亡国の花 アリエノール・ペンドラゴン
ブリトニア騎士王国では現在、空前の『紋章試合』ブームが巻き起こっていた。
この国はかつて七つの王国が林立し、互いに覇権を争っていた戦乱の地だった。
その中で騎士たちは戦場の華として脚光を浴びていたのだ。
煌びやかな鎧に身を包み、長大な槍を持って、矢を跳ね返し敵陣を食い破る。
その姿は勇壮にして優美で、見る者に鮮烈な印象を与えた。
しかし七王国の一つブリトニア王国が六王国を併呑し統一を果たした時、彼らはその存在意義を失った。戦う相手がいなくなったのだ。
この国の身分制度は単純で、大きく分けて三つの身分がある。
『耕す者』『祈る者』『戦う者』だ。
大多数を占める『耕す者』が穀物を育てすべての人の胃袋を支えた。
少数の『祈る者』は溢れる英知で、病や災厄を防ぎ、知識を伝えた。
更に少数の『戦う者』は二つの身分の者たちをまとめて外部の敵から守り戦った。
騎士とは『戦う者』の象徴だ。
しかし長く続いた戦乱が終わると騎士は戦う相手がいなくなった。
世界は広く、未だに他の民族が住む国や戦乱の絶えない国は多くあるが、ブリトニア騎士王国は外海に囲まれた島国で、国がまとまったことで外敵がいなくなったのだ。
そんな時、騎士の訓練項目でもあった騎乗槍試合が見世物として注目され始めた。
訓練のために行われた試合を商売っ気の強い領主が大会形式にして、客を動員したのだ。
そしてそれが大当たりした。
娯楽に飢えていた人々は大会に集まり、勇壮に戦う騎士たちを肴におおいに飲んで騒いで、金を使った。
見世物にされた騎士も、戦う場所をなくして燻らせていた闘争心を満たす手段として槍試合の大会を歓迎した。領地を持つような騎士ならともかく領主に仕えるだけの騎士は平時において肩身が狭いのだ。
『祈る者』である教会の関係者はこの大会に反対した。あまりにも野蛮で享楽的な見世物だからだ。
しかし、得てしてそういうモノこそ人々を熱狂させるのであった。
槍試合はどんどん規模が大きく、開催回数が増えエスカレートしていった。
そして遂には騎士同士が互いの紋章を賭け金にして賭け試合を始めたのだ。
この国において紋章はただその騎士の身分を証明するだけではない。
紋章にはその騎士に与えられた領地、勲章、爵位をあらわすものなのだ。
いわば騎士が騎士として在ることを証明する証だ。
そんな大切なモノを賭け金にする。
これはさすがに教会だけでなく、貴族の間でも賛否が分かれた。
それはそうだろう、領地の保有というのは国内の戦力バランスでもあるのだ。
それが試合結果によってコロコロ変わったのでは危なっかしくて仕方がない。
当然禁止されると思われた紋章を賭けた試合だが、信じられないことに当時の王は賭けにルールを作り、容認する方向で調整した。
一つ、自らが領主として采配を振るっている領地の紋章は賭けられない。
二つ、伯爵以上の爵位を賭けることは出来ない。
三つ、紋章のやり取りをする際には紋章官を通さなければならない。
この三つの原則を柱にしつつ、そのルールは詳細多岐に渡った。
『紋章試合』と名前を改めてルールを整えられたソレは継続されることになった。
多くの反対を退けて強引に決定できたのは、決めたのが七王国を纏めた建国王だからこそという事情もあった。
これが世襲によって跡を継いだ現国王だったら無理だったに違いない。
そして王家側にも戦乱の終結によってあぶれた騎士たちをおとなしくさせる、という目的があった。
領地のない騎士が争いを求めてかつての七王国のどこかの勢力に組して再び国を割るような動きになることを警戒したのだ。
様々な思惑で始まった『紋章試合』は多くの民衆に歓迎され、またたく間にブリトニア中に広まっていった。
誕生から十年以上たってもその熱狂は醒めることなく、いまや名だたる領主は『紋章試合』用の騎士を召抱えるのがステータスになるほどだった。
現在のブリトニア騎士王国は、その名の通りに多くの騎士がいる。しかしそれはほとんどが『紋章試合』でしか戦わない『戦う者』たちであった。
◇
新緑を運ぶ風が彼の頬を撫でて、こげ茶色の髪をなびかせる。
そのまま彼は髪をくしゃくしゃとかき回す。ヘルムで髪が押しつぶされて気持ち悪かったのだ。
癖っ毛で犬のようだ、といわれているだけに整えることには無頓着であった。
彼の目の前には古ぼけた城がある。
ブリトニア王国コーンウォール公爵領ティンタジェル城、それがこの城の名前だ。
かつてこの地がコーンウォール王国と呼ばれた時代に建てられた最古の城で、伝説の騎士王アルトリウス・ペンドラゴンの居城として有名な城だ。
まだ戦乱の時代に建てられた城なので華美さはなく、実用一点張りの砦と言ってもいいような無骨な城。近代的な城と比べると工法も古く、部屋の数も他の城と比べると少ない。
なによりそこかしこに老朽化の跡が見えていて、有体に言ってボロい。
しかし彼は存外この苔むした城が気に入っていた。
城門をくぐると馬小屋に入れるために下馬して手綱を引いた。この馬はウィリアムが小さい頃から騎乗していた馬だ。
もう二十歳になる老馬で人間なら七十歳ぐらいの年齢だ。
たった一回、全力の『
そんな老馬を優しく撫でながらゆっくりと先導して馬小屋にいれて、水のみに新鮮な井戸水を汲んでやる。
目を細めておいしそうに水を飲む老馬を見ながら、手綱を棚にしまう。
こうした細々とした仕事は『
ウィリアムはまだ十四歳、年齢的には『楯持ち』だ。
本来なら騎乗して戦う事などありえない。
しかし現在この城にはウィリアムを導く先輩騎士がおらず、『楯持ち』の仕事をしながら『騎士』のように戦うというおかしな状況になっている。
馬小屋から出ると、城の中から人影が飛び出してくるのが見えた。
新緑のような鮮やかなドレスを纏った女性だ。
ウィリアムよりも頭ひとつ大きな身長だが、女性としては平均的な身長で腕や腰は引き締まっている。
反対に胸や腰は豊かで柔らかな曲線を描いているのがドレス越しでもよく分かった。
背中まで伸びた黄金色の髪は緩くウェーブを描き弾むたびにキラキラと光を反射して、まるで朝日にきらめく麦畑のようであった。
やや古臭いデザインのドレスだが、年代物の服に負けない気品が滲み出しており、そんなドレスですらも着こなしている。
しかし一箇所だけ違和感があった、左手側の袖が無いのだ。
千切れているというわけではなく、元々袖だけ独立した作りで二の腕から手首までを覆うような袖なのだが、右手側にはあるが左手側にはなかった。
女性は満面の笑みを浮かべてウィリアムに駆け寄ってくる。
顔の造作はどの角度から見ても粗が見えないほど整っており、ともすると冷たい印象も与えかねないほどの美貌だ。
しかし今はまるで無垢な子供のような素直な笑みを浮かべていた。
女性は速度を落とさずに両手を広げて、ウィリアムの頭をその豊かな胸元に抱き寄せる。
白磁のような白く滑らかな肌が眼前に迫る。
「お帰りなさい、ウィル! 大丈夫だった?」
「…………むぐぅ」
愛称が呼ばれると同時に柔らかな感触に包まれた。
返事をしようにもウィルの顔は大きな二つの果実のような胸に挟まれた。
柔らかい上に甘く香るその果実に悪酔いそうになる。
「一方的かつ完璧に、ぐうの音も出ないほどパーフェクトに勝ったのは見てたけど。どこか怪我しなかった? 手首を捻ったりしてない?」
ウィルが目を白黒させている間にも女性は矢継ぎ早に口を開き、抱き寄せたウィルの頭を撫で回す。
慈しむように、というよりは飼い犬にするようなワシワシと乱暴な撫で方だ。
「……アリエル、苦しいよ」
ウィルはアリエルと呼んだ美しい令嬢のたわわな胸元から脱出して抗議する。
思春期真っ盛りのウィルにとってアリエルの過剰とも言えるスキンシップは色々な感情が湧いてきそうだが、姉弟同然に育ったのでいつまでも甘やかしが過ぎる姉のような感覚だ。
まだ気恥ずかしさの方が勝っている。
これが本当の姉弟ならもう少し怒って振り払う事も出来たのだが、アリエルはウィルにとって仕える主人でもあるのでそこまで邪険には出来ない。
それが分かっているアリエルは抵抗の弱いウィルを捕まえたまま、嬉しそうに乱れた犬のようなクセ毛を撫でている。
「ゴメンねウィル、面倒な相手を任せちゃって。お爺様のお葬式が終わってからはあんな連中ばっかりで嫌になるわね」
アリエルはうんざりした様子でため息をつくと右手の中指に嵌った指輪を見た。
その指輪にはこの地を治める者の紋章である翼を広げた一頭の竜の意匠が施されている。
この指輪は封蝋をする際のシグネットリングにもなっており、これを持つ者がすなわちこの地の領主である証でもある。
つまりアリエノール・コーンウォール・ペンドラゴン、彼女こそこの地コーンウォール公爵領の領主なのだ。
その血筋はかつてこの地にあったペンドラゴン王家に連なる正統な王女である。
コーンウォール王国はかつてこのブリトニアあった七つの王国のひとつであり、最古の王国なのだ。
始祖王は伝説に語られる騎士王アルトリウスであった。
またこの地に生きるブリトン人はかつて北方に去った妖精族ピクト人と古来にこの地に流れ着いた神族ダーナ人との混血と言われる種族。
今、ブリトニア王国に多数いるアンゲル人やサクソン人よりも古くからこの地にいた。
そうした事情により、公爵領として名前が変わった今でも独立の気風が強く、ブリトニア王国も色々と配慮せざるおえない相手なのだ。
だからこそアリエルのような女領主という存在が許されている。
本来なら女系親族には領地の相続は不可能なので、この点だけを見ても王国はこのコーンウォール公爵領に格別の配慮をしているのが分かる。
しかしそんな公爵領を持つのが、アリエルのような若い未婚の令嬢であるというのは対外的にはひどく隙があるように見えるのだろう。
前領主であったアリエルの祖父が病に倒れて以来、ひっきりなしにアリエルに求婚する者たちが後をたたなかった。
それはそうだろう、アリエルと結婚するということはつまり、この広大なコーンウォールの地の支配者となることと同義だ。
そしてアリエル自身も見た目は完璧な美姫なのだ。
実際はかなりお転婆な娘なのだが、それを知っているのは幸か不幸かウィルと亡くなった両親、祖父だけだ。
最初のうちはアリエルも相手の面子を立てて丁重に断っていたのだが、その対応につけあがったのか段々と相手も強引になってきた。
そこでアリエルが「私の騎士であるウィルに勝てない騎士に嫁ぐつもりはない」と宣言してしまったのだ。
その話がやがて歪めて伝えられて「ウィリアム・ライオスピアを『紋章試合』で倒した騎士はアリエノール・コーンウォール・ペンドラゴンと結婚できる」と変わってしまった。
それ以来、このティンジェル城にはひっきりなしに流浪の騎士が勝負を挑みに来るようになってしまったのだ。
「別にいいよ。アリエルのために戦うの、好きだし」
『
た。
そんなウィルの言葉を聞いてアリエルは童女のような笑みを浮かべる。
「ふふ、嬉しい!」
アリエルはウィルよりも年上の十八歳、この世界においてはすでに結婚していてもおかしくない年齢なのだが、ウィルの前では幼い言動が多い。
「あとこれ、袖ありがとう」
ウィルは左腕に巻かれた袖を丁寧にほどくとアリエルに渡す。
こうして騎士が貴婦人から渡された袖を身に付けて戦うのは、古来よりの作法のひとつだ。
貴婦人は渡した騎士の勝利を願い、騎士は勝利をその貴婦人に捧げる。
「うん、やっぱり騎士は貴婦人のために戦わないとね!」
「貴婦人?」
「なによ~、立派な貴婦人でしょ~」
そう言って子供のように頬を膨らめる様子はとてもではないが貴婦人らしくない。
しかしウィルはアリエルが社交の場に出るとキレイに猫をかぶって貴婦人らしく出来るのも知っている。
祖母であったコーンウォール王妃が『コーンウォールの花』と呼ばれていたのになぞらえて、アリエルは『亡国の花』と呼ばれているのだ。伊達に元王族というわけではない。
「さぁ、疲れたでしょ。早く着替えてお茶にしましょ」
しかしウィルの前ではいつも『年の近い姉』のように振る舞うのだった。
年老いた侍従たちに微笑ましく見守られ、たわいのない話をしながらアリエルに鎧を脱がせてもらうウィル。
本来なら貴婦人がするような事ではないのだが、アリエルが他の者に任せたがらない。
年老いた侍女がしょうがない、という表情で孫でも見るようにしている。
ウィルは自分で剣帯から小剣・短剣を外し、アリエルがタイミングよくウィルの手を取って
それから順番に
次に
腰回りに取り付けられた
最後に
とても面倒な上にひとつひとつのパーツが2~3キロはあるのでそこそこ重労働だ。それでもアリエルはいつも楽しそうに脱がせている。
ウィルは首まわりと肘の内側、脇の部分に鎖帷子のついた武装用のダブレットという上着を脱いだ。まだ幼いながらも引き締まった身体が露わになる。
身体も小さく細身だが、しっかりと彫りの入った筋肉に汗が浮いていた。
すかさずアリエルが目を爛々と輝かせながら濡れた亜麻布を持って近寄ってくる。
しかしウィルはそれを無言で取り上げて自分で身体を拭き始めた。
「もう! なんで最近拭かせてくれないの!」
「自分でやるからいいよ」
「最近ウィルが冷たいわ! そう思うでしょエマ」
アリエルは傍らで苦笑している恰幅の良い乳母に文句を言う。
「姫様、あまり構いすぎると嫌われますよ。この子は犬みたいですけど、猫のような気性してるんですから」
「エマ、それはちょっとひどくない?」
動物扱いされて不満げな顔をするウィル。
しかしエマはそれをきれいに無視した。
「それより
「あら、そうなの? 何かしら」
アリエルは未練がましくウィルの身体を見ていたが、諦めて部屋を後にする。
エマをはじめ侍女たちはそんな二人の様子に微笑みを浮かべていた。
ティンタジェル城ではいつもの光景だ。
かつて蔓延した流行り病のせいでティンタジェル城には人が少ない。
前領主であったアリエルの祖父が率先して対処したおかげで領内の被害は最小限に抑えられたが、その代わりに対処に動いた者達が軒並み発病し、死亡してしまったのだ。
もちろん後進は育っているのだが、そうした者達は領主亡きあとの領地を安定化させるために各地へと散っていてこの城には残っていない。
今この城にいるのは前領主の時代に働いていて引退した者達がアリエルのために、と戻ってきて働いているのだ。そんな者たちにとって、アリエルも、ウィルも主人や騎士というよりは子供や孫に等しい存在だ。
両親を病で亡くしたアリエルとウィルにとって、この城は家と言える場所だった。
ウィルはそんなこのティンタジェル城が気に入っている。
姉のような主人に、祖父母のような使用人たち、まるで揺り籠の中にいるような生活。
これが今のウィルの持つすべてだった。
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