円卓の聖騎士ランスロット・ホーリーナイト



 ウィルは珍しく勝利の余韻に浸っていた。

 いつもは勝ってもそれほど感慨はわかない。

 戦う前から勝つだろうと思っているからだ。


 しかし今回は違う、勝てるかどうか本当に分からない戦い。

 そして訓練の際には連戦連敗した相手だ。

 喜びもひとしおだ。


「やれやれ、まさか『螺旋槍』だけでなく『自在盾』まで習得するとは思わなんだわ」


 ウィルが顔を上げると、角杯を片手にもったガウェインがいた。

 試合が終わったばかりだというのに、既に何杯か飲んだような赤ら顔だ。


「じっちゃん、もう飲んでるの?」


 その姿にウィルの余韻は吹っ飛んでしまう。

 せっかく勝ったのだから、相手にはもう少し悔しそうにして欲しいのだ。

 そんなウィルの気持ちが届いたのか、ガウェインは寂しそうな顔をした。


「ふん、祝い酒じゃ。小僧の、いや、騎士ウィリアムの勝利を祝ってな」


 しんみりとそういうガウェイン。

 ようやくウィルを一人の騎士として認めてくれたのだ。


 などと感動したいところなのだが、ウィルは呆れた顔をした。


「……じっちゃん。適当に理由つけて飲みたいだけでしょ?」

「ぬははは、そういうことにしておけばいいんじゃよ」


 上機嫌に笑うとぐびり、と角杯をあおる。


「しかし実際よくやったわ。予定では儂が『螺旋槍』を、ランスロが『自在盾』を実戦の中で教える予定だったのだがな」

「バラしちゃっていいわけ?」


 隣にいるロジェは驚いた表情を浮かべる。

 ガウェインは、にっ、と笑みを見せる。


「構わんさ。もう試合のルールでならウィルとランスロは互角じゃ。あとは互いに全力で戦うだけだからの」


 試合のルールでは、と前置きされたのは負け惜しみではない。

 実際に試合でなくルールのない実戦であったのならガウェインに負けていただろう。

 それほどまでにウィルと老騎士たちとでは実戦経験の差が大きいのだ。


「これで儂の役目は終わりじゃ、あとは高見の見物とさせてもらおうかの」


 機嫌よく笑ってガウェインは去っていく。

 とっとと馬から降りて観客席の地元老人たちに混ざる姿は、とても先ほどまで凄まじい威圧を放っていた騎士とは思えない。

 あっという間に酒盛りを始めている。


 そんなガウェインと入れ違いで騎乗したランスロットがウィルの元へと現れた。

 白銀の鎧を身に纏い、兜を外して涼やかな笑みを浮かべる姿に周りの女性たちがうっとりとしている。

 しかしその笑みの奥には鋭い気迫がこめられていて、ウィルの背筋に冷や汗が流れた。


「アリエノール・ペンドラゴン様はコーンウォール領の公爵だ」


 ランスロットはいきなりそう言ってくる。

 その声音は真剣で、いつも以上の厳しさがあった。

 ウィルも居住まいを正して、ランスロットに向き合う。


「その隣に立つということは、我ら円卓の騎士の主になる、という事でもある」

「――っ! なんでそれを!」


 ランスロットの言葉に、ウィルは顔を真っ赤にする。

 鷹狩りの時のことを思い出したのだ。

 そんなウィルにランスロットは呆れた顔をする。


「お前の気持ちなど、みんな知っておるわい」


 ウィルの隣でロジェまでもがうんうんと頷いている。

 それを見てますます恥ずかしくなった。


「ともあれ、姫様の隣に立つなら儂らを従えるだけの力を示せ」


 単純にアリエルの隣に立ちたい、と願ったがアリエルは普通の女性ではない。


 この場合、普通でないというのは、平民ではなく貴族である、ということではなく。

 公爵令嬢ではなく、公爵である、ということだ。

 公爵令嬢であるならば、その伴侶となる者には相続権が発生するだけだ。


 しかし女性公爵の伴侶となると、話は違ってくる。

 相続ではなく、所有権が女性公爵からその伴侶に移るのだ。

 書類上はあくまでも代理として領地を支配する権利が与えられるだけで、相続もその女性との子供の方が上位にくるのだが、離婚しない限りは所有しているのと変わらない。


 つまり、アリエルの隣に立つ、すなわち結婚するということは、コーンウォール公爵となるということと等しい。

 そして円卓騎士団はコーンウォール公爵に仕える騎士たちである。 


「ウィリアム・ライオスピア卿、我らの主にふさわしいか否か、このランスロット・ホーリーナイトが見極める」


 ランスロットは一方的に宣言すると去っていった。

 ウィルはその背中をじっと見つめていた。

 

                    ◇


 再び試合場の整備などの準備による休憩を挟んで決勝戦が行われた。

 観客席には溢れんばかりの人がいる。

 決勝戦を見逃すまいと多くの人が集まってきたのだ。


 ウィルが入場門をくぐると大きな歓声があがる。

 貴賓席の方を見るとアリエルとサラがこちらを見ている。

 サラは不安そうな表情をしているが、アリエルは力強い視線を向けてくる。


 ウィルは二人に向かって手をあげて応える。

 正面を見ると反対の入場門から白銀の騎士が現れた。

 ランスロットだ。


 いままでの試合と違い、既に兜をかぶり観客席の方には見向きもしない。

 ただひたすらにウィルを見つめていた。

 その強い視線を受けながら、ウィルは兜のバイザーを下ろす。


 視界が狭くなり、世界にランスロットとウィルだけが存在するような気持ちになる。

 見えているのはお互いの姿だけだ。


 二人は審判の合図を見ることなく、同時に走り出した。


 ウィルはただ真っ直ぐにランスロットを見ていた。


 そして同時に槍を構えて、『螺旋槍』の準備に入る。


 ガウェインの時と違って二人のタイミングはピッタリ同じだった。


 鏡写しのようにまったく同じタイミングで、まったく同じ技を放つ。


 そしてまったく同じようにそれを『自在盾』でいなした。


 カン、と小さな音だけが響き、ウィルとランスロットはすれ違う。


 互いの木槍は折れず、砕けず、その手元に残った。


 二人が入場門に戻る間、観客席はずっとざわめいていた。


 凄まじい勢いで激突したはずなのに、とても小さな音だけ響いて、互いの武器が砕けていないのが不思議なのだ。

 

 螺旋槍は相手の防御を貫く技術だが、試合においては自在盾の方が有利に働く。

 そもそも自在盾は相手の攻撃をこれ以上ないほどのピンポイントのタイミングでいなすことで、盾の強度に関係なく防御をする技術だ。

 普通の戦いなら、常にバラバラに襲い掛かる攻撃を自在盾で防ぐのは神業に等しく、現実的ではない。


 しかしこれが紋章試合となると状況は変わる。

 紋章試合において攻撃のタイミングはある程度決まっている。

 

 互いに馬を走らせて交差の瞬間に突くのだから当然だろう。

 そしてそのタイミングをベストのものに近づければ近づけるほど、それは一点に収束していく。つまり読みやすいのだ。


 タイミングが分かっているのならそれを防ぐのは容易い。


 結果としてどちらもポイントできずに引き分けになったのだが、ウィルはこの結果に少し感動していた。

 ほんの少し前にランスロットとの間の技術差に愕然としていたのに、たった二つの技術を習得しただけでその差が埋まったのだ。


 槍の技術という大枠で考えるとまだまだランスロットには適わないだろう。

 しかし紋章試合という限定した場に限って言えば、追いつくことが出来たのだ。


 これが応用の力なのか、とウィルは自らの手を見た。


 再び入場門に戻ったウィルはロジェに槍を渡して、新しい槍を受け取る。

 槍自体は折れたり、砕けたりしていないが、目に見えない亀裂などが入っている可能性もあるので一回毎に取り替えるのがルールだ。


 ウィルは再び入場門からランスロットを見る。

 互角になったのは嬉しいが、このままでは勝負がつかない。

 螺旋槍も自在盾も最小の力で最大の効果を発揮する技術なので、疲労は少ないのだ。


 あとは精神的な動揺によるミスを待つしかないが、ランスロットにそれは期待できない。

 それにウィルはランスロットを打ち破り円卓の騎士たちを従えるにふさわしいと、その力を示さなければならないのだ。

 相手のミスを待つなどという消極策を取るわけにはいかない。


 ウィルはいままでの試合を思い返す。

 ランスロットはあまたの戦場を駆けた一騎当千の騎士だ。

 その経験は膨大でウィルが敵うものではない。


 しかしこれは紋章試合だ。

 そして紋章試合の経験で言えばウィルの方が多い。

 何しろ見習いの頃からずっとアリエルの為に戦ってきたのだ。

 紋章試合でならウィルもまた一騎当千なのだ。


 今出来ることをすべてやってやる。

 ウィルはそう決意して馬を走らせる。

 

 ランスロットに追いつくために応用の技術を手に入れた。

 ではランスロットを超えるためにはどうしたらいいのか。


 今までの試合の経験と新しく覚えた技術、それらをあわせて新しい技を作る。

 そうすればランスロットを超えることが出来るはずだ。

 

 試合開始の合図を見て、ウィルは駆け出す。


 ランスロットは再び最適なタイミングで螺旋槍を構えた。


 一方でウィルは槍の目標をランスロットの盾に変更する。


 鋼の騎士アロンの戦法を参考に、一番攻撃しやすい盾に集中することで自在盾を失敗させようという作戦だ。


 この作戦は相手をギリギリまでひきつける必要があるので、先にランスロットの螺旋槍がウィルに迫ってきた。

 

 ランスロットも馬鹿正直に同じ攻撃を繰り返してきたわけではない。

 槍先にほんの少し、誘いの動きを入れた虚実の入り混じった突きを放つ。


 自在盾は鉄壁の防御だが、成功させるのが非常に難しい技だ。

 力を使わずタイミングだけでいなすため、ほんの少しタイミングがずれただけで失敗してしまう。


 それ故のフェイントだろう。


 しかしウィルはランスロットの螺旋槍を、問題なくいなす。


 ほんの少し前に習得したばかりの技だが、その根底には鍛え上げた基礎技術がある。


 この程度の揺さぶりで失敗することはない。


 そしてウィルはギリギリまでひきつけてランスロットの盾に螺旋槍を放つ。


 狙いはランスロットの身体ではなく、盾。

 盾を直接狙うことで自在盾を失敗させる狙いだ。


 しかしウィルの右手には宙を突いたような空々しい手応えだけが残る。


 両者は再び槍を折ることなくすれ違った。


 観客席からは、ほう、とため息のような声が漏れた。


 二度目の槍の折れない相打ち、しかもそれが互いに槍を外したなどのミスによるものではなく、互いに槍を折らせずにいなすという高等技術によるもの。


 騎士ですら唸るような技術戦に観客は静かな熱狂に包まれていた。


 一方でウィルは冷静に自在盾の性能を確認していた。


 やはり紋章試合のルールの中では自在盾はかなり強力な防御手段だ。

 よほど防御に支障の出る攻撃を繰り出さない限りは負けないように立ち回ることが可能だ。

 この調子なら色々と試して新技を生み出すまで時間を稼ぐことも可能だろう。


 とはいえ、無限に時間を稼げるわけではない。

 ランスロットもこちらの自在盾を貫こうとしてくるだろうし、螺旋槍・自在盾が少ない力で行使できるとはいえ、体力は消耗する。


 ここからは両者の発想力の勝負となるだろう。

 どちらが先に相手の自在盾を破るのか。


 そこからは一切槍が砕けることのない、ある意味で静かな、そしてある意味では熱い戦いが続いた。

 

 ポイントの上ではガウェインとの試合と同じ展開だが、その内容はまったくの逆だ。

 互いの槍は一本も砕けることなく外れている。

 そして螺旋槍を習得するために少しづつフォームを変えたあの試合と違って、今度は新たな技を生み出すために様々な攻撃を試みる。


 先に状況を動かしたのはランスロットの方だった。

 ランスロットは槍を槍置きランスレストに置かずに手を大きく横に広げ、手首を返す不自然な形で槍を構えた。

 見るといつの間にか手甲をつけていない。

 この無茶な構えをするために外してきたのだろう。


 その妙に手首を捻って外側に突き出した構えから、鋭角に螺旋槍を繰り出してきた。

 

 盾で槍を弾く場合、自分の左側に弾かないと危険だ。

 相手は向かって左側から突いてきているので、右に弾くと自分の身体の前に弾いた槍が来てしまう。

 そうなれば突きを食らわなくてもその槍によって落馬しかねない。


 しかしこの鋭角な螺旋槍は左からというよりはほぼ真横から突かれていて、左側に弾くことが出来ない。

 ウィルは仕方なしにそのままいなさずに盾で受ける。


 盾に伝わる衝撃は小さい。

 それも当然だろう、あれほど崩した構えで放てば力を込めて突くことなど出来ないはずだ。

 しかしウィルの予想は外れ、目の前で槍は小さく砕けた。

 

 まともに螺旋槍を放った時に比べると本当に小さい砕け方だ。

 それでも槍は砕けた。そしてウィルの槍は砕けていない。

 ランスロットは攻撃として突きではなく、ポイントを取るためだけの突きに切り替えたのだ。

 実戦でしか槍を使ったことが無いはずなのに驚くべき柔軟さだ。


 ランスロットが先にポイントをリードした。

 観客席からは大きなため息と歓声が怒号のように響き渡る。


 ウィルが貴賓席を仰ぎ見る。

 ほとんどの観客が噂の『誇りのない騎士』が老騎士に負ける、とがっかりしている中、アリエルとサラはひたすら真っ直ぐにウィルを見ていた。

 平然と、というわけではないが、それでもまだ勝負は分からない、と信じている目だ。


 入場門に戻ってくるとロジェもまた同じ目をしてウィルを見ていた。

 ウィルは何も言わず、無言で槍を渡して、新しい槍を受け取った。

 ロジェもまた何も言わない。


 不安や絶望で沈み込んでいるわけではない。

 まだウィルなら何とか逆転できる、と信じているのだろう。


 ウィルはその気持ちに後押しされるように走り出した。


 まだ一ポイントリードされただけだ。

 しかしこのままリードされたまま二セット過ぎれば負けが確定してしまう。


 ランスロットは最初のセットの時と同じタイミングで槍を構えた。


 ベストタイミングでの螺旋槍による攻撃へと切り替えたのだ。


 先ほどのように色々な攻撃を仕掛けてきたら隙を突くことも出来るが、こうした基本に立ち返った攻撃をされては崩しづらくなる。


 それを見越してランスロットは攻撃を切り替えたのだろう。


 ポイントをリードしたので危険を冒すことなくやり過ごすつもりだ。

 

 満点に近い解答だ。

 紋章試合の経験が少ないとは思えない。


 しかしそれこそがウィルの待ち望んでいたことだった。


 ウィルは眼前にゆっくりと回転しながら迫る槍を凝視していた。


 時間が引き延ばされたようなこの感覚の中、それでも慎重にある一点を探す。


 そして最適な一瞬を見極めて螺旋槍を繰り出した。


 ランスロットの槍に向かって。


 二つの槍は真っ直ぐに進み、先端が触れる瞬間、ウィルの槍が内側にもぐりこんだ。


 ウィルの槍はランスロットの槍を外側に弾き出しながら、それをガイドにして吸い込まれるようにランスロットの胸元へと走る。

 

 ランスロットの槍を完全に弾いた時、ウィルの槍はランスロットの胸甲を直撃した。


 槍を弾かれて大きく体勢を崩したランスロットはその衝撃を受けて落馬する。



 どう、という音が試合場に響き、辺りは静まり返った。


 

 ウィルは砕けた槍を手に、騎手のいない馬とすれ違う。


 螺旋槍がランスロットの胸を突くまでは、ウィルの心は静かだった。

 しかし半ばまで砕けた槍を手に入場門に戻るために試合場を回っていると、どんどんその心に喜びが溢れてくる。


 そしてそれは貴賓席のアリエルとサラの姿を見たときに爆発した。


 遂にランスロットに勝ったのだ。

 遂に大紋章を手に入れたのだ。

 そして新しい技を手に入れたのだ。


 全身の感覚が麻痺したようなふわふわとした感覚。

 

 ウィルは湧き上がる衝動のままに折れた槍を天に掲げた。


 試合場に割れんばかりの歓声が響き渡った。


 

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