」


 束花の顔近くに、ラケットを向けて。

 鋭く、夕陽は睨みつける。

「白子を下しな? これから、私達は新人戦に向けた特訓を始めるの。遊びたいなら、そこで指加えて眺めるザコい先輩方と戯れてなさいよ?」

 ……夕陽から目線を外さずに、束花は黙り込む。

 言い返さない束花に、夕陽さらに続けて言った。

「練習の邪魔だから。どっか行け」

 ハッキリと。それは容赦なく。

 ……場の悪い空気に、白子も、気づけば隣でやっていたテニス部員達も押し黙る。

 ――そして、束花は言った。











「いやーさ? 下半身パンツ一丁の奴がそれ言う?」


「!?」


 瞬時、夕陽は下半身を手で覆うように、慌てて内股で隠していた。

 次第に頬が、真っ赤なリンゴ色になっていくことがわかる。

 身を震わせ閉じた目を……それは覚悟して、下半身を確認。

 チラっ……。

 


 もちろんの事だが……テニススコートを履いている。


「上ッ等ッだゴラぁ!! 胸ぐら掴み回して、グリグリ地面引きずり回してやるから覚悟」

 ……いない。

 怒りをあらわに叫ぶも、そこには白子のラケットが置かれたまま。束花の姿は、そこにはなかった。

「ったく。何よアイツ……さっ。練習始めるよ、まずはラリーでもするか白……」

 ……とてつもない、冷や汗が流れ出る。

 束花が姿を消したなら、その右肩に抱えていた人も当然その姿も消える。

 何故『大切な人』の存在を忘れていたのか?

 忘れていた自分の頬を一発殴ってやりたい……握りしめた拳から、そう感じ取れるように。

「白子!? 何処にいるの白子ぉ! ……白子を返せよバカ教師ぃぃぃぃ!!」

 テニスコートに響き渡る、親友を呼び掛ける夕陽の叫び。

 その声は、空しく晴天の青空へと消え去っていった……。


 □□□ □□□


 ハッ!

 っと、意識を取り戻した白子は慌てて周囲を見渡す。

 ……天井にぶら下がる高級シャンデリア。

 どれもこれも見覚えのある品を確認したところで、ここはチェス部の部室だと理解するのは遅くなかった。

 そしてこれもまた、見覚えのある教卓に座る黒衣を着た女性が頬づえして座っている。

「起きたか白子ー。拉致ってから、あれから随分寝てたぞ? ……5分近くだけど」

「ご、ごめんなさい。私、何で捕えられたのか理解が追いつけなくて……あっ昨日のことで、何か失礼な事をしてしまったでしょうかっ? 白旗が振れるなら振りたいです! 謝りたいですゴメンナサイごめんなさいゴメンナサイ」

 両腕・両足に手錠されても構わず、何とか土下座までの態勢に持ち込み束花に向けて謝り続ける。

 こんな女子高生がいるのかと不思議に思うほど。



「ったく……一々謝ることしか絶対できないのかこの女わァァッッ!!」

「ひぃぃぃ!?」



 勢いよく、チェス盤を蹴り飛ばす音が部内に響き渡る。

 恐る恐る……白子は、その矛先に目を向ける。

 ……真っ赤なロングソファーに、それは太々しく、足組で寝そべる男性の姿が伺える。

「ジャパン総理大臣の子孫は、本当に野蛮で困るざますねぇ~。ティータイムもろくに出来ないざます」

 その奥先に、……一人の少女が、座ってティーカップを口に付けていた。

 髪はロングヘアーだが……染めたような色じゃない、綺麗な金髪が印象深い。

 身長は……小学生? そう捉えても仕方ないほど背が低く、一見、愛くるしい姿だ。

「……」

 そして。何より気になる……アレ。

 部室の隅に畳が敷かれている……畳?

 制服の上に、半被を羽織り……目をつぶるコワモテ顔の少年。

 困惑する白子を、そろそろ助け船を出すかと束花の口が開いた。

「こいつらは部員だー。多少個性が強いが、入部して数日経てば仲良くなるだろう。そこの人間関係は白子にまかせるからよろしくなー」

 ……えっーと。どこからツッコムべきでしょうか神様。

 恐らく聞き間違いだろうとそう信じ、気になったその言葉に問おうと――。

「だ か ら な ぁ ? 女々しくそこで涙ながすなよ?」

 その圧迫感に……悲鳴を忘れた。

 先ほど、ソファーでチェス盤を蹴った……男子生徒だ。

 身長は男子として長身、木更津市内しては珍しい顔立ち、イケメンの部類に入るキッとした顔。

 しかし……目は荒み、その見下ろす目は……恐怖で体が震えていた。

「おおーイジメは見過ごせないなー。それじゃ恐怖政治の父親と同じだぞー……上代かみしろ皇絶こうた






 ぇっ。






「上代ってあの……現在日本の総理大臣、上代強志郎かみしろきょうしろうさんの……子供っ!?」


 上代強史郎。


 総理大臣にして様々な政治活動を全力で取り組み、ヤジもデモも全て、力強い言葉と言動……その全てを駆使して黙らし20年も総理大臣を務めてきた。歴代最大にし恐怖の総理大臣。

「おい」

「うわぁっちょっっと?! 胸ぐらはっ、首が締まって……し、しぬっ……」

「絶対アイツの名前出すな。言ったら殴るぞ絶対」

 殴る以上の事をされてるのですがそれは……?

 と。本音も言えるわけもなく、白子の首は無事解放され。

「話は束花から聞いたざます。……あなたが、今日からわたくし下婢かひでよろしいざますか?」

 するそこへ、あの少女がティーカップを持ったまま。

 見下ろす形で白子の前に立っていた、

「か、かひ?」

「この私。一年一組、王城おうじょうラベンダーの女召使に与えるあだ名。得と光栄に思えざます」

「ちなみに。コイツは他国の王室生まれ本物のお嬢様だー、下手な言葉は気をつけろなー」

 ……本物。

 動揺するも、同じ一年一組と言うことを聞き、あまり慌てずに言葉を進ませた。

「そうなんだ……私も一組だから、これから仲良くしようね――

「……今、何と?」

 え?

「貴方は今、……と?」


 ラベンダーの体は震え……それは恐怖さえ感じ。


 次第に……額に汗が溜まり、白子の手先も尋常じゃない震えが止まらなくなっていた……。


 歯を食いしばり、ラベンダーは……。






 瞬間――両手を天に仰いだ。





「あなたは――なんって良く出来た下婢ざますねぇ~!」


 ――それは予想と反して、とても喜んでおられる。

「ちゃん付け……主に小さい子供だけが呼ばれる愛称♪ 小さくて可憐な、私にピッタリな名誉……あぁ、ステキ!」

「ラベンダー……ちゃん?」

「そうよっ! もっと、して私の小さき可憐な身体を崇めなさいっ」

「かっ、可愛いよラベンダーちゃん! キュートで、体型も小学3年生並の幼い身体! よっミクロっ。世界で一番のチビ助ラベンダーちゃんっ!」

「オホホッ♪ そうでしょそうでしょ~!」

 後半悪口に聞こえたが……本人が喜んでるなら良しとしよう。

 次に褒め称える箇所を見ていると……ラベンダーの手先に注目する。

 これだ。


「ラベンダーちゃんって、爪も長くて綺麗だね~♪」


 バッッシャァ!


「ちょぉぉおおぉぉ!? 目ッがァ!? 目に紅茶掛けられたぁぁ熱いっ熱いぃぃいぃぃ!?」

 何で!?

 褒めたよ!? 

 次々と浮かぶ疑問文を解決せず困惑する中、ラベンダーがその答えを表す。






 物凄く、ゴミクズを見下ろす目で。






「よく聞けざます下婢。小さき可憐な私に『デカい』『長い』『太い』…この三つの言葉は控えとけざます。この言付けは厳守……わかったら返事ざますっ!」

「は、はいっ!」

 ――何だろう? おうち帰りたい。



「お前らあまりイジメるなよー。白子は、今日から新しい仲間なんだからなー」



 ……誰もがその言葉に口を閉じ、束花を見た。

「ほんの数分前に言ったぞー? 『新しい部員確保してくる』って。それが――コイツだ」

 ビシッと、指の矛先をなぞっていく……。

 三名の部員達の目線は一点……白子の顔に合わさった。













 ――へ?









「あの……とても、面白い冗談ですよね!」

「ううん。本気だよ?」

「…………えっーと嬉しい話ですが、もうテニス部に入部してる身なので」

「うん。明日退部すればいいさー」

 ……無慈悲。

「実は私、テニス特待の入部で入ったわけでして……どうしても退部は難し」

「退部しても学校は退学にならないし。その分たった億単位の教材費・学費を全部支払うことになるだけだ。ガンバレー現役女子高生、私も応援するー」

 = 先生は私に学校をやめてと?

 苦笑いを浮べつつ、白子は心の中でツッコミを入れる。

 アルバイトでも一か月休まず働き稼いだ給料でも教材費の一割未満にしか達しない高額費。


 冷静になろう――無理がある。


 さらに言えば、もう一つ白子には入部を拒む理由。

「俺は絶対反対だ駄教師、こんな絶対戦力外の白旗女が来たところで、絶対毎日煩い謝罪声を聞かされる俺の身にもなれ」

「私は別に、忠実に従う下婢が出来て困りませんがねぇ。……ですが、毎日謝られるのも考えものざますが……それは今後、私が責任もって調教して」

 いやいや入部するわけがない。

 約一人は芸を教え込もうとしてるし……。

 ……一瞬、白子はチラッと目を移す。

 隅に座る……あのコワモテ顔の少年に。

「……」

 瞬間、身の危機を察した……。

 それは殺意を感じるギロ目で睨む目……身が震えてしまった。

「アイツは星屑ほしくず穂希ほまれ。今瞑想中? らしいから、あまりちょっかい出すなよ……

一応、極道の組長さんだからなー」


 ――なんっ、だと?


 この木更津はいくつもヤクザの組が存在することは耳にする。

 確かに聞き覚えのある苗字……間違いはない。

 あの木更津の頂点を絞める極道の中の極道――極道星屑組ごくどうほしくずぐみ

 組員も200人越えと噂され、他県の組にいくつも奇襲をかけ崩壊させたなど、星屑組の武勇伝は数えきれない。

 あろうことか……その、組長が、チェス部員で瞑想中……?



 ――改めて思う。このチェス部、色々ヤバい人の集まりだと。



 不満の顔を感じ取ったか……束花は深く、溜息を吐いた。

「そこまで拒むなら、私も仕方ないと思う」

 どうやら諦めてくれる流れ。

 あーよかった。理解がある人で。


「昼休みの屋上、その時チェスで決めよう」


 なーんて、そのような夢の展開は打ち砕かれ。

 しかし。その真剣な口調は白子に限らず、その場の誰もが聞く耳を立てる。

「白子が勝てば、今後卒業するまで勧誘しないことを約束しよう」






 それは――全身が震える。





 束花の『その瞳』が――変わった。





 息が詰まるような……圧迫感を、白子の体を包み込むように……。

「しかし私が勝った時、放課後までにテニス部を退部しチェス部へと入部してもおう。例え、拒み土下座しても白旗振って許しを求めても」


 束花が息を吐くと……そこに、『あの瞳』はなく、消えていた。


「要件はこれで終わるがー……白子、何か質問はあるー?」

 ……。

 左、右と見渡し、――前を向く。





「あのー……どなたか。手錠外してくれると私、とても喜びます」





 □□□ □□□


 青空が広がる……奇皇帝高校の屋上。

 普段授業中においての出入りは禁止。ただし、休み時間の間は自由に開放され。そこで食事をとる生徒や、ボーっと空を眺め平和ボケに浸る生徒と各々と自分の時間をしている。

 珍しく今の時間帯に、束花。

 そして。

 約束の時刻……二人は姿を現す。

「別にいいけどねー。でも、私はパンツ一丁っオマケを呼んだ覚えはないぞー?」

「撤回しろォ! 今ッ! そのッ! 変なあだ名を定着させようとするの!!」

 心から必死に否定し、夕陽は落ち着きを取り取り戻した。


「内容は白子から聞いた……アンタ教師失格ね」


 束花は……目を細めた。

「白子にはね? 『テニスダブルス戦で全国優勝』の一番近い夢があるの。テニス人生を棒に振るバカな決闘に付き合わせる気はない」

 束花は……青空を眺めている。

「この事は全部校長に報告するから。残り少ない教師生活でも楽しめば?」

 そう言い残し「帰るよ白子」と、戸惑う白子の手を引き、屋上出口まで向かっていく。

 











「白子、お前何か見えてるだろー?」











 ……心臓が止まる。

 それは同じく……夕陽も。

「『大よそ3~6分推定、何かしらのアクションでそれが見える』までが私の推測だが――――大体そうだろー?」

「……見えるって、何が?」

「――『未来』だ」


 ……ッ!?


「何よそれ? 馬鹿馬鹿しい冗談なら他で」

「私が聞いてるのはお前じゃない。白子本人に言わせろ」

 苦し紛れの言葉も遮られ……チッっ、と夕陽は舌打ちする。

 ……。

「……言えま……せん」

 …………。

 クスっと笑い、「そっかそっか」と束花は言う……して。


「追加だ――戦わないなら、その『不思議な力』を全生徒に言いふらすー」


「「なっ!?」」

「嘘なら気にすることないだろー? 私が痛い女で終わるだけ、それだけの話だー」


 ――でも。


「真実なら――苦労するのはお前達だけどなー」

 ……その脅迫から、逃げる術は見つからなかった。

 不思議な力は、小学生時代から二人だけで守ってきた秘密。

 下手をすれば……特待入学の取り消しも免れない。 

「戦うなら……許してくれますか?」

 白子の答えは――戦うしかない。

 これが唯一、夕陽を巻き込まない最善の選択。そう判断したからだ。

 白子は、その視線に気づく。


 ……心配な目で見つめる、夕陽の姿を。


「大丈夫だよ夕陽ちゃんっ。何が出来るかわからないけど……私なりに、頑張ってくるよ」

「白子……」

 その言葉に胸を打たれたか。

 目に涙を浮かべ、感動に浸っていた……。

 でも、かったるく頭をかく束花はお構いなし。

「さっさと戦うぞー。時間も少ないし……白子早く対局イスに座れ」

「勝手に進めるなバカ教師ッ! 昨日初めてチェスを触って、初心者の白子と戦うのは不公平よっ!?」

 続けて「こんなの勝負じゃない」と講義する文を入れて。

 そう。白子はチェス初心者だ。

 始めて1~2日程度で勝てる品物ではない。

 んじゃあ……こうしよう。っと、耳を疑うハンデを差し出した。












「私の駒、ポーン全部無しでいいよ」











「……本気で言ってるの?」

「これぐらいのハンデで勝てなきゃ、だてにチェス部の顧問なんてしてないよ」

 傭兵ポーン……攻守共に活躍の場を見せ、他の上級駒の盾として役割も果たす。言わば欠かせない存在。

 それを全部なしでと、束花は言いだした。

 ……白子は、その足取りはおどおどさを感じるも、目の前に座る対局相手の所へ向かい、

 ――対局イスに背を掛けた。

「待ってたぞルーキーよ――戦争ゲームを始めようか」



 すると――『あの瞳』が、再び現れる。



 束花の――光すら感じないが、白子を捉えている。



 それは闘いの始まりを意味している。その事を、白子は感じ取ったようにみえた。

 





 白子の学生人生をかけた、負けられない戦いが始まる。






「……私は、ポーンを前進。e4へ」

「ビショップ移動g2」

 白子はポーンを動かし、それはゲームの始まりを合図した。

 ポーン、ビショップ、ポーン、ナイト、ビショップ……互いに淡々と駒を置き進めていく。

 少し遠く離れた場所、盤上の駒を把握が辛うじて判別できる距離。


 唾を飲み……夕陽は、驚いた顔を隠せない。

 

 駒が8個少ないにも関わらず冷静に、着々と白子のポーンやナイトを削り落としている。

 だが、なによりもう一つ信じがたい光景に目を疑う……。


 白子が、その人へ対等に攻めている事。

 中盤になるにつれた頃……束花に変化が現れる。

 思考する時間が、白子よりも僅かに長くなっている。

 チェスは後半になるに連れ、盤面の展開や相手の戦略を先詠む回数が増えていくことは事実。

 このゲーム、チェスにとっての一手のミスは……敗北。

 それだけあって、一つ一つ明確に。駒の展開を考えて置かなければならない。

 チェスのルールも知らない夕陽。しかし一つだけ、その盤上から感じる物がある。


 白駒が――初心者の白子が、完全に黒駒を押し切っていることを。


 緩みを感じさせない――白子の攻め。

 (あそこに駒を動かして)

 無我夢中に。

 (次はあの駒がここにくるから、裏を見てポーンはここ置いて)

 ……ふとっ、束花は何かに気づいたように。白子の顔に目を移す。



 あの……瞳。



 束花を、後三手まで追い詰めた……『』が!


(そして! ここでこの、ルークをあそこ置いたら――――)
















          【 敗 北 確 定 】















  

 ……でも、一転。

 先程までの瞳は……そこにあった、あの輝きはなかった……。

(まただ……私は勝ちそうだった……ダメっ! ダメダメっ、私、勝っちゃダメだよ)

 それだけは……幼い頃から、決めていた事。

 ――敗北確定したその未来の結末……。







『白子がチェスで負ける』……その未来を。







(落ち着いてよ私。まだ、勝たなくても……この場を解決できる方法がきっと――)

 白子は、ハッと思い出した。

 少し、その続きを観た……その内容を思い出す。



 『必死で白子が謝ると、「考えといてくれ」と告げ、束花は屋上から立ち去る』……。



 ……そうだよ。別に勝たなくてもいいのだ。

(そうだ! 沢山謝ればいいんだ。よかった……これなら勝たなくても、守れるよ……)

 着々とコマを置いていくが、一向に束花の駒を取る気配は感じない。

 ポーンが進み。

 ナイトが取られ……この繰り返し。

 当然のように、白子の駒に真面な駒すら残っていない……。

 黒駒は、完全優位に逆転している……その束花は。







 しかめっ面で――チェス盤を見下ろしていた……。






 ――これでいいよ。


 そうさ……いつものことだ。


 負けたら謝る、ひたすら謝ろう……。


 平和に終るなら、ただそれだけでいい……。












         そのほうが、平和に終わるよ。

  











「やめるわ」

 ……呆れた声が、屋上でポツリと。

「あーやめやめ、こんな無駄な時間過ごしたのいつぶりだろうなー。スゲー損した気分だわー」

「は……はぁ!? どういう意味よそれッ! この闘いはアンタが提案して――」

「今シリアスシーンだ、パンツ一丁オマケは黙れ」

 その言葉……酷く冷たい声に、夕陽は押し黙ってしまう。

 かったるく席を立ち……そこから、去っていく……。

 その卓上……『盤上』から……。

 茫然と。その背中を見詰めることしが出来ない……白子にも目もくれずに……。

 ……屋上出入り口前で、ふとっ束花はその足を止める……。

 ……。






「期待外れだ」






 たった一言。

 それを言い残し、束花は屋上から立ち去っていく。

「……」

 何が起こって、どうなっているのか。

 理解が追いつけない白子は……ただそこで。

 茫然と、そのイスに座っていることしかできなかった……。














 しかし一方。

 その一部始終を、物陰から監視していた……最悪の不良が見ていることも知らずに。


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