騎士王の紋章官~キング・オブ・アームズ~

ふゆせ哲史

1章 騎士王への道

誇りのない騎士 ウィリアム・ライオスピア


 ズドッズドドッ、リズミカルな轟音を立てて大地が震動する。

 高速で泳ぐマグロのように滑らかな動きで一対の黒い影が互いに距離を縮めていった。


 影は騎乗した兵士、いわゆる騎士であった。

 双方の手には二メートルにも及ぶ長大な槍ランスが握られていた。

 陽の光に銀色の光を反射する互いの槍の先端には王冠のような形をした木製のキャップが取り付けられている。これが殺し合いではなく、騎乗槍試合である証拠だ。


 それをまっすぐ相手に向けて、脇に挟むようにして片手で掴んでいる。槍の柄は胴鎧に付けられたランスレストという槍を固定する金具の上に乗っていた。


 角を突きあうカジキマグロのようだ。


 二騎のうち身体の大きな騎士は、槍を持つのとは反対の手に手綱を握り、腕には五十センチ四方ほどの大きさの楯が装着していた。その楯には猪の頭が皿の上に乗せられた紋章が描いてある。

 一見すると立派な騎士姿だが、楯はところどころ凹み、錆付いている。また鎧も同じくでこぼこで錆びや汚れが浮いているので、よく見るとみすぼらしい。


 もう片方の騎士は反対に小さな体躯だった。

 鎧は錆びや汚れなどなくキチンと手入れされたモノだが、骨董品とも言えるような古いデザインの鎧だった。左手に手綱を握っているが、腕に楯は装着していない。

 代わりに左の腕鎧には絹製の黄色いスカーフのようなモノが巻かれていた。


 二人の騎士の距離が詰まってくる。

 大きな騎士は小さな騎士に当たるように大胆に槍先を向けた。

 騎士同士の槍の突き合いでは、槍は上手く的に向かって向けるだけで突き出したりはしない。高速で走っている中で武器を動かすと難易度が跳ね上がるからだ。

 むしろ騎乗した相手に槍を当てるように向けるだけでもかなり技術が必要になる。大きな騎士の攻撃は実力かまぐれかは分からないがタイミングは完璧だった。


 相対する小さな騎士の槍先もぴたりと大きな騎士の胸めがけて伸びている。

 このまま衝突すれば双方の槍が同時に命中するだろう。

 ただし、大きな騎士の槍は小さな騎士の胸鎧に当たるが、小さな騎士の槍は大きな騎士の楯に阻まれてしまう。


 それが分かっているのだろう、大きな騎士はヘルムの中で口元を緩めた。

 互いの槍先は突き刺さらないように王冠型のカバーが付いていて、鎧に直撃しても貫通することはない。


 しかしだからといって安全かというとそうではない。

 これほどの速度で槍に突かれれば頑丈な板金鎧を着ていても骨折しかねない。

 そして何より、その衝撃によって落馬すれば最悪の場合、首の骨を折って即死してしまうのだ。


 まさに命の危機だ。


 だというのに小さな騎士は動揺することなく落ち着いていた。

 目の前に迫る槍に怯えることなく、滑らかな動作で槍を向ける。


 そして信じられないことに、伸びてくる槍の下から槍を合わせた。

 二人の距離が詰まる瞬間、小さな騎士の槍は大きな騎士の槍をガイド代わりにして真っ直ぐに胴鎧に向かい、反対に大きな騎士の槍は小さな騎士の槍に絡めとられるように槍先を逸らしていった。


 大きな騎士がその様子に驚いている間にも槍は迫り、胴鎧に命中する寸前にその槍先が跳ね上がった。


 カアァァン!


 鐘を鳴らしたような音が辺りに響き渡った。


 何事もなかったようにすれ違う二騎。


 槍を高々と掲げて走り去る小さな騎士。

 大きな騎士はヘルムが無くなり、バランスを崩して持っていた槍を取り落とした。そのままよたよたと馬上でふらつくと、ボテっと落馬する。

 同時に小さな騎士の槍にヘルムが降ってきてすっぽりとはまった。

 ヘルムの片側を正確に突き、まるでペットボトルの蓋を開けるように捻り飛ばしたのだ、槍の上でヘルムはその勢いのままカラカラ回っている。


「だ、旦那ぁ!」


 薄汚れた格好をした小男が倒れた大きな騎士に駆け寄った。

 騎士鎧は一人で脱ぎ着するのが非常に困難な代物だ。それゆえに騎士はたいてい侍従を連れている。普通は『楯持ちスクワイア』という騎士見習いなのだが、この大きな騎士が連れいている小男はまるで物乞いのような身なりだった。


 小男がモタモタとうつぶせに倒れた大きな騎士をひっくり返す。

 ヘルムの下の顔は髭面の山賊ような顔立ちの中年だった。顔にはヘルムが無理に脱げたことによる擦り傷が出来ているが、それだけだ。


 普通に顔面に突きを受けたのなら痣の一つも出来るのだが、それも一切ない。

 それだけ小さな騎士の技術が卓越している証だ。

 悪態をつく大きな騎士の横にヘルムが放り落とされた。


「約束通りにここから出てって貰うよ」


 小さな騎士は槍を下ろして騎乗したまま大きな騎士の山賊面を見ていた。

 大きな騎士はしばらく呆然としていたが、状況が飲み込めると小さな騎士を見上げて顔を真っ赤に染めて立ち上がった。


「……なんで、テメェみたいなのが騎士見習いなんだよ」


 大きな騎士は小さな騎士が見習いと知っていて勝負を挑んだのだ。見習いならば楽勝だ、と慢心して。しかし実際は一人前の騎士を上回るような腕前だった。

 完全に八つ当たりだが、文句のひとつも言いたくなるのだろう。


「仕方ないだろ、俺を叙勲してくれる人が急死したんだ」

「これ程の腕を持ってんだ。あの女を手籠めにして領地を分捕るぐらいワケないだろ!」


 怒鳴る山賊面を眺めて、小さな騎士はヘルムの面頬を上にあげた。

 カシャと顔を覆っていたバイザー部分があがり、不思議そうな表情をした少年の顔が現れた。

 いまだに幼さの残る顔だちで、その瞳は深い湖のように澄んでいた。


「それがアンタの『誇りモットー』?」


 少年はそう言うと持っていた槍で大きな騎士の楯を軽く突いた。

 大きな騎士は急に楯を小突かれ、バランスを崩して尻餅をついた。

 そこには皿に盛った猪の頭の紋章が描かれており、下の巻物状の図案、『スクロール』の中に『全てを手に入れる』と書かれていた。


「そ、そうだ! 俺は欲しいものは全て手に入れ――」


 大きな騎士は立ちあがり、声高に主張したが、少年に槍を向けられて沈黙した。


「そ、悪いけど、今回は諦めて」


 少年の瞳に剣呑な光が宿る。槍頭は正確に大きな騎士の喉元を狙っていた。


 もちろん槍先には王冠型のカバーが付いているので、このまま突いても喉を貫かれることはない。だが貫通しない、というだけだ。ヘルムもない喉を突かれて無事に済むはずがない。

 大きな騎士は吐きかけた言葉をごくりと飲み込んだ。


「も、も、もちろんだ。今回は俺の負けだ、潔く立ち去る。だ、だから……」

「ならいいよ、さっさと行って。鎧も馬もいらない」


 少年の言葉に大きな騎士が訝しげな顔をする。

 こうした決闘では勝者は敗者の鎧や馬、剣などを奪う権利があるのだ。

 しかし少年は大きな騎士の鎧を見てため息をついた。


「そんな錆だらけの鎧いらないよ、馬も逃げちゃってるし。紋章官がいないから紋章も奪えないしね」


 少年の言葉に大きな騎士は自分が落馬した場所を振り向いた。

 そこには既に愛馬は居らず、慌てて視線を巡らせると離れた位置でこちらを見ていた。

 男の愛馬は小馬鹿にするようにいななくといきなり走り出してしまった。


「こ、こらっ! 待て! 待たんかっ、ロシナンテ!」


 大きな騎士は鎧を脱ぐのも忘れてガッチャガッチャと音を立てて馬を追って走り出した。板金鎧の総重量は30~40kgと重たいものだが、全身に満遍なく重量がかかっているために意外と走ることも出来るのだ。


 まぁ、それを差し引いてもそのまま走り続ける大きな騎士の体力はずば抜けていると言えるかもしれない。『楯持ちスクワイア』らしい汚い小男も慌てて主人の後を追って走り始める。

 少年はそんな二人の背中を呆れた目で見ていた。


「逞しいなぁ、『誇りモットー』があるからかなぁ」


 何も持っていない左手を見てため息をつく。

 そこには楯は無く、当然のように紋章も巻物もない。

 あるのは腕に巻かれたスカーフ、いや女性モノの袖だけだ。


 振り返って城門を見上げると、見張り台の上でこちらを見ている女性が見えた。

 女性は少年に気づくとぶんぶんと手を振った。

 少年はそれに応えるように袖の付いた左手を大きく振った。


「……俺の『誇りモットー』って何だろうな……」


 小さな騎士見習いの少年、ウィリアム=ライオスピアは呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る