5章 騎士王と紋章官
騎士と鷹狩り
ヨークを出発したウィルたちは途中で様々な村や街によりながら、コーンウォールに向けて旅を続けた。
要塞都市ヨークはブリトニアの中では最北端になる。
ヨークの北方の沿岸部にはアルバ王国というブリトニアとは別の国がある。
アルバ王国はブリガンテス族とはまた違った意味で海の民であり、あまり内陸には干渉してこなかったので、ブリトニアとの国交もほとんどなかった。
噂によると主要種族であるピクト人は、人魚であるとか妖精であるという伝説もある。
その真偽が不明なぐらいに交流がないのだ。
だからこれ以上の北上は意味がない。
ウィルたちは予定通りに西側のルートで南下してコーンウォールを目指す。
王都ロンドンはブリトニアの東側にあった。
だからロンドンからヨークへの移動は東側の海岸沿いを通るルートを使った。
しかしコーンウォールがあるのはブリトニアのため、ヨークからコーンウォールに向かう際は西側の海岸沿いを行くのが近いのだ。
ロンドンからヨークへの旅とは逆に、野宿が多く立ち寄る街や村の少ない旅となった。
ブリトニアの東側には海を挟んで大陸があるため、港町が多い。
しかし西側にはブリテン島よりも小さな未開の島があるだけだ。
それゆえに住む人が少なく、街はおろか村や集落さえ少ないのだ。
東側を通った時とはまた違った景色が続いた。
のどか、と言うよりは貧しいといっていいような景色だ。
小さな村には畑もあるのだが、荒地になっているところも見受けられる。
そんなちょっと寂しい風景の中、十数日の旅を続けて遂にウィルたちはコーンウォールの地へと戻ってきたのだった。
ウィルの鎧一式を受け取るために出かけたあの日から、もう少しで一年経つ。
久しぶりの故郷は、変わらずウィルたちを暖かく迎え入れてくれた。
ウィルたちは古城都市ティンタジェルに向かい、ティンタジェル城に入城した。
半日ほどの時間をかけて荷物を降ろすと、皆早々に眠りについた。
ウィルは久しぶりの故郷のベッドで安らかな睡眠をとることが出来た。
そして翌日から紋章試合の開催に向けて動き出した。
コーンウォールで紋章試合が開催されるのはアリエルが公爵となってからは初だ。
試合の準備はティンタジェルの代官に一任されて着々と進められた。
ロジェはその下でアドバイザーという立場で嬉々として関わっている。
紋章試合の準備というのは地位の高くなった紋章官が行うことが一般的だ。
コーンウォールではロンドンに駐在している老紋章官のケイが取り仕切るのが筋なのだが、ケイはロンドンを離れられない。
そこでロンドン滞在中にロジェがケイから指導を受けて紋章試合を開催するための指導を行っていたのだった。
ちなみにその辺りの事情はウィルにはまったく知らされてなかった。
まぁ知らされていても何が出来たわけでもないのだから問題はない。
アリエルもウィルはそう言うだろうと知らせなかったようである。
普通の主従なら不信感が生まれかねない状況だが、そこは幼馴染ゆえの気安さと以心伝心だ。
実際ウィルも自分の知らないところで物事が動いていたことに異論はなかった。
ウィル自身も戦い以外でアリエルの役に立てると思っていないからだ。
紋章試合の準備に追われるティンタジェルの中で、ウィルとアリエルは比較的暇だった。
もちろん試合の準備に人手は必要だが、そうした雑務は平民を雇って行う。
騎士であるウィルが手を出すことは出来ない。
「ウィル、久しぶりに鷹狩りに行きましょう」
だから暇なアリエルがウィルにこんな事を言い出したのだ。
随分と久しぶりな振り回される感覚にウィルは苦笑する。
◇
「よかったのかなぁ」
「いいのよ、どうせ居たってすることないんだから」
晴れ渡る青空に一羽の鷹が飛んでいる。
先ほどアリエルが放った鷹だ。
鷹は上空から物凄い勢いで降下してきている。
むしろ降下というよりは落下しているように思えるほどだ。
一見すると地上には何もいないように見える。
しかし鷹には目標がしっかり見えているらしく、一直線に落ちていく。
鷹は地面に激突する瞬間、何かを掴んで急上昇した。
「よしっ!」
アリエルが快哉をあげる。
鷹の足には茶色の塊が握られていた。
鷹はそのまま旋回し、成果を誇るように一声鳴いて戻ってきた。
鷹が戻るとアリエルは獲物をすりかえて生肉を与える。
生肉をクチバシで引きちぎりながら食べる姿は、普通の令嬢は嫌がることが多いのだが、アリエルはむしろ元気良く食べる姿を嬉しそうに見ていた。
穏やかな風が丘を駆け抜けて、アリエルとウィルの髪をゆらす。
二人は同時に風の吹き抜けていく先を見た。
そこには辺境ながらも人々の一生懸命暮らすコーンウォールの大地が見える。
「なんだか昔のことを思い出すわ」
「アリエルが城を抜け出して、俺が付き合わされたよね」
「楽しかったね」
「……まぁ、後でこっぴどく怒られたけどね」
ウィルとアリエルは小さい時から一緒に育った。
これは騎士見習いと公爵令嬢としてはありえない事なのだが、すべては疫病のせいだ。
領内を襲った疫病は各所で猛威をふるい、体力の少ない老人や子供から順番に死んでいった。
そこで当時の領主であったアリエルの祖父が、領内で無事な子供たちは皆ティンタジェルの城に避難させてそこで一緒に養育したのだ。
当時ティンタジェルだけがその疫病の脅威から逃れていたからだ。
これには初代騎士王アルトリウスの加護だと言う噂が流れたが、真相は不明だ。
ともかくティンタジェルで疫病が発生しなかったのは事実で、領内の無事な子供達はそこに集められて、隔離した状態で養育されたのだ。
その際に貴族の子は城で、平民の子は城下町で育てられたのだが、好奇心旺盛なアリエルは勝手に子分にしたウィルを伴って城を抜け出して城下町に遊びに出ていたのだ。
そのたびにランスロットたちなどに見つかり怒られていた。
今となっては懐かしく、微笑ましい思い出だ。
ウィルは未だに思い出すと頭頂部にそのときの痛みが蘇るが。
そこは苦い思い出である。
ふと、二人の間に会話がなくなり黙りこむ。
だが気まずい思いはしない。
昔に思いを馳せているのだ、言葉がなくても共通の思い出が浮かぶ。
「ウィル、
「……次の紋章パーツを手に入れたら、もう決めなきゃいけないんだよね」
ティンタジェルで開かれる紋章試合の景品は『
これを手に入れてもウィルの大紋章はまだーー四つ。
『
しかし『
そして『
つまり、次の試合でウィルが優勝すれば、自動的に大紋章が完成することになる。
それは遂にウィルも
「……
しかしウィルにはまだ明確な
ウィルにとって
どんなに旅をしても、どんな相手に勝ったとしても、
そんなウィルにアリエルは柔らかく微笑んだ。
「ウィル、貴方はそれでいいと思う。それが貴方の良いところなのだから」
「でも、いつまでも
知らず知らずのうちに拳を握りこむウィル。
その拳にアリエルの手がそっと重ねられた。
「それは貴方が真面目だから、適当に決めることは出来ないからでしょ?」
「……でも」
ウィルが言葉を続ける前に両頬をアリエルの手に挟まれる。
そのまま強引にアリエルの方へと顔の向きを変えられた。
アリエルはいつもと違って真剣な表情でウィルを見つめていた。
その表情にウィルはドキリとする。
普段のくるくると表情の変わる活発なアリエルも魅力的だが、こうして真剣な表情で見つめられると神々しさすら感じられるほど美しい。
その肌は白磁のように艶やかで、その瞳は澄んだ湖のように深い色。
ふわりと広がる髪は黄金の麦畑のように豊かだ。
今度は二人の間に気まずい沈黙がおりる。
アリエルは大きく息を吸い込むとしっかりとウィルの目を見る。
「私はそんな貴方が好き。貴方の主としてではなく、幼馴染としてでもなく、姉代わりとしてでもなく、一人の女として、貴方のことが好きよ、ウィル」
ウィルは目を丸くして驚いた。
アリエルが自分に好意を持ってくれているのは感じていた。
でもそれはあくまで幼馴染として、姉代わりとして、そういうモノだと思っていたのだ。
ウィルの頬は紅潮し、動悸は早鐘のように鳴った。
口の中が乾き、うまく言葉が出てこない。
ウィルの心に浮かんだ感情は、喜びでも、羞恥でもなく、悔しさだった。
「……ずるいよ、アリエル。俺が先に言おうと思ってたのに」
「ふふん、いつまでもウィルが言わないからでしょ?
先ほどとは打って変わって子供のような表情でウインクするアリエル。
しかしその子供っぽい仕草でウィルはいつもの調子を取り戻すことが出来た。
「そりゃあ、俺だってすぐ言いたかったけど、身分が違うから」
「何よ、それじゃあ諦めるつもりだったの?」
「違うよ、せめて何か手柄を立ててふさわしい爵位をもらってからって思ってたのに」
そういうとアリエルは呆れた表情をした。
「ウィル、知らないの? 大紋章の『兜飾り』はその者の爵位をあらわすわ。だからこれを贈られた相手は自動的にその爵位に叙爵されるのよ」
「え? じゃあ、試合に勝てば、俺も貴族になれるの?」
「ええ、今回なら男爵になることが出来るわ」
ウィルは騎士だが、爵位はない。
騎士というのは役割であって身分ではないのだ。
だから爵位を持つ騎士もいるが、騎士がすべからく爵位持ちではない。
そうした事情もあって紋章試合に出る騎士たちは必死に勝とうとする。
勝って武勲をあげれば、あるいは大紋章をそろえれば爵位を得られるからだ。
「それに騎士王になった暁にはその功績を持って、子爵に叙爵出来るわ。ガイもそうやって爵位あげていったんだからね」
男爵というのはだいたいひとつの村を領地とする。
そして子爵になると複数の村を領地として保有することになる。
爵位としてはひとつしか違わないが、収入としては三倍以上だ。
「……子爵、でもガイは確か伯爵だったよね」
「そうね、私と結婚するつもりなら最低でも伯爵位は欲しいわね。でもそこまできたらあとひとつふたつ大きな手柄を立ててくればいいのよ?」
伯爵ともなれば大きな街を領地とするか、それに匹敵する数の多くの村を支配することになる。
ここまでくると封建領主が居たとしても立派なひとつの勢力だ。
それをまるで簡単な買い物を頼むような気楽さでアリエルが目指せと言う。
ウィルは思わず苦笑した。
「簡単に言うなぁ」
「簡単でしょ? そうすれば私と結婚できるんだから。……それともウィルは私と結婚したくない?」
ちょっと不安そうな表情でアリエルがウィルを見つめる。
ずるいなぁ、とウィルは思った。
こんな表情されて、そんな事を言われて首を振れるはずがない。
ウィルは真剣な表情を浮かべ、真っ直ぐにアリエルの目を見た。
緊張で震える手を握りこんで誤魔化す。
「俺だって一人の女性としてアリエルが好きだ」
今度はアリエルがウィルの表情に驚き、顔を赤くした。
しばらくぽーっと見つめていたが、すぐに悔しそうに口を尖らせる。
そして誤魔化すように笑った。
「ロジェやサラのこともきちんと考えるのよ? なんだったら皆まとめて娶ってくれていいんだからね!」
「えっ、サラと、ロジェも? えっ?」
「相変わらず鈍いんだから。まぁいいわ、どうせウィルが伯爵にならまでおあずけだもの」
顔を赤くしたアリエルはそそくさと話を切り上げた。
照れくさいのだろう、ウィルは一矢報いた形なのだが、アリエルから言われたロジェやサラもウィルに好意を持っているという情報に混乱していて、それに気づかなかった。
しばらくはしゃいだようにウィルを茶化すアリエルだったが、ふっと表情を変えた。
憂いを秘めた、少し不安そうな表情をする。
「勝ってね。……みんなのために」
アリエルの言葉にウィルは力強く頷いた。
「もちろん、俺はいつだってアリエルのためだけに戦ってきたんだから」
その言葉は自然と口をついて出てきた。
そう、ウィルはいつだってアリエルのために戦ってきた。
いままでも、そしてこれからも。
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